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2024年8月30日 (金)

プレイバック春日局・(27)舅(しゅうと)から嫁への手紙

【アヴァン・タイトル】

関ヶ原の戦いの後、家康は譜代大名の大半を江戸から京都の間に置き、天下の中心地を固めました。そして外様大名の反乱に備え、一番重視したのが京都からの東海道、そして東北からの奥州街道でした。中でも西は小田原城、そして東は宇都宮城が江戸幕府を守る最後の要衝となりました。その小田原城には大久保忠隣が、後の元和5年、宇都宮城には本多正純が配属となりました。江戸幕府創業期のこの二人の重臣、いかに信頼されていたかが分かります。

本多正純は駿府の大御所・家康の執事として最高の実力者。そして江戸の将軍・秀忠の執政として腕を振るうは大久保忠隣。当時この二人は、駿府と江戸の政治を実際に動かす両輪でした。しかし両雄並び立たずというとおり、二人は対立関係を深め、ついには幕閣を揺るがしていくことになるのです──。


徳川家康からお叱りの書状をもらったお江与は、顔色を変えて本多正信を呼びつけます。自分が竹千代を疎んじて国千代を世継ぎと決めていると家康に讒言したことを追及します。お江与は国千代を世継ぎにとは言っておらず、両者のどちらか器量のよい方が世継ぎにと主張しているにすぎません。しかし正信は竹千代が世継ぎであることは出生時から決定していることと譲らず、お江与に慎むよう諫言します。

お江与は秀忠の居室に駆け込み、泣いて訴えます。秀忠は、これからは力ではなく法で家を守る世の中になり、惣領より次男が力を持つような家督争いは、家を潰す元だとお江与を諭します。子が父に逆らうことは許されぬと、秀忠は家康の考えに従うつもりです。「竹千代ぎみが将軍とならば、おふくの言うまま。徳川はおふくの天下になりましょう。おふくの勝手にはさせませぬ」

稲葉正成が江戸城を訪れます。国元の仕置きを将軍家に届けなければならず登城しましたが、明日にも美濃に戻らなければなりません。正成は、美濃にいる母・お安からの預かりものとおふくに小袖を渡し、竹千代のために使ったらいいと少々の銭を持たせます。おふくは、駿府(家康)派と江戸(秀忠)派がたびたび対立してきたことを危惧しつつ、ひたすら竹千代に仕えるだけと自分に言い聞かせます。

家康からお江与への書状は幕閣を二分する事件に発展します。国千代の世継ぎが危ういと感じたお江与は、正信・本多正純父子失脚を目論み、国千代を擁立する大久保忠隣らで江戸を固めさせようとしたのです。それは家康の意のままになっている秀忠への焦りと、国千代への猛愛がさせたお江与の手段でした。

 

忠隣は正信・正純に浮かび上がった疑惑を掴んでいます。これが表沙汰になれば、家康の信任が厚い両者を失脚させ追放することもできるわけで、そうなれば江戸は将軍の思うがままとなり、おふくも後ろ盾を失うわけです。お江与の国千代擁立を邪魔するものがいなくなります。お江与はその言葉を信じて、忠隣に任せることにします。

翌 慶長17(1612)年1月、江戸城で定例の幕閣会議が開かれます。忠隣は正信を名指しし、糺したいことがあると発言します。正純の側近である岡本大八が、肥前日野江城主の有馬晴信から賄賂として大金をだまし取ったとの訴えが出されたのです。晴信が派遣した朱印船の水夫をポルトガル船員に殺され、晴信は報復としてその船員が乗る船を長崎で撃沈させ、その恩賞として旧領返還を待ち望んでいました。

大八は正純の側近であることをえさに口利きを約束し、大量の礼金を得ていたのです。もとより恩賞のことは幕府は与(あずか)り知らぬことであり、恩賞のために旧領を現在の支配者である鍋島氏から有馬家へ返還するなど聞いたことがないのです。晴信から得た礼金を、大八と正純で着服した疑いがあると、忠隣は主張します。

始めは余裕で応対する正信も、顔が険しくなっていきます。正信は証拠の提示を求めますが、忠隣が懐から出したのは、晴信へ旧領を返還すると書かれた家康発行の朱印状です。これを受け取った晴信は幕府の沙汰を待っていたわけです。実はこれが真っ赤な偽りで、賄賂欲しさに朱印状を偽造したという流れなのです。まずは真偽を糺すため、駿府の正純屋敷で大八と晴信を対面させることにします。

秀忠は忠隣に怒っていました。もし忠隣の言う通りなら本多親子はただでは済みません。家康の側近だけに罪にすることは避けたいところですが、幕閣会議で公にされてしまうと将軍でも庇うことができないのです。賄賂もいちいち糺せばみな切腹しなければならず、仮に何もなかった場合、忠隣が罪に問われる可能性もあります。このようなやり方は、幕閣を二分し有能な家臣を失う結末しかないのです。

2月、正純の屋敷に大八と晴信が呼ばれます。賄賂は大八が懐に入れ、朱印状も偽造したとあっさり認めますが、大八は晴信が家康寵臣の長崎奉行・長谷川藤広の暗殺を企てたと訴えます。互いに朱印船を有する間柄で、利害関係のもつれから晴信が藤広の暗殺を大八に相談していたのです。結果的に大八は処刑され、藤広暗殺を企てた晴信は流罪、いずれ処刑されることになります。

側近の大八を失い、晴信は藤広の暗殺を企てたとあっては、正純は切腹を覚悟しなければなりません。正信も責任を取って隠居すれば、目の上のたんこぶの存在がいなくなり、風通しが良くなります。お江与に報告する忠隣は、笑いが止まりません。お江与は、これからの徳川は忠隣の肩にかかっていると激励します。

正純は責任を取って切腹しようとしていました。儀式に則って短刀を腹に当てたところで、その切腹の場に松平正綱が慌てて駆け込みます。「御上意じゃ、切腹まかりならぬとの、大御所さまの御上意にござる!」 正純のたわけが! と家康は大激怒で脇息を蹴り上げます。お勝は、本多親子を失って得をするのは誰だと推理しますが、腹を切る前に自分たちが邪魔で陥れた者を捕らえる方が先だと声を荒げます。

 

江戸の海岸で竹千代と小姓たちが水練の稽古です。相変わらずお江与は水練などとおふくに批判的ですが、おふくの目的は泳げるようになることだけではなく、第一に心身を鍛えることにあり、世情を知るために城の外に出るということもあります。竹千代はみるみる上達し、千熊でも竹千代の速さに追い付かない時があるほどです。

水練の稽古から城に戻ったおふくを、正成が訪ねてきていました。正成が見たところ、おふくは少しやせたように感じます。今回の岡本大八事件で国千代派の忠隣が重臣筆頭になり、おふくの立場はますます苦しくなっているようです。正成は、先ほど美濃から母のお安が亡くなったと知らせが届いたと伝えます。御仏の前で経を読みながら突っ伏し、眠られるように──。

これから美濃へ戻る正成に、おふくは私も参りますと食い下がります。しかし今、おふくが江戸を離れては、孤立無援の竹千代の立場はますます辛くなるのです。正成はおふくに変わって、お安を手厚くお送りすると約束します。おふくが江戸城に上がってから、稲葉家の面倒を見てくれたお安の心を無にしてはならない──。「辛い時こそ強うならねば。それが母上への……何よりの供養ぞ」

結局江戸に残ったおふくは、お安に仕立ててもらった小袖を手に母に語り掛けます。「この小袖、とうとう母上の形見になってしまいました。ふくの親不孝、お許しくださいませ」 庭の濃い霧の中から、お安の姿がかすかに映ります。追いかけて呼びかけますが、どこにいてもスッと姿を消します。庭中探して回るおふくは泣き崩れます。

 

2年後、岡本大八事件に端を発した幕閣の対立は、謀反の罪を問われた忠隣が家康から改易され、流罪となったことで決着を見ます。徳川の将来を見据える家康の、強引ともいえる決断であり、おふくにとっての冬の時代もようやく終わるかに見えました。


慶長17(1612)年3月21日、岡本大八が朱印状偽造の罪により駿府市中を引き回しのうえ、安倍河原で火刑に処せられる。

寛永6(1629)年10月10日、おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで

あと17年6か月──。

 

原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
長山 藍子 (お江与)
中村 雅俊 (徳川秀忠)
山下 真司 (稲葉正成)
東 てる美 (お勝)
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中条 きよし (土井利勝)
前田 吟 (本多正純)
佐藤 英夫 (有馬晴信)
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丹波 哲郎 (徳川家康)

佐久間 良子 (お安)
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制作:澁谷 康生
演出:兼歳 正英

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『春日局』
第28回「和平か決戦か」

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