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2024年9月30日 (月)

プレイバック炎 立つ・第二部 冥き稲妻 (20)楽土への道 (第二部最終回)

【アヴァン・タイトル】

清衡の建立した中尊寺金色堂。奥州藤原氏が平泉に打ち建てた黄金文化の頂点である。「中尊寺供養願文」、壮大な伽藍(がらん)の落慶法要の際、読み上げられたこの願文には、清衡の意志が余すことなく述べられている。前九年・後三年の合戦をはじめ、奥州の長期にわたる戦乱で犠牲になった多くの者たちの霊魂を弔い、浄土へ導くこと。そして辺境の地として言われなき差別を受けてきた奥州に、中央に負けない仏教文化を築き、北方世界に君臨する王者の風格を表したいということである。

奥州に楽土を築かんとする清衡の夢は、あと一歩のところまで近づいていた──。


寛治元(1087)年・金沢柵(現・秋田県)を源 義家・清原清衡の連合軍が包囲して1か月、逃亡を見逃されると知るや、飢えた女たちは子を連れて、堂々と柵を出ていきます。そこに吉彦秀武が駆けつけ、女や子どもらを敵に従う者だとして「慈悲は無用、斬れ!」と家臣たちに命じます。見逃して外に逃がしていた小矢太は、慌てて義家や清衡に報告します。

女や子どもらを斬るとは武士の恥だ! と参上した秀武を義家は罵倒します。秀武は、兵糧攻めをしているさなかに柵の中の人が減れば、その浮いた食料分は他の人に分け与えることが出来るわけで、策がうまくいくようにと考えてしたことで、責められる言われはないと大きな顔です。秀武は飢えた敵をおびき出して一網打尽にすることを義家に強く進言します。

柵の中では、秀武の残虐に清原武衡は激怒します。出された膳が小まめの汁で、兵たちは馬を殺して食べる有様です。今夜討って出ると武衡は主張しますが、戦力は見込めません。その怒りは家衡に向きますが、そんなに腹がすいているならと出された椀には、粥が入っていました。すでに食料は底をつき、武衡は家衡を棟梁と仰いだばかりにと後悔し、首を差し出すしかないと家衡に迫ります。

義家からの降伏勧告に、柵の中から兵たちがぞろぞろと出て来ました。しかし臆病ながら用心深い家衡は柵から出て来ません。様子を見守っていた結有は、家衡を説得して柵から引きずり出して見せると清衡に志願します。いずれは命を取られようが、ここでは殺さないことを清衡に約束させ、清衡は石丸と小矢太を結有につけて柵の中に向かわせます。

柵の館の中には家衡のみが居残っていました。まだ生き延びたいと願う家衡ですが、柵に居残ったとしても、待っているのは餓死のみです。結有は持参した握り飯を与え、家衡は一心不乱にかぶりつきます。結有は柵を出ようと諭しますが、家衡は震えて拒否します。「殺されるかどうかはそなた次第じゃ。これからは家来として決して背くことなく従うてゆくと誓えば、お許しが出るかもしれぬ」

清衡は戦の決着がついた以上、家衡の首をとらなくてもと義家に進言しますが、義家は反対です。命を助ければいずれ家衡を内裏に連れて行かねばならず、家衡が兄弟喧嘩を主張すれば、戦に加担した義家の大義名分がまったく失われてしまうのです。清衡がこの期に及んで家衡の助命をするとは、義家は清衡にしっかりしろと言いたげです。

 

平蜘蛛になって謝りたいという家衡の気持ちを知り、結有は家衡を連れて義家の陣まで連れてきました。結有の役目はここまでと、清衡の配慮で結有は陣の外に連れ出されます。ひとりになった家衡は地面に這いつくばり涙ながらに謝罪しますが、その姿を見降ろす義家は、家臣たちに目配せしてその場で斬り殺してしまいます。

家衡の断末魔のような叫び声に、結有は来た道を戻ってきましたが、すでに家衡の遺体には筵(むしろ)がかぶせられていました。膝から崩れ落ち、殺したのか! と結有は清衡を非難しますが、清衡はこれまでの結有の働きに礼を言います。「これが、我ら兄弟の運命にござる」泣き崩れる結有を冷めた目で見つめる義家です。

 

義家は戦の終了を下文にして内裏に報告しますが、内裏からはそれに対する返答がなく、とうとう翌 寛治2(1088)年を迎えます。多賀城に清衡を呼んだ義家は、次の陸奥守が任命される夏ごろまでに、家衡・武衡らの首を持参して上洛し参議たちに説明して、正当な戦だったと認めてもらう必要があります。義家に味方した坂東の武者たちは、恩賞が目当てなのです。

これまで長い間 陸奥と関わって、義家は陸奥の金や産物を内裏に奪われたなくないという気持ちが芽生え始めていました。国々を朝廷から切り離し、独立した国にしたいと義家は考えていますが、清衡は金を豊富に持つ陸奥だけがそれをできればいいと言い出します。「内裏とつながった武力は要らぬ。この国で源氏がしてきたことは今も昔も同じこと。俘囚を滅ぼしその力を弱め、民を疲弊させただけ」

清衡の最終的な目標は、この陸奥から戦自体をなくすことであり、それは父・藤原経清からの悲願であったと義家に訴えます。しかし義家は、戦があればこそ武士が力を持ちやがて内裏を凌ぐと主張し、陸奥の経営は義家自身がやると清衡を見据えます。その考えに反発する清衡に、陸奥守である自分が陸奥に居座り続けて、富を吸い尽くしてやると睨みつけます。

1か月後、都入りを明日に控えた義家ですが、家臣の兵藤正経は、清衡のことは油断のならない男で最後まで好きになれなかったとこぼしますが、義家は清衡と主張を戦わせても、腹の据わった信頼できるいい男だと評価しています。そこに都から使者が到着し、書状が届けられます。目を通す義家はわなわな震えます。「今度の戦は私闘……還付の発給は認められぬ……陸奥守解任とな!?」

使者の視線に冷静さを取り戻した義家は、次の陸奥守に誰が着任するのか尋ねます。使者が言うには藤原基家という下級の貴族が宛てられることになりました。陸奥守には大して力のない人物のほうが望ましいと参議が判断したわけです。「やられたぞ。わしを陸奥守の位置から引きずり下ろしたは乙那、乙那にそうさせたのは清衡……戦に勝って陸奥が己の手中に入った途端わしが邪魔になりおったのじゃ」

義家の望む国と清衡が思う楽土とはあまりに大きな隔たりがある──。朝廷とは無縁の国、宋と自由に貿易して民を潤し、絢爛たる黄金の都市を陸奥の地に築く。経清の恨みも、安倍の、そして物部の恨みも晴らしたと胸を張る清衡は、これからは陸奥国づくり一筋にいきたいと考えています。「父上見ていてくだされ。父上らが望んだ国を、手前は必ずこの陸奥に作り出しまする」

 

6年後の嘉保元(1094)年、結有が最期の時を迎えていました。清衡は立派に仕上がってゆく平泉を結有に見てもらいたいという思いが強く、語り掛けて励まします。清衡が藤原姓を名乗ることを朝廷も認め、藤原家の復興が成るのです。「これで……よかったかの……」と言い残した結有は、力尽きて亡くなります。幼いころからずっと一緒に過ごしてきた菜香も、涙を流して悲しみます。

これより平泉の街づくりは着々と進んでいき、中核をなす仏閣も建立されていきます。中尊寺金色堂が落慶したのは、結有の死から30年後の天治元(1124)年、藤原清衡70歳のころです。まさに黄金の世紀のはじまり、平泉は藤原基衡、秀衡、泰衡に続く奥州藤原四代の隆盛を迎えようとしていました。


原作:高橋 克彦
脚本:中島 丈博
音楽:菅野 由弘
語り:寺田 農
題字:山田 惠諦
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[出演]
村上 弘明 (清原(藤原)清衡)
古手川 祐子 (結有)
豊川 悦司 (清原家衡)
鈴木 京香 (菜香)
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渡辺 謙 (藤原経清(回想))
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寺田 稔 (乙那)
渋谷 天外 (清原武衡)
織本 順吉 (千任)
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河原崎 建三 (兵藤正経)
蟹江 敬三 (吉彦秀武)
佐藤 浩市 (源 義家)
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制作:音成 正人
制作・著作:NHK
共同制作:NHKエンタープライズ
制作統括:村山 昭紀
制作協力:NHKアート
    :NHKテクニカルサービス
演出:門脇 正美

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『炎 立つ』
第21回「父と子」(第三部「黄金楽土」第一回)

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