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2024年9月23日 (月)

プレイバック春日局・(32)家康の遺言

【アヴァン・タイトル】

どちらも家康の肖像画です。家康は晩年相当肥満していました。見かけは健康体とは言えませんが、その実 頑健で、75歳という当時としてはかなりの長寿を全うしたのです。

家康には独特の健康法がありました。生涯に1,000回以上行った鷹狩りは、身体の鍛錬には効果絶大でした。食事の摂生にも気を遣っており、意外に質素な食膳です。そして何と言ってもユニークなのが、家康自らが薬を作っていたことです。家康は専門家顔負けの漢方薬研究の大家でした。ではその参考書となった中国総代の医薬書「和剤局方」をもとに、家康が愛用した強壮薬、八之字薬を再現してみましょう。

薬の成分は現代でも薬効のあるこれら12種類の薬草です。それぞれを刻んで調合し、はちみつを加え固めると、八之字薬が出来上がります。この薬がもたらした家康の長寿こそ、徳川幕府創立期の安定の礎だったのです──。


豊臣を滅亡へと導き、徳川幕府は新たに基礎固めを急ぎます。元和元(1615)年8月、江戸城では竹千代と徳川秀忠との間に確執が起こり、おふくには養育の責任を問う危機が迫っていました。茶々と秀頼の命を奪っての戦勝祝い、さらに傷の癒えぬ千姫への輿入れなど、承服できない竹千代は秀忠に反対を主張し、子が父に逆らうなら将軍を継がせぬと引導を渡されたのです。

しかし、一方でこれまで養育してくれたおふくの立場を思えば、辛いのも正直なところです。おふくは、竹千代の心情はもっともだと頷き、自分のことなど気遣わないようにと笑顔を見せます。竹千代はおふくの描いた通り立派に成長したと胸を張ります。「国千代が世継ぎと決まれば、母上とてご満足なさろう。何もかも上手う収まる」

秀忠は竹千代の反抗に気が立っていました。今回に限らず、竹千代はこれまで2度3度と秀忠を蔑(ないがし)ろにしてきました。ここにきてようやく、秀忠は“子は母親の手元に置くのが一番”というお江与の主張が正しかったと認めます。「大御所さまとて世継ぎを嫡男と決められたわけではない。わしの後を継ぐ者は、わしの言うことを聞く者でのうては務まらぬ。それが徳川の世継ぎとなる第一の条件じゃ」

竹千代の養育が至らなかったと思い悩むおふくは、土井利勝に対面を求めます。これまで秀忠は家康を立ててきただけに、竹千代の反抗に立腹しているわけですが、利勝は秀忠への取り成しを約束します。しかしそれでも竹千代を預かったおふくは申し訳が立たないと、徳川家康に直接対面して詫びを入れたいと土井利勝に申し入れます。「旅の手配、早速計らいましょう」

 

駿府には、おふくが来て目通りしたいと言っていると書状が届きます。何があった? といぶかる家康ですが、書状には何も書かれていません。暇乞いかもしれないとお勝は推測しますが、これまでの功労を考えれば会ってやらなければならないと家康は考えます。ともかく、駿府に来たのならしばらく滞在させて、駿府の町を楽しんでもらおうとお勝は勧めます。

稲葉正成が江戸屋敷に来たのに合わせ、おふくは宿下がりを願い出ます。慌てて食事の用意をするおふじには、8歳の堀田正盛がいて、おふくは大きくなったと目を細めます。やがて正成と二人きりになったおふくは、暇乞いする決意を正成に告げ、長い間の不自由を謝罪します。「ならば竹千代ぎみにお仕えしたも無駄ではなかった。悔いはなかろう。いつでも戻ってきたらええ」

9月半ば、おふくは単身駿府城に向かい家康と対面します。家康が戦を疎(うと)み、和平を願う心に打たれたおふくは、その思いを竹千代に教え込んできたわけですが、一本気の激しい気性を持つ竹千代が、戦や千姫のことで秀忠の不興を買い、乳母の役目も果たせなければ、取るべき道は一つです。家康はおふくの気持ちを汲みます。「わしがええように計らう。わしの沙汰があるまでは勝手な振る舞いは許さぬ」

おふくが駿府に暇乞いに行ったことは、秀忠の耳にも入ります。今はおふくは江戸城に戻り、家康の沙汰を待っている状態ですが、竹千代はもはや乳母の養育は必要なく、秀忠の意向の元に養育できる傅役(もりやく)を選べばいいと考えています。そこに家康が、10月10日に江戸城に入ると知らせが届き、秀忠は国千代世継ぎの件を話してみるいい機会だとつぶやきます。

 

江戸城に入った家康は、徳川の世継ぎについて話しておきたいと、秀忠はじめ家臣たちを集めます。「今日ここに改めて家督を継ぐ者は代々嫡男とする。竹千代、三代将軍となるのはそなたじゃ」 竹千代の傅役として利勝、酒井忠世、青山忠俊を任命し、稲葉正勝ら小姓たちはこれまで通り側近として、おふくには竹千代のしつけと身の回りの世話を一任します。

家康の裁定に不本意だろうと秀忠はお江与を気遣いますが、お江与は竹千代への世継ぎ指名を喜んでいて、秀忠には意外です。茶々を自害に追いやった家康や秀忠を恨みつつ、何も言えず。千姫のこともそうです。それを竹千代は秀忠を恐れず、自分の思いを自分の代わりに言ってくれたわけです。「思いやりの心をわきまえ、強きに打ち勝つご器量こそ徳川を支えるにふさわしいお方」

お江与に呼ばれて竹千代とおふくが目通りします。お江与は竹千代の世継ぎ指名について、夫婦とも喜んでいると笑顔を見せます。秀忠とお江与の突然の雪解けに竹千代は嬉しさを噛みしめ、おふくも身が引き締まる思いです。これで国千代は一大名になりますが、兄弟仲良くというのが親の願いです。竹千代は、国千代は大事な弟と、二人力を合わせて徳川を立てることを約束します。

国千代がお江与の許可を得て、初めて竹千代の居室を訪ねます。竹千代は国千代の訪問を心から喜び、正勝と高丸に兄弟仲良くするよう諭します。そしておふくには竹千代と正勝と同じように、国千代と高丸らの面倒を見てやってほしいと頭を下げます。高丸には、役目がらこれまで母親には会えなかっただろうと思いやり、出入り自由だからいつでも会いに来ればいいと優しい顔を見せます。

家康が駿府に戻る日が近づいてきました。出発前夜、おふくは家康の呼び出しを受けます。家康はおふくに礼を言いたかったのです。おふくが駿府に来なければ、国千代を寵愛する秀忠夫婦のことを見逃すところでした。おふくとしては、養育が至らなかった詫びを言いに行っただけと笑いますが、家康が願っていたように竹千代を育ててくれたことが大きいのです。

家康は、おふくから女としての幸せを奪ってしまったように思えて仕方ありません。しかし竹千代のことを任せられるのはおふくしかいないわけです。「わしに代わって竹千代が立派に三代将軍に就くのを見届けてくれ。竹千代を頼む。これが、この家康の遺言として聞き届けてくれ」 達者での、と家康は立ち上がります。

翌日、家康は江戸城を去っていきます。それがおふくと家康の最後となりました。半年後の元和2(1616)年4月17日、家康は駿府で75歳の生涯を閉じ、家康の死がおふくの人生を大きく変えることになります。おふくは正成に、これからどの道を選べばいいか揺れ動く気持ちを書状にしたためます。「正成どの、何とぞふくの心中、お察しくださいますよう」


元和2(1616)年4月17日、巳の刻(午前10時ごろ)、徳川家康が駿府城で75歳で死去する。

寛永6(1629)年10月10日、おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで

あと13年5か月──。

 

原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
長山 藍子 (お江与)
山下 真司 (稲葉正成)
東 てる美 (お勝)
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中条 きよし (土井利勝)
前田 吟 (本多正純)
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中村 雅俊 (徳川秀忠)
丹波 哲郎 (徳川家康)
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制作:澁谷 康生
演出:一井 久司

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『春日局』
第33回「離別再婚」

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