プレイバック炎 立つ・第三部 黄金楽土 (21)父と子
【アヴァン・タイトル】
永承6(1051)年、黄金に目のくらんだ陸奥守・藤原登任(なりとう)と安倍一族との間に戦が始まった。前九年の合戦である。戦乱の中、ひとつの恋が芽生えた。奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)の父母となる、陸奥国府の副官・経清(つねきよ)と、安倍の娘・結有(ゆう)である。「陸奥をやがて一つにまとめて、朝廷とは無縁の国にしたいのだ。楽土にしたいのだ。血を流さずにそれを築きたい(乙那)」
永承7(1052)年、しかし、野望に燃える陸奥守・源 頼義は、手段を選ばずに安倍に戦を仕掛けた。当初、頼義についた経清も、黄金楽土の夢を追うべく安倍に身を投じた。「今日から身も心も安倍となり申す!(藤原経清)」「戦は今まで通り……守ることのみにいたせ。決して自ら攻めてはならぬ(安倍頼時)」
天喜5(1057)年、黄海の戦いでは、冬将軍が安倍に味方して頼義軍は惨敗。経清は武士の情けで頼義・義家親子を見逃す。しかし康平5(1062)年、義家の度重なる説得に応じた出羽の清原一族が源氏側に加担することにより情勢は一変した。源氏・清原連合軍の前に、安倍軍は奥六郡最北の厨川柵(くりやがわのさく)に追い込まれ、予想外のあえない結末を迎えるのであった。
陸奥の地に民のための楽土を作ることを夢見、安倍に身を投じた経清は、最愛の妻と息子を清原一族に奪われ、無念の最期を遂げるのである。「許してくれ……経清どの……(源 義家)」 こうして前九年の合戦は終わった。経清の思いは、息子・清衡へと引き継がれてゆく。
20年後の永保3(1083)年、清衡は藤原再興を胸に秘め、清原一族の中で暮らしていた。兄・真衡(さねひら)には子がなく、後継者を誰にするかで清原一族は揺れていた。「手前は、夫婦養子を迎えることに決め申した(清原真衡)」
陸奥守・源 義家は、清衡に奥六郡を取り戻させるべく、真衡を暗殺する。応徳3(1086)年、清原一族の後継者を目論む弟・家衡(いえひら)は、清衡の館を襲った。「家族は皆殺しにすると触れ回れ!(清原家衡)」「信じて待つのじゃ(貴梨)」「清原を滅ぼすためなら、妻子をも犠牲にすると言うたのはこのことじゃと申すのか!(結有)」
清衡の妻子を殺した家衡は、出羽に本陣を構え清衡・義家と対決するも、あえなく降伏した。「これが……我ら兄弟の運命にござる!(清原清衡)」 こうして後三年の合戦が終わった。名実ともに奥州の覇者となった清衡は、楽土実現の夢を二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)へと引き継ぐのであった──。
中尊寺金色堂──初代清衡から四代泰衡(やすひら)まで100年に及ぶ、奥州藤原氏の黄金文化の頂点である。初代清衡は平泉に本拠を構え、金色堂に象徴される財力を背景に、陸奥・出羽 両国全土に勢力を広げていったのである。激しい後継者争いの末、その後を継いだのが二代基衡である。
基衡の建立した毛越寺(もうつうじ)。今は庭園を残すのみだが、当時は京の誇る法勝寺にも匹敵する大伽藍が存在した。この毛越寺の本尊である仏像の造営をめぐって、基衡は莫大な財力を投入した。仏像は当代一流の都の仏師・運慶に発注した。その費用としてまず黄金100両、鷲の羽100尻、海豹(アザラシ)の皮60枚あまり、奥州産の優秀な馬50頭など、京に膨大な品々を送り届けた。その後も仏像が完成するまでの3年間、贈り物を届ける行列が絶えることなく続いたという。奥州藤原氏の巨大な富は、都に広く知れ渡った。
基衡は京の摂関家とも対等に渡り合った。時の左大臣・藤原頼長。頼長は「悪左府(あくさふ)」と呼ばれ、当代随一の切れ者であった。頼長は年貢の増額を要求したが、基衡はこれを拒否。結局要求の半額で妥結した。奥州藤原氏の権勢は、とどまるところを知らなかった。
そして時代は三代秀衡へと移る。秀衡は、奥州藤原氏で初めて鎮守府将軍となり、奥州の覇者の地位を公的にも確立する。その陰には、京の摂関家出身の貴族・藤原基成がいた。基成は二代基衡の時代に陸奥守を務め、任期後も平泉に留まった。四代泰衡は、基成の娘と秀衡との間に産まれたのである。秀衡は基成を政治顧問とし、奥州藤原氏の栄華は頂点を極めた。
一方、都では歴史を揺るがす大事件が起こっていた。保元の乱・平治の乱である。皇位継承問題をめぐる二つの権力闘争で、最終的に権力の座に就いたのは平氏であった。平 清盛が権力を独占し、朝廷の権力者・後白河法皇は幽閉され実権を奪われた。頼義・義家親子以来、武門の棟梁として平氏と都の覇権を争った源氏はここに敗れ、義朝は処刑、嫡男・頼朝は伊豆の蛭ヶ小島に流され、弟・義経は京の鞍馬寺に預けられる。
秀衡が鎮守府将軍となるのは1170年。いわゆる源平の合戦の始まる10年前である。三代秀衡・四代泰衡は、そんな激動の時代を生き抜かねばならなかったのである。貴族の時代から武士の時代へ。平安という時代が音を立てて崩れ去ろうとする中、奥州は大きな歴史の渦に飲み込まれていった──。
嘉応2(1170)年。御館(みたち)・藤原秀衡が鎮守府将軍に任命される祝いに合わせ、広大な草原で鹿狩りが行われます。何匹もの犬が野に放たれ、鹿を追い詰めていきます。その様子を見守るのは藤原泰衡、その兄・藤原国衡(くにひら)です。国衡は率先して前進し、鹿を一矢で仕留めます。家臣たちが褒めそやす中、何もできなかった泰衡はうらめしそうに兄を見つめています。
鎮守府将軍任命の祝いには陸奥守も駆けつけるとのことです。清原武則以来の慶事ですが、武則には秀衡の先祖である安倍氏を、源氏と共に滅ぼした戦功から任命されたわけで、このような平和な時代に奥州藤原氏から鎮守府将軍を拝命できたのは、藤原基成のおかげと頭を下げます。しかし基成は「清盛でございまするぞ?」とニヤリとします。
平 清盛──六波羅の清盛入道がうんと言わなければ、基成がいくら根回ししても叶わないことであり、これは清盛が平泉を無視できない存在と見ている証といえそうです。その横で藤原基顕と隆実は、父の説明を神妙な顔で聞いています。「舵取りさえ間違わなければ、平泉の栄華などに影が差すことなどありませぬ。今後は堂々と鎮守府将軍を名乗り召され」
一方の泰衡は、矢も定まらず弓さえも落とし、馬の首につかまるだけで精一杯です。泰衡の家臣・弥五郎はひどくがっかりし、国衡たちは泰衡を見て笑います。屋敷に帰ってもその話でもちきりで、国衡は上機嫌ですが、半分は公卿の血を引く泰衡に比べ国衡は生え抜きの蝦夷(えみし)と家臣に言われ、国衡は盃を地面にたたきつけます。「蝦夷で悪いか? わしの母御は生まれの卑しい女だと言いたいのか!」
すっかり肩を落としている泰衡ですが、気にすることはない、これからだと叔父の基顕は励まします。息抜きに外の風に当たりにいく泰衡ですが、館の中で秀衡と基成の会話を盗み聞きしてしまいます。陸奥や出羽の武将をまとめていくには泰衡では心もとなく、国衡を棟梁に立てて荒武者をまとめて立ち向かい、その臣として勉学好きの泰衡を充てれば万全では、と基成に相談したのです。
従三位や参議に匹敵する位を捨ててまで、陸奥守任期後の基成が奥州に残ったのは、平泉の栄華を不動のものにしたいためです。都の法皇と平家に立ち向かうためには、奥州と公卿の血を引く泰衡を印、飾りとして立てることが重要なのです。ただしその飾りを棟梁に立てなければ、基成が秀衡と連携することはできない、と突き放します。それを聞いていた泰衡は悔しさを噛みしめます。「飾りか……」
3年後の承安3(1173)年、平泉・加羅御所(からのごしょ)──。早朝御所を出発した秀衡は、政庁がある平泉の館へ向かいます。跡取りと公にされてから、泰衡は努めて平泉の館に出仕し、その前に弓矢の稽古などに精を出していましたが、泰衡が気づいたときには秀衡はすでに御所を後にしていました。
兄上は都に行きたいのです、と薫子がニヤニヤします。書物を読み、絵巻物を見、京への憧れをますます強める泰衡の気持ちを代弁して、母・倫子(りんし)に打ち明けます。父が認めてくれるかどうか泰衡には心配ですが、基顕らも京と平泉を往復しているし、一緒に行けばいいと倫子は泰衡の背中を押します。泰衡は、その基顕が都から持ち帰った後三年合戦絵巻に目を奪われています。
しかし予想に反して、秀衡は「ならぬ」と一蹴します。秀衡も若かりしころには都に出て刺激を受けてきた身ですが、今の平泉は都以上であり、利権に腐っている都から学ぶことは何もないという意見です。跡継ぎの座はいらないから都へと食い下がる泰衡でしたが、むしろ学ぶべきは商いをしている宋であり、秀衡は泰衡に宋の国へ行けと勧めます。泰衡は顔をゆがませて下がっていきます。
入れ替わりに主殿に入ってきた基成は、父の従兄弟にあたる藤原長成からの書状を持ってきました。平治の乱で非業の死を遂げた源 義朝の妻であった常盤を娶り、義朝の遺児の処遇について頭を悩ませているそうです。今若と乙若は出家していますが、頭を悩ませているのは鞍馬寺に預けた牛若のことです。
出世しなければならないと度重なる長成の説得にも、遮那王(牛若)は頑として承諾しません。「父親ぶるのはおやめくだされ。清盛からお下がりをもらい受けて、まんまと出世したお人に何が分かるんだ!」と主張して長成を怒らせます。ただ母の常盤は自分たち子どもを守るために、父の仇・清盛の言うままになったことは理解していて、ここで出世しては仇を討てないと必死に訴えるのです。
持て余した長成は、しばらく遮那王を預かってくれないかと基成に相談してきたわけですが、秀衡はこのような時期に源氏の子を預かるなど、いたずらに清盛を刺激するだけと反対の立場です。今は平家の世で、権勢を奪われた後白河法皇は源氏を抱き込み再起を図るはずで、その時遮那王が駒として使えると、基成は自信を見せます。
考えてみれば奥州藤原氏と源氏とは因縁な間柄です。源 頼義は陸奥を欲しくて狙いを定め、源 義家は陸奥を清原から戻す役割を果たしてくれました。今回の話はもしかしたら先祖からの導きかもしれません。ただ、都にいる橘似(きちじ)によると、遮那王は手に余る困りものと評判で、その人となりを詳細に調べた後でも遅くはない、と秀衡は考え始めます。
加羅御所の小寝殿では、まだ泰衡が後三年合戦絵巻の巻物を広げて、見るのに夢中です。その中で描かれている八幡太郎義家の姿に、泰衡はうっとりです。そしてこの絵巻物を提供した基顕もどこか嬉しそうです。泰衡は、陸奥の過去に関わることなのに、なぜ後白河法皇が先に描かせているのかと疑問です。都よりもはるかに優れる都・平泉も、たかが模倣にしか過ぎないと感じずにはいられません。
基顕は、泰衡が言うようなことをこの陸奥で実現するために、生まれてきたのだと泰衡を励まします。泰衡を都へやらないのも、泰衡かわいさゆえだと諭します。さらに基顕は、義家の末裔(四代目)が平泉に来ると泰衡に教えます。「御館もわが父も、乗り気でこの平泉に呼び寄せようとなされておる。幼名牛若、源 九郎どのでござる」
清和源氏の嫡流が、この平泉に──。泰衡は複雑な思いで空を見上げます。
脚本:中島 丈博
高橋 克彦 作 「炎立つ」より
音楽:菅野 由弘
語り:寺田 農
題字:山田 惠諦
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[出演]
渡辺 謙 (藤原泰衡)
野村 宏伸 (源 義経(九郎))
中嶋 朋子 (薫子)
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三浦 浩一 (藤原国衡)
中原 丈雄 (藤原基顕)
松田 美由紀 (常盤)
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真野 響子 (倫子)
林 隆三 (藤原基成)
渡瀬 恒彦 (藤原秀衡)
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制作:音成 正人
制作・著作:NHK
共同制作:NHKエンタープライズ
制作統括:村山 昭紀
:NHKアート
:NHKテクニカルサービス
演出:門脇 正美
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『炎 立つ』
第22回「義経、平泉へ」
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