プレイバック春日局・(40)『春日局』賜わる
【アヴァン・タイトル】
寺から生まれたと伝えられる数々の食品の中で、最も親しまれているのは「沢庵漬け」。禅僧沢庵和尚が献上した漬け物を、将軍家光が名付けたとも、沢庵和尚の墓が沢庵石に似ているからとも言われています。この沢庵宗彭(そうほう)が歴史の表舞台に登場する大事件がありました。『紫衣(しえ)事件』です。紫衣とは位の高い僧侶に朝廷が与えた、紫の衣のことです。事件は紫衣の勅許を幕府が無効にしてしまったことから起こりました。
当時、大徳寺の住職だった沢庵和尚は、幕府批判の急先鋒として立ち上がりました。政治の争いに巻き込まれた仏教の将来に、危機感を抱いた沢庵和尚は公然と幕府に抵抗し、幕府の怒りを買ってしまいます。庶民的な漬け物の名で知られる沢庵和尚はこの時、朝廷と幕府の対立のきしみを、一身にかぶらねばならなかったのです──。
寛永6(1629)年2月、疱瘡で重体に陥った家光の本復に喜ぶのもつかの間、幕府を驚かす事件が 武家伝奏・三条西実条によってもたらされます。後水尾天皇が突然譲位すると言い出したのです。これまで朝廷に対して尽くしてきたつもりの秀忠には、まさに寝耳に水といった状況ですが、昨年6月に亡くなって以来皇太子がおらず、存命しているのは中宮和子が産んだ興子内親王(おきこ ないしんのう)のみです。
帝はその一宮興子内親王に後を継がせる意向ですが、女帝とは何百年ぶりのことでもっての外と秀忠は激怒します。徳川家から中宮和子を朝廷に送ったのは朝廷と幕府の関係を深めるためであり、和子の娘が天皇になっては徳川がそしりを受けることは免れません。中宮にまた皇子が産まれるその時まで、譲位を思いとどまるように実条に伝えさせます。
朝廷と幕府の関係は、いわゆる『紫衣事件』で紛糾していました。天皇が幕府の同意を得て、仏教諸派の格式の高い僧侶に与えることになっていました。しかし天皇は幕府の意向を無視して多くの僧侶に紫衣を与え、幕府は勅許無効という手段に出たのでした。結果、幕府に反抗した沢庵和尚らは流罪となり、天皇の権威は大きく傷つけられたわけです。
おふくは武家伝送に加え、中宮和子のお世話をする中宮大夫の役割を担う実条を労わります。実条とおふくは従伯父と従姪の関係にあり、実条にとって遠い親戚であるおふくに江戸城で会えるのは癒しでもあります。実条は、今回のことは朝廷と幕府の対面の根深い問題で、沢庵の流罪によって不満が噴出し、帝が譲位すると態度で示すことで幕府への怒りを表したと事情を説明します。
おふくは秀忠に呼び出されます。おふくには将軍本復の祝いも兼ねて伊勢神宮へ代参することになっていますが、そのついでに京まで足を伸ばしてもらいたいというのです。その役割は、中宮和子に会って幕府の意向を伝え、和子から帝の真意を聞き出し、幕府として詫びるところは詫びるという、和子を通して朝廷と幕府の意思の疎通を図ってもらいたいというものです。
江戸城の大奥を預かるおふくですが、政道に関わることはと固辞します。京都所司代らが動けば事態が明るみとなり、手をこまねいて帝が譲位してしまったら、幕府が朝廷に圧力をかけたと天下の誹(そし)りを受けることにもなりかねません。和子を介してのやり取りには、そういった事情も鑑みて女性のおふくが適任であるとの、秀忠と家光の考えでもあります。
家光の説得を受けて黙って受け入れるおふくですが、稲葉正勝は話がこじれればおふくが責めを負うことにもなるし、おふくが傷つく未来しか見えません。今のうちに辞退を勧める正勝ですが、一度引き受けたからにはできる限り力を尽くすと正勝を見据えます。「案じてくださるな。私の命は上さまに差し上げた。上さまのお役に立てるなら悔いはない」
おふくは鷹司孝子のところへ赴き、鷹司卿への言伝てがあればと尋ねます。孝子は、城で幸せに過ごしていて 江戸に骨を埋める覚悟はできたと伝言を頼みます。
おふくは間もなく江戸を出発し、伊勢神宮を経由して京に入ります。京では三条西家を宿として滞在することになりました。ここはおふくが少女時代、母お安と匿われていた時に過ごして以来ですが、庭の様子もあの時のままです。おふくは宮中のことは何ひとつわきまえていないと、実情にお引き回しを依頼します。
さっそく実条に伴われて京都御所に参内したおふくは、和子と対面します。和子は秀忠からの書状でおふくが上洛する事情を理解しています。和子は帝が幕府に対して怒りを露わにしていることも一つあるが、腫れ物ができて灸による療治で本復を目指しているものの、帝の身体を傷つけることは許されず、譲位したいと事情を説明します。母の中和門院(ちゅうかもんいん)も譲位に同意しているそうです。
勝手に譲位しては朝廷と幕府の間に溝ができるため、帝も腫れ物を我慢している状態です。和子はおふくに、江戸に帰ったらその事情と和子自身も譲位に同意していることを秀忠に伝えて、考えてもらうように説得してもらいたいと依頼します。和子としても腫れ物に悩まされる帝は見ていられないほどいたわしいわけです。
幕府が誹りを受けようとも帝の譲位を認めるか、幕府の対面を守るか──。あとはその判断は秀忠の返事一つです。和子と対面したことで役目は終わったとおふくは胸をなでおろしますが、実条はまだ役目は終わっていないと告げます。和子の配慮で、帝よりおふくに拝謁の許しが下りたとの知らせが実条のところに来ていたのです。「わたくしが……帝に拝謁を!? そのように畏れ多いことを……!!」
おふくは無位無官の女人ですが、和子の配慮を無にすることはできません。実条の取り計らいで、おふくは実条の妹ということにして、三条西家の者として従三位に準じ、『春日局』の名を朝廷からもらって参内してもらおうというのです。朝廷と幕府の和のためと実条に説得を受けたおふくは、拝謁を賜って帝の怒りを少しでも許してもらえるよう、役目を果たす決意をします。
10月10日、おふくは宮中に参内。天皇に拝謁して盃を賜り、『春日局』という名を与えられます。その大任を果たし、1か月ほどしておふくは江戸城にようやく戻ります。おふくが家光らと対面する前に知らせておきたいと、正勝がやって来ました。11月8日に帝が譲位したと聞き、おふくはとても驚きます。無位無官のおふくが帝に謁見したことが公家たちの逆鱗に触れたというのです。
「謁見など願い出た覚えはない!」とおふくは涙目で無実を訴えます。しかし本当の事情はどうあれ、おふくの謁見が帝の譲位の理由となってしまいました。そもそも上洛に反対していた正勝は、このような結末に無念さを噛みしめますが、おふくは秀忠や家光のためだけを思い、実条の言うままにしてきたことが、結局は取り返しのつかないことになってしまったと膝から崩れ落ちます。
しかしいざ対面すると、秀忠も家光も笑っています。おふくが勝手に謁見を願い出たことで帝には幕府に憚らず譲位が出来、幕府はおふくの一存ゆえにしらを切り通し、双方の関係も溝を深めることなく落着したのです。おふくが悪者になってしまいましたが、結果的には丸く収まったというところです。おふくは、末代までの汚名となっても、徳川に仕える者の冥利に尽きると頭を下げます。
徳川忠長が駿府から出て来て、おふくの不届きをあげつらい、即刻の処罰を求めます。秀忠は、譲位の事情も知らない忠長に政道の何が分かると、駿府城主として駿府を治めることだけに専念すればいいと言葉を荒げます。おふくは、自分のことで秀忠と忠長が争うようなことになってはと顔を真っ青にします。
正勝は、秀忠と忠長の言い争いは今に始まったことではないし、忠長も一大名でありながら徳川の男子というプライドが許さず、自分にも力があると考えているとおふくに同情します。家老稲葉正利にも、忠長を諫めて守らなければならないのに何をしていると怒りを露わにしつつ、側近としての役目を無事に果たしてもらいたいと願っています。おふくは将軍と忠長の対立にまたも苦しむことになります。
原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
江口 洋介 (徳川家光)
斉藤 隆治 (徳川忠長)
唐沢 寿明 (稲葉正勝)
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中田 喜子 (鷹司孝子)
橋爪 淳 (三条西実条)
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中条 きよし (土井利勝)
中村 雅俊 (徳川秀忠)
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制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『春日局』
第41回「次男の憂鬱」
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