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2024年10月16日 (水)

プレイバック春日局・(37)先立つ妻に

【アヴァン・タイトル】

お江与。彼女ほど数奇な運命に翻弄された女性はいないでしょう。元亀元(1570)年6月、浅井長政と織田信長が激突した「姉川の合戦」。この戦いに敗れた父長政は天正元(1573)年8月、小谷城で自決。お江与4歳の夏、苦難の時代の始まりでした。二度目の父・柴田勝家も秀吉に敗れ、北の庄で母とともに自決したのです。

「黒谷さん」として親しまれている、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)。ここには春日局がお江与のために建てた供養塔があります。戦乱の世に生まれ、幾たびもの悲しい別れをしなくてはならなかったお江与。彼女の生涯は誰よりも波乱万丈で、ドラマチックな一生でした──。


五摂家鷹司家より孝子を迎えて一年、将軍徳川家光も江戸城本丸に入ったというのに、未だに婚儀が行われないことに大御所徳川秀忠はご立腹です。しかも家光と孝子が対面すら済ませていない現状に、土井利勝は将軍は婚儀を済ませるまでと憚っていると弁明しますが、その怒りは世話役のおふくにも向きます。「将軍の意向を聞いておる時ではない。わしの命令じゃ。猶予はならぬ」

反発する家光ですが、利勝はぴしゃりとたしなめます。秀忠も徳川家康の命に従ってお江与を迎えた経緯があるだけに、有無を言わさずといったところです。その後、家光がようやく納得したと聞いたおふくは胸をなでおろします。紫を失った心の痛みを知っているだけに、おふくも無理強いはできなかったのです。それは稲葉正勝ら本丸老職の者たちも同じ気持ちです。

婚儀は翌年8月9日と決まり、おふくは孝子の居室へ向かいます。孝子は、秀忠が徳川の都合で決めた婚姻に将軍が面白くないと妻たる自分を嫌うのも道理で、もしかしたら破談になって京に帰れるのかもしれないと淡い期待を抱いていたのです。これから婚儀までのことは、おふくがうまく取り計らってくれるだろうと、孝子はおふくを頼りにします。

 

寛永2(1625)年8月9日、家光と孝子の婚儀が行われます。ようやく肩の荷を下ろした秀忠は、気分よく酒を飲んでいます。女の幸せは夫次第で、せめて家光が孝子に優しく接すれば救われると思っています。秀忠は労いの気持ちを込めて杯をお江与に渡します。秀忠は徳川忠長のことを心配するお江与のために、忠長に駿府50万石を与えることにします。

婚儀の夜、初夜のために化粧を施している孝子ですが、家光のお渡りはありません。ショックを受ける孝子ですが、あまりに御台所を蔑(ないがし)ろにした所業だと民部は怒り狂います。おふくは将軍の御意としか弁明せず、孝子はおふくを責めたら気の毒とつぶやきます。「恐らくこれからとて将軍と顔を合わせることはあるまい。私とて将軍の御台としてこの江戸城で好きに暮らさせてもらう」

江戸城に祖心尼が孫娘のお振を連れて現れます。おふくと祖心尼は稲葉出身の親戚だそうです。おふくは祖心尼を別室に呼び、お振を将軍の側室にしたいと考えていることを明らかにします。さらに祖心尼に江戸城大奥への出仕も求め、何としても家光に世継ぎを作ってもらわなければならないと、それに向けたおふくの試練が始まることになります。

駿府城に入ることになった忠長がお江与に挨拶に来ます。心配ばかりかけて何の孝養も尽くせなかったと後悔する忠長ですが、忠長を生んで自分の手で育ててきたお江与は、忠長が徳川の大名として大任を全うしてくれれば、それが何よりの孝養と微笑みます。お江与は忠長の手を握ります。「身体を大事にの……行ってみたいのう、忠長の駿府へ」

 

寛永3(1626)年5月、千姫が嫁いだ播磨姫路の大名・本多忠刻(ただとき)の訃報がもたらされます。千姫の今後、そして本多家の扱いが気がかりなお江与ですが、秀忠はそんなことより、朝廷から太政大臣に任ぜられることになったと高笑いします。これに合わせて家光は左大臣に、忠長は権大納言になり、7月には3人で上洛することになったのです。お江与は夫と子どもたちの慶事に微笑んでいます。

7月12日、上洛に際して家光はお江与と対面します。居室には無数の折り鶴があります。お江与の楽しみと言えば、あとは家光の子を見届けるだけです。家光は戦を知らない生まれながらの将軍ですが、和平を保つのが将軍の役目と諭します。京の土産を楽しみに、と言い残して立ち上がる家光は、お江与が手にしている折り鶴を取ります。「……これを、忠長に」

お江与の容態が悪化と聞き、おふくは本丸から急いで西の丸に向かいます。おふくは京に早馬を遣わすと伝えますが、大事な行事がまだまだ残っていると、お江与はそれを断ります。秀忠と家光が江戸城に戻るまでにはよくならなければとつぶやくお江与ですが、おふくはやはり早馬を出すことにします。

京・二条城では父子3人が酒を飲んで祝います。帝の行幸をお江与に見せたかったと残念がる忠長ですが、そこに利勝がお江与の危篤を知らせに来ました。すでに権大納言の位をもらっている忠長は、前に江戸へ向かうことにし、行事の残る家光は正勝に忠長と同行するように命じます。秀忠の顔から血の気が引いていきます。「わしもすぐ戻るとお江与に伝えてくれ。わしの戻るを待て、とな」

 

土砂降りの中を忠長の馬が駆けていきます。その強行移動は昼と言わず夜と言わず、忠長は駆け続けます。その間もお江与は高熱が続き、苦しそうです。一生懸命に看病するおふくとおくにですが、お江与を励まし続けます。忠長の脳裏に、「国千代……国千代……」と自分を呼ぶお江与の声がこだまします。

小康状態を得、天井を見上げるお江与は月が見たいとせがみます。おふくは障子を開け、お江与を抱き起して月を見せます。小谷落城、北ノ庄落城、輿入れの折も、美しい月に慰められました。お江与は、姉の茶々をはじめ娘たちを不幸せにしたことを後悔していますが、おふくは天下の和平は女たちによって支えられたと励まします。「ええ夜じゃった……おふくどのと語り合えて。今宵のことは生涯忘れぬ」

そして迎えた朝、江戸に到着した忠長はお江与の寝所に向かいます。目の前にはお江与の亡きがらがありました。打ち覆いを取った忠長は号泣して母を呼びますが、もう返答することはありません。忠長に同行した正勝、正利も、そして看取ったおふくも涙を流してその様子を見つめています。お江与の居室には、折り鶴が無数に広げられていました。54歳、孤独で静かな死でした。


寛永3(1626)年9月15日、お江与が江戸城西の丸で死去、享年54、法名は「崇源院殿」。

寛永6(1629)年10月10日、おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで

あと3年──。

 

原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
江口 洋介 (徳川家光)
斉藤 隆治 (徳川忠長)
唐沢 寿明 (稲葉正勝)
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中条 きよし (土井利勝)
中田 喜子 (鷹司孝子)
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中村 雅俊 (徳川秀忠)
長山 藍子 (お江与)
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制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『春日局』
第38回「無常の風」

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