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2024年11月 8日 (金)

プレイバック春日局・(42)身内を切る

【アヴァン・タイトル】

徳川幕府は家康・秀忠・家光と、三代に渡って諸大名の改易や転封など強硬措置を行い、覇権を確立していきました。その過程は徳川家の内部抗争の歴史でもありました。徳川の一門であることは、それだけで反乱勢力の旗頭となり得たからです。

一門切り捨て政策の最初の犠牲者は、家康の六男・忠輝です。越後高田60万石の城主忠輝は、幕臣を殺害した罪など数々の罪状を幕府に指摘され、兄・秀忠によって元和7(1621)年、伊勢朝熊(あさま)へ流されました。菊池 寛の『忠直卿行状記』で有名な、越前67万石の城主・忠直が二番目の犠牲者です。忠直は将軍家には支配されないと江戸出仕を拒否したため、元和9(1623)年、豊後萩原へ流されました。

体制づくりに懸命な努力を続けてきた徳川幕府。そして今家光は、弟、駿河大納言忠長との対立に直面しているのです──。


寛永9(1632)年1月24日に徳川秀忠が54歳で没し、その訃報は甲府で蟄居させられている徳川忠長の元へも届きます。どうして自分が疎まれたのか分からないまま、たった一言の申し開きをする機会も永遠になくしてしまい、忠長は床を叩いて悔しがります。自分を憎む者の讒言か。徳川家光もおふくも忠長を疎まれていて、今さらの弁明も無駄だと諦めています。

おふくの元には忠長の許しについて稲葉正利から文が届きます。家光も蟄居のままでいる忠長に胸を痛めていますが、亡き秀忠の老職を差し置いて家光が采配を振るうわけにはいかないのです。おふくとしては、兄家光が弟忠長を成敗することだけはさせないよう、稲葉正勝に家光を守るようくれぐれも言い置きます。

 

土井利勝は、肥後熊本城主加藤忠広に対し、謀反陰謀の罪で所領54万石を召し上げ改易すると老職の会議で決定したと家光に報告します。忠広を処分して将軍としての権威を示すべきとの声が上がる一方で、正勝は顔色を変えて止めますが、酒井忠世・酒井忠勝らは反対意見がでることが心外だと言いくるめられてしまいます。裁定を求められ、「謀反の陰謀が明らかならば、致し方あるまい」と判断します。

幕閣で決まったことであり、もし家光が反対すれば幕閣は意見が真っ二つに割れてしまいます。いま幕府の中で争いにすることだけは避けねばなりません。ただ忠広を処分するということは、同時に忠長も謀反に加担したと認めることにもなるわけです。おふくは家光が忠長を処分することだけはしてはならないと懇願します。

熊本城受け取りの任務を正勝が担うことになりますが、おふくにとって加藤家は、謀反人の子となり仕官の道を閉ざされたおふくの兄ふたりを預かって家臣にしてくれた先代清正への恩がある家です。その加藤家が取り潰され、城受け取りに正勝が行くことになるとは、むごいことだとおふくは涙を浮かべます。今はただお勤めを無事に果たしてきてくれることだけがおふくの願いです。

忠広改易を知った忠長は膝から崩れ落ちます。正利はかつて家光の世になったら忠長は許されると励ましてきたのですが、そうならない現状に、忠長は家光が自分を潰したいのだと考え始めます。正利は弁明に自らの江戸行きを忠長に求めますが、忠長は、自分に仕えていたら身が危ないと正利に暇を取らせると言い出します。「そちにはふくも正勝もついておる。そちのためじゃ、二度とここへ戻るには及ばぬ」

正利は土砂降りの中 江戸へ急ぎ、忠広が参勤の途中に駿府城に立ち寄っていただけだとし、忠長の罪状は濡れ衣だとおふくに訴えます。おふくは、蟄居してからは身を慎んでいる忠長に、今は静かに時を待つよう言葉をかけます。おふくから家光へもくれぐれも言ってあるといって正利を安心させます。急ぎ甲斐へ戻ろうとする正利に、おふくは身体をいとうよう言葉をかけ母の顔を見せます。

庭の木々に張った蜘蛛の巣では、蜘蛛同士の争いで片方の蜘蛛に蹴落とされます。それを見ていた忠長は発狂したように蜘蛛の巣を壊しますが、戻って来た正利のもとへ駆けつけると、「なぜ戻って来た!?」と睨みつけます。睨みつけながらも内心は嬉しそうで、その気持ちに忠長は涙を浮かべます。

 

熊本城受け取りを無事に終えた正勝が江戸城に戻ると、幕閣で忠長の処分について話し合われていました。忠長を改易し配流するが妥当という処分に、おふくは愕然とします。利勝をはじめとする幕閣の強行であり、正勝はもとより承服できず、家光も胸を痛めているようですが、秀忠側近の幕閣の意向を無視することはできません。「ご老職方にお目にかかる。ふくが許さぬ」

ちょうど老職たちが家光に進言しているところでした。おふくはお咎めを承知の上で入り込み、忠長の処分について異を唱えます。利勝は忠広が陰謀を認めたからには、忠長にも処分を下さなければと説明しますが、徳川の子である忠長は立場が違うと必死に訴えます。忠世や忠勝らもおふくの主張に反発しますが、おふくは全く動じる様子もありません。

利勝は幕府に不満を持つ忠長をこのままにすれば、そういう思考の者たちが集まり謀反に発展、徳川が危ないと諭します。忠長を潰すと決めてから忠広を処分したのかとおふくは痛いところを突き、利勝は言葉に詰まります。おふくも正利のことを心配して言っているわけではなく、おふくに見つめられた家光は決定を迷っているのか、ゆっくりと立ち上がります。

10月20日、忠長は改易され、高崎へ幽閉される沙汰が申し渡されます。信じられないと涙を流す正利に、忠長はやはり家光は自分を恨んでいるのだと自嘲気味につぶやきます。ただ心残りなのは、自分に仕えたばかりにこういう結末になってしまったと、せめて正利だけは助けたかった忠長は「許せ」と言葉をかけます。

家光は利勝に屈して不甲斐ないと感じつつ、まだ利勝には逆らえません。いつか必ず、自分の力で強い徳川の天下を築いてみせると表明します。そのころには家光の力で忠長を赦すこともできるかもしれません。その時まで忠長と正利には耐えてもらうしかないわけです。家光のせめてもの罪滅ぼしは、正勝を5,000石加増して小田原城主とすることを幕閣に認めさせたぐらいです。

 

正勝は小田原85,000石の城主となり、引き続き家光の老職も兼ねることになりました。寛永10(1633)年3月、家光は松平信綱・阿部忠秋・堀田正盛・三浦正次に太田資宗・阿部重次の2名を加えて六人衆を決め、家光の新しい幕閣が誕生します。正勝は家光の右腕として活躍しますが、その激務は正勝の心身をむしばんでいきます。

雪積もる中、椿の花が落ちています。忠長の身体をいたわる正利ですが、このまま永らえても仕方のない命を気遣って何になると忠長は力なく答えます。徳川の男子として面目を全うできる日が来るのを信じて、望みを捨てずに耐えてきましたが、将来に悲観します。御酒をお持ちいたしましょう! と取りに向かう正利に「世話になった……雪見酒で憂さを晴らそうぞ」と涙を浮かべます。

正利が侍女に酒の支度をさせ、忠長の居室に戻ってきたとき、忠長はいませんでした。そこに忠長の小袖が脱ぎ捨てられていて、それを取り上げているころ、侍女の悲鳴に振り返ります。忠長は庭で自決していたのです。正利は忠長に駆け寄りますが、すでに息絶えていて、正利は家臣たちに引き離されます。寛永10年12月6日、忠長は28歳の生涯を自らの手で断ちました。

「忠長さまがご自害!? 何ゆえのご自害じゃ!」とおふくは愕然とします。家光も「なぜ待てなんだ!」と書状を破って憔悴し、悔しさを露わにします。


原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
江口 洋介 (徳川家光)
斉藤 隆治 (徳川忠長)
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中条 きよし (土井利勝)
唐沢 寿明 (稲葉正勝)
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制作:澁谷 康生
演出:小見山 佳典

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『春日局』
第43回「さらば吾子よ」

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