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2024年12月13日 (金)

プレイバック春日局・(50)献身の生涯 [終]

【アヴァン・タイトル】

戦前の教科書には、今ではお目に掛かれない春日局の記述がたくさんありました。尋常小学校の『きそくにしたがへ』は、中でももっとも有名です。春日局は一般に賢婦人(けんぷじん)の鑑として扱われましたが、戦時中には朝廷を蔑(ないがし)ろにした悪女と教えられ、そのイメージを一変させられて戸惑った人々もいます。

京都花園にある麟祥院。東京湯島の麟祥院と並ぶ春日局の菩提寺です。寛永11(1634)年、息子正勝の死後、家光によって建立されました。庭の奥にひっそりとたたずむ御霊屋(おたまや)。春日局の死後、家光が局の菩提を弔って、局の木像をここに祀ったのです。春日局が没して350年、この長い歳月、微動だにせず、穏やかなまなざしを注ぎ続けるこの木像は、いま何を我々に語り掛けているのでしょうか──。


徳川家康の側室・英勝院(お勝)が江戸城を訪問し、生まれたばかりの竹千代と対面します。乳母のお糸に抱かれた竹千代はすやすやと眠っていて、英勝院は夢のようだと目を細めます。その後おふくとともに別室に移動した英勝院は、今まで生き延びた甲斐があったと安堵の表情を浮かべます。「私は精いっぱいのことをしてきました。悔いはありませぬ」

お楽がお糸の乳母部屋に押しかけ、竹千代に会わせろと侍女たちともみあいになっています。お楽はおふくに、与えられなくても毎日乳が張り、絞り出した乳を泣きながら見せますが、おふくは動じず、乳母を信じて任せるよう諭します。「お楽どの。はっきり言うておきます。竹千代君はそなたの子ではない。徳川のお子じゃ」 お楽は絞り出した乳を自分で飲み、おふくを見据えます。

9月2日、諸大名を江戸城に集めて、竹千代を正式に徳川家光の嫡子として披露されることになりました。その前におふくは御台所・鷹司孝子に竹千代を対面させます。竹千代にとってお楽は生母ではありますが、孝子は徳川の母という扱いになるわけで、孝子は竹千代を抱き上げると、子どもを抱けるとは思わなかったと、さっそく母としての表情をのぞかせます。

諸大名が居並ぶ大広間で、竹千代を抱いたおふくが諸大名たちの方へ歩み寄ります。宿願の世継ぎを抱いているおふくには、一世一代の晴れの舞台です。諸大名は竹千代を見上げ、笑みを浮かべています。そしてその間、竹千代の元気な泣き声を遠くで聞くお楽は、悔しいような決意を秘めたような表情で、声が聞こえてくる方をじっと見つめています。

夜、家光はお楽へ、労わりの気持ちから褒美を取らせると言いますが、お楽は暇(いとま)が欲しいと言い出します。江戸城に残っても竹千代を育てられないと悟ったのです。「私は徳川のお世継ぎを産むための女子、子を産んだとてここでは母にはなれませぬ」 お楽の必死な訴えに、家光はただ黙ってお楽を見つめることしかできません。

お楽は中臈、しかも家光の側室で、お楽に仕える侍女たちは宿下がりさえ認められていません。ましてや将軍に仕えた者が市中に出れば、将軍の暮らしや行状が外に漏れてしまう恐れがあるのです。一生を大奥暮らしになる代わりに、お楽と父母には将来が約束されているのです。おふくはお楽をたしなめます。「言うまでもなくお楽どのは竹千代君のご生母じゃ。くれぐれも軽挙はお慎みなされ」

 

夕方、おふくはお楽の実家である七沢作兵衛邸へ向かいます。大事な娘を預かり、無理に奉公させている以上、竹千代が誕生した挨拶はしておかなければならないと考えたのです。祖心尼は世間は飢饉のあおりを受けて世情不穏と、代理の者を行かせることを進言しますが、それでもおふくは自分が行くと言って聞きません。

城外に出たおふくとおきくは、飢えで苦しみ横たわる民の中を進んでいきます。米屋では自分の米を返せと乗り込んだ老人が主に暴行を受け、止めに入ったおきくが逆に民たちに駆け寄られて騒ぎになります。直後に駆けつけた男たちによって、騒ぎを起こした者たちは無理やり連行されていきます。その間にも何人もの死体が運ばれていき、僧たちによる施しには民たちの人だかりができます。

作兵衛は、お楽が元気で産後の肥立ちもいいと聞き、安堵の表情を浮かべます。孫の顔を見たいと言っても孫は将軍世継ぎなのでかなわぬことと諦めつつ、お楽にもう一度だけ…と言いかけて、ミツに止められます。ただ、飢饉でありながらも何不自由なく暮らせている自分たちは果報者だと、作兵衛やミツはおふくに頭を下げます。

江戸城に上がる時、本望だと言っていたお楽は、夜になりこっそりと居室を抜け出そうとしますが、世話役のキミとサダがお楽を取り囲みます。目こぼししてほしいと必死に訴え、力づくで脱出しようと試みるお楽を、キミとサダは掴んで離さず、このまま脱出を許せば必ずお咎めを受けることになると、腹のあたりを殴ってお楽を気絶させます。

江戸城に戻ったおふくは、飢饉に見舞われて食することもできず、飢え死にする現状を訴えます。将軍家光に伝える内容ではないと松平信綱が慌てておふくを止めますが、おふくは信綱に、幕府老職たちが黙って見過ごしているのかと声を荒げます。いま世情では飢えで田畑を捨てる農民が続出し、国を統括する大名すらも困窮しているありさまなのです。

おふくは家光に、江戸市中にお忍びで出かけて行って、どんなありさまなのかをしっかり見てくるように勧めます。その上で、飢饉を乗り切るためには何を講じればいいのか、自分で調べて自分で施策を考えるよう訴えます。「国が滅びるも、栄えるも、上さまのお力にかかっておりまする」

土井利勝は、久々におふくが家光を諫めたと笑っています。おふくは、つい余計なことを言ってしまって若者に疎んぜられるばかりと微笑みますが、利勝も隠居して病気を得て登城もままならず、何も言えなくなったわけです。若い幕閣たちに阻まれて、家光には実態が見えなくなっているとおふくは愚痴を吐きますが、おふくが育ててきた家光だからと、おふくの思いは分かっていると利勝は励まします。

 

利勝69歳、おふくと対面したのはこの時が最後となりました。翌寛永19(1642)年8月にはお勝が急死して、江戸城で乳母として活動する上で味方となっていた者がまた一人去ったと、寂しい思いに打ちひしがれていました。おふくはお勝を忍んで菩提寺である英勝寺に参拝した帰り、民たちの助けを求める声の中、おふくの乗った駕籠はゆっくりと進んでいきます。

江戸城に戻った駕籠が城門まで来て、開けるように催促するも、門番は法度の門限を理由に開門しません。春日局の名を出して開門を求める従者たちですが、本丸目付の許しを得て開門と決まっているらしく、ふた時(4時間)かかると言われて従者たちは驚愕します。駕籠から出てきたおふくは、従者たちをなだめます。「法度ならば致し方ない。待つのじゃ」

朝を迎えてようやく帰城できたおふくに、祖心尼は門前でふた時も待ったのかと驚きます。当のおふくは、御門頭も見上げたものだと笑います。それは幕閣の目が隅々にまで行き届いていることになるわけです。徳川の安泰を見届けつつ、おふくは飢饉に対する家光の決定が何もないことにいら立ちを隠せません。おふくの脳内には、民たちの助けを求める叫び声がこびりついているのです。

家光はおふくを呼び出し、ようやくわしも腹を決めたとおふくを見据えます。大名たちを交代で国許に帰し、領主みずから窮乏にあえぐ農民を全力で救い、財政の立て直しをさせることにしたと伝えます。江戸を守るよりもそれぞれの国を守るほうが急務なのです。それでも大名の力が及ばなければ、幕府から米を貸し出すとも決定しました。

今回の飢饉は百年に一度の厳しいもので、家光自身がお忍びで市中を見て回ったそうです。国を支えるのは農民であり、幕府は農民を救い農村の復興を図らなければなと気づいたのでした。我らは一番大事なことをなおざりにしていたと告げる家光に、おふくは涙を浮かべながら家光の英断を称えます。家光は、大奥も奢侈(しゃし)を慎み倹約を旨とするよう言い渡します。

 

寛永20(1643)年8月、おふくは病を得て、自邸で床に伏していました。薬師が家康愛用の薬と言っても、薬はいただかないと飲もうとしません。看病に訪れているおふじも説得しますが聞き入れません。そこに家光が見舞いに来ると知らせが入り、おふくはふらふらしながら出迎えるために着替えようとするのを、おふじや世話役の侍女たちが必死に止めています。

家光や信綱らが来訪すると、おふくはいつもの格好で対面します。家光はおふくが薬断ちをしていることを心配しますが、おふくは家光が疱瘡に罹った際に、家光の命と引き換えに薬断ちを誓ったのでした。家康や秀忠にも劣らぬ立派な将軍になったと目を細めるおふくに、報いるのはこれからだと家光はおふくを励まします。

対面所の後ろで控える信綱、堀田正盛らと、秀忠の子・保科正之も、おふくの病気平癒を願っています。「ふくは……大勢の良い子に恵まれました……」 そう言い終えると力が抜けてゴロンと倒れ、家光が慌てて支えます。家光や幕府を守るために多くの者を傷つけて来たと自認するおふくですが、お楽のことを思うと、どれだけ酷いことをしてしまったかと後悔することもしばしばです。

おふくの脳裏に、先だった者たちの顔が浮かんできます。家光は「わしのために薬を飲んでくれ! それがわしへの奉公じゃ。わしへの忠義じゃ!」とおふくを抱きしめます。家光の求めでおふくは薬を口にし、その姿に涙する家光ですが、おふくのその胸元には薬を流し込んだ濡れた跡がついていました。

9月14日、おふくはただひたすら家光を守り続けた献身の生涯を静かに閉じました。享年65、ついに薬を口にせず、家光が飲ませようとした薬湯もひそかに懐へ流し込んだと伝えられます。それがおふくの家光への最後の献身でした。

──完──


原作・脚本:橋田 壽賀子 「春日局」

音楽:坂田 晃一

演奏:新室内楽協会
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:高関 健
合唱:日本合唱協会

監修:西山 松之助
考証:平井 聖
  :白井 孝昌

衣裳考証:小泉 清子
振舞指導:猿若 清方
殺陣:林 邦史朗

茶道指導:鈴木 宗卓
生花指導:杉原 友漱

語り:奈良岡 朋子

 

[出演]

大原 麗子 (おふく)

江口 洋介 (徳川家光)

若村 麻由美 (お楽)

東 てる美 (お勝)

岩本 多代 (ミツ)

澤登 伸一 (松平信綱)
上月 左知子 (祖心尼)

麻生 真宮子 (おふじ)
片岡 聖子 (きく)

小川 依子 (常盤)
藤井 司 (保科正之)

中田 喜子 (鷹司孝子)

夏樹 陽子 (お糸)

矢野 武 (堀田正盛)
加藤 純平 (弁之助)

山崎 有右 (三浦正次)
谷門 進士 (阿部忠秋)

阿野 伸八 (医師)
川崎 啓一 (阿部重次)
渡辺 和重 (太田資宗)

水木 寛子 (キミ)
前田 直美 (サダ)
村野 友美 (フサ)

前川 克紀 (朽木稙綱)
阿部 秀一 (土井利隆)
澤 伸好 (酒井忠朝)

柴田 秀勝 (家臣)
池田 武志 (家臣)
松本 元 (家臣)

神田 正夫 (難民)
堀川 和栄 (難民)
鈴木 よしひろ (難民)
杉本 康子 (尼僧)

新藤 奈々子 (侍女)
杉山 みどり (侍女)
加藤 幸子 (侍女)
中田 優子 (侍女)

朝倉 沙友美 (侍女)
高倉 江利子 (侍女)
高橋 昌子 (侍女)
三島 節子 (侍女)
若林 寿奈 (侍女)

松本 照代 (侍女)
風見 理香 (侍女)
南雲 由記子 (侍女)
山本 淳子 (侍女)
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若駒

丹波道場
鳳プロ
早川プロ
劇団ひまわり
劇団いろは

 

中条 きよし (土井利勝)

伊東 四朗 (七沢作兵衛)

 

制作:澁谷 康生

美術:竹内 光鷹
技術:沖中 正悦
音響効果:山本 浩

撮影:鈴木 秀夫
照明:石井 俊郎
音声:仲野 次郎
編集・記録:高室 晃三郎

演出:富沢 正幸

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