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2024年12月11日 (水)

プレイバック春日局・(49)女の生きがい

【アヴァン・タイトル】

凶作の原因は天災・人災を含めてさまざまありますが、江戸時代の凶作のほとんどは冷害によるものでした。江戸時代は全体に寒い時代といわれていますが、とりわけ寒い時期が40~50年周期で訪れるたびに、大飢饉になっていったのです。寛永の飢饉は東北・北陸地方を中心に、全国に波及していきました。農民の中には食料を求めて離村し、さまよい歩く人々も多く出たのです。

ところで江戸時代と現代とでは、米そのものに違いがあるのでしょうか。時代の異なる7種類の稲の長さにご注目ください。一番長いのが江戸時代のもので、時代の新しくなるごとに丈は短くなっています。丈が長いと倒れやすく、収量が落ちるのです。またこの時期の品種は収量的に安定している晩稲(おくて)が一般的ですが、生育が遅い分、天候に大きく左右されました。江戸時代の米は、冷害には極めて弱かったのです──。


お楽が懐妊したと聞いた徳川家光は、権現さま(徳川家康)からの贈り物だと大喜びします。予定日は8月か9月との診たてで、家光はお楽に丈夫な子を産むように言葉をかけます。お楽が無事に出産できるよう、おふくは全力を尽くすつもりです。お楽も表情が穏やかになり、幸せいっぱいのようです。

松平信綱は、多忙の家光にはもはや子も望めぬと諦めていたところですが、吉報に安堵の表情です。そこで信綱と堀田正盛は、生まれてくる子の乳母選びをせねばと考えていますが、おふくは乳母職はむごいお務めであるとつぶやきます。かつておふくがそうであったように、夫と別れ自分の子を捨てなければ務めを果たせないわけです。「選ぶ方とて鬼にならねば……気の重い話じゃ」

おふくはさっそく、御台所の鷹司孝子に懐妊を報告します。孝子は喜びと同時に安堵の表情を浮かべますが、常盤は自分の部屋子を将軍に献上し、世継ぎを産むわけで、おふくの権勢はますます増大と皮肉を並べます。そこで孝子は、乳母を選ぶ意向を示します。「京の公家に仕える者なら行儀作法、読み書きなど十分心得ておる。さっそく手配させましょう」

祖心尼は、御台所の意のままになる女を乳母にすることで、自分の思うように子を育て、いずれは幕閣にも大奥にも御台所の権勢が及ぶようにしたいだけだと反発します。恐らくは常盤あたりの入れ知恵と思われますが、大奥を京風にされてしまっては取り返しのつかないことになりかねません。乳母選びではしっかり見極めるようにと、祖心尼はおふくに進言します。

おふくは剣の使い手であるキミとサダを呼び、身辺警護や毒見などお楽の世話係を任命します。そこにお楽が、出産に備えて襁褓(むつき)や産着、布団などを縫ってやりたいと訴えに来ました。祖心尼はおふくの立場を察するようにたしなめますが、おふくはお楽の言い分を笑って認めます。「気の済むようになされたらよい。生まれてくる子の支度をするは、母親となる者の何よりの幸せじゃ」

きくは慣例に従ってお楽の言い分を断ったのに、おふくが認めては完全に立場をなくしてしまいます。不満顔のきくにおふくは、母親らしい幸せを夢見ることが出来るのも今のうちだと諭します。子を産んでも乳を与えられず、お楽が不憫なのです。ただおふくは、お楽に乳母のことはとても酷(むご)くて言えずじまいです。今は身体のことを考えて、乳母の件はお楽には伏せることにします。

 

信綱はお鹿という旗本の息女を乳母に推薦します。理由あって離別し、子を婚家に置いて実家に戻っていたのです。おふくは難色を示します。乳母務めのために離別するのと、他の理由で離別するのとではわけが違うのです。離別となれば女の方にも至らぬ点があるはずで、あの若さでは経験が足らないというのです。「男子ご出生なら天下の将軍をお育てするのじゃ。軽々に決めることはなりませぬ!」

鷹司孝子が推薦する女子は孝子の遠縁の者で、これ以上の人はいないというほどの女子も、おふくはまた断ってきました。常盤は、御台所や幕閣の息のかかった女子より、おふくの意のままになる女子を選ぶつもりなのだと理解しますが、「生まれてくる子を我が子のように思うていたが、やはり私には縁のないことじゃった」と孝子は寂しそうです。

おふくは、石戸藩主牧野信成が推挙する矢島春太夫の女房・お糸を面接します。乳母にふさわしくないと一度は信綱が話を断っているのですが、改めて信成から推挙があったわけです。幕閣の気に入らない女などと祖心尼は難色を示しますが、乳母のことは乳母を務めた者にしか分からないと、おふくが直々に対面すると書状を送っていたのです。

お糸は子を3人連れていました。おふくにとって子連れの面接は初めてですが、お糸は自分が育てた子を見てもらいたいと連れてきたわけです。子の七之助と勝も幼いのに立派に挨拶し、しつけもできています。2か月前に生まれた男子も丸々と太り、お糸の乳の出もよさそうです。おふくは「よう来てくだされた」とお糸を迎え入れます。

信綱は、身分が低くて貧しければ乳母にはふさわしくないと言われたようですが、お糸は身分が低く貧しいからこそ志願したと正直に打ち明けます。夫は100石取りで立身の道はありませんが、自分がお城に上がれたら夫は300石に加増される約束です。推薦した信成も、牧野家から乳母を出せたら誉れだと白羽の矢を立てたのでした。

おふくは、乳母に上がるには夫と子と離別するのが条件と厳しい表情ですが、お糸はそれも承知しています。「将軍家の乳母は女子にしかできぬお務め。春日局さまのように、将軍家でお仕えできるのなら女子の冥利、女子の生きがいにございます。命を懸けて、お務めに励む覚悟にございます」

信綱は猛反対ですが、貧しさを知り苦労に耐えてきた女は強いと信綱を諭します。「野心があってこそお務めに命を懸けられる。それでしっかりお子をご養育くだされば言うことはありませぬ」 信綱は全く納得いかない顔ですが、やがてお糸が乳母に決まり、江戸城大奥に入ります。

おふくはお楽に“生まれてくる子の乳母として”お糸を対面させます。お糸の子は嫁ぎ先へ置いてきたと聞き、お楽はお糸も哀れであるがお糸の子はもっと哀れと、そこまでして乳母をつけてもらう必要はないと遠慮します。おふくはそれが大奥のしきたりであり、おふく自身もそうして家光を育ててきたと諭すと、お楽は黙ってしまいます。

続いておふくは、お糸を居室に案内します。いきなり知らない江戸城に上がって、ただ心細いであろうお糸の胸中を察します。子が生まれて胸に抱き、乳を与えているうちに、いつか自分の子どもより愛おしく感じ始めるわけで、乳母とは不思議なものだとつぶやきます。「これからさまざまな苦労に遭われよう。じゃが乳母に上がったを悔いぬようご奉公してくだされ」

 

寛永18(1641)年8月3日、お楽は無事に男子を出産。若君さまのご誕生じゃ! と侍女たちの叫び声が大奥に響き渡ります。出産を終えて横たわるお楽をおふくは見舞い、男子を出産したお楽に涙を浮かべます。産湯を使った赤子がお楽の元へ戻ると、乳を飲ませようとしますが、おふくはお糸が乳を飲ませると赤子をお糸に渡してしまいます。お楽はひとり悶々とした気分で天井を見つめ、涙を流します。

家光は、赤子に竹千代と命名したとおふくに伝えます。そして褒美として、好きなことをして暮らしたらいいとお楽を労わりますが、竹千代を返してほしいと家光に訴えます。乳を与えるだけでなくこの手で抱くこともできないというのです。おふくはお楽をたしなめますが、家光も乳母に任せておけばいいと諭します。「世継ぎなど産むのではなかった……奥にご奉公したが間違うておりました」

お楽は黙って下がり、残された家光は複雑な表情です。亡きお江与が国千代(徳川忠長)を手元に置いて育てた気持ちが、家光にはようやく理解できました。なんとかできないのかと家光はおふくに配慮を求めますが、立派な将軍を育てるための決まり事だと、おふくは家光の提案を受け入れません。

居室に戻ったお楽は、自分がこの日のために縫って来た産着や布団を、狂ったようにビリビリに切り裂きます。母親になる日を夢見て作り上げたものが無駄になってしまったと、お楽は泣きじゃくります。「二度と子は産まぬ……二度と……」


原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
江口 洋介 (徳川家光)
若村 麻由美 (お楽)
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中田 喜子 (鷹司孝子)
夏樹 陽子 (お糸)
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制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『春日局』
第50回「献身の生涯」(最終回)

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