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2024年12月 6日 (金)

プレイバック春日局・(48)直訴(じきそ)

【アヴァン・タイトル】

日本人の海外渡航禁止、ポルトガル船排除などの幕府の鎖国政策は、寛永18(1641)年、長崎出島にオランダ商館を設置することで、その完成を見ました。出島はわずか4,000坪の人口の島です。この小さな島から外に出ることを許されなかったオランダ人ですが、その裏には大きな見返りがありました。キリスト教と関わりなく貿易を図りたい幕府の意思に添うことで、対日貿易を独占することが出来たのです。

鎖国前と後の日本の貿易量を比べると、主要な輸入品である生糸を始めとした輸入総額は、鎖国後5倍以上にも増大しました。鎖国をしたからといって貿易が停滞したわけではなく、むしろその逆だったのです。鎖国は一方的に国を閉ざすということではなく、鉄砲伝来からそれまでの100年間に流れ込んだ西洋文化の中から、受け入れるものと排除するものを決め、幕藩体制を強化するその方策だったのです──。


島原の一揆を鎮圧させて帰還した松平信綱に、労わりの言葉をかける徳川家光ですが、12万もの大軍ながら鎮圧に3か月もかかり、たくさんの犠牲者を出したことを詰問します。家光は信綱の弁明を遮り、領主松倉重治の失政が原因だとして、重治を改易処分とします。また今回、キリシタンの恐ろしさを思い知り、このままのさばらせておくわけにはいかないと、一人のキリシタンも認めない法律作りを命じます。

出陣前には“農民などひとひねり”と高をくくっていた信綱ですが、いざ激戦を経験して帰って来てみると、“戦はほとほとイヤ”に変わっていました。おふくは、戦を知らない若い幕閣の中にあって、信綱だけでもそれを経験したことはいいことだと労わります。信綱は戦のない世の大切さを実感し、それに向かって力を尽くすと約束します。

寛永15(1638)11月、家康・秀忠・家光の将軍たちに仕えた老職の土井利勝と酒井忠勝が職を解かれ、元老となります。事実上の旧勢力の棚上げです。そして若返りした幕閣とともに政策の岐路に立たされたのがキリシタン問題です。キリシタンを禁教せねば流入を許し、日本の領土が危うくなると主張する信綱と、今こそ海外との貿易を盛んにして外に出ていかなければ国益に反するという堀田正盛の主張が衝突します。

家光は、幕閣をさんざんに論戦させます。一通り双方の主張を聞いたうえで、家光は正盛の主張ももっともと認めつつも、飢饉に瀕している者は神仏にすがりがちで、日本の領土を狙う者にとっては好都合であると、キリスト教を排除する方へ傾いています。キリスト教を邪教とは思っていませんが、それを利用する者を恐れているわけです。

お楽の家光からのお召しはまだありませんが、お楽はおふくに宿下がりを願い出ます。オランダ商館から家光に挨拶に訪問する随行員の中に、お楽の姉の夫がいるのです。それに合わせて姉も江戸に戻ってくるので、対面したいと打ち明けます。幼いころに助け合って生きて来た姉と今のうちに会わなければ、次にいつ会えるか分かりません。「それゆえ、お局さまのご配慮でお目こぼしいただけぬかと」

本来、中臈は親を亡くしても城から出られないのですが、明日、鷹司孝子の名代として芝増上寺に代参することになっているおふくは、お楽の事情を汲んで、おふくの供として芝増上寺に参詣するということにして、江戸城から出られるように配慮します。おふくは夜は自邸で過ごすため、お楽は姉とともに過ごしたらいいとニッコリ微笑みます。

 

翌日の夜、人目をはばかりながら実家に帰ったお楽を、ミツが出迎えます。姉の志乃も突然の妹の帰宅に驚きます。七沢作兵衛は、屋敷も建ち目も良くなり、お楽のおかげだと感謝しますが、江戸城に閉じ込められるお楽のことを考えたら素直には喜べません。一方のお楽は、奉公は何とか頑張れるものの、両親に孝養を尽くせないのが心残りと語ります。

志乃は私がついていると励まします。商館の責任者であるカピタンは、幕府から年に一度江戸で挨拶するのが決まりであり、志乃の夫・コーエンも江戸に随行するため、子のヤンとアニーとともに江戸に戻って来られることもできます。ともかくお楽と志乃を囲んで久しぶりの一家だんらんを楽しんでいる時、すぐに宿舎の夫の元に帰るよう商館の随行員が知らせにきました。

幕府から、オランダ人の妻子を即刻国外へ追放すると通達があったのです。作兵衛によれば、幕府によるキリシタン禁教は段階を踏んで厳しくなっていき、ついには今回のようなところにまできてしまいました。失政をキリシタンのせいにされて悔し涙を流す志乃を、作兵衛はたしなめます。悲しむミツと子どもたちを看て、お楽は家光にこの非道を相談してみることにします。

 

翌朝、無事に江戸城に戻ったお楽を、おふくは笑顔で迎えます。おふくはお楽の表情の暗さから、昨日の国外追放の決定についてはすでに知っていると感じ、この政策は家光が決めたことでもあり、おふくでもどうすることができないと先手を打ちます。お楽の胸中を察しながら、姉の運命と思って受け入れるしかないと、おふくはお楽を諭します。

家光が先祖供養を済ませた後、お楽がおふくの供で芝増上寺に参詣したことをおもしろがります。大仕事を果たし肩の荷を下ろしたと笑顔を見せる家光に、お楽はオランダ人の妻子を国外追放するのはキリシタンを恐れてのことかと反発します。きくはお楽を止めますが、お楽の直訴は続き、侍女たちによって外に連れ出されます。「オランダ人の妻というだけで国を追われるは理不尽にございます! 上さま!」

おふくの居室にはお楽が控えていました。おふくは、これまでの苦難を乗り越えて生きて来たお楽を見込んで、家光の中臈に上がってもらったわけで、お楽の行動を責めようとは考えていませんが、奥の掟として将軍に対するあのような言動は許されないと諭します。今は家光の処分を待つしかありません。そこに祖心尼が駆け込んできます。「今宵上さまには奥泊まりなされ、お楽どのをお召しとのこと」

夜、家光が待つ寝所に向かいます。お楽は自分の狼藉を詫び、どんな処分を受け入れると告げます。家光は、お楽にとっては酷い仕打ちになったものの、日本を守るために選んだ道だとお楽を説得します。ただ、キリシタンを恐れるは小事ではないと、家光はお楽に理解してもらいたくて、今宵のお召しになったのです。

「じゃが法は曲げられぬ。そなたの姉じゃからというて、目こぼししては天下の示しがつかぬ」 家光は、自分を恨みたければ恨めばいいと告げ、せめてもの詫びとして暇を取らせようと提案します。「そなたにはずいぶんと慰めてもろうた……さらばじゃ。達者での」 家光の優しい言葉に、お楽は家光の胸に飛び込みます。お楽は家光の胸で涙を流します。

お楽には結局何のお咎めもなく、おふくは胸をなでおろします。お楽は家光の国を思う気持ちも理解できたし、姉は大きな時の流れに飲み込まれて不運だったと諦めをつけます。これからも変わらず精いっぱい奉公できればとのお楽の言葉に、おふくは安堵の表情で何度も何度も頷きます。

お楽から作兵衛に宛てた文が届けられ、自分の非力を詫びる内容でした。志乃も覚悟を決め、翌日江戸を発って平戸に戻り、船が出るのを待ってバタヴィア(ジャカルタ)に向かうことにします。ミツはいつか法が変わって日本に帰って来られる日も来るだろうと、涙ながらに志乃を見送り、作兵衛はただ黙って母娘が手を握り合うのを見つめたままです。

志乃は2人の子とともに故国を去りますが、鎖国はその後250年にわたって解かれることはなく、志乃たちは二度と日本に帰ることが出来ず望郷の思いの中で異国で骨を埋めることになりました。大きな節目となった鎖国を断行し、幕府の支配体制を確立してから1年あまり経った寛永18(1641)年2月、お楽が懐妊するという吉事に包まれます。

医師の見立てによればお楽は懐妊3か月で、8月の末か9月はじめが産み月とのことです。まことか……とおふくは声を震わせます。もし男子ご出生ならばお世継ぎとなるわけで、おふくは涙に震えます。その時からお楽の無事の出産を願って、またおふくの新しい苦労が始まります。


原作・脚本:橋田 壽賀子「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
大原 麗子 (おふく)
江口 洋介 (徳川家光)
若村 麻由美 (お楽)
岩本 多代 (ミツ)
石野 真子 (志乃)
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中田 喜子 (鷹司孝子)
東 てる美 (お勝)
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中条 きよし (土井利勝)
伊東 四朗 (七沢作兵衛)
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制作:澁谷 康生
演出:兼歳 正英

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『春日局』
第49回「女の生きがい」

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