プレイバック炎 立つ・第三部 黄金楽土 (35)楽土・平泉 [終]
文治5(1189)年4月、藤原泰衡は、突然襲撃してきた実弟の忠衡を斬り殺してしまいます。泰衡はその死を生かし、源 義経が死んだと鎌倉と朝廷に伝えることにします。橘似には山ひだの奥に義経を導くように命じますが、もはや遅すぎるのだ! と義経は涙を流します。追い詰められた義経は、自分も後追いするつもりで妻と娘を殺めたのでした。「妻子を殺しておいて手前だけ逃れるなんぞ、そのようなことは!」
涙にくれる義経に、泰衡は生きろと説得します。なぜ先代秀衡は義経を平泉に招いたのか。義経は100年にわたって仇敵だった源氏と奥州の架け橋だった……。「八幡太郎義家どのと藤原経清どのの熱い思いが、そなたをこの平泉に呼び寄せたのじゃ! 安倍と藤原の流した血を、そなたは源氏として背負って生きねばならぬのじゃ! ……生きてくだされ!」
翌日、鎌倉と京に向けて義経の死を伝える早馬が旅立ちます。その死は藤原基成や国衡ら一部の者しか知らされず、平泉の加羅御所にいる薫子には栂の前が“義経の死”を伝えます。その凄惨な現場を見てきた栂の前の言葉を鵜呑みにした薫子は相当な衝撃を受け、なぜすぐに教えてくれなかったのかと亜古耶を責め立てます。「九郎どのがこの世にいないのならば、もはや私は抜け殻。もう生きてはいけぬ」
夜中、橘似に付き添われて山伏姿の義経と弁慶は衣川の館を出発します。そのころ薫子は、義経の死に悲観してのどを突いて自害して果てていました。倫子が慌てて駆けつけた時には、薫子はすでにこと切れて、河田次郎守継が薫子の名を叫びながら涙を流していました。亜古耶は薫子に正直に話さなかった泰衡を責めますが、妹がそこまで思いを寄せていたと気づかず、うかつだったと放心状態です。
基成に呼ばれた守継は、薫子が死んだ今となってはもはやすべてが無駄だと悔しい思いです。藤原隆実は、義経は実は生きていて北に向かって逃げていると守継にこっそりと教えます。あまりにも哀れだと基成は守継に同情しますが、義経が生きていると鎌倉や京に知れたら、それこそこれまでの苦労はすべて灰燼(かいじん)に帰すわけです。
薫子は義経が生きているのも知らずに死を選んだ……。守継の心の底から、ふつふつと怒りが湧いてきました。「むごい……むごすぎる……それじゃ薫子は何のために死んだというのじゃ! 許せぬ、許せぬ!」 仇討ちを決意する守継をじっと見つめて、それでも止めようとはしない基成です。
栗原寺で仮眠をとる義経ですが、橘似はその寝顔を見つめながら、弁慶とふたりで義経を守っていこうと約束します。直後、守継の一団が寺を襲撃し、橘似は腕を怪我して気絶させられ、守継らは義経たちのいる堂に乱入してきました。義経と弁慶は防戦の一方で、じりじりと追いやられていきます。お堂の奥に義経を逃がした弁慶は、背中に矢を受けてしまいます。
「これより先は誰も入れぬ。御曹司に指一本でも触れてみろ、拙僧が許さぬ!」 襲い掛かる兵たちを薙刀で斬っていく弁慶。守継は怒りに任せて弁慶目がけ矢を放ちますが、その矢を数本受けても弁慶は立ちふさがります。兵たちは完全に戦意喪失しますが、守継だけは矢を射続けます。弁慶は守継を睨みつけたままです。守継は祈る気持ちで弁慶に近づき、そっと身体に触れると弁慶はバタリと倒れます。
気絶していた橘似が目を覚まし、弁慶を探して堂内を駆け回ります。無数の矢を受けて倒れている弁慶を炎の上がる中で発見し、見開いていた目を閉じさせてその死を悼みます。立ち上がった橘似は義経を探しますが、火の回りが早く、探すことが出来ません。九郎どの! と橘似は大声を出して探し続けます。
京・院の御所で、後白河法皇は九条兼実から義経の死を聞かされます。平家を滅ぼして都に凱旋した時には飛ぶ鳥を落とす勢いで、都中から持てはやされていたのにと、法皇は哀れさを感じずにはいられません。「頼朝には決して、戦地を与えるようなことはせぬ。奥州を攻め滅ぼすようなことは断じてさせぬ」
6月半ば、義経の首が鎌倉に届けられます。首実検に立ち会う北条時政は、悪臭でとても見られるものではありません。鎌倉大倉御所でその報告を受けた源 頼朝は、鎌倉に続々と御家人たちが参集しているというのに、泰衡追討の宣旨がまだ得られていないことに相当な焦りを見せています。頼朝は法皇を、甲羅をかぶった大天狗と蔑みます。
そのころ平泉館では、鎌倉に歯向かうなという基成の意見に泰衡と国衡が反発していました。その意に沿わねば、秀衡の命を狙い、義経も殺し、いずれ邪魔になれば泰衡自身にも矛先を向けるのか。どうしても基成の意見を受け入れられず、泰衡は基成・隆実父子に蟄居を命じます。「泰衡……そなただけには信じてもらいたい。蝦夷の王国・平泉に心底惚れ抜いての政であったということを!」
倫子は基成のたくらみを泰衡に詫びます。ただ、夫秀衡を亡くし、娘薫子を亡くし、子の国衡をも亡くし、ここで父基成も失えば倫子の身内は泰衡のみです。殺しはしません とつぶやく泰衡ですが、その実は殺したくても殺せないわけです。泰衡は倫子に、平泉が健やかに、穏やかに戻るよう祈ってくれと頼みます。
泰衡は束稲山(たばしねやま)の藤原基顕の庵を訪ねます。基顕は一日一食しか口にせずやせたようです。この庵から平泉がどのように映るか尋ねられた基顕は、中尊寺も毛越寺も、観自在王院も無量光院も輝きつつ、その輝きを守ることも欲だと指摘します。その欲を捨てない限り平泉は血を流し続けることになるわけです。「そなたが無になった方が民のためかもしれぬ」
鎌倉の頼朝の元には、平泉から海道成賢が基成の書状を持って訪問していました。頼朝による奥州攻略の後も、平泉の安泰を願う──つまり、基成自身の保身を意味しているのです。頼朝は奥州攻めに立ち上がる決断を下します。「もはや法皇の宣旨などいらぬ。平泉の実力者から奥州攻略の承諾を得たも同じよ!」
頼朝軍が出陣し、すでに白河の関を越えたという話です。法皇の宣旨なく頼朝は奥州に攻め込まないという泰衡の読みは完全に崩れてしまいました。国衡は読み違いを責め立てますが、泰衡は放心状態です。国衡は迎え撃つために兵を集めようとしますが、この期に及んでも泰衡は戦はしてはならないとつぶやきます。「抗いもしない平泉に向かって火矢を放つなど頼朝は愚か者じゃ!」
それでも国衡は準備に取り掛かるべく出ていきますが、それと入れ替わりに弥五郎が飛び込んできました。泰衡の命で基顕の庵を訪ねたところ、亡くなっていたのを発見したのです。驚きすぐに庵に駆けつけた泰衡は、仏となった基顕と対面します。涙を浮かべつつ手を合わせる泰衡の脳裏には、先日の基顕の教えがこだましていました。
いよいよ国衡が出陣する時が来ました。武芸しか取り柄のない国衡の、平泉を守る唯一の方法なのです。国衡は厚樫山(あつかしやま)を守らせてほしいと泰衡に申し出ます。泰衡は小さな観音菩薩像を国衡に授け、できることなら生き延びてほしいと伝えます。「最後にこんなに静かな気持ちで別れが言えるとは思わなんだ」と出陣した国衡は、8月10日の厚樫山の合戦で討ち死にします。
中尊寺金色堂に籠った泰衡は、読経して奥州藤原氏の父祖に対して宣言します。泰衡はこの平泉を戦場にはせず、頼朝に明け渡す。平泉を見捨てる非情を許されたい、と。泰衡の目前に、初代清衡の姿がありました。「100年の歳月をかけて築き上げてきたこの黄金の楽土を明け渡すのはまさに断腸の思い。されど中尊寺、毛越寺、無量光院、その思いをそのまま残すことがそれがしに課せられた最後の務め」
それが泰衡自身の戦であり、そのために民の命は一つも失わない。泰衡はその思いを伝えて清衡に手を合わせます。厳しい表情で聞いていた清衡は、コクリと頷いた……気がしました。泰衡は大刀小刀を置き、丸腰になります。家臣一同を集めた泰衡は、“平泉の戦”として平泉を磨き上げると命じます。頼朝の戦は敵を踏みにじること、我らの戦はそれを包み込むこと──。
8月21日、頼朝が平泉に進軍してくる前日、泰衡は館の一部に形ばかりの火を放ちますが、本拠地を離れていく武士のしきたりに従ったまでです。泰衡は烏帽子を取り、嘆き悲しむ倫子に、親より先に死ぬ親不孝の許しを請います。泰衡は伴丸を抱きしめ、奥州藤原氏の誇りを口にしないよう厳命します。「今よりは、蝦夷の子としてどこまでも生きのびるのじゃ」
ひとりになった泰衡は、平泉館を見渡しながら馬上の人となり、館を後にします。そしてその翌日8月22日、烈風の中を頼朝一行は平泉館に入ります。館内を案内された頼朝はその建築物に感心します。中尊寺大長寿院の二階大堂には驚嘆し、のちに鎌倉に永福寺を建立しますが、その規模や美しさでは平泉のものと比較にならないものでした。
頼朝はさっそく基成・隆実親子を助け出し、命を安堵します。頼朝は泰衡の逃亡先について基成を質しますが、基成は自分に奥州の差配を任せてくれれば泰衡追捕も自分が手配すると頼朝を見据えます。頼朝はじっと基成を見つめ、それには及ばぬ、と薄ら笑いします。「泰衡の首はすぐにも獲る。草の根を分けてもきっと探し出す」
猛吹雪の中を進んできた泰衡は、名を呼ばれたような気がして顔を上げると、秀衡がいました。
──かって敵に伍する勢力を持ちながら、無辜(むこ)の民を一人たりとて傷つけることなく、また幾星霜にわたって築き上げられた文物を何ら損ねることなく、王の座を明け渡した者は有史以来誰一人としておらぬ。文化は民のものにして王のものにあらず。民のために王の座を自ら明け渡すもの、それを真の王者と人は称える。政を突き詰めればそこに至り、仏の道を究めればそこに至る。そなた、己を無にすることで奥州の民の浄土を守ったのじゃ。泰衡、まことようやった。それでよいのじゃ──
泰衡は再び吹雪の中を歩き始めます。
やがて馬ともはぐれ、フラフラしながら雪道を歩く泰衡は、多くの民たちに歓待されます。泰衡は意識もうろうとしていますが、「経清どの!?」と名を呼んだのは安倍宗任です。そして他方からも安倍貞任や結有が呼びかけ、駆け寄ってきます。「行こうぞ……行こうぞ経清どの。我らは蝦夷の末裔(まつえい)じゃ。阿弖流為(あてるい)に会いに行こうぞ!」
── 完 ──
脚本:中島 丈博
高橋 克彦 作 「炎立つ」より
音楽:菅野 由弘
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:大友 直人
演奏:アンサンブル・レニエ
語り:寺田 農
監修:高橋 富雄
入間田 宣夫
風俗考証:山中 裕
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子
所作指導:猿若 清三郎
馬術指導:日馬 伸
殺陣・武術指導:林 邦史朗
仏教指導:坂本 観晃
題字:山田 惠諦
─────
協力:岩手県・江刺市
[出演]
渡辺 謙 (藤原経清)(藤原泰衡)二役
野村 宏伸 (源 義経(九郎))
時任 三郎 (弁慶)
中嶋 朋子 (薫子)
三浦 浩一 (藤原国衡)
中川 安奈 (亜古耶)
水島 涼太 (海道成賢)
小宮 孝泰 (弥五郎)
村上 弘明 (藤原清衡)
古手川 祐子 (結有)
村田 雄浩 (安倍貞任)
川野 太郎 (安倍宗任)
紺野 美沙子 (橘似)
浅利 香津代 (栂の前)
本郷 功次郎 (北条時政)
勝部 演之 (安達藤九郎盛長)
中原 丈雄 (藤原基顕)
安藤 一夫 (河田次郎守継)
小野 進也 (土肥実平)
斉藤 洋介 (九条兼実)
真鍋 敏宏 (藤原隆実)
角田 英介 (藤原忠衡)
河原 さぶ (鬼丸)
竹本 和正 (脇田友保)
千葉 清次郎 (苔助)
黒樹 洋 (北条義時)
服部 有吉 (伴丸)
日馬 伸
大葉 順
戸沢 佑介
卜部 たかお
池田 武志
木村 翠
松本 正晴
田中 成佳
佐賀 克也
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若駒スタント部
足利市KRC
鳳プロ
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江刺市のみなさん
長塚 京三 (源 頼朝)
真野 響子 (倫子)
中尾 彬 (後白河法皇)
林 隆三 (藤原基成)
渡瀬 恒彦 (藤原秀衡)
制作:音成 正人
美術:増田 哲
技術:大沼 伸吉
音響効果:林 幸夫
記録・編集:高室 晃三郎
撮影:杉山 節郎
照明:高橋 猛
音声:鈴木 清人
映像技術:横山 一夫
制作・著作:NHK
共同制作:NHKエンタープライズ
制作統括:村山 昭紀
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:NHKアート
:NHKテクニカルサービス
演出:門脇 正美
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