プレイバック八代将軍吉宗・(03)将軍の娘
近松門左衛門でござる。
覚えておいでかな? 前回までに将軍家の家督相続について詳しくお話し申し上げた。よろしゅうござる。今一度かいつまんで申し上げるにやぶさかではござらぬ。しかしそれにしても寒うござりまするな。
初代将軍家康公、二代将軍秀忠公、三代将軍家光公、四代将軍家綱公。ここまでは全て実父から実子への相続でござる。ところが四代将軍家綱公には残念ながらお世継ぎが生まれず、館林城主であった弟ぎみ綱吉公に五代将軍の座をお譲りあそばした。しかるに綱吉公もご嫡男徳松ぎみがわずか5歳にてご逝去。今のところお世継ぎがござらぬ。さあどうするか……はさておいて、綱吉公はたった一人のご息女鶴姫さまを、紀州藩主徳川光貞公のご嫡男綱教公に差し上げた。
さればでござる。将軍家と紀州家を結ぶ名花一輪。さよう、鶴姫さまにまずはご登場賜りたく存ずる──。
元禄7(1694)年。鶴姫さまお住まいの赤門御殿は、紀州江戸藩邸の敷地内にござった。この赤門は、将軍家ご息女の御印にござる。この時鶴姫さまは御年18歳、将軍のご息女は嫁しても臣下の礼をとらず、あくまで将軍のご家族として遇せられまする。下座にいる徳川綱教のそばにちょこんと座る鶴姫ですが、世話役や綱教に上座へと勧められ、寂しそうにため息をつきます。
綱教は妻である自分を“鶴姫さま”と呼ぶので、“お鶴”と呼んでほしいと求めます。そうでなくとも綱教は、日ごろから堅苦しい物言いをしており、嫁いで9年になるというのに大きな隔たりを感じて寂しくなるのです。しかしそんな可愛らしいお願いにも、綱教は将軍家のしきたりに背くことになるとやんわり断ります。「ならば──将軍にお成りあそばせ」
鶴姫さまのご実家は無論、江戸城。紀州藩邸からは目と鼻の先にござった。鶴姫は紀州のみかんを土産に登城し、徳川綱吉と桂昌院、生母お伝の方に対面します。おめでたはまだか? と聞く桂昌院は血筋は絶やしてはならぬと諭し、手にしたみかんの袋の数ほどの子を産みなさいと笑います。
桂昌院は突然、世継ぎがなければ鶴姫に継がせればよいと言い出します。綱吉は、将軍は武士の棟梁であり、戦乱が起きれば将軍が国を守らなければならないと説明します。鶴姫は身を乗り出し、綱教の名を挙げますが、さすがの綱吉も厳しい表情を浮かべます。「その話はまだ早い。少なくとも将軍の娘がみだりに取り沙汰してはならぬ。人心を惑わし要らざる争いを招く」
将軍綱吉公は数日後、水戸のご隠居光圀公を召し出された。綱吉に茶室に招かれた光圀は、嫡男がなければ“甲州どの”を養子に迎えるのが至当と具申します。“甲州どの”とは甥の徳川綱豊であり、もしもその父徳川綱重が存命であれば五代将軍になれていたわけで、六代将軍は綱豊になっていたと主張するのです。つまり将軍継承の座を甲州に返上するのが道理というのです。
綱吉は、後日のために「もし綱豊に不都合があれば、継承順位を決めておきたい」と光圀に意見を求めます。二番手に尾張家当主綱誠、三番手に紀州家嫡男綱教、四番手は水戸家当主綱条──。綱教は綱吉の娘婿ですが、それを言えば綱誠の母千代姫は綱吉の姉に当たるわけで、継承順位に何ら影響を及ぼすものではないと言いたげです。
桂昌院は綱豊の名を聞くや、反発します。桂昌院にとってお夏の方は自分と綱吉をいじめ抜いた憎き仇であり、その孫である綱豊に将軍の座を明け渡してなるものか、と肩を震わせます。綱吉は桂昌院をなだめますが、その怒りは子を成さない綱吉に向きます。我慢して聞いていた綱吉は「かくなる上は誰にも家督は譲らぬ。50年、100年長生きをして、将軍の座に座り続けてみせまする」と脇息を蹴飛ばします。
同年2月4日、和歌山城にて源六ぎみの元服式がござった。源六は「本日は武門のしきたりに倣い、元服の儀仰せつけられましたる段、ありがたき幸せに存じ奉りまする」と挨拶し、烏帽子親加納政直に烏帽子をかぶせてもらいます。光貞は源六に「新之助」の名を授けます。養父であった政直は、成長した源六に涙を流して喜びます。
新之助どのは殊の外 武術がお好きでござった。当時の紀州藩には武芸の達人が蜘蛛のごとく集まり、『三十三間堂通し矢天下一』で名を馳せた和佐大八もそのひとりでござった。柔術では関口流の開祖・関口柔心、その子弥太郎氏暁が指南役を務め、剣術は田宮流・新陰流・柳生流の三派それぞれ技を競い申した。
兄頼職と将棋を指せば殴り合いの喧嘩になり、飛んできた志保は傅役の久通に蟄居を命じます。光貞が不在の間は志保が奥向きを取り仕切っているのです。新之助は久通については奥向きとは別儀と涼しい顔です。久通は蟄居を受け入れるつもりですが、新之助に背いて蟄居を受け入れるなら切腹を命じ、不都合あれば自分も腹を切ると言い出し、「もうよい!」と志保は怒って出ていってしまいます。
夏も終わるころ、新之助どのご養母お常さまは、ご生母お紋の方を訪ねて高市郡巨勢の郷に向かわれた。新之助のわんぱくぶりが度を越していて、正直手を焼いているのです。行儀には厳しく、兄とは仲良くとしつけても、全く聞き入れてもらえません。生母が百姓の娘では新之助の出世の妨げになると身を引いたお紋ですが、お常はそれは大人の理屈と諭します。
母と思っていた人が実は母ではなく、仲を引き裂かれて屋敷を追い出され、知らない人が母だと言われ、生母に会いにいけばすげなく追い返される。「子どもには子どもの理屈がある。大人はよかれと思うても、源六にしてみたらお城に“迎えられた”のではなく、お城に“投げ出された”に等しかろう。せめてこれからは、生みの親も育ての親も大人の理屈ではなく、あの子の心でものを見ようではないか」
明けて元禄8(1695)年2月8日、江戸は四谷伝馬町にて出火。折からの強風にあおられ瞬くうちに燃え広がり、大名屋敷、町方民家を焼き尽くし申した。綱吉は城の櫓から町の様子を見て、江戸は火の海だと愕然とします。火の手は紀州屋敷に燃え移り、綱吉は鶴姫を助け出そうと、家臣たちが止めるのも聞かずに紀州屋敷に向かおうとします。
江戸城には鶴姫の姿があり、綱吉は安堵します。鶴姫の話では、綱教は赤坂門まで鶴姫を馬に乗せて送り、そのまま火事場にとって返したそうです。光貞は渋谷の紀州藩下屋敷に避難していますが、桂昌院の心配はこの江戸城に燃え移らないかどうかです。分かりませぬ、と綱吉は頭を抱えます。この夜の火事は海岸にまで達し、焼失家屋64,700戸、多くの人命も失われ、史上まれにみる大火と相成り申した。
綱教は手に傷を負いますが、その後もてきぱきと采配します。御簾中照子にはこのまま下屋敷に逗留してもらい、鶴姫は江戸城三の丸で桂昌院に預かってもらう。まずは綱吉から拝領した見舞金2万両で小屋を建て、焼け出された家臣たちを収容。光貞には紀州に戻ってもらい、大量の材木や腕利きの大工を遣わしてほしいと依頼します。光貞はめんどくさそうに「心得た」と返事します。
さればでござる。辛い時苦しい時、人は誰でも逃げ場を求め申す。綱吉公の逃げ場はお側御用人柳沢保明どののお屋敷でござる。柳沢どのは綱吉公が館林城主のみぎりよりご寵愛あそばしたご近習にて、この時は武蔵川越城主。お側用人と言えどもその権勢はご老中を凌ぎ、今や飛ぶ鳥を落とす勢い。
保明は国難を乗り切るために小判の吹き直しが必要と進言します。金銀の量を減らして銅と鉛を加えて改鋳すれば、およそ600万両の差額が幕府の収入になるわけで、小判の値打ちが下がるものの背に腹は代えられません。よきにはからえ、と綱吉は保明に任せます。「わしは政治に飽き飽きした。万事そちに任せる」
襖が開き、お染が手をついています。こなたはお染どのと申して、元は綱吉公お気に入りの愛妾でござった。綱吉公が将軍にお成りの折、外聞をはばかって柳沢どのに下げ渡されたのでござる。綱吉はお染に近づき、手に触れてイチャイチャします。保明は気を利かせてそっとその場から下がります。
主君のお手付きを家臣が頂戴いたすは、別段珍しいことではござらぬ。むしろ家門の誉れ、主従の絆をさらに深めるよすがとも相成り申す。まあまあご婦人方、そんな目をなされますな。
光貞公は3月、難題を抱えて紀州へお戻りあそばした。出火の際の采配で株を上げた綱教に、光貞はいつでも家督を譲れると胸を張ります。江戸藩邸の再建には莫大な費用がかかり、財政困窮の折からどこをどう切り詰めればいいのかを考えなければなりません。それ以外にも山賊問題、漁場の訴訟などやるべき問題が多く、光貞はよろしく頼むと下知します。
新之助のわんぱくぶりは志保の手には負えなくなっていました。ことさらに自らの意志を持ってぶつかってくるわけです。男の子なんだから大目に見てやれと諭す光貞ですが、志保はお紋を呼びつけるよう申し入れます。呼ぶと言えばいやだ、来ぬとなればいやだと勝手ばかりを言う志保に、光貞はぶつぶつと文句をつぶやきます。「ただしお紋の部屋をお城の外に願います。奥向きはご免被ります」
小笠原胤次が光貞の書状を携えてお紋を迎えに行きました。3日もすれば和歌山城で対面できると豊島半之丞は笑顔を見せますが、新之助は無表情のまま「会いとうない。俺には母などいない」と反発します。
西に我が子を思うてへりくだる母あれば、東に我が子を思うてしゃしゃり出る母ありけり。桂昌院は世継ぎ誕生のために数々の女たちを綱吉に送ってきましたが、綱吉がお染に熱を上げれば斡旋した御台所の面目が立ちません。加えてお染の父は甲州綱豊の家臣であり、桂昌院には憎き対象であるわけです。綱吉は桂昌院の発言を聞き流します。
和歌山城に入ったお紋は、さっそく志保の居室に向かいます。なかなか部屋に入ろうとせず、促されて入れば侍女の着物の裾を踏み、「へい」と返事して、先が思いやられると志保は開いた口がふさがりません。志保は、奥向きは自分が取り仕切っていると念押しします。引き出物として志保からお紋に小袖を贈られますが、退室の際にも小袖を手にするお紋をたしなめます。「小袖は侍女が運びまする」
用意された部屋に向かうお紋ですが、廊下に葉が数枚落ちているのを見て思わず拾い上げます。志保の居室から大笑いする声が聞こえてきました。志保は、なぜ光貞があのような女を側室にしたのかと笑わずにはいられません。お紋はそれを気にしながら葉を庭へ払い落とすと、部屋に向かいます。
お紋は居室でじっと待っていますが、新之助は現れません。お紋はふと自分の両手を見つめます。百姓として苦労してきた手です。馬上の人となっている新之助を、久通は手を広げて止めます。胤次の催促で馬を引こうとする久通に鞭を食らわし、馬の腹を蹴って駆けていきます。久通は走って追いかけますが、それも振り切り和歌山の海岸線を駆け抜けます。
作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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[出演]
阪本 浩之 (新之助(吉宗の少年時代))
大滝 秀治 (徳川光貞)
小林 稔侍 (加納久通)
山田 邦子 (お紋)
辰巳 琢郎 (徳川綱教)
竜 雷太 (三浦為隆)
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斉藤 由貴 (鶴姫)
夏木 マリ (お伝の方)
丘 みつ子 (お常)
三林 京子 (志保)
藤村 志保 (照子)
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藤間 紫 (桂昌院)
牟田 悌三 (加納政直)
榎木 孝明 (柳沢保明)
長門 裕之 (徳川光圀)
津川 雅彦 (徳川綱吉)
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制作統括:高沢 裕之
演出:清水 一彦
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第4回「殿様の子」
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