プレイバック八代将軍吉宗・(04)殿様の子
近松門左衛門でござる。
今宵はまず暦のお勉強。エゲレス語で申せば「カレンダー」でございますな。ご存じの通り徳川の御代は月の満ち欠けの周期を元にした「陰暦」を用いており申す。さればでござる。お月さまはだんだん丸くなり、また欠けて細くなるまで29.53日かかり申す。これをひと月と考えて29日の月と30日の月を代わりばんこにすれば、これだいたい上手くいきますな。この陰暦のすばらしさは、月の満ち欠けと日にちがぴったり合うこと。例えば三日月なら3日、七日月なら7日、満月ならば15日と、実に分かりやすうござる。
ところが弱ったことに陰暦の12か月は354.36日しかござらぬ。地球が太陽の周りを一周するのは365日でありますから、これどうしても11日足りませんな。それで昔の偉い人は考えた。ならば1年を時々13か月にすればよいと。これが陰暦特有の「閏月」でござる。5年に2回、19年に7回だけ、同じ月が年に2度ござって、後の方を閏3月とか閏8月とか申すのでござる。これこれ、よそ見をしておるのは誰じゃ──。
元禄9(1696)年。松平新之助と加納久通は、和歌山の浜辺で剣の素振りをして汗を流します。手を休めた久通は、なぜ生母お紋の方に挨拶をしないのかと尋ねます。徳川光貞も、せっかく連れて来たのに何が不満かとよく思わず、お付きの者が悪いという声が上がる始末です。お紋と口を聞きたくない新之助は、久通を見つめます。「ならば傅役のために挨拶する。お前のためだぞ、久通」
意を決してお紋の居室に向かう新之助ですが、そこにはお紋はいません。心配そうに庭の外を見ているお勢は、新之助の姿に慌てた様子です。お紋は外でよもぎやよめなを摘んでいました。戻ってきたお紋の手には、大量のよもぎが積まれていました。新之助と会えてうれしかったのか、この土には何を植えたらいいとか独り言が止まりません。「ゆがいておひたしにしまひょ!」と裾をそのままに部屋に上がります。
新之助はお紋とともに朝餉をとりますが、膳で出てきたひらめに「何と豪勢な」と食べるのをためらいます。ごちそうさまでしたと箸を置く新之助の膳には、まだひらめが残っています。これは身分の高い者は煮魚も焼き魚も表側のみ食べるのがしきたりだからです。お紋は残さず食べたほうがいいと、骨は身をせせり取って見せ、最後は骨湯にして飲むのを勧めます。新之助は困惑しています。
馬上の新之助の姿を、光貞は得意の墨絵で描きます。光貞に求められて背筋を伸ばす久通ですが、伸ばすべきは新之助です。よい若武者ぶりじゃ、と目を細める光貞に、新之助は自分が大名の子なのか百姓の子なのかと問いかけますが、光貞は見上げて新之助に答えます。「申すに及ばず……そちはわしの子じゃ!」
参勤により光貞が江戸へ向かうことになりますが、頼職とともに新之助も江戸に同行させることにします。江戸出府に際して光貞は、2人に官位と新しい名を授けます。内蔵頭頼職、主税頭頼方(よりかた)──。大名の子にふさわしい名であろうが! とほほ笑む光貞に、頼方は大きく頷いて満面の笑みを浮かべます。
頼方という名をいただいたことをさっそくお紋に報告する頼方です。源六から新之助、新之助から頼方へ。着実に出世の階段を昇っていく息子に、お紋は言葉もありません。旅立つ頼方に、お紋は巨勢のお守りを手渡しますが、乱暴をしないか、犬猫をいじめないかと心配は尽きません。お達者で、とお紋は送り出しますが、出ていった頼方が戻ってきてお紋は驚きます。「母上もお達者で!」
かくして新之助改め頼方どのは、この年3月、兄ぎみとともに江戸へご出立なされた。紀州藩の参勤交代は、大和海道を東に向かい、まず岩出御殿にて休憩。ご一泊目は橋本の御用屋敷が使われ申した。豪華絢爛な紀州藩の大名行列の中に、ひときわ凛々しく胸を張って馬に乗っている頼方の姿があります。
頼方とともに飯を食う頼職は、江戸屋敷では神妙に過ごさなければならないと新之助に諭します。嫡男と次男三男では天と地ほどに身分の開きがあるのです。将軍綱吉は三男ながら将軍になれたわけで、それは嫡男家綱が逝去したからですが、「兄ぎみが亡くなればお家が継げるのですか」と口走り、頼職にたしなめられます。
2泊目は越部村、3泊目は鷲家村。行列は伊勢街道を経て松坂に達すると、大口村より海路を進むのが習わしにござった。船上から光貞が、知多、渥美と指をさし、頼方は地図と見比べます。今から向かう三河は徳川発祥の地であり、徳川家康の尊い血と魂を受けているのだと光貞は説きます。酔った頼職は、海に向かってげえげえ吐いています。船は三河湾内の吉田港に着き、そこからは一路東海道を江戸へ下り申した。
みなさまご存じの通り、幕府の頂点は将軍でござる。これに仕える老中は25,000石以上の譜代大名より選ばれて、定員4~5名。その下に大目付、若年寄、諸奉行などがござり、このお歴々が幕府の最高幹部。エゲレス語で申すならばヘッドクォーター。
さればでござる。元禄9年のご老中はこの方々でござった。
小田原126,000石の大久保忠朝(ただとも)、佐倉8万石の戸田忠政、土浦69,000石の土屋政直、武蔵忍94,000石の阿部正武。彼らは江戸城御用部屋で話し合いを行います。お犬御殿もとい犬小屋への費用が莫大にかかりすぎ、生類憐れみの令という“悪法”への不満は、すべて側用人である柳沢保明に向きます。忠政は保明を叱りつけようと提案しますが、誰が叱る? となれば、みなうつむいて口を閉ざしてしまいます。
生類憐れみの令は綱吉の強い執念であり、桂昌院の肝いりともなれば、老中ごときがどうすることもできなさそうです。そもそも綱吉に早く世継ぎが生まれれば事は済むわけですが、若い上臈を献上しても綱吉は見向きもせず。ちなみに綱吉は、今は柳沢屋敷に3日連続で逗留中なのです。
柳沢家では正室も側室もそれこそ一家を挙げて綱吉公をご接待いたしまする。綱吉公またこれに応え、相次ぐご加増は無論のこと、金銀、お屋敷、書画骨董など賜り物ものは山ほど。ついでながらこの美しい側室お染どのは綱吉公のお下がりでござった。柳沢屋敷には、綱吉と保明が離れから広大な庭を眺めています。保明正室の定子は、綱吉に酌をしてもてなします。
そうこうするうちに、どうやら紀州藩の大名行列は江戸にご到着にて、和歌山からの行程およそ13日、品川宿にて江戸詰め家老の出迎えを受け、隊を整えて威風堂々江戸屋敷に乗り込んでござる。大火後の御殿普請で莫大な費用が掛かりましたが、また儲けおったな? と光貞は紀伊国屋文左衛門の名を出します。江戸詰めのご家老水野重上(しげたか)どのは35,000石、国元では新宮城主のご身分でござった。
光貞を出迎えたのは綱教や重上だけではありません。ご簾中照子と上杉15万石の綱憲に嫁入りした姉の栄姫も出迎えます。頼職と頼方はそれぞれに挨拶をし、優しい言葉をもらいます。ともかく9人の子を成した光貞ですが、今でも存命の4名の子どもたちがここに揃ったのです。光貞としては感慨無量で、早死にしても惜しくはないと顔をほころばせます。「……早死に?」
翌日、頼職どのと頼方どのは赤門御殿にて鶴姫さまのご拝謁を賜った。義理の弟にあたる2人と対面出来て、鶴姫はとてもうれしそうです。鶴姫にも徳松という弟がいましたが、わずか5歳で亡くしています。今はこの義理の弟たちに、徳松以上のことをしてあげたい鶴姫です。まずは対面出来たお祝いに、古今和歌集の写本を贈ります。
さる日、頼職どのと頼方どのは、光貞公のお許しを得て池上本門寺にご参詣あそばした。ここ本門寺には紀州より秋田藩に嫁ぎ、19歳にて身罷りし姉ぎみ育姫(のりひめ)さまの御霊(みたま)も祀られてござった。読経が響く中、頼方は手を合わせて育姫の菩提を弔います。やはり脳裏に浮かぶのは、優しかった育姫の笑顔ばかりです。
その帰り、お二方はお忍びで江戸の町を見物なされた。和歌山とは比ぶべくもない、さていかなるお心持ちにお成りあそばしたやら。女性の財布を奪った盗人が魚屋と衝突、逃亡を図るところを頼方が立ちはだかります。久通が腹を殴って気絶させている間、頼方は頼職に腕を掴まれてその場から離れます。
一行は茶店に入ってよもぎのだんごを食らいます。店主に気さくに話しかける頼方ですが、身分が違いすぎると頼職にたしなめられます。頼方は、自分は部屋住みの身分だと開き直ると、豊島半之丞はいずれ公方さま(将軍)からしかるべき身分を賜ると諭します。しかるべき身分とは、例えば子のない家の養子などです。不満をぶつけるように頼方は店主を呼びます。「店主! だんごを10人前追加じゃ!」
茶店を出ると、通りには久留米藩22万石の大名行列が通っていました。せめてこれぐらいの大名になりたいとつぶやく頼方に、半之丞は大笑いします。「何を仰せられます? 仮にも頼方さまは東照大権現さまのお曾孫にございまするぞ? お志をもっと大きくお持ちなされませ」 納得がいかない頼方は久通を見、久通も力強く頷きます。
綱吉による講義のあと、まだできぬのかと綱教にお尋ねがあったそうです。今宵の鶴姫はどこか様子がおかしく感じる綱教ですが、明日は桂昌院が子宝観音のお守りをくだされると鶴姫を励まします。もはやその儀はご無用……と上目づかいで綱教を見る鶴姫に、察しの良い綱教は気づきます。「も……もしや……」
翌日、綱教は綱吉に報告します。医者の診立てでは今年の秋に誕生するとのことです。綱吉は突然の吉報に目を潤ませ、桂昌院にも早速知らせます。お喜びの綱吉公は、ご老中大久保忠朝どのを紀州屋敷にお遣わしなされた。綱吉は紀州藩に金5,000両を遣わし、来春早々に紀州藩邸に来臨してお祝いを述べる予定です。
綱吉の光来について、すぐにも準備に取り掛からなければなりません。ただ紀州藩にはこういう行事に精通する家臣がおらず、重上は側用人保明の名を出しますが、忠朝は難色を示します。幕府挙げての祝典儀礼、後世の規範ともなる饗応をするために、長女栄姫の舅をヒントとして挙げます。「吉良上野介のことか? これは迂闊(うかつ)であった。適任とはまさにこのこと」
江戸城に戻った忠朝を交え、老中4人でまた話し合いです。もし鶴姫が男子を産めば……。綱吉が紀州屋敷に来臨する予定もあることから、次の将軍は綱教であるとみてよさそうです。継承順では第一に甲州、第二に尾州、そして紀州綱教は第三なのですが、甲州は桂昌院が真っ向から反対しているし、尾州もこれといって決め手に欠けます。ともかく将軍継承に側用人が口出しせぬよう心づもりせねばなりません。
頼方は鶴姫にいただいた古今和歌集の写本を一生懸命に読んでいます。そこに部屋の様子を見に頼職が来ました。頼方は懐妊について頼職に尋ねますが、その話は正室、側室という説明にまで発展します。ただ頼方の母お紋の方は“お手付き”で、湯殿番だったお紋に光貞のお手がたまたまついたと説明を受け、すこしがっかりします。頼職は、どちらにしても俺たちは部屋住みの身分だと笑って去って行きます。
作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
タイトル題字:仲代 達矢
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[出演]
阪本 浩之 (新之助 頼方(吉宗の少年時代))
大滝 秀治 (徳川光貞)
小林 稔侍 (加納久通)
山田 邦子 (お紋)
辰巳 琢郎 (徳川綱教)
野口 五郎 (頼職)
榎木 孝明 (柳沢保明)
黒沢 年男 (水野重上)
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斉藤 由貴 (鶴姫)
芦川 よしみ (お染)
五大 路子 (栄姫)
三林 京子 (志保)
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藤村 志保 (照子)
久米 明 (大久保忠朝)
名古屋 章 (土屋政直)
竜 雷太 (三浦為隆)
津川 雅彦 (徳川綱吉)
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制作統括:高沢 裕之
演出:清水 一彦
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第5回「江戸の迷子」
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