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2025年3月11日 (火)

プレイバック八代将軍吉宗・(09)刃傷松の廊下

虎伏山(とらふすやま)にそびえる和歌山城は、関ケ原の合戦以来、浅野幸長(よしなが)公の居城にござったが、元和5(1619)年にご入国なされた徳川頼宣公により大掛かりな改造が行われ申した。当時はご法度であった天守閣の再建も、御三家についてはお構いなしでござった。西の丸御殿の紅葉溪(もみじだに)庭園は、内堀の一部を取り入れて格調高く、江戸時代初期を代表する庭園の一つでござる。二代藩主光貞公の別邸・西浜御殿は養翠園(ようすいえん)と名付けられ、御書院からは見事な庭園が一望のもとに眺められ申す。

和歌山には他に、湊(みなと)御殿、吹上御殿、浜御殿などがござり、山口御殿は幕府城主の休憩などにも使われ申した。岩出御殿は紀ノ川の河畔に造営されし別荘にござる。臨春閣とも呼ばれるこの御殿は、なぜか後の世に、横浜の三渓園に移されたと聞き申す。はてこの近松がなんでそんなことを知っているのか──?


鶴姫が江戸城に上がり、将軍徳川綱吉との対面を求めます。しかし綱吉は、側用人柳沢保明に促されても、愛娘鶴姫のためにいつものように嬉々と対面には臨みません。紀州藩にとって綱吉はいわば福の神であり、また紀州藩邸に招けという目的は見え透いています。迂闊に誘いに乗れないとしばらく書を読む綱吉ですが、無言の時間がしばらく続くと、ええい! と書を投げだして大奥の対面所へ向かいます。

申すまでもなく江戸城本丸は将軍のおわす本拠にて、表・中奥・大奥の3つに分かれており申す。表と申さばいわば中央官庁でござる。将軍謁見に使われた黒書院・白書院をはじめ、大名諸侯控えの間がござり、幕府の公式行事は全て表にて執り行われ申す。表に続く北側には将軍の鑑定とも申すべき中奥がござる。ここには御座の間・御休息の間・湯殿などがござり、執務のほかに日常をお過ごしなされ申す。ちなみに表と中奥は女人禁制でござる。

中奥の突き当りには厳重な御錠口がござる。さよう、この奥が将軍の私邸、男子禁制の大奥。御台所を筆頭に何百人という女性がお住まいでござる。7歳以上で大奥に入る男子は将軍ただおひとり。大奥へのこの廊下を、その名も『御鈴廊下』と申し上げる。これこれどなたじゃ? 鼻の下をのばしておるのは?

鶴姫は、3年前は光貞の招待であり、今回は綱教の招待だと説明しますが、名目はどうあれ将軍が紀州藩邸に赴けば、尾張が騒ぎ立て水戸がへそを曲げると綱吉は乗り気ではありません。ならばお鶴がお招きいたしましょう と笑顔を見せても綱吉は頷かず、鶴姫は拗ねてしまいます。「ならばお鶴も遠慮いたします。今後一切お城のほうには参りません」 そう言われては綱吉もさすがに折れざるを得ません。

この年の7月、和歌山城下に大火がござり、畑屋敷から一里山あたりまで無残に燃え尽き申した。知らせを聞いた光貞公は事態収拾のため、大急ぎで紀州へお帰りあそばした。此度は頼職どのがお供を申し付けられ、頼方どのは江戸にお残りでござった。紀州に向かう途中の海路では、頼職は相変わらずの船酔いでゲエゲエ吐き、光貞は肩ひじついて居眠りです。

元禄13(1700)年10月16日、病気御療養中の尾張光友公が名古屋城にてご逝去あそばされた。享年76歳。続いて12月6日、光友公の後を追うように水戸光圀公がご他界あそばされた。享年73歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げる。

 

甲州徳川綱豊にとって、光圀という後ろ盾を失ったことは大きな痛手ですが、紀州も手放しでは喜べません。関白近衛基煕が遠回しに、綱豊が将軍後継者に適任であると綱吉に書簡を送りつけてきたのです。桂昌院は僭上(せんじょう)の沙汰と腹を立て、お伝の方も綱教を将軍に推しますが、綱吉はカチンときます。「なぜ家督相続を急ぐ? それほどわしを隠居させたいのか!」

基煕の書簡は将軍御台所の鷹司信子のところでも話題になっていました。基煕から見て綱豊は娘婿であり、身びいきにも見えますが、古式に則った考え方をする人物だと右衛門佐は一蹴します。ただ甲州がいいか紀州がいいかでいえば、双方の御台所の評判は高くても、やはり鶴姫の実母のお伝の方の評判が芳しからず、それで綱教は一歩出遅れているような印象です。

大奥の事情を察した柳沢保明どのは、密かに右衛門佐どのをお招きになられた。保明の立場は、今は甲州か紀州と旗色を鮮明にしないのが賢明と、時の流れを見定めています。そんな保明は右衛門佐に、養子として小姓の田中之政を紹介します。困惑する右衛門佐です。無論、養子とは表向きのこと、女ざかりの右衛門佐どのに保明どのは、堂々と若き男子を献上したのでござる。いやはや何とも心憎い気配りではござらぬか。

江戸市中の小料理屋で酒を煽る頼方と松平頼致です。政局について話しても自分たちは蚊帳の外、大名にもなれないと自棄(やけ)を起こしているのです。帰ろう! と立ち上がろうとする頼方を引き止め、頼致は「これからな、女子を買いに行く」とニヤリとします。小料理屋の勘定を済ませようと懐に手をやると、巾着袋がありません。頼致と頼方は女を買うどころか、裸で屋敷に帰る羽目になります。

 

明けて元禄14(1701)年、幕府は朝廷への年頭挨拶に吉良上野介どのを遣わされた。そして3月11日、返礼の勅使が江戸城にお着きになり、12日には上様のご拝謁、13日には饗応のお能がござった。14日には白書院にてお暇(いとま)のお披露目がござり、続いて祝宴が開かれるはずでござった。

上野介は綱教と親しげに対面し、饗応役の悪口を言っています。上野介は綱教の姉の舅であり、綱教はそんな上野介を労わります。一方綱教も、綱吉の紀州江戸屋敷お招きを4日後に控え、いろいろと忙しい時期です。行儀作法は今回も上野介に教わっているようで、よろしくと綱教は頭を下げます。「委細はまた書きつけにて。しからばこれにて」と上野介は慌ただしく去って行きます。

その直後です。「遺恨覚えたか!」と脇差を振り上げた浅野内匠頭、斬られた上野介──。内匠頭はその場で取り押さえられ、上野介は廊下を這って逃げていきます。

「ただ今殿中にて浅野内匠頭どのが吉良上野介どのをご刃傷!」と、湯殿を使っていた最中の綱吉に刃傷の第一報が届きます。そのころ息子上杉綱憲に介抱されていた上野介は、脇差は抜いていないから喧嘩ではないのだ! と必死にアピールします。上野介どののご狼狽は無理もござらぬ。喧嘩は両成敗が定めでござった。

保明はテキパキと変更を指示します。上野介の傷は浅く、内匠頭の身柄は田村右京太夫に預かってもらっています。祝宴の式場を白書院から黒書院に変更、ご馳走役を内匠頭から戸田能登守に変え、行事予定は滞りなく行う予定です。湯殿から戻ってきた綱吉は、慮外者めが! とうろたえます。

刃傷事件は加納久通によって紀州藩邸にも伝えられます。加害者の内匠頭の名を聞くと、強情で短気な性格を知る松平頼純はうーんと唸ります。綱教は無事とのことで、鶴姫はホッと胸をなでおろしますが、照子は水野重上に、綱教の身辺警護を怠りなくするよう忠告します。「こりゃ弱った……上様のお成りまであと4日じゃと申すのに……」と頼純は頭を抱えます。

面目を失うた綱吉公は激怒をなされ、田村右京大夫どののお屋敷に大目付をお遣わしの上、浅野内匠頭長矩どのに即日切腹の儀、仰せ付けあそばした。勅使の手前とは申せ、かかる性急な処分は前例を見ず、幕臣の中には異を唱える御仁もござった。なかんずく正義感の強いご老中・土屋政直どのは、真っ向から上様にご諫言仕った。

政直は、申し分も聞かず取り調べもせず、即日切腹を命じるのは短慮すぎると諫言します。あくまで喧嘩両成敗を主張する政直に、保明は指南役である上野介が指図するのは当然であり、事件の際に脇差を抜かず神妙だったことを告げます。政直は経緯を明らかにしないまま、もし浅野家断絶となれば、浅野家臣は幕府に遺恨を抱き、後日変事が起こると忠告します。

 

3月18日、上様は4年ぶりに紀州屋敷にお成りあそばした。此度は鶴姫さまのご生母お伝の方もお供なされ、ご一家で花の宴をお楽しみでござった。この日はついに将軍家お世継ぎのお話はなく、ひそかに期待していた紀州家は殊の外落胆いたし申した。数日後、頼方どのは兄ぎみにより大役を仰せ付けられ、芝白金の上杉藩邸を訪れ申した。覚えておいでかな? 上杉藩主綱憲どのは吉良上野介どののご嫡男でござる。また奥方の栄姫さまは頼方どのの姉君でござる。

上杉江戸屋敷に入った頼方は、上野介の見舞いに綱教の名代としてやって来たわけです。応対した綱憲は義弟にあたる頼方を丁重にもてなします。後から来た上野介は、赤穂藩士が自分を仇呼ばわりしていると告げ、頼方に親戚の誼(よしみ)でもしもの時には加勢してもらいたいと依頼します。隠居を迫られ、屋敷も取り上げられようとしていると、自分が悪者になっていることに上野介は悔しさを噛みしめます。

されど江戸の町衆はやはり判官びいきにて、浅野内匠頭どのに同情の声が日に日に高まり申した。やむなく吉良上野介どのはご公儀に隠居を申し出られて、本所松坂町下屋敷に引きこもり申した。大雨の夜、上野介が乗った駕籠が上屋敷から下屋敷へ、人目を忍ぶように向かいます。

播州赤穂城の引き渡し、内匠頭の弟である浅野大学の閉門(謹慎)が無事に済み、保明から報告を受けた綱吉は、保明嫡男の柳沢安貞と対面します。安貞の顔をじっと見て目を見開く綱吉は、顔の作りと手の作りを自分と見比べます。

綱吉は桂昌院に、15歳になる安貞こそ自分の子だと言い出します。あまりの発言に桂昌院は唖然とします。爪の形が自分と同じで、安貞の母であるお染も15年前までは自分の愛妾であったと胸を張る綱吉に、めったなことは言うなと桂昌院はたしなめます。「ことの真意はこの桂昌院が直々に確かめ申す。それまではご他言無用! 真であれば天下を揺るがす大ごとじゃ!」

そうとは知らぬ紀州綱教公、参勤交代のために5月の東海道を一路和歌山へお向かいなされた。ところが旅の半ばでお供をしていた頼方どのが高熱を発し、和歌山へご到着のころは人事不省に陥り申した。疱瘡(ほうそう)にかかった頼方は、和歌山城に入るとすぐに運び込まれます。疱瘡は防ぎようもなく薬も効かず、死亡率5割の恐ろしい病でござる。

子福者であった光貞も、若い娘たちに先立たれた経験もあり、死なせてはならぬ! と多くの僧侶を投じて祈祷を行わせます。高熱に苦しむ頼方の枕元ではお紋が必死に手を合わせ、傍らでは久通がじっと頼方を見守ります。光貞も仏間で夜を徹して祈り続けます。病状は一進一退でござった。一時は危篤状態に陥り申した。ご生母お紋どのはいたたまれず、西国巡礼二番札所の紀三井寺に駆けつけ、懸命に御祈祷なされた。

数日後、お紋は芋粥を手に頼方の居室に向かいます。疱瘡であばた面だったせいか、頼方は顔面を包帯でぐるぐる巻きされていました。脈をとった薬師は、おめでとうございます、と光貞に頭を下げます。祈りが天に通じて、ついに疱瘡が快癒したのです。包帯を取ることも薬師に認められ、久通がゆっくりと取っていきます。

取るにしたがって露わになる顔面……その場にいる面々が固唾を飲んで見守ります。そして全ての包帯が取れ、久通は手鏡を頼方に手渡します。自分の顔を見た頼方は、心配をかけたことを詫びます。「この親不孝者めが!」と光貞は叱りつけますが、紀州の梅干しとともに芋粥をかき込む頼方に大笑いです。お紋は微笑みながら涙を浮かべます。

 

作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (松平頼方)
阪本 浩之 (頼方(吉宗の少年時代))
大滝 秀治 (徳川光貞)
小林 稔侍 (加納久通)
山田 邦子 (お紋)
辰巳 琢郎 (徳川綱教)
野口 五郎 (頼職)
榎木 孝明 (柳沢保明)
黒沢 年男 (水野重上)
竜 雷太 (三浦為隆)
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斉藤 由貴 (鶴姫)
夏木 マリ (お伝の方)
松原 智恵子 (鷹司信子)
五大 路子 (栄姫)
床嶋 佳子 (大典侍)
中田 喜子 (右衛門佐)
藤村 志保 (照子)
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藤間 紫 (桂昌院)
柳生 博 (吉良上野介)
名古屋 章 (土屋政直)
藤岡 琢也 (松平頼純)
津川 雅彦 (徳川綱吉)
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制作統括:高沢 裕之
演出:尾崎 充信

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第10回「恋ごころ」

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