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2025年4月29日 (火)

プレイバック八代将軍吉宗・(16)はだか大名

ははぁ……これっきり……。さればでござる。「武士は食わねど高楊枝」などと申しまするが、懐寂しきはやはり切ないもの。まして殿さまともなると多くの家臣領民を養わねばならず、これは笑い事ではござらぬ。

実は吉宗公が藩主にお成りのころ、紀州藩の財政は危機に瀕しており申した。そもそも収入の半分は広大な江戸藩邸の経営に吹っ飛び、参勤交代の費用も赤字の元。まあこれはどちらの大名もご同様かと存ずる。また鶴姫さまのお輿入れ、再度に渡る綱吉公のお成り、これも祝い事なれば致し方ござらぬ。紀州藩の不運をあえて申せば、江戸赤坂の藩邸が10年ごとに3回も焼けたこと。国元の度重なる干ばつ・風水害。そして光貞公、綱教公、頼職公の三代の藩主が次々にご逝去あそばし、ご葬儀とご法要に莫大な費用がかかり申したこと。

さればでござる。若くして五代藩主の座に就かれた吉宗公、いかにしてこの難局をお凌ぎあそばすやら、まずはお手並み拝見つかまつる──。


宝永4(1707)年正月・紀州江戸藩邸。西条藩主松平頼純は改めて、長男頼雄を廃嫡し次男頼致を嫡男としたと報告します。豊島半之丞は、廃嫡に至った経緯を尋ねますが、頼純は財政再建を話し合う場だと答えをはぐらかします。家臣も領民も倹約を主張する三浦為隆ですが、吉宗は領民を苦しめるのは筋違いと、倹約令は士分限定で出すよう命じます。

すぐにでも和歌山入りして再建に力を尽くしたい吉宗ですが、三浦為隆はある程度再建へのめどを立ててからと進言します。頼純は、正室の前に和歌山で側室に子が出来れば、お家騒動の元だと笑います。吉宗に隠居伺いを立てていた半之丞ですが、吉宗は半之丞の隠居を認めず療養を勧めます。半之丞は自身の後任に加納久通を推薦し、吉宗は久通に100石加増し300石で御用役番頭に命じます。

水野重上はもう一人取り立ててほしいと有馬氏倫を推挙します。氏倫はとても顔が広く、押しも強く、諸大名の内情を知っているので何かと重宝なのです。氏倫は久通同様100石加増の350石を求めます。何から始めるのがよいか吉宗に問われた氏倫は、家宣への挨拶と進物と答えます。幕府に10万両借金がある以上、返済延期のためにも更なる借金を求めるためにも、次の将軍に顔を売っておけというのです。

真宮理子の居室を訪れた吉宗は、天真院から達筆と聞いていた理子に書の手ほどきを依頼します。御三家の当主がろくに文も書けず、奥で手ほどきと知れれば沽券にかかわると、口止めすることも忘れません。さらに吉宗は理子に、“お家の事情により”子を作らねばならないと伝えます。ポッとほほを赤らめて平伏する理子です。

そのころ江戸城西の丸では、お古牟が懐妊したと判明し徳川家宣は大喜びです。大奥御座所では、それを知った鷹司信子は徳川綱吉に遠回しに隠居を求めます。家康のように大御所として家宣を導けと諭しますが、家宣はひよっこだと綱吉は反発します。信子は「天下万民は上様のご隠居を今か今かと待ちわびておりまする。晩節を汚すことなく進退を明らかになされますように!」と声を荒げます。

 

さればでござる。“寄らば大樹の陰”と申して、目先の利く利口者が時の権勢になびくは世の常でござる。柳沢吉保邸を訪問した家宣ですが、梅が散れば桜が咲くと言った定子に対して「梅はなかなか散りませぬ」と間部詮房は皮肉で返します。家宣は自分が遅咲きの桜に例えられて笑いますが、すぐに将軍になる気はないが、民を苦しめる悪法は一日も早く改めたいと語気を強めます。

吉保は、生類憐れみの令は綱吉の孝養の現れとかばい立てしますが、家宣は吉保に、我が意を得んと欲するならば進んで隆光を懲らしめよと命じます。隆光大僧正は桂昌院の庇護のもと、天下の悪法『生類憐れみの令』を作った張本人。いかなる経緯かは存じ申さねど、驕る平家は久しからず。ついに2月25日、ご公儀より隠居の儀を仰せ付けられ駿河台屋敷に引きこもり申した。

その翌日、かねてより病床にお就きの天真院さまが、紀州赤坂藩邸にてご逝去あそばされた。御亡き骸は池上本門寺にて火葬、ご分骨は和歌山報恩寺に納められ申した。これにて紀州藩はまたまた半年間の喪に服することと相なったのでござる。氏倫は、かかり(費用)を減らすために天真院付きの女中や小者には暇を取らせるよう進言します。

「俺は飯を減らすぞ」と言い出した吉宗に、久通は大食漢の吉宗には無理だと真顔です。食いすぎるよりマシだと頷く氏倫は吉宗の貧相なお召し物(着物)に異議を唱え、久通とケンカになります。有能な人材が不仲では紀州のためにはならず、力を合わせてこそ真の忠義だと諭す吉宗は、江戸では氏倫を、和歌山では久通を上席とします。「ん! 下がってよし!」と吉宗は脇息を叩き壊します。

7月11日、家宣公側室・お古牟どのはめでたく若君をお産みあそばした。お七夜の祝宴には諸大名に先立って、御三家のご当主がお招きを受け申した。こなたは尾張藩主・徳川吉通(よしみち)どの。こなたは水戸藩主・徳川綱條(つなえだ)どのでござる。家宣は若君に「家千代」と名付け、子は万民の宝と綱吉も嬉しそうです。

かつて水戸光圀は、光友・光貞・光圀は去り、綱誠・綱教・綱條の世となった──。それがいつの間にか、吉通・吉宗・吉孚の世だと綱吉は笑います。まだまだ現役の綱條ですが、綱吉隠居に合わせて自分も身を引きたいと申し出ます。綱吉は「わしは……まだまだ隠居はせぬぞ」と家宣を横目で見ながらつぶやき、表も奥も公家風のしきたりを重んじる昨今の風潮について御三家の意見を求めます。

朝廷の家臣であるからそのしきたりを奉ずるのは当然と吉通が主張する横で、吉宗は華美を排して質素を旨とし雅より武を尊ぶのが本分と主張します。武門の作法は平家の作法であり、すなわち朝廷の作法に準ずるものだと家宣は反論しますが、元はどうあれ我らは生まれながらの武士(もののふ)と吉宗は自説を曲げません。綱吉は家宣に、吉宗の申し状は傾聴に値すると、心に留め置くよう命じます。

江戸城から紀州江戸藩邸に戻る途中、駕籠に乗る吉宗はとても窮屈そうです。行列を止めさせ、駕籠を降りた吉宗は裃(かみしも)を脱ぎだし、上半身はだかでスタスタと歩いていきます。必死に止める久通ですが、夏ははだかが一番と教えたのは久通なのです。そういわれてしまっては、久通も止める言葉をなくしてしまいます。

 

廊下を歩いていく詮房を呼び止める喜世ですが、その顔色は優れません。家千代誕生のことが喜世の気持ちをどん底に落としていることは明白です。喜世は御簾中熙子にも気に入られず、いっそお暇を賜りたいと吐露します。喜世を推挙した詮房は、照る日もあれば曇る日もあると喜世を励まします。「わしからも殿に申し上げておく。お喜世どのは誰よりも美しい、とな」

さればでござる。当時の江戸の人口はおよそ100万人。ただし1歳未満の子どもは数に入れぬのがならわしでござった。なぜならば赤子の生存率は極めて低く、5人産まれて2人育てばまずは上々と、ご承知おき願いたい。さてそこで訃報をお告げせねばなりませぬ。将軍家に大きな喜びをもたらした家千代ぎみは9月28日、生後わずか3か月足らずでご他界あそばした。

西条江戸藩邸では、兄頼雄の廃嫡を取り消してほしいと頼致が頼純に頭を下げます。紀州藩主になり損ねたと口を滑らせただけと民衆は嘆いていて、もし頼雄が自害でもしたら大問題と頼致は心配するのです。しかし頼純はその心配はないと頼致を見据えます。「頼雄は隠れキリシタンじゃ。留天の手引きでいつの間にやら……他言はならぬぞ」

宝永4年10月4日正午すぎ、紀州に大地震がござった。各地で山は崩れ地は裂け、日高の海岸は大津波に襲われ、南部(みなべ)山内村のごときは人と言わず家屋と言わず一村まるごと流出いたし、目を覆わんばかりの惨状にござった。氏倫は当座の御用金は松坂の三井から借りるよう進言します。商人から借りることに抵抗を覚える吉宗ですが、背に腹は代えられません。

続いて11月23日、富士山の大噴火がござった。突然の地鳴りとともに大地が大揺れとなり、空は黒雲に覆われて江戸中におびただしい灰が降り申した。3日経っても4日経っても地震は続き、砂も灰も降りやまず、人々は生きた心地は致しません。武蔵・相模・駿河の三国は野も山も田畑もおびただしい土砂に覆われ、その災害は計り知れぬものがござった。やがて富士山の山腹に新しい峰が盛り上がり申した。さよう、後に宝永山と名付けられた峰でござる。

度重なる天変地異にたまりかねた綱吉公は、名僧の誉れ高い伝通院祐天に吉凶をお尋ねあそばした。祐天は、地にあるはずの砂が天から降るのは、お犬さまのために人を殺すのと同様に尋常ならないと発言します。綱吉は見据える信子に隠居はしないと宣言します。「かかる折に隠居をすれば、家千代が死んだのも富士山が噴火したのも、わしのせいになるではないか!」

吉宗とともに朝餉をとる理子は、ことあるごとに“子を産め”という吉宗に、女は子を産む道具なのかと思いをぶつけます。結婚して1年、ずっと吉宗を慕ってきた理子は、自分のことをどう思っているのか不安に感じているのです。吉宗は“宮さま”と慰めようとしますが、「宮さまではございませぬ!」とふくれてしまいます。吉宗は心得違いを詫び、たった一人の妻であると見つめます。

その夜、久しぶりに須磨と再会した吉宗ですが、須磨は自分のことは忘れてほしいと言い出します。近づくとスッと遠ざかり、姿を消してしまいます。吉宗は須磨と別れたくなくて何度も須磨の名を叫びますが、理子に起こされて夢だと気づきます。「わしは何か言ったか?」と問われてあいまいに返事した理子ですが、確かに須磨と言っているのを聞いてしまった理子は、複雑な心境です。

 

作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
賀来 千香子 (須磨)
小林 稔侍 (加納久通)
柄本 明 (松平頼致)
榎木 孝明 (柳沢吉保)
堤 真一 (徳川吉通)
すま けい (有馬氏倫)
黒沢 年男 (水野重上)
竜 雷太 (三浦為隆)
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名取 裕子 (喜世)
松原 智恵子 (鷹司信子)
山崎 直子 (真宮理子)
姿 晴香 (定子)
藤村 志保 (天真院)
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藤岡 琢也 (松平頼純)
山本 圭 (徳川綱條)
細川 俊之 (徳川家宣)
石坂 浩二 (間部詮房)
津川 雅彦 (徳川綱吉)
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制作統括:高沢 裕之
演出:清水 一彦

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第17回「綱吉の薨去」

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