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2025年4月25日 (金)

南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第0回 プロローグ

Kassyブログで「バス・電車」カテゴリーとしては、令和元(2019)年11月2日以来となる記事です。みなさまお久しぶりです。このブログも意図せず“ほぼ大河ドラマブログ”になっていまして、何か記事を書けたらいいなあと思いつつ、思いついてははかなく消え、試しに書いては公開前に挫折し、を繰り返し、今日まできてしまいました(笑)。

このカテゴリーではいろいろなシリーズをつづってきました。いまリストで振り返ってみると、令和元年5月15日には『バス停について本気出して考えてみた(281)』で、終点停留所「平等寺」を紹介しています。この平等寺バス停も今春のダイヤ改正でバス路線廃止となり、廃止前に紹介できたことだけが幸いという気もしています。

バスネタを振り返らなかった間にも、バス、特に地元西鉄バスに関する環境が大きく変わり、正直Kassy自身もついていけてない部分も多々あります。新しく変わっていることも失念して、「え!?」なんてこともザラです。バスファンのおともだちは、そんなKassyにいやな顔ひとつせず、いろいろと教えてくれるのでとてもありがたい存在です。これからもどうぞよろしくお導きください。


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令和7(2025)年3月31日(月曜日)、午後7時56分。定刻より5分遅れて「[22]南ヶ丘経由下大利駅ゆき」が「平田」バス停に到着しました。バスはいったんバス停に停車しますが、乗車のお客さんはおろか降車のお客さんもおらず、数名のお客さんを乗せたままバスは静かに出発しました。写真の腕前はまちがいなく“悪い”ので、ボヤッとした画像になっていますが、みなさまの大きな心で見てやってください(笑)。

運命のいたずらか、Kassyの師匠ともいえる存在の御大・ちょんびんさんが、お隣の「緑ケ丘」バス停で最終バスを撮影していたという衝撃的事実は、実は5日前のとある会合にて初めて知りました(笑)。なんというこのニアミス! そしてKassyが今も知らない、バスファンのフォロワーさんが、もしかしたらこの最終バスに乗っている可能性も……? もしそういう方がいらしたらこっそり教えてください。

 

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Kassyがなぜこのバスを1時間近く待ち続け、写真の腕前が“ない”のにも関わらず撮影したのか。それはみなさまお気づきの通り、この日この便をもって、行先番号[22]番の下大利駅ゆきが廃止になるからであります。“路線廃止”というよりは、“路線短縮”といったほうが正確かもしれません。ともかくこの平田バス停から出発する路線バスは、この日をもっておしまいなのです。

Kassyは考えました。幼いころから見てきたこのバス路線、高校生、大学生、そして社会人になってからも何度となく利用してきた、Kassyにとって馴染みのあるこのバス路線が終わる。ここは地元民として、この“パッとしない”(…失礼w)、バス路線に光を当てたい。であれば将来への記録として、お世話になった証として何かしら残したい──。

このシリーズでは『MGO48』というわけがわからないタイトルになっていますが、MGOとは言わずもがな「南ケ丘」という路線名です。この行先番号(22)番のバス路線について、歴史をいろいろと調べて判明したことをつづっていこうと思います。なおKassyブログは、1本の記事が「長すぎる」とよくクレームをいただくので、なるだけ短文を心がけますね。

西鉄バスのバス路線のむかしを掘り返した時、Kassy自身の生年(昭和50(1975)年)よりもはるか昔から運行されていることがあり、「ああ、オイラよりも先輩だあ」と尊敬を感じずにはいられないという場面もよくあります。そんなつもりでこの(22)番のバス路線について何気なく調べた時、「あれ?」と思うことがありました。そのことがきっかけで、もっと深く掘り下げて調べてみたい! という意欲につながったのですが、その内容について、次回から紹介していければと思います。


今回は、この記事を書くに至った経緯をご紹介しました。次回は、この(22)番誕生の“きっかけ”となった1969年(昭和44年)の出来事について紹介したいと思います。なお、(22)番は1969年生まれではありませんw

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