« 南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第0回 プロローグ | トップページ | プレイバック八代将軍吉宗・(16)はだか大名 »

2025年4月27日 (日)

南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第1回 いきなり開設じゃなくて、他者の力を借りるのもいいよね

前回は、地元を走る馴染みのバス路線が一部廃止となり、その証を残すために路線についていろいろ調べ、このシリーズを書くことにした……というきっかけを簡単に……そう、ホントにさらっとご紹介しました。今回はさっそくその具体的な内容に入っていきたいと思います。

(22)番の路線開設に当たっては、後から調べてみたら昭和44(1969)年の出来事が大きく関係しています。昭和44年という年はどういうものだったのか、ざっとおさらいして掘り下げてみましょう。

昭和44年当時の内閣総理大臣は、かつて門司駅助役や二日市駅駅長などを歴任された経歴を持つ佐藤栄作氏。東京都知事は美濃部亮吉氏。この年のNHK大河ドラマは、大河史上初めてカラー放送となった『天と地と』、今年の大河『べらぼう -蔦重栄華乃夢噺-』にも松平武元役で出演されている石坂浩二さんが主演を務めていました。

ほかにも、田宮二郎さんや山口 崇さんの名司会で有名な『クイズタイムショック』、時代劇『水戸黄門』、ザ・ドリフターズのバラエティー番組『8時だョ!全員集合』など、伝説的なテレビ番組が放送開始された年でもありました。アニメ『サザエさん』はこの年から現在まで放送が続いており、松竹映画『男はつらいよ』は48作品まで作られる長寿作品になりました。

交通機関に限ってみれば、羽後交通横荘線や磐梯急行電鉄線などの全国の地方路線、川崎市や大阪市の市電などが廃止される中、高速道路が順調に延伸され、国鉄、現在のJRバスグループが各地で運行する、高速道路経由の夜行バス路線『ドリーム号』が運行開始されたのもこの昭和44年でした。

 

太宰府市(当時は太宰府町)で見てみると、このころには人口が増加の一途を辿り、湯ノ谷、国分ヶ丘、白川、観世、国分台、水城台など、国鉄鹿児島本線(現 JR)や西鉄大牟田線(現 天神大牟田線)、旧国道3号線(現 県道112号線)を中心としたエリアで宅地開発が進んでいました。【太宰府市役所『太宰府市歴史的風致維持向上計画』】より

お隣大野城市(当時は大野町)においてもこれは同様でして、曙町、栄町、雑餉隈町、錦町、瑞穂町などが発足する中、南西部に宅地開発されたのが南ケ丘団地でした。旧南ケ丘一丁目~四丁目の「一区」エリアが発足したわけです。その南ケ丘団地までバス路線が出来たのが、この昭和44年4月1日でした。

Dsc_1366

下大利駅←→南ケ丘団地──定期バスが走る
当町の南部(上大利・牛頸)に大団地が造成されていて、一部では早くも家が建ちこんできています。
これら団地の足の便となる定期バスが、四月一日より西鉄下大利駅と南ケ丘団地間に走り出しました。
途中に三ケ所の停留所(上大利・日の浦・南ケ丘団地入口)ができ、一日に十七往復というひんぱんさで運行されています。
【大野城市役所『広報おおの』昭和44年4月1日号】より

「南ケ丘団地」バス停は旧南ケ丘四丁目バス停、現在の南ケ丘一丁目バス停です。そして17往復というのはおよそ毎時1便、朝か夕方のラッシュ時に2便程度運行されるような頻度です。道路は元純農地帯だけあって田んぼの中を通る砂利道でまだ舗装されておらず、大型車が離合するのは見た感じ多少難しいような道路事情だったようです。

のちに旧南ケ丘五丁目~十丁目の「二区」エリアが発足して「南ケ丘十丁目」まで延伸され、さらに牛頸を経由して「平野ハイツ」へ再延伸。その後にも旧南ケ丘十一丁目~十四丁目も発足し、南ケ丘団地はとてもとても大きな団地に成長したわけです。

順農地帯にバス路線を走らせるには、需要面でもいろいろハードルが高いと思われますが、この南ケ丘団地を中心につつじケ丘や緑ケ丘、長浦台や青葉台など次々と大型住宅地が開発され、この南ケ丘団地へのバス路線があったからこそ、Kassyが取り上げた(22)番のバス路線が“延伸”という形で開設することが出来たのではないかと思います。


実は昭和44年にはもう1つ、(22)番開設に大きな影響を及ぼす出来事がありました。そのあたりのお話を次回に。

|

« 南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第0回 プロローグ | トップページ | プレイバック八代将軍吉宗・(16)はだか大名 »

バス・電車」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第0回 プロローグ | トップページ | プレイバック八代将軍吉宗・(16)はだか大名 »