« 大河ドラマべらぼう -蔦重栄華乃夢噺-・(16)さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい) | トップページ | 南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第0回 プロローグ »

2025年4月22日 (火)

プレイバック八代将軍吉宗・(15)花嫁教育

さればでござる。松平頼方どのは宝永2(1705)年10月、図らずも紀州藩5代目の藩主におなりあそばし、その名も『徳川吉宗』とお改めでござった。御年22歳。大きな声では申せませぬが、吉宗公のご相続には多少のすったもんだがござり申した。2代、3代、4代藩主の相次ぐご逝去、なかんずく4代頼職公については、毒を盛ったの盛らないのと……かような良からぬ噂もござり申し、さらにご公儀への仮養子願が出ており申さず、これはお家断絶になりかねない失態でござった。

かかるゴタゴタを握り潰し、見て見ぬふりをしたのは、この近松の見るところご老中の方々でござる。幸いにしてご老中土屋政直どの、大久保忠増どのはかねてより紀州家とご昵懇。同じく井上正岑(まさみね)どのは、吉宗公の叔父・松平頼純どのの娘婿でござった。いやいやそればかりではござりますまい。紀州家を潰せば御三家の力の均衡が崩れ申す。尾張家が断然強くなり、これは幕府にとってもやっかい至極。御三家は三者三すくみにしておくにしかず と、これがご老中の魂胆。いやいや、エゲレス語で申せば“バランス感覚”でござりまするな──。


宝永3(1706)年正月・紀州江戸藩邸。新藩主徳川吉宗は、祝い客への応対とあいさつ回りで多忙な日々です。立派になった吉宗に目を細める天真院は、吉宗に縁談を持ち込みますが、許嫁(いいなずけ)の須磨がいると吉宗はかたくなに拒否します。しかし天真院は、昨晩光貞が枕元に立って……と話し出します。困惑する吉宗に、天真院は「なりませぬ」と有無を言わせません。

数日後、天真院さまの命により、伏見宮家への使者が上洛いたし申した。吉宗公と真宮理子(さなのみや まさこ)さまとのご縁組のためでござる。もちろんこれには吉宗の葛藤があり、“立場が変わった” “須磨は和歌山で側室に”と加納久通に説得されますが、この期に及んでも吉宗は、須磨との約束を守ろうと必死に抵抗します。

さて、こちらは和歌山城。先代頼職公ご逝去をめぐる不穏な空気も、ようやく落ち着きかけており申す。藩主生母の浄圓院のために用意された居室に恐縮する浄圓院ですが、そこに真如院が乗り込んで、頼職側近を押し込めた三浦為隆らと言い合いになります。別室でと勧める豊島半之丞に、頼職は吉宗の親であり、そのまた親の自分は祖母にあたると真如院は言って、黙らせます。

まもなく深覚院頼職公の近習に厳罰の処分が下され申した。許しなく勝手に髻(もとどり)を切り、先君の喪に服した罪です。半之丞は内藤忠元・渥美久忠・三井高清の3人に知行召し上げの沙汰を伝えます。未だに頼職逝去に納得がいかない忠元は、再度の詮議を求めますが、為隆はこれを許さず、3人は連行されていきます。

紀州はゴタゴタしているなぁ、と西条藩主の松平頼雄はまるで他人事です。ただ頼雄も頼職逝去の件はあまりすっきりしておらず、もし忠元らが幕府に訴え出れば紀州家はひっくり返り、自分が紀州藩主となって弟の頼致が西条藩主になっていたものを、と未練タラタラです。それを聞いている頼致は何とも言えない表情を浮かべます。

 

新旧交代の風はここ江戸城にも吹いており申す。右衛門佐が亡くなったそうです。鶴姫も桂昌院もお染も亡くなり、将軍徳川綱吉は寂しさでいっぱいです。鷹司信子もお伝の方も気鬱で、綱吉自身もパッと花見をした“とて”気が晴れず、今は大典侍のみが頼りです。次期将軍徳川家宣のいる西の丸は賑やかで、隠居をして好きに暮らしたいとこぼす綱吉を、大典侍は励まします。

家宣の元には、柳沢吉保から金銀造花の盆栽が献上されます。いよいよすり寄ってきたかと家宣は、他大名がこぞって真似をしないために、盆栽を家臣に下げ渡して受け取りを拒否します。家宣どのの側用人・間部詮房どのは、柳沢吉保どののお計らいによって7,000石のご加増を賜り、若年寄に準ずる扱いをお受けでござった。3,000石に7,000石で今や1万石の大名にご出世でござる。

そこに御簾中熙子が来て、お須免(新典侍)が懐妊したことを伝えます。家宣はとても喜び、局部屋に控えるお須免に会いに向かいます。衝撃で落胆する古牟(右近の方)と喜世(左京の局)ですが、新参者に先を越されましたなァ、と熙子は追い打ちをかけます。さらに熙子は、お喜世が正室たる自分の許しなく、勝手に江戸城三の丸の桂昌院に伺うという僭越な振る舞いを非難します。

 

3月11日、真宮理子姫は紀州藩主吉宗公とご縁組のため、京の都をご出立あそばし、27日に江戸へご到着。御年16歳の理子姫は伏見宮貞致(さだゆき)親王のご息女にて、天真院さまの姪御さまにあたらせ給い申す。しかし吉宗は理子に会おうともしません。久通は弓矢の稽古をする吉宗の前に立ちはだかって、対面を強く求めます。

一向に現れない吉宗を待つ理子と天真院たちです。頼純は、すぐに婚礼をすべきところ深覚院の一周忌法要を終えてからと説明します。頼致は、吉宗は巨漢で力持ちと笑いますが、重上は慌てて天文学に通じ算術も得意と情報の埋め合わせをします。天真院は、紀州藩は武を尊ぶ家柄で、宮家育ちには馴染めない仕来りもあろうと理子を思いやり、一日も早く武門の家風に親しむよう諭します。

遅いのう! と頼純がイライラし始めたころ、ようやく吉宗がやって来ます。乱暴に応対する吉宗ですが、理子が顔を上げるとその表情に吉宗は目を奪われます。何かお言葉をと頼純は勧めますが、しかしひねくれ者の吉宗がむくむくと起き上がってきました。「美しい姫ぎみじゃ。飾り物としては申し分なし!」

真宮理子姫は青山の別邸にお入りあそばし、ご婚礼のお仕度に日々をお過ごしでござった。吉宗公はこの別邸に一度もおみ足をお運びになさらず。久通は、祐筆に命じて歌を送り心を通わせるよう進言しますが、武門の家系と言い張って吉宗は抵抗します。そこに大学頭の林 信篤が訪問します。

大学頭信篤どのは将軍家お抱えの朱子学者にて、紀州藩はこの大物学者に三顧の礼を尽くし、若い藩主の指南を請うたのでござる。信篤は、名君とは学のあるないに関わらず“聡明”であること、すなわち優れた耳と澄んだ目を持つことと説きます。我が意を得たりと吉宗は飛んできた蚊を叩きつぶします。

さればでござる。林 大学頭どのが東の横綱ならば、西の横綱は新井白石どのでござろう。江戸城西の丸で家宣に指南するのは白石です。白石は、歌舞音曲を愛で見物するのは結構であるが、自ら舞台に立って演じるのは見苦しいと説きます。徳川家康も秀忠も能楽が得意でしたが、少なくとも将軍である間は舞台に立ったことはないと説明すると、家宣は腑に落ちた様子です。

将軍家に林 大学頭どの、お世継ぎ家宣公に新井白石どのと、錚々(そうそう)たるお抱え学者がござれば、お側用人・柳沢吉保どのには新進気鋭の荻生徂徠どのがついてござった。家宣から受け継いだ甲州江戸藩邸では、吉保と徂徠が酒を楽しみます。家宣に忠節を誓うべく献上した造花も下げ渡され、綱吉とはまるで違う対応に吉保は戸惑います。

定子は、お須免が流産したことを吉保に報告します。宝永3年7月24日のことです。吉保は「夢の夢こそ憐れなれ」とつぶやきます。家宣公のご期待もむなしく、ご流産なされたお須免どのは、柳沢どのよりご献上の側室でござった。

 

蒸し暑いこの夏、紀州の分家・西条藩にお家騒動が持ち上がり申した。頼雄が老中井上正岑(まさみね)に、父頼純の隠居を勝手に願い出たわけです。それだけではなく、紀州本家の代替わりに不満を漏らし、急養子願を出さなければ自分が紀州藩主であったのにと公言したそうです。誰かの讒言と弁明する頼雄ですが、激高した頼純は蟄居を命じます。家臣の渥美勝之は頼雄を励まします。

渥美甚五郎勝之どのは伊予西条藩筆頭家老にて、知行700石、奥方は頼純公ご長女留天(るて)さまでござった。頼純は吉宗に、不行状の数々に頼雄を廃嫡し、頼致を嫡男とすることを報告します。穏やかで領民にも慕われる頼雄が不行状とは寝耳に水で、とても驚く吉宗たちですが、その処分の理由については頼純は明らかにしようとはしません。

頼雄の母親は頼純の正室、頼致の母親は側室で、双方の讒言合戦に端を発するものではないかと久通は推測します。叔父頼純の思い違いかもしれないと、吉宗は吟味を尽くさねばならないと考えますが、これは他人事ではありません。久通にも次男が生まれましたが、兄弟げんかをせねばよいがと今から心配するのです。「廃嫡は辛いが、惚れた女を捨てるのはもっと辛いぞ」と吉宗は月を見上げます。

そのころ和歌山では、須磨が暇乞いを求めていました。吉宗が理子を正室として娶ったことで、身分の低い自分が目障りだと考え身を引くのです。浄圓院は、このままとどまってほしいと須磨の手を握って懇願します。吉宗は優しい子で、須磨を大切にしてくれるだろうと見込んでのお願いです。須磨は涙を浮かべます。

紀州家ではこの年、三代綱教公、二代光貞公、四代頼職公の一周忌法要が次々に営まれ申した。そしてようやく喪の明けた11月1日、江戸藩邸にて五代藩主徳川吉宗公と真宮理子姫のご婚儀がめでたく執り行われ申した。その夜吉宗は、武士には武士の誇りがあると理子に告げ、都風のしきたりが幅を利かせる現在の風潮を批判します。

それでも吉宗は武士の本分を貫くつもりです。吉宗は理子に、武士の妻になると約束するなら大切にするが、なれないなら自分にも考えがあるとどちらかの返答を求めます。武士の妻になります とか細い声で返答する理子に、都からついてきた侍女たちを早々に追い返せと命じます。そんな無理難題も受け入れる理子の覚悟を感じ取った吉宗は、「俺には過ぎたる妻じゃ」と理子を抱き寄せます。

 

作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
──────────
西田 敏行 (徳川吉宗)
賀来 千香子 (須磨)
小林 稔侍 (加納久通)
山田 邦子 (浄圓院)
柄本 明 (松平頼致)
寺泉 憲 (松平頼雄)
榎木 孝明 (柳沢吉保)
津嘉山 正種 (荻生徂徠)
鈴木 瑞穂 (林 信篤)
黒沢 年男 (水野重上)
竜 雷太 (三浦為隆)
佐藤 慶 (新井白石)
──────────
名取 裕子 (喜世(左京の局))
三林 京子 (真如院)
床嶋 佳子 (大典侍)
山崎 直子 (真宮理子)
姿 晴香 (定子)
草笛 光子 (熙子)
──────────
藤村 志保 (天真院)
細川 俊之 (徳川家宣)
藤岡 琢也 (松平頼純)
石坂 浩二 (間部詮房)
津川 雅彦 (徳川綱吉)
──────────
制作統括:高沢 裕之
演出:清水 一彦

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第16回「はだか大名」

|

« 大河ドラマべらぼう -蔦重栄華乃夢噺-・(16)さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい) | トップページ | 南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第0回 プロローグ »

NHK大河1995・八代将軍吉宗」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 大河ドラマべらぼう -蔦重栄華乃夢噺-・(16)さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい) | トップページ | 南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第0回 プロローグ »