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2025年5月22日 (木)

南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第5回 バス路線の作り方

前回は、下大利駅から福岡農業高校(福農前)へのバス路線が開設されたことに関連し、当時のバス車両の写真から、現在使用されている[22]番という「系統番号(行先番号)」が、当時は「無番」であったこと、さらには後に(21)番を付番されたことをご紹介しました。

ところで、バス路線ってどうやって新設されるのでしょう。例えば前にご紹介した福農前までの路線延伸は、福岡農業高校が福岡市南区塩原地区の区画整理事業で移転を求められたことがきっかけで、『福岡県福岡農業高等学校の移転に関する条件』に「四、その他の条件について (七) 生徒通学の便のため、バス路線の実現については十分な措置が講ぜられること」という一文を加えたことから始まりました。

前にもご紹介した通り、「通勤通学バスを通すことは、移転条件にも明記してあったが、西鉄の対応は極めて堅かった。一時は全く絶望的だった」と当時の校長の手記にもあるような状況ながら、移転理由が理由だけに、福岡県の副知事ほかの協力努力を得て路線延伸にこぎつけたような形になります。【福農百年誌編集委員会『福農百年誌「耕」』昭和53年】より

それも話の前提として、「まったくバス路線のない地域に新たにバス路線を引く場合」と「途中まではバス路線がすでに営業されていて、そこから分岐・延伸という形で新たにバス路線を引く場合」とでは別の難点が出てくるわけで、一概に「路線の引き方」として答えは一つ、というわけではないことは押さえておくべきだと思いま……あれ? オイラ何を言っているんだろう? ww

 

「(22)番」(まだこのシリーズでは(22)番は出てきていないのですが)の次の出来事としてご紹介したいのが、「県立武蔵台高校の開校」です。バス路線開通に向けての行動経緯が【福岡県立武蔵台高等学校『創立五年史』昭和59年】に詳しいので、参考としてご紹介してみたいと思います。

昭和55(1980)年

4月5日 県立武蔵台高校開校式 (於 筑紫野市中央公民館)
(本校舎は建設中のため、筑紫野市二日市の「市立歴史民俗資料館」横に建てられたプレハブ仮校舎で授業が行われていました。【筑紫野市史編さん委員会『筑紫野市史』平成11年】より)

10月17日 筑紫野市塔原において本校舎起工式を行う。

11月25日 バス路線新設について、総代、農協、商工会、観光協会など地元・関係機関と打ち合わせ 西鉄二日市駅発 武蔵台高校行のバス路線新設について、全員で強力に運動していくことで一致。

12月9日 西鉄自動車局にバス路線新設について陳情 校長・PTA会長・筑紫野市会議員・筑紫野市役所総務課長/自動車局自動車営業部長・営業課長・宇美営業所長
(当初バス路線を『二日市線』の一つとして捉えていたようで、二日市線を担当していた宇美営業所が新路線の窓口となった模様)

12月26日 西鉄から来校。杉塚交差点の角切り、昭和町交差点の停止線の移設、学校前に信号機の新設等について要望あり。この要望について学校から土木事務所に要望に行く。

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ここで3つ固有名詞が出てきましたね。西鉄二日市駅から要望バス路線を武蔵台高校方向へ進んだと想定した場合の位置関係です。地図の右から左方向に進んで見てみると、「昭和町交差点」は西鉄二日市駅から国道3号線(現 県道112号線)に出て左折した最初の「右折交差点」です。
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平成19(2007)年10月15日撮影。画像ではわかりづらいですが、ここは若干の鋭角交差点であり、大型バス同士の離合が難しいほど狭い箇所です。その狭い道に右折で入ってくる形なので、内輪差を考慮すると国道に交差する道(右折した先の道)の停止線を下げなければ曲がれないということを言っています。
続いては「杉塚交差点」、こちらも地図をご覧頂いたらお分かりの通り、塔の原方向からきて県道31号線に「左折」する鋭角交差点です。そして「学校前交差点」は、県道31号線から学校へ右折する時の、あるいは学校から県道31号線に左折する場合の、バス運行を円滑にするために必要だったのでしょう。

 

昭和56(1981)年

1月9日 西鉄から来校。杉塚交差点のガードレール移設、昭和町交差点の右折について要望あり。

1月23日 学校から警察署に陳情書を提出。

1月26日 杉塚交差点について学校から土木事務所に要望。

1月30日 昭和町交差点を右折して南ケ丘と結ぶ一般路線を考慮しているので、右折禁止解除について県警本部に陳情すると西鉄から連絡あり。また路線バスではなく特定バスを走らせた場合の金額について西鉄から提示。

ここで新たな動きです! これまでは「二日市線」として西鉄二日市駅からのバス計画線が、「南ケ丘線」として西鉄下大利駅からのバス計画線と合体するわけです。実は南ケ丘や長浦台地区近隣の住民から、西鉄二日市駅へのバス路線を望む陳情が昭和54年ごろからあったようです。そして下大利駅と二日市駅をバス路線で結んだ場合、“盲腸線”となる武蔵台高校への乗り入れについて、まだまだ解決すべき諸問題が残っており、“特定バス”とした場合の料金について提示があったとあります。もし諸問題が解決なされなければ、高校へはスクールバスとして運行されていた可能性もあったわけですね。

2月4日 西鉄と打ち合わせ。
2月16日 警察署と打ち合わせ。
2月25日 西鉄から来校。
2月27日 警察署と打ち合わせ。
3月4日 警察・西鉄・学校の三者会談。
3月7日 普通教室12、理科棟、体育館竣工。
3月9日 運輸省に早期認可を陳情。(~11日)
3月12日 西鉄から来校。
3月24日 陸運局と西鉄を訪問。
3月26日 仮校舎より筑紫野市塔原の本校舎に移転。

3月30日 西鉄から来校。路線バス担当営業所を宇美営業所から雑餉隈営業所に変更。

4月2日 西鉄から来校。駐車場(バス転回場?)の件打ち合わせ。
4月6日 始業式・入学式。
4月9日 土木事務所と打ち合わせ。
4月13日 土木事務所と打ち合わせ。

5月7日 雑餉隈営業所長交替。

5月25日 運輸省に陳情。(~29日)
5月27日 土木事務所と打ち合わせ。杉塚交差点の角切り問題について、諸般の事情により当分の間は困難との回答。
6月9日 西鉄と打ち合わせ。杉塚交差点右折が困難なため、朝のみ学校に乗り入れ、その他は杉塚交差点で乗降と提案。教育庁に訪問。
7月21日 バス停留所新設について施設課に予算要求書提出。

7月29日 西鉄から来校。6月9日の学校提案について「その線について運行予定」と回答。
(このあたりで新路線について大まかな形が見えてきました。ここから先はバス路線の具体的な話し合いが行われていきます。なお“朝のみ学校に乗り入れ”の事情については次回ご紹介する予定です)

7月31日 運輸省に陳情。
8月7日 警察署・土木事務所・西鉄・学校の四者会談。
8月12日 バスダイヤ問題で西鉄と打ち合わせ。
8月22日 バスダイヤ問題で西鉄と打ち合わせ。
8月25日 バス停留所問題で西鉄と打ち合わせ。
9月17日 バス停留所問題で西鉄と打ち合わせ。
9月18日 バス路線許可の件で陸運局・教育庁訪問。
9月21日 学校前の信号機作動開始。定周期式信号機。
9月24日 バス停留所問題で西鉄と打ち合わせ。
9月27日 バスダイヤ問題で西鉄と打ち合わせ。
9月30日 バス路線新設に伴う負担金について西鉄から学校に要望。
10月5日 学校から教育庁に文書提出。
10月13日 バス路線新設について西鉄と最終打ち合わせ。
12月14日 学校下のバス停留所並びにバス折返し場所竣工。工事費146,800円。
12月18日 バス路線新設に関する報告会。筑紫野市・商工会・総代・農協・観光協会/学校。

12月25日 新設バス路線運行開始。西鉄二日市駅にて筑紫野市長・商工会長・校長によるテープカット。武蔵台高校バス停にて生徒会代表より運転士に花束贈呈。

 

バス路線新設について昭和55年11月25日に動き出してから13か月、4月の始業式・入学式には間に合いませんでしたが、なんとかバス路線開設にこぎつけました。武蔵台高校は西鉄二日市駅から2.8km離れていて、周囲にはバス路線もなく、現在では最寄りとなるJR都府楼南駅も設置されておらず、電車組にとってはなかなか不便な通学を強いられましたが、めでたしめでたしというところです。

ただ場所によっては、昭和58(1983)年10月に走り始めた(23)番つつじケ丘線のように路線が決定し、バス車両の確保、停留所位置や運行ダイヤ等、万全の体制を早期に整えつつも、バス路線の一部(平田バス停~つつじケ丘入口付近)の工事が遅れており、市道認定がずれこんで開設が1年遅れてしまうケースもあり。ちなみに市道に認定されるためには、道路工事完了後、県知事の認可→市議会での認定→市の告示など、種々の手続きすべてを完了する必要があるそうです。【太宰府市役所『市政だより太宰府』昭和58年2月1日号】より


次回は、今回でバス路線が乗り入れるようになった「武蔵台高校」バス停について、ちょっと詳細に見ていきたいと思います。

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