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2025年5月20日 (火)

プレイバック八代将軍吉宗・(19)名君づくり

さればでござる。
6代将軍家宣公は代替わりとともに、70万両をかけて江戸城本丸の大改築に着手。宝永6(1709)年11月の完成を待って、西の丸からお引越しなされた。同時に御台所と3人の側室、お2人の若君も大奥へご移住あそばした。これに伴い先代の側室お伝の方は二の丸へ、新典侍どのは馬場先の御用屋敷へ移され申した。大典侍どのはそのまま北の丸にお残りでござった。

幕府ではこうしたご遺族を「おかかりびと」と申し上げた。これすべて新将軍の扶養家族でござる。いやはや、相続も大変でござりまするな──。


宝永7(1710)年正月、徳川吉宗は的場で鉄砲を撃って的中させます。そこに松平頼致が懐妊のお祝いに駆けつけ、吉宗は「おお、あれも命中いたした」と笑います。若君でありますようにと願う頼致ですが、「俺を見くびるな。俺は外さぬ」と言って放った弾は見事に外れます。吉宗が紀州入りするにあたり、もし産まれたのが姫なら仮養子を置かねばならないわけですが、吉宗は無用だと答えます。

3月、家宣公のお招きにより御台所の御実父・太閤近衛基煕公が江戸へご下向あそばした。太閤とは関白を辞したお方の尊称でござる。間部詮房が有職故実の達人である基煕に助言を求めると、基煕は生類憐れみの令を撤廃し罪人を赦免したこと、江戸城内に宮中の典礼儀式を取り入れたことは殊勝の極みと評価します。その上で四位以上の高官が殿中の礼装に狩衣を着用するのは笑止と指摘します。家宣はさっそく改めることにします。

実に下らぬ! と吉宗は不快です。新たに発布された武家諸法度には、新井白石の文案が登用されました。公私混同を戒め無理を通すべからずと律し、賄賂を禁じ縁故によって政道を得するなと、新たに内容が加わったわけですが、家宣こそ側室の縁故の一族を多く取り立てていて、頼致は「笑わせるな」と吐き捨てます。家宣の治世はこけおどしに過ぎないと吉宗は考えます。「花はあるが実はない」

横に寝ているお腹の大きくなった真宮理子に、紀州の嫡男は長福丸(ながとみまる)と決まっていると告げます。しかし吉宗は参勤交代で和歌山に向かわねばならず、その和歌山で吉報を待つと理子を励まします。理子は言いようのない不安を感じつつ、必ず江戸へ戻ってくるよう吉宗に伝えます。

 

4月27日、吉宗公は身重の御簾中を江戸に残してご出立なされた。藩主としては初めての参勤交代でござる。いで立ちは極めて質素、随行する家臣の数も大幅にお減らしでござった。途中松阪で久々の鷹狩りをなされ、和歌山へご到着あそばしたのは5月8日でござった。この時凛々しく着飾って出迎えた国表の家臣は、吉宗公のお姿を見て皆々恥じ入り申した。

家臣たちの前で吉宗は、さっそく訓戒を与えます。紀州家は代々武門の家柄で、武士は武芸を尊び質素を旨とせねばならない。華美軟弱の趣は断固として排すべし。その上で、家中に永目付を置き、横目付には城下を常に巡視させ、ぜいたくな身なりを厳しく取り締まる。一の橋門外には訴訟箱を設置し、藩政についての意見を広く求める、と決めます。

紀州藩にも将軍家ご同様、3人のおかかりびとがござった。いずれも2代藩主光貞公の側室でござる。吉宗は質素倹約は奥向きも同じことと、日々のかかりも使用人もなるべく減らすよう、奥を預かる真如院(志保)に求めます。吉宗は5年にわたり紀州を不在にしていたわけで、不便をかけた報いとして所望のことを1つずつ承ると告げます。

真如院は、吉宗は頼職の養子として紀州藩を相続したわけで、奥向きの筆頭として“大夫人”か“御前さま”呼びを求めます。聞是院は家督を継いだ弟中条平助の重役取り立てを希望します。所望を固辞する浄圓院ですが、何なりとと促されて「お寺を1つ寄進してくれぬか?」と言い出します。3年前の津波で広村の養源寺が流され、住職が托鉢で資金を募るも、再建が困難だったのです。吉宗は寄進を約束します。

吉宗が愛した須磨とも5年ぶりの再会です。吉宗は江戸で正室を娶り、すでに身重であることを伝えます。須磨と交わした約束を違えたことを詫びますが、須磨が気にしているのは御簾中理子への思いです。吉宗は理子を、清らかな心を持ち済んだ眼差しをしていると高く評価します。「いっぺんに2人の女子に惚れるのはおかしいか?」 いいえ、と須磨は首を横に振ります。

横目付の取り締まりが厳しく、訴訟箱を恐れて家中は怯え切っています。吉宗は人気取りで藩主になったわけではなく、自分のやり方で財政を立て直したいという気持ちが先行しすぎています。三浦為隆はアメとムチが肝要と言い、藩主は名君でなければならないと諭します。仕える家臣には誇りとなり、民には慕われる領主……。「殿はアメだけをお与えなされませ。泥は我らがかぶりまする」

さっそく訴訟箱が吉宗の前に運ばれてきました。吉宗は誰にも触れさせず、直接吟味するつもりです。箱を覗き込むと中からネズミが飛び出します。慌てふためく家臣たちですが、ポンと叩いてネズミを気絶させた田沼専左衛門を褒めたたえます。そしてついに箱が開けられ……吉宗はがっかりします。1枚も入っていなかったのです。

吉宗は馬小屋を視察します。案内するのは頼職の元傅役であった内藤忠元です。馬には金を惜しまないよう指示する吉宗ですが、壁にかけられている紙袋に目をつけます。馬卒(馬の世話役)が仮眠の際、蚊の大軍に食われるのをしのぐのです。吉宗は久通に命じます。「それでは暑かろう。馬卒どもに蚊帳を与えよ! ……これでよいか?」

吉宗公は隠居して久しい加納政直どののお屋敷をご訪問なされた。政直どのは吉宗公の育ての親でござる。政直を父上、お常を母上と呼び、お常は恐縮しますが、孝行者を表彰するにあたり、藩主が範を示さねばと率先しての行動です。ともかく立派な姿にお常は目を潤ませます。

政直は吉宗をまじまじと見つめて「どなたじゃったかいの?」と尋ねます。次男久通が慌てて吉宗公と説明しますが、理解していないようです。吉宗は源六の名を出すと、なんじゃあ! とたちまち笑顔になります。わんぱくをしたな? と吉宗のほほをつねる政直に、吉宗はされるがままです。「どなたじゃったかいの?」「源六にござります」「おおお……」 その会話に、お常も久通も、そして吉宗も涙します。

和歌山城に戻り、酒を酌み交わす吉宗と久通です。久通にとっても久々の実家で、すっかり年老いボケてきた政直の姿は久通も吉宗も衝撃でした。そこに専左衛門が江戸からの早馬が来たことを告げます。「恐れながら御簾中さま、ご流産の由にございます」 しまった! と吉宗は盃を落として驚愕します。5月22日、御簾中真宮理子さまは姫君をご流産。間もなく危篤状態に陥られ申した。

吉宗公の祈りもむなしく、あえなくご逝去あそばした。浄圓院は経を唱えて弔い、須磨は吉宗にそっと寄り添います。吉宗は放心状態で、かわいそうなことをした……そばにいてやりたかった……と涙にくれます。ご遺体は池上本門寺にて火葬。和歌山の報恩寺にご分骨が送られ、盛大な法要が営まれ申した。憐れ御年20歳。諡(おくりな)は「寛徳院」。

 

江戸城では隻眼の小笠原長重が老中を辞めると言い出し、家宣の引き止めにも耳を貸しません。眼病で辞職は口実に過ぎず、長重は成り上がりの能役者(=詮房)と同列に仕事をするのが耐えられなかったわけです。話を聞いた林 信篤も心中は複雑です。こなた林 大学どのも、新井白石どのに恥をかかされて面目を失い、懐に辞表を持ってのご登城にござったが、これは慰留され申した。

こちらは家宣公の側室・お須免の方とお喜世の方。お世継ぎを巡ってのさや当てが激しゅうござる。お須免は自分の子・大五郎は3歳、お喜世の子・鍋松は2歳なのだから、礼を尽くせと言ったことから穏やかに言い争いに発展します。お喜世は、優れた子がお世継ぎになるのが理の当然と言い張ります。「何をもって優れているか?……今にお分かりになりまする」

ところがどうしたことか、残暑厳しい8月13日、年長の大五郎どのが下痢を起こし、幼いお命を散らし申した。我が子を亡くしたばかりのお須免の方は、お喜世が毒を盛ったに違いないと御台所熙子に涙ながらに訴えます。めったなことを、と熙子はたしなめます。この一件にてお須免どのとお喜世どのの争いには一旦終止符が打たれ申したが、鍋松ぎみの御生母お喜世どのは勝ち誇ったように、だんだんと大奥での勢力を広げ始めたのでござる。

お喜世は家宣の前に元禄小判を2枚出します。横に座る江島はその小判同士をカチカチとぶつけ合わせると、小判が真っ二つに割れてしまいます。割れなかった方は城内で使用している小判、割れた方は町方で出回っている小判で、割れた方には銀の混じり方があまりに多いとの江島の説明に、由々しきことと家宣は立腹します。お喜世は江島と宮路の手柄と胸を張ります。ちなみに家宣の方針に従い、お喜世はお美代を江島に、お菊を宮路に名を改めさせています。

お喜世はさっそく熙子から雷が落とされます。小姓の切腹に横やりを入れて取りやめさせるなど、将軍の治世に口を挟むなと厳重に注意します。さらには家宣が政道の緩みを正している最中、出入り商人を増やして袖の下を受け取り、花見や芝居見物の誘いに乗るなど、お喜世の行動は目に余るのです。お須免の戯言と言い訳するお喜世に、熙子は激怒します。「わが身をとくと振り返るがよい!」

基煕は、白石の建白書をとてもよくできていると褒めます。勉学を身に着けるコツを基煕に問われ、「ものを知らぬこと」「恥を知ること」と説明します。家宣によれば、白石はものを問われて知らないことがあると、全身に“恥イボ”が出ると笑わせます。ますます気に入った基煕は白石に、中御門天皇即位の儀を見学するために上洛を勧めます。「恥イボをたくさん作って参れ。はっはっは」

 

和歌山城では吉宗が家臣たちを集め、分家西条藩が津波に襲われ、困窮が極まっていると現状を伝えます。吉宗は紀州藩の米3,000俵を西条藩に援助することを決め、家臣たちには出費の倹約を求めます。出仕の際は上役に確認し無用の者は速やかに帰宅させ、無駄に居残って公費を使うことにないよう命じます。

夜、吉宗を訪ねた為隆は、もはや老臣の出る幕ではないと隠居を申し出ますが、吉宗に慰留されます。綱吉に柳沢吉保あり、家宣に詮房あり、吉宗には三浦為隆ありなのです。為隆は“飛車”、水野重上は“角”、これをなくして吉宗は勝負に勝てません。吉宗の説得に為隆は感涙します。ちなみに吉宗公は大の将棋好き、筆頭家老三浦為隆どのは時の名人伊藤宗銀に免許皆伝を受けた腕前でござった。吉宗は為隆と将棋盤を囲みます。

浄圓院は、須磨の江戸行きを勧めます。須磨は、浄圓院を差し置いて江戸に赴くのは筋違いと固辞しますが、正室を亡くした心のむなしさを若い須磨が癒すしかないと諭します。もし親孝行をしたいために江戸に母を連れて行くというなら、住み慣れた和歌山がいいわけで、江戸には須磨、和歌山には母がちょうどいいとつぶやきます。「吉宗を! 助けてくだされ!」

宝永8(1711)年3月、参勤交代の吉宗公は江戸へ向かわれた。この行列の中には、側室お須磨どののお姿もござった。

 

作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
賀来 千香子 (須磨)
小林 稔侍 (加納久通)
山田 邦子 (浄圓院)
柄本 明 (松平頼致)
すま けい (有馬氏倫)
牟田 悌三 (加納政直)
鈴木 瑞穂 (林 信篤)
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名取 裕子 (喜世)
三林 京子 (真如院)
あべ 静江 (美代(江島))
山崎 直子 (真宮理子)
丘 みつ子 (お常)
草笛 光子 (熙子)
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細川 俊之 (徳川家宣)
菅原 謙次 (近衛基煕)
竜 雷太 (三浦為隆)
佐藤 慶 (新井白石)
石坂 浩二 (間部詮房)
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制作統括:高沢 裕之
演出:内藤 慎介

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第20回「論争の鬼」

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