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2025年5月 6日 (火)

プレイバック八代将軍吉宗・(17)綱吉の薨去

宝永4(1707)年11月23日、富士山の大噴火がござった。家宣公の家臣・新井白石どのは、この日の模様をつぶさに記しておられる。さればかいつまんで申し上げる。

『昨夜大きな地震がござり、この日の正午には雷のごとき音が聞こえ申した。登城の折は雪が降り出し、よく見れば雪にあらず。白い灰でござった。西南の空に黒雲が湧き起こり、稲妻らしきものがしきりに光り申した。西の丸にたどり着くころは白い灰が地面を覆い、草木もすべて真っ白でござった。夜分にはまた地震がござり、大地がゆらゆら揺らぎ申したが、これが富士山の噴火と知ったのは三日目のことでござる。その後12月のはじめまで灰が降り続け、人々はみな咳に悩まされ申した』
(『折りたく柴の記』は新井白石の自叙伝)

ご覧あれ。この中腹の噴火口が後の宝永山でござる。この大噴火によって武蔵・相模・駿河の三国は、灰と土砂に埋め尽くされ申した。明けて宝永5(1708)年 閏正月、幕府は灰と土砂を取り除く作業にかかり、諸大名には100石にあたり2両の拠出金を命じられた──。


100石にあたり2両となると、55万5,000石の紀州藩は1万1,100両の拠出金を負担することになります。藩主の葬儀が相次ぎ、昨年は大地震や津波による災害もあって、とても払える額ではありません。勘定奉行荻原重秀は、諸大名に等しく負担してもらうことが大事であり、紀州だけ特例を認めれば他の大名もこぞって値切り出すと反論しますが、何と言われてもない袖は振れません。

天変地異なのだから、諸大名の拠出金に頼る前に幕府が助けるのが筋と吉宗は突きますが、柳沢吉保も金銀改鋳で得た600万両もすでに使い果たしたと説明します。「使い果たして上納金に頼るとは幕府の怠慢でござろう。幕府は無駄金を使いすぎる!」と徳川吉宗は激怒します。吉宗がつけている裃(かみしも)は木綿でできており、これが紀州の質素倹約であると胸を張ります。

人払いをした綱吉は、家督が“転がり込んで”きた自分と吉宗は境遇が似ているとつぶやきます。若い綱吉には気骨がありましたが、治世はままならず。この風潮は家宣の代には強まりそうですが、家宣は若くなく嫡男もおらず、近い将来血筋が途絶えるかもしれません。「ひょっとすればひょっとするぞ。そちにお鉢が回ればわしの遺志を継いでもらいたい。わしはな、そちのような息子が欲しかった」

水野重上は拠出金捻出のため、家臣の知行から10分の1を借り上げすると提案します。しかし吉宗はその半分、20分の1でいいと返答します。松平頼純によると、綱吉に直談判して拠出金を半額にしてもらったというのです。しかし重上や有馬氏倫は、綱吉は時に空手形を出すと冷ややかです。吉宗はいやしくも時の将軍から出た言葉と、もし取り消させた時には力づくで納得させるつもりです。

 

さてこちらは尾張藩邸。吉通どののご生母本寿院どのが大変なご剣幕。こなたは綱誠公の実弟にて吉通公の後見を相務める松平義行どのでござる。本寿院は吉通の妹・磯姫を将軍養女に差し出す件を聞いておらず、義行と対立します。本寿院からすればそんな大事を知らせないのは由々しきことで、義行にすれば吉通の母だからといって口出しは無用と言いたいわけです。

この年の春、綱吉公は尾張吉通公の異母妹・磯姫さまを養女にお迎えあそばした。2人目の養女を幼くして亡くした綱吉は、償いとしても磯姫を将軍養女として良いところへ嫁がせるつもりです。綱吉は間もなく隠居すると初めて口にします。「孝養を尽くしてくれよ。優しくしてくれよ」 綱吉の涙に、鷹司信子も伏し目がちになります。

綱吉の隠居で、身辺はとても寂しいものになります。だからこそ磯姫を養女に迎えたと大典侍に説明する綱吉ですが、大典侍は兄・清閑寺煕定の娘(当年5歳)を養女にしてほしいと願い出ます。一方、お須免がまた身ごもったと知った家宣はとても喜びます。「おそらくは年内に“6代将軍の子”として生まれましょう」と説明する熙子は、綱吉が近々隠居する意向を固めたとこっそり伝えます。

熙子のように、大奥の確かな情報として綱吉の隠居を掴む場合もあれば、柳沢吉保が命じて広大な土地を測量しているという事実から、綱吉の隠居御殿造営地ではないかと隠居に結び付ける氏倫の例もあります。氏倫は西の丸の家宣へ、お須免懐妊のお祝いを届けるよう吉宗に進言しますが、生まれてからでよいと吉宗は撥ねつけます。

吉原で豪遊する紀伊国屋文左衛門ですが、将軍の代替わりについて座敷は盛り上がります。将軍の座が綱吉から家宣に移れば、世の中は変わり、生類憐れみの令もなくなると大笑いです。これからは大っぴらに魚が食えるようになり、犬や猫をいじめても罪に問われることはないと豪語します。江戸の巷も耳が早うござるなァ。新しい御代の到来は誰もが願っていたのでござる。

藩政が立ち行かなくなった頼純は、緊急で西条藩に戻ります。紀州から西条への年2万両の援助を3万両に増やしてほしいとの申し出があり、吉宗はうーんと言葉に詰まります。ただ落ち穂をかき集めてでも援助する気持ちでいっぱいです。頼純どのは老骨に鞭打って伊予西条に旅立たれた。親亀こければ子亀もこけ申す。幕府の財政破綻は諸国の大名商業の台所を大きく揺さぶり申した。

綱吉公は磯姫さまのお輿入れ先を加賀百万石の藩主前田綱紀どのの嫡男・吉徳どのとお決めあそばした。加賀藩と尾張藩は親戚であり、前田利家の妻の名が“まつ”であるのにあやかり、綱吉は磯姫の名を“松姫”に改めさせることにします。綱紀は、磯姫が11月にお輿入れの際“まだ上様”か“大御所さま”かと尋ねます。綱吉はすっと厳しい表情になります。「隠居はまだまだ先じゃ」

綱吉がへそを曲げた、と吉宗は笑います。加納久通は綱吉が将軍でいるうちに、借金の返済期日の延期などいろいろな約束を取り付けるよう進言します。吉宗は星空を見上げ、綱吉は老い家宣も若くなく、ひょっとすればひょっとするぞと綱吉の受け売りをします。さてその時どうするか……と考えていた時、犬のフンを踏んでしまいます。「夢を見る前に足元を見ることが肝要でござる」

 

7月、綱吉公は大典侍どのの姪御をご養女にお迎えあそばし、その名も竹姫さまと名付けられた。綱吉は、武姫を会津藩主松平正容の嫡男・松平久千代に娶(めあわ)せることにします。風邪気味の松姫を労わる綱吉は、武姫を抱っこして高い高いと喜ばせますが、イタタタタと座り込みます。腰をつったのです。

あ、いや……さてこの年は、天変地異の余韻と申しましょうか、夏から秋にかけて疱瘡(ほうそう)と麻疹(はしか)が大流行り。当時の麻疹は子どもだけの病ではござらぬ。大の大人が次々に高熱を出し、全身に発疹を生じてそのまま死ぬる者も大勢ござった。おお苦っ……。このやっかいな伝染病は所構わず身分構わず、まことに無礼でござる。12月には江戸城の奥にまで立ち入って猛威を振るい、なんと綱吉公にも襲いかかったのでござる。あぁーいかんいかん、それがしも頭が痛い……。

宝永5(1708)年12月22日、お須免どのは玉のような若君をお産みになられた。お喜びの家宣公は若君のお名を「大五郎」とおつけあそばした。明けて宝永6(1709)年正月、将軍綱吉公はお年のせいかご病状芳しからず。なり代わって家宣公が大広間にて年賀の礼をお受けあそばした。その綱吉公も徐々に快方に向かい、早々と笹湯をお使いになられた。笹湯と申すは快気祝いのおまじないにて、湯に酒とネズミのフンを混ぜて入り申す。

昨晩、元側用人牧野成貞と元老中大久保忠朝が快気祝いに綱吉と対面したそうです。歯は抜け髪は落ちた二人ですが、なんと76歳と78歳でした。笹湯を使うのは早いのではとお伝の方は心配しますが、誕生日を迎えた64歳の綱吉はまだまだ生きられると立ち上がります。しかし急に寒気が襲い、顔色悪く倒れてしまいます。駆け寄る信子やお伝の方たちです。

見舞いに参上した吉保の手を握り、綱吉は世話になったと礼を言います。綱吉自身は一生懸命に政務に励んだつもりですが、世間では悪口ばかりです。綱吉は銭屋と両替屋を厳罰に処すよう吉保に命じます。「生類憐れみの令は、わしの死後も続けよ。100年後も続けよ。これがわしの遺言じゃ。あの世へ行って桂昌院さまに合わせる顔がない」と、『羽衣』を舞い始めます。

しかし身体の震えが止まらず、吉保に抱きかかえられて座り込みます。「あの世はどこじゃ……あの世へ行っても……将軍でいられるのか……?」 能衣装を求めた綱吉は、病床で横になったまま力なく舞い続けます。そして。

江戸城松の廊下で役人たちが忙しなく通り過ぎていきます。それを見送った吉宗の向かった先には、すでに水戸綱條と尾張吉通がいました。綱吉の快気祝いで集まったわけですが、そこに土屋政直が険しい表情で入ってきました。「謹んで申し上げます。今朝方、上様が身罷りました……薨去(こうきょ)なさいました」

あまりの突然の報告に吉宗はとても驚き、言葉を失います。綱條は快気祝いと聞いていたのに薨去とは納得できないと声を荒げ、このような事態の時には御三家には内々に知らせるべきだと政直を叱責します。「わしはな、そちのような息子が欲しかった──」 その間、吉宗は綱吉が言ってくれた言葉を繰り返し噛みしめ、涙を流します。

 

作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
小林 稔侍 (加納久通)
柄本 明 (松平頼致)
すま けい (有馬氏倫)
榎木 孝明 (柳沢吉保)
堤 真一 (徳川吉通)
山本 圭 (徳川綱條)
黒沢 年男 (水野重上)
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松原 智恵子 (鷹司信子)
夏木 マリ (お伝の方)
床嶋 佳子 (大典侍)
山崎 直子 (真宮理子)
五月 みどり (本寿院)
草笛 光子 (熙子)
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細川 俊之 (徳川家宣)
高松 英郎 (前田綱紀)
名古屋 章 (土屋政直)
藤岡 琢也 (松平頼純)
津川 雅彦 (徳川綱吉)
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制作統括:高沢 裕之
演出:尾崎 充信

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第18回「報復人事」

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