南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第3回 雑感福農前
前回は、(22)番のバス路線開通のきっかけとして「昭和44(1969)年」にスポットを当て、その年に起きた出来事として、福岡市南区塩原から移転することになった福岡農業高校の、移転先の太宰府町大佐野地区にバス路線開設を求める働きかけというエピソードをご紹介しました。
そして次回予告として「バス路線開設にあたっての地元民たるわたくしの所感を、次回にさらりと」と書いたのですが、筆者都合でこれはちょっと後回しに(笑)。ともかく、昭和51(1976)年4月7日、下大利駅から旧「南ケ丘四丁目」(現・南ケ丘一丁目)を経由して県道「板付・牛頸・筑紫野線」に入り、旧「福農前」(現・大佐野)までのバス路線が延伸されることになりました。
新規開設により通学に利用される路線バス。多くの高校生の他、教職員と思われる大人の姿も確認できる。バス停名は「福農前」だが、方向幕には「福岡農業高校」の表示。【福農百年誌編集委員会『福農百年誌「耕」』昭和53年】より 撮影場所:福農前バス転回場
【『福農百年誌「耕」』】より 矢印の場所がバス停位置
「福農前」バス停および転回場は、福岡農業高校のグラウンド下あたりに設置されました。現在の地形でいうと、アサヒアレックスグループ・株式会社ZUTTOさんの福岡オフィスのあたりです。大佐野南交差点の角に位置し、セブン-イレブン太宰府大佐野店の向かい側、今では大佐野バス停がすぐ横にあります。

画像左端の、道路がかくっと曲がっているところが現在の長ヶ坪交差点。角にファミリーマートがある、まほろば号がかくっと曲がってつつじヶ丘方面へ坂道を登っていく、あの交差点です。当時はその長ヶ坪交差点から高校グラウンド下に通じる「県道505号・板付牛頸筑紫野線」はできておらず、バス停で下車してグラウンド下の道をてくてく歩いて高校へ向かっていました。
その一方、「大佐野」(現・まほろば号大佐野公園前)で下車して田んぼ横のあぜ道を歩いて高校までショートカットされる方もいらっしゃったようです。位置関係でみると、旧道で福農前バス停に新道で大佐野バス停、旧道で大佐野バス停に新道で福農前バス停という、関西言葉でいう“テレコ”な関係にあるのがとても興味深いですね。

「福農前」まで路線延伸されたときのバス停は、
下大利駅
上大利
日の浦
南ケ丘四丁目
南ケ丘七丁目
南ケ丘五丁目(ここまで大野城市)
──────────
平田(ここから太宰府町)
大佐野
福農前
でした。現在のバス停数と比較すると、ちょっと少なめな印象です。今年3月31日の[22]番の路線短縮時点で、大野城市・太宰府市・筑紫野市の3市に渡って敷かれ、短縮後は大野城市エリアがカットされた路線ですが、誕生当時は大野城市・太宰府町の1市1町にまたがっているだけで、筑紫野市には乗り入れていなかったんですね。
昭和51年の路線開設当時にはさほど住民が多くなかったこのエリア、最寄り小学校は太宰府町立水城西小学校でした。その後大型団地がたくさんでき、子どもの数も激増したことから、昭和55(1980)年に太宰府西小学校が開校したわけです。住宅地の中に小学校ができますが、現在のように飲食店が並ぶにぎやかな街に成長するには、もう少し時間がかかることになります。
次回は、開設されたこの路線に関するちょっとした小話を、ご紹介したいと思います。
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