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2025年6月24日 (火)

南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第9回 落穂ひろい

最近暑いですね。みなさま、お久しぶりです。このシリーズのこと、つい忘れていたわけでも、もう書けるか! とさじを投げたわけでも、もうええわと飽きたわけでもありません。単に近ごろの急激な気候変動(暑さ)に負けておりまして、お休みの日のたびにしばらくぐーたら過ごさせてもらっていました。楽しみにしてくださっているみなさま、申し訳ございません(そんな神のような方、おられるのか???)

前回は、結果的には「(22)番」の新規バス路線は、西鉄二日市駅と下大利駅を「杉塚を経由して」結んで開設されたのですが、その一方で「通古賀を経由して」結ぶバス路線も計画されていたというお話をしてみました。

昭和51(1976)年4月7日に「下大利駅から福農前」まで開設されたバス路線が、昭和56(1981)年12月25日に「西鉄二日市まで」延伸され、みなさまおなじみの「(22)番」の路線の形態に近づいてきました。「(22)番」はこれからしばらくちょこまかした改正が続きますので、今回はそれをさらりとご紹介したいと思います。

なお、ここでご紹介する事がらは、福岡県立図書館にて閲覧したゼンリン住宅地図の表記から拾い出したものです。住宅地図といえども、年によってバス停がいきなり消滅している(そして数年後ひょっこり復活している)など、絶対的信頼性の資料とはいいがたい部分があるので、ざっくりと“〇〇年ごろ”という表現にしています。あくまで参考程度にご覧ください。

 

まず始めは、昭和58(1983)年ごろ?の「小水城バス停の新設」です。日の浦~南ケ丘四丁目間に新設されました。

「小水城」とは、日本の古代の城である「水城」と一連の構造物で、小規模の土塁です。近隣には小水城が点在していて、ここの小水城は「上大利小水城」と呼ばれています。ちなみに他には「大土居小水城」が西鉄バス一の谷二丁目バス停近くに、「天神山小水城」が西鉄バス天神山バス停からすぐ近くの住宅地の中にあります。

ここ「上大利小水城」跡、実は昭和49(1974)年に特別史跡へ指定されています。昭和55(1980)年9月、土塁南側の水田に宅地造成することになり、小水城の特別史跡追加指定に向けて第一回目の土塁確認調査が行われました。【大野城市教育委員会『上大利小水城跡2』令和2年】より 設置時期を見ると、特別史跡に指定されたからというよりも、単純にこの近辺に宅地が造成されたからというほうが近いかもしれません。

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【太宰府市役所『市政だより太宰府』昭和58年2月1日号】より これはこの南ケ丘線(22)番の兄弟路線、つつじケ丘線(23)番の開設を予告する記事の一部です。昭和58年2月時点で「小水城」バス停が存在することが分かります。

 

続いては、昭和59(1984)年ごろ?の「福農入口バス停の新設」です。大佐野~福農前、大佐野~杉塚の分岐部分に設置されました。

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設置されたのは地図上に示した赤丸の部分に標柱3本です。大佐野→福農前・杉塚/福農前→大佐野・杉塚/杉塚→大佐野という3方向が行き交う中で、標柱3本という“必要最小限”の本数です。こういったとてもエコノミーな使い方は、Kassyは実は好きですよ(笑)。この3か所のバス停のバス時刻表の再現版、先日のXで載せましたので、こちらでも再掲でご紹介します。

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こちらは「大佐野→福農前」「大佐野→杉塚」方向です。片側1車線のバス通りと、公民館に通じる細い道の分岐部分の小さなスペースをバスカットとして活用していました。……と書くと「すげえ!」となるかもしれませんが、バスカットといっても舗装されていないスペースで、バスがバス停に到着すると、ポコポコ開いた穴にタイヤが入って車両がグワングワンと揺れていたのがいい思い出です(笑)。

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こちらは「福農前→大佐野」「福農前→杉塚」方向です。いわゆる「福農前」を出発したバスが全便停車するバス停になります。ただバス停標柱は草やぶで隠れがちで、存在にはあまり気づきにくかったかもしれません。それと、第7回でお話しした、“武蔵台高校終点のバスがいったん福農前転回場に回送され、ここから西鉄二日市に戻る”という片道運行の便が7:48発にありますね。

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そしてこちらは「杉塚→大佐野」方向です。杉塚から福農前への系統が存在しなかったので、西鉄二日市からのバスが全便停車するバス停です。

 

そして今回最後にご紹介するのは、昭和62(1987)年ごろ?の「下大利一丁目バス停の新設」です。下大利駅~上大利間に設置されました。ここで思い当たるのは、バス停前にあった「ダイエー下大利店」の存在です。このショッピングセンターは、Wikipedia「イオン下大利店」によると昭和62年4月11日に開業していまして、バス停も(開業日に合わせて、でなくとも)この前後に設置されたようです。

 

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【太宰府市役所『市政だより太宰府』昭和58年2月1日号】より

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このあたりまでが、おおよそ“昭和時代の(22)番”です。このときのバス停は、

下大利駅
★下大利一丁目
上大利
日の浦
★小水城
南ケ丘四丁目
南ケ丘七丁目
南ケ丘五丁目(ここまで大野城市)
──────────
平田
大佐野
★福農入口
(福農前) (一部便・ここまで太宰府市)
──────────
(武蔵台高校) (一部便・ここから筑紫野市)
杉塚
塔の原
西鉄二日市

でした。ちなみにここに記載していない内容として、方向幕が一新されたという出来事がありました。このタイミングで系統番号(行先番号)が方向幕の右側に移り、系統色がグリーンからブルーに変わりました。だいたいいつごろの出来事だったのかは分かりませんが、このシリーズ第4回でご紹介した「平野ハイツ」バス停の写真が昭和60(1985)年に撮影されたものであることを考えると、この時点ではまだ系統色がグリーンだったので、昭和60~63年ごろのことではないかと思われます。色はみなさんのご記憶にあるスカイブルーより濃いめの青でした。

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※ イメージですw


次回はいよいよ南ケ丘地区のバス停名改正について、掘り下げたいと思います。次回もよろしくお願いいたします!

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