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2025年6月 4日 (水)

南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第7回 バス行くいずこ

前回は、「(22)番」の「グリーン色」を付番した系統番号(行先番号)、当時の新聞報道など、昭和56(1981)年12月25日に西鉄二日市駅と下大利駅を結ぶバス路線が開設された詳細を見てみました。

物心ついたころから存在するバス路線は、自分が生まれる“かなり前から”バス路線がそこにあって、とイメージしがちですが(……と少なくともKassyはそう思っているのですが、みなさまどうなんでしょう?)、資料を調べて行く先に「昭和56年12月25日」という開設日を見たKassyの正直な感想は、あれれ? でした。

昭和50(1975)年に産まれたKassy、昭和56年12月25日というと6歳、幼稚園の年長さんでした。通園には園バスを使っていましたが、そのルートを思い出すと、一部区間でこのバス路線を走っていたわけです。場合によっては西鉄バスとすれ違う場面もあったかもしれませんが、幼稚園生当時、路線バスやバス停という存在を認知していたか……。あ、ついでながら本日わたくし50歳の誕生日を迎えましたww

Kassyがはっきりと「西鉄バス」「バス停」を理解したのは翌昭和57(1982)年、小学校に入学した“ピカピカの一年生“の時でした。これまたバス路線の一部区間を通って小学校へ通っていまして、行き帰りでバスを見ることも多々ありました。その当時はこのバス路線がいつから走り始めたかなんて考えもしませんでしたが、登下校しながら見ていた、“昔からある”と漠然と思っていたバス路線が、実はまだ誕生から3か月程度しか経っていない新路線ということを知った時の衝撃といったら……!! すいません、あの……あまりニュアンスが伝わりにくくて、みなさん「ぽかーん」で、ひとりだけ興奮している様子が容易に想像できるのですが、大丈夫でしょうかね(笑)。

 

さて、気を取り直して。

第5回の記事中、昭和56年6月9日の出来事として、学校から西鉄に対し「杉塚交差点右折が困難なため、朝のみ学校に乗り入れ、その他は杉塚交差点で乗降と提案」したとありますが、今回はその「杉塚交差点右折が困難」という部分を掘り下げたいと思います。

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右折が困難な理由は、この交差点の形状にあります。杉塚バス停から武蔵台高校バス停への「鋭角交差点を左折」は、地図にあるように誘導路があるため何とか可能になりましたが、武蔵台高校バス停から杉塚交差点への「鋭角交差点を右折」の場合、対向車が次々とくる交差点において右折待ちをすることで、併行直進車の進路を止めてしまうというのが理由の1つだと思われます。

現在は片側2車線の計4車線に広がっていますが、当時の杉塚交差点は片側1車線区間でした。なのでこの交差点は、上図の矢印の補助を入れているように、直進と左折は可能ですが、右折は禁止されていたようです。ちなみに現在、左折の道は廃道となっているため存在しませんが、この交差点は直進のみ可で、下写真の矢印のように右折禁止は続いています。

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ここで【西日本鉄道株式会社『西鉄時刻表』昭和57年1月】より、路線開設当時の西鉄二日市の発車時刻表を再現してみました。(22)以外の系統にも目が行きがちですが、そこはグッとこらえていただいてw 西鉄二日市駅発のバスが2便だけ武蔵台高校バス停を通る設定です。

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ここで1つ疑問が。武蔵台高校へ向かうバス2便のうち、第1便は「西鉄二日市→武蔵台高校→下大利駅」なので、武蔵台高校に立ち寄ったバスは再び杉塚交差点に戻って左折し、本来のルートに戻ることが出来ますね。しかし赤線の第2便は「西鉄二日市→武蔵台高校」で高校終点となる便です。武蔵台高校に乗り入れ、通学生を降ろしたバスのその後は?

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これは西鉄二日市同様、武蔵台高校バス停に掲出されたであろうバス時刻表の再現です。武蔵台高校からは第1便の経由便しか出発しないので、第2便が営業して高校を出発するということはありません。ということは通常であれば、回送バスとなって西鉄二日市まで戻り、今度は“高校を経由しない”下大利駅ゆきとなって再び運行をするというのが多くの例かもしれませんが、前述のとおり杉塚交差点では右折禁止のため、西鉄二日市にも直接は戻れないわけです。

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その答えは、コチラにありました。赤線のように、福農前からナゾの西鉄二日市ゆきがあるのです。そう、武蔵台高校で高校生を降ろしたバスは、近隣の転回場を持つ福農前バス停へ回送され、そこから西鉄二日市へ営業運転、そして折り返し高校を経由しない下大利駅ゆきとして戻っていくのでした。

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【福岡県立武蔵台高等学校『創立十年史』平成2年】より

ちなみに、前回ご紹介したこの出発式の様子ですが、武蔵台高校ゆきと掲出されている方向幕を見る限り、これは第2便のことですね。第2便の18分前に第1便が、高校経由下大利駅ゆきとして出発しているのですが、この便が出発する時には出発式典は行われなかったのでしょうかねw 余計なおせっかいですが、7:00~7:30ごろに西鉄二日市を出発するバスを再現時刻表から時系列で並べてみました。

7:10 二日市温泉ゆき
7:10★武蔵台経由 下大利駅ゆき
7:17 太宰府ゆき
7:24 山口ゆき
7:24 吉木ゆき
7:27 むさしヶ丘団地ゆき
7:28★武蔵台高校ゆき
7:30 五条経由 松川ゆき

出発式典とはいえ数分はかかるもので、7:27発のむさしヶ丘団地ゆき、7:30発の松川ゆきに挟まれて、ドタバタでギュウギュウな出発式典だったのでしょう。お疲れさまでした!


これで南ケ丘線(22)番の基礎はできあがりました。しかし、実は「下大利駅~南ケ丘~西鉄二日市」に、今となっては幻となるバス路線計画が持ち上がっていたのです。このあたりのお話を次回に。

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