南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第8回 大佐野夢幻
前回は、「(22)番」の西鉄二日市駅と下大利駅を結ぶ新規バス路線について学校側が提案する際、「右折が困難」とされた杉塚交差点について、地図を交えて状況の詳細を見てみました。
前回までで、南ケ丘線の第一期路線は完成を迎えたわけですが、じつは計画段階で、今では幻となっている予定バス路線があったことはご存知でしょうか。大佐野バス停から旧国道3号線(現県道112号線)に出る「通古賀ルート」です。

“大佐野地区にバス路線” 住民生活の「足」確保に陳情 大佐野地域一帯は、主要地方道福岡・筑紫野線の整備を契機として、急速に開発が進み当町でも人口急増地域となっています。 その後、県道板付・牛頸・筑紫野線の改良等が行われ、さらに地域の発展に拍車をかけています。福岡農業高校も当該地区に移転し来春の開校を待っており、県住宅供給公社による開発も進められ、今年九月末には入居募集ということです。 ところで、この地域の交通機関利用ということになると、実に不便この上なく、まるで陸の孤島という感があります。 通勤、通学、ショッピング、レジャー等汽車に乗るにも距離的、時間的に大きな負担を強いられ生活の快適さなど望めないのが現状です。 そこで、町は地元および筑紫野市、福岡農業高校、県住宅供給公社等の協力を得て、この地域の交通手段確保のために西鉄に働らきかけを行っています。 現在、西鉄下大利駅から大野城市南ケ丘団地に至る既設のバス路線があります。この路線を延長し、板付・牛頸・筑紫野線へ乗り入れ、通古賀で国道三号線に出て西鉄二日市駅に至る路線の設定を図るものです。 これが実現すると地域の生活環境も向上するものと思われます。 【太宰府町役場『広報太宰府』昭和50年8月1日号】より原文ママ |

上記地図の黄線部分がその計画線です。この「通古賀ルート」では、福岡~甘木間の(40)番、西鉄二日市~宇美営業所間のバス路線を通るので、仮に開設されたら停車したであろうそのバス停も、当時の位置で記しました。また実際、大佐野から旧国道3号線までの区間は西鉄バスが走ることはありませんでしたが、現在は太宰府市コミュニティバス『まほろば号』が一部区間で走っているので、参考程度にそのバス停も付け足しています。
この記事が太宰府町の広報誌に載ったのが昭和50(1975)年8月、当時はまだ南ケ丘~福農前すらも開通していない時期です。この8ヶ月後の昭和51(1976)年4月7日に福農前まで開設されたところをみると、何らかの事情でこの「通古賀ルート」が計画とん挫し、昭和56(1981)年12月25日に「杉塚ルート」で開設にこぎつけた……とみることもできそうです。まぁ真相は闇の中なわけですが(笑)。
当時は九州自動車道がその年の3月13日に古賀インター~鳥栖ジャンクション間で開通し、その下をくぐる形です。ちなみに“南福岡インター”として計画されていたインターチェンジが、太宰府天満宮の西高辻信貞宮司ほかのみなさんの運動により“太宰府”の名を冠して“太宰府インター”としてスタートしたのは有名なお話。【森 弘子『西高辻信貞・わがいのち火群ともえて』昭和63年】より
そして「まほろば号大佐野東」バス停から「まほろば号都府楼南」バス停までのアンダーパスはなく、片側1車線道路で歩道もなく、田んぼの中を通って国鉄(現JR)の線路を渡っていました。現在ではこの区間そばに太宰府信号所があり、将来的に土地区画整理事業が完了すればJR太宰府駅(仮称)に昇格することになっていますが……。
この計画線が実現すれば、JR太宰府駅に乗り入れも不可能ではなかった!? いや、アンダーパスができた現在、JR太宰府駅に乗り入れるには、水城西小学校側の市道からアクセスしなければならないため直接の乗り入れができず、「まほろば号大佐野東」あたりにバス停を作って、そこからJR太宰府駅にアクセスするしかないかもしれません。
こういった計画線を知った時、自分ならどこにどういうバス停を配置する、ということを考えてしまうのがバスファンの悪い癖ですねw 「通古賀」「六反」は既設バス停なのでそのまま利用するとして、あとはやはり「まほろば号大佐野東」と「まほろば号都府楼南」のあたりにバス停を配置するというのが王道でしょうか。ともかく、ここのルートを西鉄バスが走っていたら、後に天拝坂団地が造成された時にどういうバス路線になるかなど、なかなかに興味が湧いてきます。
ちなみに別件で、「杉塚ルート」の沿線近隣の住民の方から、一時期ウチの前を(22)番が通っていた覚えがある! というお声をいただいたことがあるのですが、これについても調査しましたがハッキリとした記事には当たらず。
これについては──、旧大野町(現大野城市)の大野北小学校前の道で、昭和48(1973)年9月末まで舗装補修工事が行われていた数か月間、通行規制で大型車が通行できず、宇美~「中~山田」~雑餉隈へつながるバス路線を、宇美~「中~井の口~白木原~山田」~雑餉隈と大きく迂回していたという事例があり、この「杉塚ルート」も、舗装補修や水道整備など道路工事の事情だったのではないかと推測します。
さて、次回は……バス路線としてスタートを切ったこの(22)番、第二期を迎える前にちょこちょこと変更点がでてきました。そのあたりをさらりとご紹介したいと思います。
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