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2025年6月27日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(24)へその曲げ方

さればでござる。
正徳5(1715)年は徳川家康公の百回忌でござった。そこで尾張継友公は日光山東照宮にご参詣のお仕度を着々とお進めになられた。これを知った紀州吉宗公は、尾張を出し抜いてさっさと日光へお出かけあそばし、権現さまの御霊(みたま)を拝したてまつった。5月12日のことでござる。

悔しがったのは尾張継友公、負けじとばかりにひと月遅れの6月11日、壮大な行列を組んで日光山東照宮にお参りあそばした。エゲレス語で申すならば、これすなわちデモンストレーション。尾張が勝つか紀州が勝つか。次期将軍の座を巡って水面下の争いは熾烈を極め申す──。


正徳5(1715)年、7歳におなりの家継公は健康状態ますます芳しからず。将軍徳川家継は表に出なくなり、次の将軍の話が取り沙汰されています。尾張継友か紀州吉宗か。家宣の遺言には継友の名はなかったはずと松平頼致は言いますが、ともかく最後の決断を下すのは天英院だろうと、頼致は加納久通にとびきり上等のくじらの塩漬けを贈らせます。

自分は8代将軍にふさわしいと見上げる重臣たちに、吉宗はすっくと立ちあがります。「ならば俺は将軍を目指す。この吉宗は2人の兄の急死により紀州藩主と相なった。じっとしておったら図らずも家督が転がり込んだ。だが今度は違う。今度は石にかじりついても自らの手で将軍の座をもぎ取る所存じゃ。軟弱な政治が続けば幕府は必ず潰れる。俺は家康公のご遺言通り武門の政治を取り戻して見せようぞ」

吉宗は水野重上に、津軽藩から島津藩までくまなく使者を送り、渡りをつけるよう命じます。一方で家中にはかん口令を敷き、久通に命じてお世継ぎのことは一切口にしないよう伝えさせます。幕府が送り込んだ隠密はすべて尾張藩の味方とみなし、有馬氏倫には尾張に草を放ち“8代将軍は尾張に間違いなし”と噂を流させ油断させるよう仕向けます。

老中たち5人が集まって話し合いです。8代将軍に尾張を立てれば間部詮房の増長に拍車がかかると思われ、吉宗を推挙する流れになりますが、阿部正喬は老中の処遇改善を求めます。綱吉に柳沢吉保あり、家宣・家継には詮房あり。吉宗にも側近はいるわけで、老中は吉宗を推挙する代償に約束を取り付けるよう声が上がります。したたかな吉宗に駆け引きするのです。

将軍が生きているのに養子の話をするのはもっての他と月光院は激怒します。お世継ぎなく血筋が絶えれば、将軍家断絶と言う不測の事態を招く恐れがあるわけで、新井白石は、将軍家が断絶すれば尾張が名古屋に、あるいは紀州が和歌山に幕府を開くかもしれないという可能性に言及します。今のうちに世継ぎを決めて昵懇になっておけば、将軍生母としての身分は安泰です。

お世継ぎ指名は将軍の権限であり、月光院の意のままとの詮房の意見に、ならば尾張どのに恩を売りたいと月光院は見据えます。吉宗は老中と一味で、江島を罪に陥れた恨みは忘れてはいないのです。しかし白石は、尾張を将軍にすればうるさい老中を敵に回し、吉宗と生涯睨み合うことになると警告します。「味方を味方にするよりは敵を味方にする方が何倍も得策にございます」

 

渦中の人・尾張継友公はこの時24歳。お家柄は御三家の筆頭にて、しかも御簾中の安己姫(あこひめ)さまは天英院さまの姪御さまにござった。月光院さま、間部詮房どのの後押しを得て、まずは将軍レースの本命と自負しておいででござる。ただし自負は自信となり、自信は安心となり、近松の見るところややご油断がござったかもしれませぬな。徳川継友は夜明け前から水をかぶり、自分自身を鼓舞します。

御三家から将軍を迎えるのは幕府始まって以来のことであり、吉宗の存念を聞きたいと、夜遅くに老中の土屋政直と久世重之が紀州江戸藩邸を訪問します。吉宗は側用人の扱いについて、詮房は甲州の家臣に過ぎないとし、側近政治の廃止を主張します。それに安堵した重之は、綱吉が将軍就任の時には館林藩より150人、家宣は甲州藩より200人家臣を連れて行きましたが、紀州の江戸城入りの人数を尋ねます。

吉宗が将軍となった場合、紀州は大藩だから1,000人以上連れて行くつもりです。養子縁組であればあるがままの幕府を相続するのが道理と重之は慌てますが、養子に入るとは言っていないと手のひらを返します。「家継公の後見人でござる。家継公ご不幸あらんか、次の将軍は後見人の一存にて決め申す。老中であれ側用人であれ、家臣の分際で次の将軍を決めるはおこがましき限り!」

養子縁組でなければ将軍世継ぎとはならず、後見人では将軍との関係が途切れるわけです。重之は、尾張はおそらく養子でいいと言うだろうと吉宗の譲歩を促しますが、吉宗は「ならば遠慮はいらぬ。側用人と同心し尾張継友を養子となさるがよろしかろう」と突き放します。吉宗には代々紀州を支えてきた忠義の家臣やたくさんの領民がおり、これらを見限ってまで将軍になる気はないわけです。

もし吉宗が将軍になった場合、紀州藩は幕府に返上するわけですが、そうなれば家臣は江戸には入れず所領も召し上げられ、身の置き所を失うわけです。処遇は配慮すると慌てる政直に頼致は、江戸幕府と決別し和歌山幕府を開いてもよいと見据えます。「将軍家滅亡の折は尾州もしくは紀州において将軍を立てるべしと権現さまはかように仰せられた。大奥や側用人に牛耳られる幕府などは見たくもござらぬ!」

江戸城の天英院のところには水戸綱條が訪問していました。未だに世継ぎは自分が決めると主張する月光院に、綱條も天英院も呆れます。綱條は、家格では尾張、血筋では紀州と考えあぐねているようです。老中は紀州に傾き、側近は尾張にこだわると、いずれにしてもしこりは残るわけで、天英院は家宣の実弟にあたる館林藩主の松平清武を「まさかの時の隠し種と思し召せ」と推薦します。

 

ああ遅くなった遅くなった……これはご無礼申し上げた。何を隠そう、それがし近松の作による『国姓爺合戦』が、大坂の竹本座で大当たりになりましてな、連日押すな押すなの大入り満員でござる。近松大いに面目を施し、あっちに呼ばれこっちに呼ばれ、もうてんてこまいの忙しさ。あっはっはっ。えっ何? そんなことはどうでもよろしい? はぁはぁはぁ。

さればでござる。いつの世も権勢を巡る思惑は天下よりもわが身大切。駆け引き・根回し・裏工作。なだめたりすかしたり脅したり、ところがこの世の成り行きは川の流れの浮き沈み、意外なことに7代将軍家継公は秋風とともにご容体を持ち直し、日に日に快方に向かわれたのでござる。

秋。上座に座る家継ですが、その横には生母月光院、後方には詮房も着座します。呼び出された老中阿部正喬は家継の病気平癒を喜びますが、アテが外れた老中もいるだろうがと月光院は皮肉を言います。今回詮房が正喬を呼び出したのは、家継と皇女八十宮(やそのみや)との縁組が成り、正喬に輿入れ・婚礼に関わる総奉行を命じるためです。

アテが外れたのは吉宗も同じことで、吉宗と将棋を指す久通は「見通しが甘うござりましたな」とつぶやきます。そこに田沼専左衛門は若君誕生を伝えます。11月27日、お古牟の方は吉宗公のご次男をお産みでござった。吉宗は長福丸に“弟”を紹介し、「小次郎」と名付けます。丈夫な女は丈夫な子を産む、と吉宗は笑いが止まりません。

年改まって正徳6(1716)年正月、ご回復著しい家継公は、江戸城本丸表にお出ましになり、御三家・大名諸侯の年賀をお受けあそばした。家継と皇室との縁組について、おそらく白石の企てと天英院は考えていて、父・近衛基煕も将軍家の甚だしい思い上がりと憤慨しているらしいです。家継が位負けせねばよいがと蓮浄院はつぶやきます。

場内で盛大な宴が催され、杯を傾ける月光院はとてもいい気分です。しかし家継の様子がおかしいようで、熱があるようです。局の岩藤は薬師を手配しようとしますが、月光院はそれを止めます。宴を止めたくなかった月光院は構わず続け、踊りの輪の中に入って優雅に舞います。家継は気が遠くなって、その場に倒れてしまいます。

詮房に“にわかにご重体”と知らされて急いで登城した政直は、合点がいかないと憔悴します。体調不良でありながら夜風にさらされたと聞いた政直は、側用人詮房の落ち度であると責任を追及します。政直は御三家に招集をかけるよう詮房に命じますが、その前にお世継ぎを! と詮房は政直を睨みつけます。「お世継ぎは紀州どのじゃ!」

この朝すでに吉宗公は城内の異変をご存じでござった。「くじらが網の中に入り申した。あとはいかにして銛(もり)を打ち込むか──」とつぶやく頼致に、弓矢を放っていた吉宗は こうか? と矢を放って的に命中してみせます。そこに江戸城から遣いが来て、すぐに登城するよう求めてきました。

先に登城した綱條は、急いで世継ぎを決め家継の嫡母たる天英院に伺いを立てるべきといって詮房を驚かせます。政直は吉宗が紀州で手腕を発揮する経験豊富な人物と評価し、一方継友はいったん外に出た傍流だと指摘します。詮房は尾張派と見込んで綱條の意見を求めますが、「家宣公のご遺言に継友公の名はなかった。吉宗公は権現さまの曽孫、継友公は玄孫である」と言われてしまいます。

尾張江戸藩邸から継友が気合を入れて“出陣”します。一方の吉宗は紀州江戸藩邸で湯漬けをかきこんでいます。見守るお古牟と長福丸に、この屋敷には戻らないかもしれぬと宣言します。戻ってくるようでは負け戦、しかし首尾よく進めばすぐにも2人を呼んでお城入りさせるつもりです。吉宗は自分を運の強い男だと感じていましたが、運の強さではお古牟には負けてしまうと笑います。

これまでの経緯もあり、天英院は「紀州どのでよいのじゃな?」と詮房を見据えます。一瞬言葉に詰まる詮房ですが、吉宗と認めざるを得ない状況です。御三家・老中・側用人が揃って紀州吉宗を推挙するなら、天英院としては今さら何の迷いもありません。

そこで政直は、吉宗が提示していた条件である“家継の後見人”と言うよう天英院に願い出ます。養子とされるのは屈託があるようで、吉宗が辞退するかもしれないという政直に、紀州が辞退すればそれまでのことで、尾張も館林もいると天英院は答えます。しかし尾張や館林では収拾がつかないと綱條は伝えます。そこに家継臨終が岩藤によって知らされます。「お世継ぎが決まるまでご薨去あるべからず。伏せておけ」と綱條は詮房に命じます。

ようやく重い腰を上げた吉宗は、紀州屋敷出発の際に氏倫から家継薨去について耳打ちされます。そして登城した継友は黒書院へ。そのころ天英院は詮房を呼び、これまでの労をねぎらいます。世継ぎについて納得していない様子の詮房に、吉宗のお手並みを拝見と諭します。詮房は、家宣が目指した君主の治世が跡形もなく消え去ることが、詮房にとっては胸がかきむしられる思いと涙を流します。

吉宗は江戸城に通じる道をゆっくりと進んでいきます。

 

作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
小林 稔侍 (加納久通)
柄本 明 (松平頼致)
すま けい (有馬氏倫)
秋野 太作 (阿部正喬)
羽賀 研二 (徳川継友)
山本 學 (久世重之)
黒沢 年男 (水野重上)
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名取 裕子 (月光院)
細川 ふみえ (お古牟)
草笛 光子 (天英院)
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名古屋 章 (土屋政直)
山本 圭 (徳川綱條)
佐藤 慶 (新井白石)
石坂 浩二 (間部詮房)
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制作統括:高沢 裕之
演出:尾崎 充信

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第25回「男の花道」

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