プレイバック八代将軍吉宗・(27)中間管理職
さればでござる。
徳川ご本家のお血筋が絶え、初めて御三家から本丸入りなされた8代将軍吉宗公は、瞬く間に間部詮房どのを左遷、新井白石どのの解任と、先代の寵臣をご処分。諸制度を5代将軍綱吉公の御代にお戻しあそばした。また吉宗公は、紀州藩よりお供のご家来衆になるべく身分の低い者をお選びになられた。これはご老中のお顔を立て、幕府の役人を安堵させるための深謀遠慮でござる。
また一方、吉宗公はご就任間もない享保元(1716)年8月、注目すべき新政策を打ち出され申した。一つは鷹狩りの復活。もう一つはお庭番の設置でござる。近松の見るところ、鷹狩りの復活は弱体化した軍事力の強化訓練であり、お庭番の設置はスパイ活動による諸国大名への締め付けでござる──。
大奥で小次郎と楽しそうに遊ぶお古牟ですが、庭の草陰からそれを長福丸が見てうつむきます。庭に入ってきた大奥取締の常盤井に見つかりますが、長福丸は庭を箸ってお古牟の元に駆けつけます。二の丸で暮らす長福丸はお古牟や小次郎とは会えないのです。常盤井とお古牟の侍女との間で言い争いが始まりますが、お古牟はこの場を預かると常盤井たちの引き取りを求めます。
吉宗も源六と呼ばれていたころ、乳母が恋しくて和歌山城を抜け出したことがありました。成島道筑は、大奥のゴタゴタは日常茶飯事で、古手の女房が睨みを効かせて新参者をいびり、出入り商人と結託して役人に賄賂(まいない)を取り次いでいると報告します。室 鳩巣は、政道を支える根本は法の力であるが、その法が道に外れていれば速やかに変えることも肝要と主張します。
吉宗はさっそく大奥に対し、改めて法を通達し服従の証に誓紙提出を求めます。大奥のことはほかに漏らさず、表役人の願い事は一切取り次がず、将軍家の威を借りて奢らず、悪口を言って人々の仲を妨げないように──。さらに吉宗は奥向きの法を改め、男子の出入りを9歳まで許すとします。唇をかむ常盤井たちの後方で、歓喜するお古牟の侍女たちです。
吉宗は和歌山より豊島半之丞を呼び出し、二の丸付家老として長福丸の養育を任せます。長福丸は幼くして母と死別し、6歳にしてお古牟と引き離され、気持ちがもつれているのです。部屋住みだった頼方時代、初めて江戸へ下った時に希望をもっと大きくと励ましてくれたように、長福丸を励ましまっすぐに育ててほしい……。吉宗は半之丞に「土岐信濃守朝治」の名を与えます。
吹上御殿をご拝領の月光院どのは、吉宗公とのわだかまりを解くおつもりか、さる日お茶にお招きなされた。吉宗は茶室に入ろうと試みますが、少し躊躇する様子が伺えます。にじり口が狭すぎて、身体が大きい吉宗は茶室に入れないわけです。んーんー言いながらどうにかこうにか入り、プッと月光院に笑われます。
月光院が独り身の女ごころのつれづれをつづった『車玉集(しゃぎょくしゅう)』ですが、吉宗はまだ読んでいません。正直な吉宗に興味がわいた月光院は、吉宗が就任早々大奥の美女たちに暇を取らせ、未だにお手付きがないことを持ち出し、江戸の女はお嫌いかと尋ねます。埒もない、と照れ笑いする吉宗に安堵した月光院は、大奥にもお情けをと注文をつけます。
明けて享保2(1717)年正月、34歳の吉宗公は政治改革の実現に格段の意欲をお示しでござった。小笠原肥前守胤次に2,000石加増で4,500石取り、有馬兵庫守氏倫には1,000石加増で2,300石、加納近江守久通にも1,000石加増で2,200石とします。加増はしたものの、紀州の者はいつも控えめにと訓示します。少なくとも今の老中がいなくなるまでは、3人が重職に就くことはあり得ません。
そこに普請奉行大岡能登守忠相が現れます。吉宗が紀州藩主の時代、伊勢山田奉行だった忠相は、松坂領と山田領の間で繰り返される境界を巡る争いで、山田側に軍配を上げ松坂側の役人2名に切腹を命じました。その名裁きに忠相の名を深く心に刻んだ吉宗は、忠相を見込んでやっかいな仕事を任せることにします。
1月25日、大岡能登守忠相どのは新井白石どのの役宅没収に向かわれた。これが新将軍吉宗公の元での初仕事にござった。22日に絵図面を渡し、約束の23日に立ち退きがなかったための訪問です。
白石は、忠相は間部詮房が普請奉行に取り立て自分が推挙したのにと主張します。忠相は、詮房や白石に恩義は感じつつも、役人は法に基づいて務めを果たすのみと胸を張ります。そこまでして新将軍にこびへつらうかと白石が皮肉を言えば、天下の大学者なのに往生際が悪いと忠相は切り返します。気に入らなければ遠慮なく首を刎ねろと聞かないので、3日間の猶予を白石に与え、それでも立ち退きに応じなかったら首を頂戴すると返答します。
この両者の対決は思わぬ形で引き分けと相成り申した。翌々日、神田小川町一帯で大火事がござり、新井白石邸はあえなく全焼したのでござる。白石どのはやむなく難を逃れ、妻子の住む深川一色町の借家にお移りでござった。続いて2月2日、大岡忠相どのは恩人間部詮房どのの邸宅を接収。首尾よく登用試験を突破して江戸南町奉行に異例の抜擢を受け、その名も「大岡越前守忠相」どのと相成り申した。
詮房について役宅接収・越後村上へ追放となった処分は、老中阿部正喬には承服出来ません。しかも詮房の高崎領を綱吉側用人の松平輝貞に与えたことも「露骨な報復」だと主張します。将軍に取り次げと言う正喬と、取り次ぎいたしかねると言う氏倫の間に立った胤次は、正喬の名を間違えてしまい、憔悴します。久通はあまりの狼狽えようの胤次のことが心配でなりません。
3月2日、吉宗公は初めてオランダ人の音曲と舞をご覧あそばし、途中からは御簾をお上げになられた。吉宗は目の前の珍しいものに目をぱちくりさせ、土屋政直はコクリコクリと舟をこいでいますが、長福丸は身体でリズムをとり、とても楽しそうです。それを見た吉宗も、息子と同じように体でリズムをとってみます。
フェンシング競技も堪能した吉宗は強い興味を示し、競技で使う剣を見せてもらいます。日ごろ持つ刀よりとても軽く、ヒュッヒュッと振り回して見せます。すると血相を変えた胤次は、突然吉宗を後ろから羽交い絞めにします。「なりませぬ! 殿中にござりまする!」 そんな胤次を押さえた久通は、諭すように胤次の名を呼びます。胤次の表情はみるみる青ざめていきます。
最近の胤次は、もはや常人の行動ではなく、物忘れもひどくなりました。久通が見たところ、実直のあまり緊張に耐えかねたものと推測します。久通はしばらく休養を胤次に与えてはと吉宗に進言しますが、このままでは取り返しのつかない粗相も出てくるかもしれないと、かわいそうではあるがけじめが肝要と職を免ずることにします。
自分はどうなってしまったのか……。胤次は無表情のまま柱に額を打ちつけ続けます。間もなく小笠原胤次どのは隠居を仰せつかり申した。環境の激変に適応できずに任務の重大さに押しつぶされた、中間管理職の悲劇と近松は申し上げておく。
吉宗公は武芸振興の名目で鷹狩りの復活をご宣言あそばした。「生類憐れみの令」以来、実に30年ぶりの快挙でござる。吉宗公の意気込みたるは尋常ならず、鷹狩りの総元締めには若年寄大久保常春どのをもって、鷹匠頭には綱吉公の御代に罷免された間宮左衛門と戸田茂助をお呼び戻しになられた。
上機嫌の吉宗ですが、目の前を通り過ぎていくのは戸板に乗せられた落馬者たちの姿でした。旗本でありながら馬にも乗れないとは! と怒りをにじませる吉宗ですが、常春は、逆に言えばそれだけ泰平の御代と言えると笑います。けが人は落馬者だけではなく、獲物を追って駆けまわる際に草むらに足を取られて転んだ者も含まれます。
江戸城に戻った吉宗ですが、財政ひっ迫の折の幕府御用金の乱用は控えるよう正喬と戸田忠真から諫言されます。そもそも鷹狩りは軟弱となった武士の体を鍛えなおす、武具の点検、民情視察などいろいろ目的があるわけですが、それでも費用が掛かりすぎるし、民衆は間もなく戦が始まるのかと怯え、宮中には痛くもない腹を探られるというわけです。
吉宗は、征夷大将軍である自分が武を以て天下を治めるのにに何の遠慮がいるのかと正喬の顔をじっと見つめます。正喬も忠真も吉宗の言葉に圧倒されます。「肝心の老中までがその本分を忘れ、右顧左眄(うこさべん)いたすは、武門の衰退を示すものに他ならぬ。両名の者、顔を洗って出直せい!」 間もなくご老中阿部正喬どのは進退伺を提出。9月19日にお役御免と相成り申した。
地球儀を手にした室 鳩巣は、吉宗や氏倫、久通に諸外国の名前と場所を教えます。インド、エゲレス、ポーランド、エスパニャ……。なかなかな覚えられないとさじを投げる久通ですが、土岐朝治によれば、長福丸はすでに覚えてしまい、筆を執って世界の地図をすらすらと書くほどで、吉宗はとても驚きます。「物言いはいささか不鮮明でござりまするが、おつむはことのほか利発と存じ上げます」
そこに呼び出しておいた忠真が来ますが、なぜか政直も同伴です。正喬の老中公認を決めるのに筆頭老中がいなければと、老骨に鞭打ってきたわけです。忠真は後任の老中に京都所司代の水野忠之を推薦します。財政にも詳しく、時節がら最適であるとの鳩巣の助言もあります。政直も忠之をと考えていたようで、これで8代将軍の御代は安泰と涙を流します。
9月27日、水野忠之どのは老中に任命され申した。水野家の祖先は神君家康公のご生母・於大の方のご実家にて、岡崎城主35,000石のお家柄でござる。忠之は吉良上野介を討ち取り幕府預かりとなった赤穂浪士を客人として手厚くもてなした人物で、吉宗は武門の誇りを天下に知らしめたと評価しています。忠之は吉宗が初めて任命した老中となりました。
うわべだけ見れば、詮房派の人物が次々と罷免され、紀州派が次々と登用されていきます。大奥もなかなかに住みづらくなったと常盤井と外山はつぶやきますが、詮房を恨んでのことではないと月光院に諭されます。吉宗が第二の側室として紀州から娘を迎え入れると常盤井は月光院に伝えます。「そうか。上様は将軍家のお血筋を紀州の色に染めかえる御所存か」
昨晩降った雨の量を調べるにあたり、木桶と目盛り付きの木の棒で計測する長福丸です。これらの道具はみな長福丸が作ったそうで、偉い! と吉宗は思わずうなります。褒められて笑顔を見せる長福丸を抱え上げる吉宗、朝治や久通は吉宗の幼少のころにそっくりだと笑います。吉宗が考えている以上に成長著しい長福丸です。
さて、人の運命(さだめ)を折りなす紅葉(もみじ)とて、鮮やかな紅あり黄金色あり。時には世を捨てる病葉(わくらば)あり。さればでござる。大勢の幕臣の中には、新将軍の船出を呪う御仁もござった。氏倫や田沼専左衛門が駆け付けると、襖に朱書きされた『吉宗公不倶戴天(よしむねこうとともに てんをいただかず)』
作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
小林 稔侍 (加納久通)
すま けい (有馬氏倫)
秋野 太作 (阿部正喬)
石立 鉄男 (水野忠之)
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名取 裕子 (月光院)
細川 ふみえ (お古牟)
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橋爪 功 (室 鳩巣)
名古屋 章 (土屋政直)
佐藤 慶 (新井白石)
滝田 栄 (大岡忠相)
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制作統括:高沢 裕之
演出:伊勢田 雅也
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第28回「大奥の首座」
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