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2025年7月 1日 (火)

南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第10回 銘板に偽りなし

前回は、路線新設・延伸という大きな流れではなく、停留所新設という“小さな”変化を3か所分ご紹介しました。また方向幕が変更となり、系統番号(行先番号)が右側に移り、南ケ丘線の路線色がグリーンからブルーに変わったこともお伝えしました。

今回は前回の予告通り、南ケ丘地区のバス停名について掘り下げていきます。文中では旧バス停名に“旧”、新バス停名に“新”をつけてご紹介します。昭和44(1969)年に新設された「南ケ丘地区のバス路線・(21)番」ですが、宅地造成に合わせて少しずつ、旧南ケ丘十丁目、平野ハイツ、月の浦団地へと路線延伸していきます。そこで、旧南ケ丘十丁目までバス路線が伸びてからのバス停名をおさらいしてみますと、

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こんな感じです。~丁目と名前の付くバス停は、若い順から旧「南ケ丘四丁目」・旧「南ケ丘五丁目」・旧「南ケ丘七丁目」・旧「南ケ丘十丁目」となります。このシリーズでご紹介している(22)番の例でいくと、旧四丁目バス停と旧五丁目バス停の間に旧七丁目バス停があり、これが混乱を生んでいる一つの理由なのではないかと思います。

○丁目というバス停が立っている場所を考えた時、当然ながらそこの住所も○丁目であることが多いわけで……まあ広く視野を広げれば少し離れているところもあるのですが、それを見るために先ほどの画像に大まかな住所を重ね合わせてみましたら、こんなふうになりました。

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この図を見れば、旧「南ケ丘四丁目」バス停は確かに南ケ丘4丁目にあるし、旧「南ケ丘七丁目」バス停は南ケ丘7丁目にあるし、旧「南ケ丘五丁目」バス停は5丁目に、旧「十丁目」は10丁目にあるわけです。まさに銘板に偽り……コホンコホン、看板に偽りなしといったところでしょうか。それにしても境界の引き方によって、形が大きく変わるんですね。4丁目~7丁目の細長さというのが特に目を引きます。

 

最終的には14丁目までできあがった南ケ丘地区ですが、当時の住所は○丁目△△△といった「土地番号」で表記されていました。それを、住所を誰にでも分かりやすくするという政策のため、住居表示審議会の協議を経て、○丁目■番△号という「住居番号」に変更することになりました。

ただし、1丁目から14丁目まで全域を一気にドン! と変更したのではなく、県道板付牛頸太宰府線より北側にある1~4丁目の「南ケ丘一区」エリアを昭和63(1988)年10月31日に変更し、新1~2丁目に。南側にある5丁目以降の「南ケ丘二区」エリアを平成元(1989)年2月27日に変更し、新3~7丁目になりました。

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【大野城市役所『広報おおのじょう』昭和63年5月15日号】より

詳細なバス停名変更時期は判明しませんでしたが、この住居番号への変更時期に前後して、昭和63年から平成元年の間に行われたのではないかと思います。ちなみにこれにバス停位置を重ね合わせると、

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こんな風になります。新「南ケ丘一丁目」バス停は南ケ丘1丁目に、新「南ケ丘五丁目」バス停は南ケ丘5丁目に……ありますね! 旧名と新名で共通するバス停は「南ケ丘五丁目」ですが、調整期間を置かずに変更してしまうというのは、後の混乱を考えれば少し勇気がいることかもしれません。当時のお知らせで、“この南ケ丘五丁目は新住所の5丁目ですよ! 旧住所ではないですよ!”と掲出していたのでしょうか。

路線バスの方向幕には、変更直前の表示経由地として旧「南ケ丘七丁目」・旧「南ケ丘十丁目」がありましたが、バス停名変更に合わせてこちらも変更しなければなりません。方向幕に「南ケ丘四角」・新「南ケ丘五丁目」という経由地が入った新しいものに交換されました。

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【太宰府市役所『市政だより太宰府』昭和58年2月1日号】より もっと前の方向幕に記載の経由地は旧「4丁目」だったのですね……!!


さて次回ですが、また細かな変更が続きますので、そのあたりのお話を予定しています。本日もご覧いただきありがとうございます。

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