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2025年7月21日 (月)

南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第12回 新天地へ

前回は、拙著『西鉄バス全仕事2』をベースにバス停コードを掘り下げながら、新設バス停「杉塚公民館前」をご紹介しました。さらに宅地造成による立ち退きで校門前へ移設された「武蔵台高校」バス停にも触れています。

南ケ丘線(22)番の歴史を大きく2つに分けたとしたら、前回までが前段にあたるのですが、今回いよいよ(22)番に新しいバス路線が誕生します。「武蔵台高校」バス停を移設されたのが、“宅地造成”が理由だったわけですが、その“宅地”つまり天拝坂団地造成によって、(22)番は大きな転換期を迎えることになりました。

……とその前に。
(22)番は「平田~福農前~杉塚」間で、いわゆる“旧道”を通っていたのですが、この区間で“新道”に切り替わります。【福岡県立福岡農業高等学校『学校要覧』平成4年度版】では、これまでご紹介した旧道ルートで掲載されていますが、翌【平成5年度版】では新道ルートで掲載されており、「福農前」バス停も校門前に移されていることが分かります。

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正確な移設時期は判明しませんでしたが、平成4年度版で旧道、平成5年度版で新道へ移設ということは、平成4年4月~平成5年3月のいずれかの時期だと思われます。上の地図では、新道を黒の実線で、参考程度に旧道をグレーの破線で示しています。

 

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【住宅・都市整備公団九州支社『グリーンヒルズ二日市 天拝坂・まちづくりの記録』平成8年】より

続いては「天拝坂団地」の造成です。天拝坂団地は『グリーンヒルズ二日市天拝坂』といいまして、筑紫野市の北西部に位置します。団地内には2本の大きな市道(筑紫野市道杉塚塔原線/塔原太宰府線 ※当時の名称)があり、そのうち、現 大佐野南交差点から現「天拝坂第三」バス停までの市道杉塚塔原線でバス停が3か所新設され、“ふもと”から「天拝坂第一」「天拝坂第二」「天拝坂第三」という名称になりました。

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市道杉塚塔原線の終点(信号のある交差点)から曲がって団地を降りていくのが市道塔原太宰府線ですが、天拝坂第一~第三バス停が設置された時点では、この市道はまだ完成していませんでした。したがって、天拝坂第三バス停の横にやや広めの転回場が設置されます。ちなみにしっかりとアスファルト舗装された立派な転回場でした。

転回場は現在は住宅または店舗のスペースになっていて、当時の面影は残ってはぃませんが、ずっと続いている歩道の街路樹が「天拝坂第三」の二日市向きバス停のあたりで広く途切れていて、バスが転回場を出入りしていた様子をうかがい知ることが出来ます。上の写真にバス路線などの基礎データを重ねると、次のようになります。

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【筑紫野市役所『道路台帳』】によると、市道杉塚塔原線の路線認定日が平成4年4月1日、供用開始日も平成4年4月1日となっています。『まちづくりの記録』によると開通式も行われたようで、それも4月1日だったのかもしれません。バス路線が開通した日ですが、供用開始日以降であることは当然として……。

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【『まちづくりの記録』】の「地区開発基本スケジュール」によると、平成5年度の欄に“バス暫定開通”の文字が見えます。「暫定税率」でおなじみの“暫定”は、仮、一時的、という意味ですが、これは市道塔原太宰府線が開通した後を見据えての言葉なのでしょう。よって天拝坂第三まで開通したのは、平成5年4月前後ではないかと思われます。正確な開通日をご存知の方、ぜひお教えいただければと思います。(他力本願)

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ちなみに昭和56年12月25日に設置された「武蔵台高校」バス停ですが、「天拝坂第一」バス停が新設された時に廃止されたようです。校門からバス停は遠くなりますが、その代わりに、これまでのように朝だけ乗り入れ、下校時は「杉塚」バス停を利用していた時とは違い、朝から深夜帯までバスに乗れるようになるという“発展的解消”ということになりますね。

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