プレイバック八代将軍吉宗・(26)美女お断り
さればでござる。
吉宗公の8代将軍ご就任は、“紀州の名君”という触れ込みもござり、巷の人気もまずは上々。近松の見るところ、歴代将軍の中での好感度は第二位! 第一位は何と申しましても『生類憐れみの令』を廃止した6代将軍家宣公にござりましょうな。
ここに当時の落首がござる。
尾張には 能なし猿が 集まりて 見ざる聞かざる 天下とらざる
紀伊の国の みかん橘 葉は盛り 尾張大根 いまは切干し
いやいやいや、名古屋の方々気落ちなされまするな。将軍の座はしくじり申したが、尾張藩とて気骨がござる。お話進めばやがて大逆襲のくだりがござり申す。どうか気長にご覧のほどを──。
正徳6(1716)年5月、7代将軍のご葬儀もつつがなく終えて、吉宗公は22日、二の丸から本丸へお移りあそばした。間部詮房と新井白石を追放した徳川吉宗は、今後は側用人に代わる役職として新たに「御用取次役」を設け、小笠原胤次、有馬氏倫、加納久通を指名します。ただ、老中と同格または格上扱いの側用人とは異なり、御用取次役は老中よりずっと下の立ち位置です。
さらに吉宗は大久保忠寛に小姓の総元締めを命じます。大久保忠寛どのは亡きお須磨の方の叔父上でござる。幕府財政の立て直しは役所から、特に江戸城の倹約から始めると宣言する吉宗は、将軍の膳は一汁三菜を2回にして贅沢をやめ、紀州の家臣には夏も冬も木綿を着用せよと指示します。
吉宗は先代に仕えた奥向き医者の成島道筑を召し出します。本日未の刻(ひつじのこく=午後2時ごろ)に大奥に入ることはすでに伝えているわけですが、その大奥の中でもとびきりの……若くて美しい上臈・中臈を広間に集めておけと命じます。8代将軍におなりの吉宗公は、なんと700人もの奥女中まで相続あそばした。もともと大奥はお血筋を絶やさぬための仕組みにござれば、将軍になりさえすればもう選り取り見取りw つい声が上ずり申した。
話を聞くや、上臈・中臈たちは湧きたち、紅をさして化粧を施し簪(かんざし)を差し直して吉宗を迎える準備に大わらわです。広間に集められた“天下の美女”に、吉宗は暇(いとま)を取らせると言い出します。美女を城に閉じ込めていたずらに年を重ねさせるのは不憫であり、花のあるうちに里に戻り良縁に嫁したり、才覚で大名に仕えたりなど勧めます。がっかりする者、涙を流す者、広間は騒然となります。
5名の老中と対面した吉宗は、家宣時代に建てられた京都御所を模した四脚門の打ち壊しを命じます。天英院の手前もあり、勅使を迎えた将軍宣下の大礼の後にと難色を示しますが、吉宗は舌打ちをし、いますぐと注文をつけます。さらに昨年の幕府の年貢総収納高をどの老中も答えられず、詮房ならたちどころに答えようと吉宗は呆れます。武の政治を貫くため、白石起草のもろもろの式法条文は、5代綱吉の天和年間のものに復すと宣言します。
5月29日、家継公のご法事を終えた月光院さまは、住み慣れた大奥を離れ吹上の御殿へお移りとなり申した。天英院は見るからに武家の棟梁らしい姿で頼もしく、存外に礼儀正しいと吉宗を評価します。月光院は四脚門を叩き壊した吉宗を批判しますが、新将軍の意気込みを示すもので仕方ないと天英院はつぶやきます。「家宣公も6代将軍におなりのみぎり、同じようなことをなされた」
吉宗は、儒学者・室 鳩巣と対面します。白石の推薦で幕府の侍講に登用され、将軍の師にふさわしいと林 信篤が真っ先に名を上げた人物です。吉宗に、その天才が堂々と将軍の悪口を言っていると指摘されて、若気の至りと鳩巣は大汗をかきます。「鳩巣の意見は正しい。的を得ておる。歯に衣着せぬ、堂々とこのわしをこき下ろした。どうじゃ鳩巣、このわしの頭を大学頭とともに支えてはくれぬか」
6月に入って、和歌山のご家老・三浦為隆どのが江戸へご到着なされた。紀州では殿さまを江戸に取られたと言って落胆し、母の浄圓院は将軍をしくじったらいつでも和歌山に戻るようにと冗談を言っているようです。それを聞いていた紀州藩主の松平頼致は、吉宗が戻って来たら自分の立場がないと慌てます。「懸念いたすな。俺は将軍じゃ。もう二度と紀州の土を踏むことはあるまい」
吉宗は為隆に、旗本として己の力を振るってみないかと勧めます。三浦家は初代頼宣から5代吉宗まで100年にわたって仕え、星の数ほどのご恩を受けて来たわけですが、己の栄達のために紀州を離れては為隆の男が立たないと説明します。「老骨に鞭打ち、6代藩主頼致公のお指図のもと、紀州藩の更なる発展を目指しとう存じまする。どうかご容赦くださりませ」 吉宗は為隆の忠義に涙します。
吉宗公はいかなるご所存や、役人の服装、食事について細かい規則をお定めでござった。ちなみにこれは正徳6年6月20日、吉宗公ご制定による城中の食事令でござる。城内における朝夕の食事は、一の間・二の間まで一汁五菜、うち魚類三菜。三の間は一汁四菜、うち魚類二菜。以下は一汁一菜と香の物。食事につく酒は、老中御側衆の場合三合まで、三の間までは二合まで、以下は年始祝日、五節句の時のみ酒をたまわる。ただしそれも二合まで。なお夜食には一切酒をたまわらず。広間にて大勢にて酒をたまわる時は、台所目付御賄い頭、御酒役もまかり出て酒の量を厳しく見張るべし、と。ははは、これはこの、几帳面と申すべきかせこいと申すべきかは議論の分かれるところでござりまするな。
家継公四十九日の喪が明けて、6月21日、本丸黒書院にて御三家の拝謁がござった。吉宗は紀州藩主として頼致に相続させたことを水戸綱條、尾張継友に紹介し、片諱を与えて「徳川宗直」と名乗らせると報告します。治世への助言は謹んで受けるという吉宗に綱條は、主君ゆえ丁寧な物言いは無用に願いたい、治世改革を急ぎすぎると混乱が生じるため、ゆるやかに慎重に、と助言します。
6月22日、新将軍の就任を祝うがごとく元号が改められ、正徳6年は「享保」元年と相なり申した。続いて26日、江戸城大広間では御三家諸大名総登城の拝礼儀式の大祝宴がござった。この日より礼服は綱吉公の御代と同じく四位(しい)は狩衣、五位以下は大紋にござり申した。
上様はお人が悪い、と泥酔の土屋政直は口を滑らせます。ご老中は酒癖が悪いと氏倫はいい顔をしませんが、捨て置けと吉宗は氏倫をたしなめます。家継が身罷ったのを見抜いた吉宗が、養子にはならないと脅してきたと政直は言っているのです。しかし吉宗は、紀州を継ぐときに仮養子届が出ていないと脅された“返礼”だと笑います。政直は氏倫の酒まで奪い取って6合を飲み干し、高いびきで寝てしまいます。
新将軍の政治改革はとどまるところを知らず、7月21日には巡検使を創設なされた。巡検使とは使者1名に番士2名をつけ、諸国大名の治世をくまなく検閲する制度にて、一種の締め付けでござる。阿部正喬は尾張家のみ誓紙の提出がないことを吉宗に報告します。誓紙とは御三家大名をはじめ全ての幕臣が新将軍への忠節を示す恒例の誓約書でござる。
久通と対面した尾張藩の付家老・成瀬隼人正は、書式に手違いがあったと弁明しますが、すでに提出の期日を過ぎているため、“尾張家には忠義の志なし”と久通はみなします。尾張江戸藩邸に戻った隼人正は、藩主継友に誓紙提出を求めますが、吉宗の家来になった覚えはないし、将軍家と尾張家は同格とおなじみの主張を繰り返し、提出には及ばないという態度です。隼人正は腹を切って責めを負うと出ていきます。
吉宗公の側室お古牟の方が大奥へお入りあそばしたのは7月の末でござる。お古牟はさっそく天英院と対面し、田舎育ちゆえ厳しくご指導をと挨拶します。その控えめなお古牟を気に入った天英院は、吉宗の意に沿うような華美ではない小袖をお古牟に贈ります。自分のような者にと美濃震える思いのお古牟です。
お古牟の方は引き続き、月光院さま・瑞春院(お伝の方)さま・寿光院(大典侍)さま・竹姫さまとご挨拶回りをなされ申した。廊を歩くお古牟は気分が悪くなり座り込みますが、大奥取締の常盤井は水を持ってくるように指示し、厳しいまなざしをお古牟に向けます。お古牟はただただその辛さに耐えることしかできません。
8月4日には長福丸どのがお世継ぎとして二の丸にお入りでござった。この時の供はなんと600人。二の丸はたちまち紀州武士一色に埋め尽くされ申した。水野重上と手をつないで入ってきた長福丸は、学問ばかりでなく天気のいい日は庭に出て遊べと父から訓示を受けても、か弱く返事するありさまで、吉宗は大きくため息をつきます。吉宗は長福丸を道筑に城内の案内をさせます。
その場に残った重上は、吉宗に隠居を願い出ます。これからは新宮に戻って紀州藩の藩政を見守りたいというのです。紀州藩と西条藩それぞれの家臣たちとの軋轢も考えられ、宗直の苦労を助けたいという思いです。吉宗はこれまでの重上の重責を労わりますが、重上からは謁見の際は袴の着用を進言します。「ふんどしが見えておりまする。はっはっは」
8月13日、朝廷より勅使を迎え、将軍宣下の大礼がござった。御年33歳の吉宗公は、めでたく征夷大将軍正二位内大臣に叙せられ、名実ともに武士の頂点にお決まりあそばしたのでござる。
作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
小林 稔侍 (加納久通)
柄本 明 (松平頼致)
すま けい (有馬氏倫)
秋野 太作 (阿部正喬)
羽賀 研二 (徳川継友)
山本 學 (久世重之)
寺田 農 (成瀬隼人正)
黒沢 年男 (水野重上)
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名取 裕子 (月光院)
細川 ふみえ (お古牟)
草笛 光子 (天英院)
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竜 雷太 (三浦為隆)
山本 圭 (徳川綱條)
鈴木 瑞穂 (林 信篤)
名古屋 章 (土屋政直)
橋爪 功 (室 鳩巣)
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制作統括:高沢 裕之
演出:尾崎 充信
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第27回「中間管理職」
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