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2025年11月14日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(44)三兄弟

享保の改革は一にも二にも「倹約」が根本でござった。吉宗公は単にケチケチしたわけではござらぬ。ぎりぎりに経費を切り詰めて、浮いた予算をつぎ込んだのが米の増産、新田の開発。当時関東流の新田開発は行き詰っており申したが、そこへ和歌山から紀州流を引っ提げて颯爽と登場したのが、治水の天才・井沢彌惣兵衛(やそべえ)為永。

吉宗公の抜擢に応え東奔西走をして手掛けた灌漑(かんがい)工事は、鬼怒川・多摩川・酒匂(さかわ)川・大井川・木曽川・印旛沼・飯沼に及び申した。中でも享保16(1731)年に作られた見沼通船堀は、3メートルの水位差を調節するために、パナマ運河顔負けの堰を設けて船を通すという大工事。かくして井沢為永は82ヶ所にも及ぶ新田開発に成功し、幕府に数十万石の増収をもたらしたのでござる──。


元文4(1739)年4月、徳川家重の長男竹千代はすくすく育ち、もう走り回って徳川吉宗を喜ばせます。家重が小菅屋敷に引きこもることもなくなり、次期将軍の心構えができてお幸は喜んでいる……かと思いきや、お逸を西の丸に呼んで“おつぎ”にしていたのです。おつぎと申すは、奥向きの中級職にて、道具類を扱う小間使いでござった。

西の丸に吉宗が来ると知り、家重は急ごしらえの布団に慌てて潜り込みますが、吉宗には仮病とお見通しです。そこに直らせお説教が始まります。名古屋では藩主が遊女を身請けすると、家臣たちもこれを真似をしだし、財政破綻に至ったと。要は上に立つ者が風紀を乱すと示しがつかないというわけです。「分かるか家重。家臣の最も大事と思うは、主君ではのうてお家じゃ。お逸は里に帰せ」

周囲の者は家重の優柔不断を嘆いていますが、家重はそれが松平乗邑や天英院らしいと知っています。家重は父には到底かなわぬと悲観し、廃嫡の儀は甘んじて受けると開き直ります。9代将軍は宗尹がいいと言い出し、吉宗は家重を平手打ちします。「家重は……生まれて来なければよかった!」 しがみついてきた家重を背負い投げで畳に叩きつけ、ドタバタで気づいたか大岡忠光らが仲裁に入ります。

吉宗は忠光らを下がらせ、本音が聞きたいと家重を見据えます。鼻血が出ている家重は、遠眼鏡、ひざかけ、お逸と、父は自分からいろいろ取り上げるとつぶやきます。落ち着きを取り戻した吉宗は首筋が張ったらしく、家重に揉ませます。「家重は幼少のみぎり、おんぶをしていただいたことがございませぬ。宗尹も宗武も、よう父上におんぶをしていただきました。家重は口惜しゅうございました。羨ましゅうございました」

嫡男とはそうしたもので、上に立つ者は我慢をしなければならないと吉宗は考えていましたが、そんな些細なことも家重は欲しかったのかと初めて聞く話です。吉宗は家重の顔につく血をぬぐってやり、背中を向けます。「おんぶしてほしいか? さあ。遠慮いたすな」 家重は父の大きな背中にかぶさり、吉宗は家重をおんぶしたまま子守唄を歌ってみせます。

お幸の居室にお逸と西の丸老中松平乗賢が訪問し、お逸が御小姓頭・松平又十郎の養女として中臈になり、家重の計らいで局部屋を賜ったことを報告します。公家・梅溪家出身のお幸は、お逸が浪人の娘だから行儀作法に手落ちがあってはならないと忠告し、もし不都合があれば養い親の又十郎を呼びつけるとギロリと睨みつけます。「くれぐれも粗相なきよう、おしつけのほどを」

 

元文5(1740)年の正月、御年80歳の天英院さまは、吉宗公ご次男田安宗武どののお屋敷にお成りあそばした。雅楽の双調「酒胡子」(そうじょう「しゅこし」)を楽しむ天英院はうっとりと聞き惚れます。それもそのはず、雅楽を演奏する者の中に宗武がいるのです。その姿は凛々しく、文句のつけようがありません。

宗武夫妻と対面した天英院は、吉宗が近ごろでは美術工芸に親しむようになったと笑います。“もののあはれ”を知ってこそ真の武士、この田安屋敷は天下の香りに満ち、風習も佇まいも気品にあふれていると褒め、宗武が将軍になれば天皇も喜ぼうとつぶやき、宗武の家臣にたしなめられます。「おっほっほ。ここだけの話ではあるが、決して望みを捨ててはなりませぬぞ。日が経つにつれ、いつかは上様のお気持ちも変わりましょう」

さてこなたはご三男の刑部卿宗尹(むねただ)どの。身体強健にして豪放磊落(らいらく)、若き日の吉宗公にそっくりでござった。宗尹は吉宗と将棋盤の上で腕相撲をし、一気に勝ちをおさめます。褒美として甲州もしくは館林を所望する宗尹ですが、将軍の子は御三家と同格扱いだと却下します。吉宗は宗尹に屋敷を与えることにします。江戸城内で治世の根幹に携わり、家重の代わりに将軍になれるようにしておくためです。

とはいえ宗尹は3番手で、その機会は回って来そうにありません。4番手だった吉宗は父(光貞)の言いつけをよく守り文武に励んでいたら、いつのまにか紀州藩主になり将軍に祀り上げられたわけです。吉宗は「人徳だ」と鼻の穴が広がりますが、ニヤリとした宗尹は吉宗を怪しげに見ています。「久通の話とはだいぶ違いますな」「おう違うたか。ああ、久通は、あれはうそつきじゃ」

さればでござる。このころの江戸城は本丸に吉宗公、西の丸に家重公、二の丸に天英院さまがおわした。ご次男宗武公がご拝領のお屋敷はここ、田安門内でござる。そしてご三男宗尹公は一橋門内にお屋敷を賜り申した。これより後はそれぞれの御殿の名をとって、宗武公は「田安どの」、宗尹公は「一橋どの」と呼ばれ申した。

吉宗にとって宗武は出来のいい息子には違いありませんが、評判が良すぎるのが気に食わないわけです。裏表はありはせぬか? 天狗になりはせぬか? そして宗尹は自分によく似ていて、わんぱくで丈夫。家重の病弱が気がかりですが、強い将軍がいいとは限らないとお久免は家重をかばいます。7代家継も病弱と言うと、吉宗は慌てます。「あほう。7代は9歳で早死にぞ。そちの短所はの、鈍感の一語に尽きるぞ」

 

幸いにして幕府の財政はこの年も上向きでござった。さとうきびや甘藷、ハゼの栽培は進み、民は繁栄していると勘定奉行の神尾春央(はるひで)が報告し、心配していた吉宗も安堵します。かゆいところに手が届く幕閣の政に、吉宗は傍らに座る家重に、良い将軍になるには良い家臣を持つことが肝要と諭します。

12月1日、吉宗公は御三家のご当主に拝謁を賜り申した。14歳の水戸宗翰(むねもと)、尾張宗勝35歳、紀伊宗直59歳。訴訟数が増えて裁判の遅延が目立つため、乗邑に命じて公事方御定書の草案を作らせ、完成後に御三家に披露して意見を求めたいと吉宗は伝えます。「公事方定書の大仕事を花道に、この吉宗、隠居する所存じゃ。もうそろそろ家督を家重に譲ってもよかろう。のう」

世を安定させるにはあと10年の在位が必要と、宗直は隠居の撤回を求めます。吉宗は57歳、家重は30歳になり、若い年齢ではありませんが、吉宗は大御所としてこの後も家重を支えていく予定です。吉宗は家重嫡男の竹千代を御三家に披露します。5歳の竹千代は吉宗に「家治」の名を授かり、家重は嬉しそうな表情を浮かべます。

夜、宗武と宗尹は実に口惜しいと杯を傾けます。所詮は自分たちは門番にしか過ぎないわけです。来年は変事が起きるといわれる“辛酉(しんゆう)”の年と宗尹は宗武を見据えます。迷信じゃと宗武は取り合いませんが、そこに森姫が懐妊したと知らせが入ります。おもしろいことになってきたと宗尹は目を輝かせます。

元文6(1741)年の正月、二の丸にて重病の床におつきの天英院さまを、月光院どのがお見舞いなされた。そろそろお迎えが来たようだと天英院はつぶやきますが、森姫の出産を見届けてからゆっくり行きたいとこぼします。天英院は月光院に、森姫の後ろ盾になってもらいたいと依頼します。「ありていに申せば、森姫を御台所にしてほしい。天下万民のためにも一肌脱いではくれまいか」

2月27日、元号が改められ、元文6年は寛保元(1741)年と相なり申した。いやいや、天皇の代替わりでも天変地異でもござらぬ。辛酉の年は自動的に改元されるのがしきたりでござる。天英院様のご逝去はその改元の日の翌日でござった。ご葬儀は3月8日、芝増上寺にてしめやかに執り行われ申した。享年81。

家重がそばをズルズルとすする中、お幸は西の丸から二の丸へ移るよう命じられます。忠光によれば出世というのですが、体のいい追い出しなわけです。お逸には気兼ねなく子を産んでもらわねばならないと家重は説明しますが、大奥のしきたりを教育するお幸を嫌ったお逸の差し金ではないかとお幸は見ています。寛保元年6月20日、家重公側室・お幸の方は西の丸から二の丸へ移され申した。

7月21日、ご次男田安宗武公に姫ぎみご誕生。その名も「誠姫(まことひめ)」と名付けられ申した。今度はきっと男の子じゃ、と吉宗は宗武を励まします。そこに家重が錯乱状態で飛び込んできました。誰かに毒を盛られたと言い出すのです。御膳奉行に確認した忠光は、家重の思い過ごしだと吉宗に説明しますが、家重の乱れようは尋常ではありません。心配した久通がそっと近づくと、身をのけぞってガタガタ震えます。家重は頭を抱えて大泣きし、奇声を上げます。

 

作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
黒木 瞳 (お久免)
阿部 寛 (松平乗邑)
中村 梅雀 (徳川家重)
山下 規介 (松平宗武)
宍戸 開 (松平宗尹)
天宮 良 (大岡忠光)
新藤 栄作 (徳川宗勝)
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名取 裕子 (月光院)
寺島 しのぶ (お逸)
松原 千明 (お幸)
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草笛 光子 (天英院)
西岡 徳馬 (松平信祝)
柄本 明 (徳川宗直)
小林 稔侍 (加納久通)
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制作統括:高沢 裕之
演出:清水 一彦

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第45回「みかんの木」

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