プレイバック八代将軍吉宗・(46)決断
これはこれは毎度ご贔屓かたじけのうござりまする。
さてお客様の中には江戸城の場面をいったいどこで撮影しているのかと、ご不審の向きもござりまするが、そろそろここら辺りで種明かしをいたしとう存じまする。さて深夜午前1時24分、ここはNHK106スタジオ。ご覧あれ、大勢のスタッフがジャズ音楽を聴きながら徹夜でセットを建てておりまする。ついで松花木が運ばれ、プラスチック製の庭石が持ち込まれまする。更には小道具類も。
さてこちらはメイクアップルーム。還暦をお迎えの吉宗公がせっせと老け顔を作っておりまする。「(西田)うーん、だいぶ老けたねえ」この若返るよりは楽そうです……な。こちらは衣装部屋。時代劇では衣装選びがこれまた大変、季節に合わせ背景に合わせ、体格要望も考慮に入れて、馬子にも衣裳なんてことは誰も言っておりませぬよ?
カメラ、照明、そして音声の準備もよろしいようで、お待たせいたし申した。まずはカメラリハーサル。セリフは覚えていますでしょうかね。では! 用意……スタート!
寛保3(1743)年8月22日、一橋宗尹どのに早くもご嫡男誕生。そのお七夜のお祝いに、将軍家のご家族が一橋邸にお集まりでござった。“利発げなまなざし” “気品あふれる額”と、親バカな宗尹に徳川吉宗は大笑いです。これで吉宗は4人の孫持ちとなり、その中でも年上の家治は学問好きに育っています。ボーッとしていた徳川家重は、家重の利発さに笑みをこぼし、こちらも親バカです。
家重は田安宗武を一瞥し、2人とも姫君であることから早く嫡男をあげよと勝ち誇りますが、そこに家重と宗武の思いがバチバチに衝突します。表情を曇らせる吉宗ですが、若君でも姫君でもよい! とお久免は優しく諭します。「ご先祖さまと子孫の中継ぎ役を果たすことに他ならぬ。ところが男だけでは中継ぎ役はできぬ。女子だけでも同じこと。双方睦み合うてこそ大切な命の灯火を次につなげることが出来る」
その秋、お幸どのはうら若き中臈・志津どのを家重公にご献上あそばそうとなされた。将軍ともなればたくさん子がいたほうがいい、と考えたお幸が志津を京から呼んだわけですが、家重は「いらぬ」と断ります。お幸は子を成さないお逸に将軍家のためにならないと忠告しますが、いびるのか!? と怒った家重はお逸を連れて部屋から出ていきます。
家重の評判芳しからず、と寺社奉行大岡忠相からも報告があります。寛永寺代参の際には檜づくりの厠を3か所も設けさせ、“小便公方”の異名をささやかれるありさまです。さらに忠相は、痔血のため寺社奉行と関東地方御用掛の返上も言い出します。「やまいだれに寺? 寺社奉行にはもってこいではないか」と吉宗は笑いますが、隠居については今は認めず、しばらく待つよう命じます。
江戸城西の丸。家重が気持ちよさそうに湯に浸かっていると、湯殿に忠相が突入してきました。先ほど吉宗に報告した際、家重への諫言役を頼まれていたのです。狼狽(うろた)える家重に忠相は、家臣たちが「家重公は将軍の任にあらず、ご辞退あってしかるべし。暗君のもとに仕えるは心もとなし」と噂し、家重の評判が日に日に下落していることを伝えます。家重は忠相に湯をぶっかけ、奇声を発して湯殿を飛び出していき、涙を浮かべる忠相はその場に突っ伏します。
明けて寛保4(1744)年正月。吉宗公は恒例通り、大名諸侯より年賀の辞をお受けなされた。その後特別に、ご次男宗武どのを中奥・御座の間にお召しになったのでござる。吉宗はハッキリと、9代将軍は家重であることを宗武に告げます。宗武と宗尹は将軍の補佐役となり、家重に不都合があれば家治の後見役、場合によっては宗武自ら将軍になる子ともあり得ると説明します。
その上で吉宗は、幕政に対する意見を宗武に求めます。宗武は、海を隔てて唐や朝鮮があり、エゲレスやオーランド、ロシアの大船が日本の周辺に出没して乗っ取りを図る動きもあるかもしれません。それだけに国の司は、御定書百ヵ条に則り万民の心を一つにまとめ、威風堂々たる気概を示さなければならないわけです。少しでも不行状の誹(そし)りを受け人望を失うのは、将軍の器足り得ずと主張します。
寛保4年には改元がござって、2月21日、延享元(1744)年と相成り申した。この年吉宗公は何を思われたか、休息の間にお籠りになり、百巻に及ぶ法華経をお写しあそばした。山里御殿の茶室には、月光院と松平乗邑がいました。写経は家重から宗武への心変わりをした証しと受け取ったふたりは吉宗の隠居も近いとみて、なお一層宗武を推挙することで意見を一致させます。
さればでござる。ご老中のうち9代将軍に家重どのを推す“保守派”は、このお三方なれど、この年松平信祝(のぶとき)どのはご逝去、土岐頼稔(よりとし)どのも重病の床、頼みの松平輝貞どのはすでに80歳。一方、田安宗武どのを推す“改革派”は松平乗邑どの、本多忠良どの、その背後に月光院どのがござった。さて、あの将軍の座にお座りになるのは、果たして家重どのか宗武どのか。いやはやいつの世もトップの座を巡っては、ゴタゴタがつきものでござりますな。
趨勢に及び宗武どの若干有利に傾くと思いきや、7月半ばごろ、これに水を差す不祥事が起き申した。家重がいる西の丸の床下から打ち付けられたわら人形が出て来ました。宗武の小姓頭須田一学の弟・留之助が5月、兄に頼まれて修験舎を訪れて家重調伏を依頼したと稲生次郎左衛門が取り調べます。しかし留之助は調伏については認めようとしません。次郎左衛門はさらに追及を重ねます。
7月25日、須田留之助は反逆の罪により打ち首と相成り申した。自分は知らなかったと宗武は弁明し、家重に謝罪を申し入れます。家重は依頼主の一学の切腹を命じますが、蟄居を申し渡しているからと、切腹については許しを請います。「推参なり宗武! 此度の一件は詫びを入れて済むものにあらず。田安家の謀反と心得る。場合によっては宗武にも切腹申し付ける!」
同席していた乗邑はたまらず吉宗に相談します。仕える家臣の中には主君への忠誠心をはき違え、愚かな振る舞いをする者も珍しくなく、いちいち主君の罪を問うていれば、首がいくつあっても足りません。逆上する家重にも、宗武は舎弟として立派な振る舞いだったと乗邑は報告し、英断の時と吉宗を見据えます。
家康没後130年を区切りに、西の丸に退いて隠居したいと考える吉宗は、今回の事件を機に家重を廃嫡して、宗武に相続させたいと加納久通に打ち明けます。久通は、いったんはその話を受け入れ、廃嫡後の家重について仏門に帰依させるよう進言します。それはむごいと言葉を失う吉宗に、廃嫡ほどむごい仕打ちはないと久通は睨みつけます。
30数年前の伊予西条藩で跡継ぎ松平頼雄の廃嫡があり、断行した父の松平頼純は亡くなる直前まで後悔していました。頼雄は江戸を追われ、和歌山を追われ、田辺に蟄居後、命を奪われました。当時は“宗直の援助を断り断食の上最期を遂げた”と聞いていましたが、実は殺されていたとは……。驚く吉宗に久通は「仔細は宗直公にお聞きあそばしませ」とつぶやきます。
吉宗は宗直を呼び出し問い詰めます。頼雄の不行状は尋常ではなく、蟄居の身でありながら家中にキリシタンの教えを広めようとし、江戸に出て吉宗の取り立てを企て、藩の掟に背いたのです。「お咎めは甘んじて受けまする。されどこれだけはお聞き願いたい。げにおぞましきは家督を巡る争いにございます。兄を廃嫡に及んだ父を逆恨みしたこともござる。これは当の本人でなければ分からぬ仕儀でござる」
その夜、顔に刀傷を負った宗武が吉宗の寝所に飛び込んできました。手には血が滴る刀……。「父上! たった今、兄上を手にかけ申した!」 ええっ!? と吉宗は驚き震えます。お許しくださりませ、と叫んだ宗武は吉宗の胸に飛び込み、そのまま絶命します。何度も何度も宗武の名を呼ぶ吉宗です。むくりと起き上がった吉宗は、悪夢にうなされて大汗をかいていました。
明けて延享2(1745)年2月15日、西の丸にておめでたがござった。庭で鉄砲の試し撃ちをする吉宗に家重が、お逸が次男を産んだと飛び跳ねながら報告に来ました。吉宗は大して驚かず、皿を的に鉄砲を撃ち放ちます。その爆音に腰を抜かす家重です。吉宗は喜びもせず労わりもせず、家重の身なりを注意して伸びていた鼻毛も抜きます。
家重の次男・万次郎を抱くお逸に、お手柄じゃと労わりの言葉をかけるお幸ですが、家治が嫡男であることを改めて示し、分をわきまえるよう諭します。弟見たさに近づこうとする家治を力づくで押さえるお幸は、お逸に労わりとして祝いの品物を進呈します。
いみじくもこの日3月1日、日蝕(にっしょく)がござった。遠眼鏡で太陽をじっくり観察する家治ですが、目を傷めると吉宗は遠眼鏡を取り上げます。日蝕の仕掛けについて、家治は吉宗を太陽、自分を月に例えて吉宗に説明してみせます。天文方に聞いたわけでもなく、自分で書物を読んで知ったと聞き、吉宗は家治がかわいくてグリグリとほおずりします。
夜、吉宗の盃に酒を注ぐお久免です。夫婦の会話でも家治の話でもちきりで、お久免は“次の次の将軍はぜひ家治どのに”と言いますが、家重が9代将軍にならない限り、家治は10代将軍にはなれません。宗武には娘しかおらず、先の先を読むよう言われて、吉宗はめんどうくさそうです。えくぼが目障りだから一人にしてくれと口走り、拗ねたお久免は立ち上がりますが、口が滑ったと吉宗はなだめます。
さてこの年は家康公没後130年にあたり、3月半ば、紅葉山の御廟所にて法華八講の大法会が盛大に執り行われ申した。宗武のいで立ちを気に入った吉宗は、大法会の後に呼び出して宗武の姿をじっくりと眺めます。目にはうっすら涙がたまっていました。そして大法会を寸分の狂いなく進めた乗邑に褒章1万石を加増し、これからも老中に留まって治世を万全に行うよう訓示を与えます。
そして7月7日、七夕の日。お逸の膝を枕に雷に震える家重ですが、今から吉宗や老中たちが来るからお召し替えをと大岡忠光が慌ててきました。驚いて飛び起きる家重は、あの雷をなんとかせい! と忠光に脇息を投げつけますが、蚊帳に囲まれていて忠光には遠く届かず、脇息はコロコロと転がり落ちていきます。
着替え終わり、中奥廊下をとぼとぼと歩く家重は、雷の轟音に腰が引けて動けなくなります。そのスキに足袋の紐を結び直す忠光は、「恐れながら、どんな御沙汰がござりましょうとも決してお取り乱しのなきように」とこっそり伝えます。家重は神妙に、相分かった、とだけ返事します。
中奥御座の間に入った家重は、座の中央にちょこんと座ります。そこに吉宗が現れ上座に着座します。顧みれば30年、将軍職としては最も長い在職期間となりました。8代将軍の座を退き──「9代将軍を家重とする」。その言葉に久通は当然と頷き、乗邑は衝撃を隠せず、忠光は肩を震わせ涙を流します。何より家重本人がとても驚いています。雷に悶絶する家重ですが、吉宗に叱咤されて轟音にグッと堪えます。ニッコリ頷く吉宗です。ついに9代将軍家重公決定のご決断がなされたのでござる。
作:ジェームス 三木
音楽:池辺 晋一郎
語り・近松門左衛門:江守 徹
題字:仲代 達矢
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西田 敏行 (徳川吉宗)
小林 稔侍 (加納久通)
中村 梅雀 (徳川家重)
阿部 寛 (松平乗邑)
山下 規介 (松平宗武)
宍戸 開 (松平宗尹)
天宮 良 (大岡忠光)
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黒木 瞳 (お久免)
寺島 しのぶ (お逸)
松原 千明 (お幸)
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名取 裕子 (月光院)
柄本 明 (徳川宗直)
寺泉 憲 (松平頼雄)
藤岡 琢也 (松平頼純)
滝田 栄 (大岡忠相)
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制作統括:高沢 裕之
演出:大原 誠
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』
第47回「大御所」
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