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2025年12月12日 (金)

プレイバック八代将軍吉宗・(48)祭ばやし [終]

花咲き花散り、月昇り月沈む。将軍家にまつわる話もいよいよ千秋楽と相成り申した。されば近松門左衛門、テレビ桟敷の皆々さまにお目にかかるも今宵限り。寂寥(せきりょう)の感うたたせつなく、胸に染み入るなごり雪、この世の者ではござらねど、語り続けて長丁場、勢い余って失言暴言、ご不興の段は平にご容赦を。……笑止千万! は! は! は! は! は!

さればでござる。吉宗公は9代将軍の座を家重公にお譲りあそばし、嫡孫家治ぎみをそのお世継ぎとなされ申した。さらに田安宗武どの、一橋宗尹どのに、家治ぎみの御弟万次郎ぎみを加えて、後の「御三卿」を創設なされたのでござる。この御三卿のご身分は、神君家康公お定めの御三家を凌ぎ、15代にわたる将軍の座は、前半が家康公のお血筋、後半は吉宗公のお血筋と大きく分かれ申した。これすなわち、吉宗公が“小家康”と呼ばれる所以でござる──。


延享4(1747)年4月16日、江戸城二の丸にて火災が起き、壮大な御殿をことごとく焼き尽くし申した。松平武元は二の丸老中として徳川家重に謝罪し、処分が出るまで謹慎したいと申し出ますが、家治の身に大事がなかったのは不幸中の幸いと、そこまでする必要はないと穏やかです。

しかしお幸は、今回の火事は付け火であることを匂わせ、家治に危害を加えようと欲する者の仕業だと訴えます。家治の凶事を勿怪の幸いと心得る者……家重は一瞬宗武が頭をよぎりますが、殿方ではないと聞いて、お幸はお逸のことを言っていると感じ取ります。「そちはまだ性根が直らぬのか? 火をつけたのはその方じゃ! さては二の丸への蟄居を逆恨みいたし、火を放ってお逸を陥れんと試みたな!」

同年7月、さらに憂慮すべき事件が起こり申した。9代将軍家重公の治世を真っ向から批判する上申書が、田安宗武どのより提出されたのでござる。上申書を読み上げる田沼意次ですが、もうよい、と吉宗は途中で止めます。宗武は将軍を補佐すべきなのに上申書とは許しがたいと立腹します。差し戻しを求める加納久通に、吉宗は公の場で宗武の罪を明らかにせよと久通に命じます。

上申書は吉宗公の逆鱗に触れ、大目付石河(いしこ)政朝どのによる詮議と相成り申した。政朝は宗武を不忠の極みと断罪しますが、天下を憂いての諫言を不忠とは心得難い、一橋の子を大名の養子にするのは先君の思いに背き、それこそ不忠だと宗武は開き直ります。「上様のご政道正しからず。ましてや酒色におぼれ遊芸に身をやつし、奥向きの不首尾にいたっては目を覆わんばかりなり。これを見逃さんか、内外に良からぬ風潮高まり、やがては幕府滅亡の基(もとい)とならん!」

報告を受けた家重は、自ら引導を渡してくれる! と激怒します。しかし宗武は病気だと政朝が庇うと、宗武の登城を差し止め蟄居を命じます。一方の宗武も怒りが頂点に達し、酒を浴びるように飲みます。あのような息子に将軍の座を譲って父上も阿呆じゃ、と宗武は哀しそうに笑います。森姫はたしなめますが、その声は怒りに震える宗武には届きません。

文武両道に秀でたしっかり者、という宗武への評価はひっくり返り、失望したと吉宗はため息をつきます。かといって家重も相変わらずだらしがなく、よい将軍とは言えません。久通は“名馬名伯楽”の例えを出し、優れた家臣を持てばそれだけで名君だと助言します。自分のことを言うておるのか? と笑う吉宗は「そなたには本当に世話になった。兄として傅役として側近として、このわしをよう導いてくれた。加納久通なくして、今日の吉宗はなかったぞ」と見つめます。

今回、武元が老中となり、酒井忠恭(ただずみ)と堀田正亮とともに若手ながら傑物揃いと久通は褒めたたえます。吉宗は家重を支える家老が若すぎないかと不安ですが、大御所も自分もかつては若かったと微笑みます。「若さというものは何物にも代えがたい宝にござります。悲しみの時も失意の時も、若さがこれを癒します。人生に大きなしくじりがあっても、めげずに立ち直ることが出来ます」

 

延享5(1748)年の春、大奥にてご不幸がござり申した。お幸を見舞う家重は、寂しい思いをさせたとこれまでの行動を詫びます。フッと笑顔を見せたお幸は家治のことを家重に頼み、二の丸の火事について弁明しようとします。家重は慌ててあれは失火であると告げ、それを聞いたお幸は安心しながら永遠の眠りにつきます。

2月26日、お幸の方ご逝去。御亡骸は東叡山寛永寺に葬られ、おくり名は「至心院」。享年44。これが心の痛手とお成りでござったか、家重公は大奥にお閉じこもりになり、表へはめったにお出ましあそばさず。じっと金魚を見つめている家重に、お逸は言葉をかけられません。この年7月18日、またも元号が改められ、寛延元(1748)年と相成り申した。

久通は、家重の治世にはなるべく口出ししないよう吉宗に進言します。遺言と思っての進言に、吉宗は隠居は許さないと返しますが、久通は目が不自由になり真っ当な働きができないわけです。76歳という高齢なので医師も治癒の見込みなしと診断したようで、吉宗は涙を浮かべて慰留します。「ありがたき仰せながら、ご政道つつがなきためには若い者に道を譲らねばなりませぬ。久通の後任は田沼意次に──」

久通の脳裏には、吉宗の姿がくっきりと焼き付いています。木から落ちる源六、生母と対面した源六、迷子になった新之助、大笑いする頼方……。吉宗は杖を突き、その後ろからゆっくりついていく久通です。二人とも年を取りました。吉宗は久通の手を掴み、杖を握らせます。この夏、西の丸若年寄加納久通どのご隠居。間もなく病床に伏し、8月19日ご他界なされ申した。

この秋ごろ、新将軍家重公に対する不満が続出し、大御所への駆け込み訴えが引きも切らぬ有り様。家重の命で嫡男小五郎を越前福井へ泣く泣く養子に出した一橋宗尹は、生まれた男子を次々と養子に出されてしまったら、田安も一橋も一代限りで消えてしまうと吉宗に訴えます。次男を一橋の後継とするよう吉宗からの助言を願い出ます。

家重の治世に口を出したくないと吉宗は難色を示しますが、宗尹は一橋家を返上すると迫り、出て行ってしまいます。吉宗は仕方なく意次から大岡忠光に取り次ぐよう取りなします。吉宗公の口利きにより、宗尹公ご次男仙之助ぎみは一橋家のお世継ぎと相成り、小五郎ぎみとお名をお改めでござった。

忠恭は、老中として忠光を通じて治世の伺いを立てても家重の裁可がなく、本丸表で執政するよう吉宗に取りなしを願い出ます。吉宗はこれを断り、老中たちもだらしがないと叱責します。将軍の至らない点は臆せず諫めるべきだという吉宗ですが、家重に諫言した西尾忠尚は直ちに職を解かれた前例があり、躊躇しているようです。「その方たちも工夫が足りぬのよ!」

吉宗を茶に招いた月光院は、宗武の処分についてやんわり意見します。宗武は将軍に無礼を働いたと弁明しますが、血を分けた我が子を1年以上も蟄居させたまま見捨てるのは、あまりに無慈悲、あまりにも冷酷と食い下がります。吉宗はそれには答えず、結構なお点前でした、と茶室を後にします。

寛延2(1749)年正月15日、筆頭老中酒井忠恭どの突如罷免。溜の間詰めを仰せ付けらる。忠恭は無礼な物言いをしたと弁解する家重に、政道の根幹を担う老中を軽々しく罷免するなと注意します。家臣や領民の声に耳を傾けよと諭す吉宗に、家臣や領民の目は西の丸の吉宗に向いていると訴えます。「大御所のおわす限り、家重は将軍にて将軍にあらず。家臣の信頼もござりませぬ」

吉宗はここぞとばかりに膝を打ち、信頼を集めるように振る舞って9代将軍としての力を示せばよいではないかと力説します。家重は目を見開き、力を示すために忠恭を罷免したと主張します。吉宗は「あぁ……なるほど」と撃沈します。

縁側で横になって寝ていると、お久免が羽織をかけてくれました。吉宗は長生きしてよかったかお久免に尋ねます。いいこと半分、悪いこと半分と言うが、年を取れば悪いことばかりだと嘆く吉宗に、年を取るほどに子や孫が増えるとお久免は笑います。「心配の種はいのちの種、心配ごとが失せれば生きる甲斐も失せまする。せいぜいご心配なされませ」

 

こなたは閑院宮直仁親王のご息女・五十宮倫子(いそのみや ともこ)姫でござる。家治ぎみとのご婚約めでたく相整い都よりご下向、寛延3(1750)年3月19日大奥へお入りあそばした。御年12歳。的を射抜く家治を吉宗はべた褒めします。口うるさい家臣は大切にしてやれと説くも、ムッとした表情の家治です。「家治? わしは小うるさいか?」「はい」「あー……」

蟄居から3年、しかし宗武は今でも蟄居した覚えはないと意地を張ります。月光院のとりなしに吉宗も家重も勘気が和らいだと政朝が謝罪を勧めても、詫びるつもりはないの一点張りです。さても情けないお言葉と武元は呆れます。「かつてはご器量抜きん出て御眼差しキラキラと輝き、幕臣の賞賛を一身にお受けの方が、わずか3年でかくも無残に変わり果てるとは」 宗武は鼻で笑います。

武元は、かの日の凛々しい姿は上辺だけの見せかけ、将軍に就こうとするためのこけおどしだったかと迫ります。宗武は怒りを露わにし扇を投げつけますが、武元は冷静にたしなめます。「およそ君主は得意の時も失意の時も、泰然自若たるべきもの。天を恨み人を恨むは小人の性にござります。神妙にご登城なくばさらにご勘気を被り、御三卿のご身分もこのお屋敷も召し上げられましょうぞ」

田安宗武どのは3年目にしてようやくご登城を許され、9月9日には家重公ご次男万次郎ぎみと初のご対面がござった。万次郎を紹介する吉宗は、いずれ清水門内に屋敷を与え、清水家を創立させると宗武と宗尹に伝えます。田安家・一橋家・清水家は家重、家治を奉り、将軍家の血筋を守るべし。「しかと承りましたッ」と宗武は手をつきます。

さればでござる。御三家にとって代わった御三卿には、明らかなる存在価値がござり申した。すなわち10代家治公にはお世継ぎがござり申さず、11代家斉公、12代家慶公、13代家定公、紀伊家からのご養子14代家茂公も実は宗尹公の玄孫にて、みな一橋家のご子孫。15代慶喜公のみ水戸家からのご養子でござる。

寛延4(1751)年、吉宗公は68歳におなりでござった。ゆっくりと薬を服用する吉宗は、また小便の出が悪うなったとこぼし、意次は寝所にお炬燵(こたつ)を設えましょうと労わります。吉宗は今年こそ上洛を考えていましたが、無理かもしれません。人は誰でも必ず死ぬわけで、吉宗の命は家重、家治へと受け継がれていくわけです。「頼んだぞ」と意次に伝えます。

寝所でお久免を抱き寄せた吉宗は、今わの際の兄徳川綱教の言葉を思い出します。“ひとりの女子を思う心で家臣や領民を思えばよい。人間は一人ひとりが人間なのだ”と。振り返れば自分はわがままで不出来な人間でしたが、久免にはつらい思いをさせたと詫びます。「ついつい憎まれ口をついてしまう。じゃがわしの心には、そなたのえくぼが焼き付いておるぞ」 泣きながらえくぼを見せる久免に、吉宗ももらい泣きします。

5月23日より床にお就きあそばした吉宗公のご容体は、依然として芳しからず。幕府の要職は景色伺いのため、次々に西の丸へご参上。徳川宗直は紀州から梅を持参して見舞います。紀州では今年も豊作で、吉宗は喜びます。宗直には負けまいと頑張ってきましたが、どうやらあの世へは先立つことになりそうです。そんな中でも吉宗は、家重のことを頼むと言い残します。

武元には老中として8代将軍の葬儀を取り仕切るよう命じます。葬儀はすべからく質素とし、新たな廟所の建立は無用。棺は寛永寺に運んで綱吉の廟所と合わせて祀るべし。そして役目を求める大岡忠相には、何もないと断ります。「何もないが、ただ一つ残念なことがある。越前、そちを老中にしてやりたかった」 それを聞いた忠相は肩を震わせます。

 

光貞の四男にござりますッ! 松平主税頭頼方にござります! 「ほうほうほう。保明、この弟にも3万石じゃ」

「あー、“吉宗”はどうじゃ? 伊達政宗の“宗”じゃ。徳川吉宗と名乗るがよい」

「わしはな、そちのような、そちのような息子が欲しかった」

詮房、上様のご存命相違なきや? 「しかと相違ございません」

「この国の治世を託すお方は、紀州殿をおいてほかにはございません。これ以上の辞退は許しませぬぞ」

しからば藩邸に立ち返り、老臣どもと相談の上。「そのままそのまま!」「皆の者、8代将軍に拝礼せよッ!」

大海を大くじらが水しぶきをあげて飛び上がります。静かに眠る吉宗の周りを、家重、お久免、武元が囲み、意次がうちわで風を送っています。ゆっくり瞼を開けた吉宗は、方々で百姓一揆が起きていると聞いたとして、民を見くびるな、精いっぱい真心を尽くせと家重に伝えます。「家重……独り立ちせい……もうわしは……口は出さぬ」

今日は6月15日、山王祭の日です。吉宗の耳に祭ばやしの音が聞こえます。猿回しに歓喜し、迷子になって久通に手を掴まれて引かれていきます。大人になって参加した祭では、久通と神輿を担いで階段を降りていきます。そんな思い出が吉宗の脳裏を駆け巡ります。

しばらく眠っていた吉宗が目を開くと、襖が開き光が差し込みます。その先には3人の少年たちが座って笑っています。「源六にござります」「新之助にござります」「頼方にござります」 そうか、わしであったか、と吉宗はフッとほほ笑みます。3人の自分たちに手を引かれて、吉宗は光に向かって歩き始めます。いつまでもいつまでも笑いが絶えません。

天井を見つめたままの吉宗の寝息がピタリと止まり、典医が深々と頭を下げます。御簾の外で見守っていた家重らに、武元が告げます。「大御所さま、ご薨去あそばしました」 寛延4年6月20日、江戸城西の丸にて8代将軍吉宗公ご薨去。御亡骸は東叡山寛永寺、綱吉公のご廟所につつがなく収められ、おくり名は「有徳院殿」。享年68。

 

えー、1年の長きにわたりご覧いただきましたるは、ご存じ徳川吉宗公の物語。おかげ様にてつつがなく幕が下り申した。ご贔屓の皆々様には、近松より厚く御礼申し上げます。ちょいと失礼をば。
は? な……な? あっはっは。これはご無理を仰せられまするな。吉宗公があの世へご出立なされた上は、芝居はお終いでござる。は? そういうお前も幽霊ではないか? あー、これは一本取られましたな。よろしゅうござる。近松、さればご要望に応えて筆を進め、あの世の様子をばしばしお目にかけなん。

ごつごつした岩の間を歩いていく吉宗。岩の陰から姿を現したのは父・徳川光貞でした。ばかに早いな、と光貞は見つめます。吉宗が68歳まで生きたのに対し、光貞は80歳の大往生だったのです。将軍職は激務でございましたと吉宗は言い訳しますが、負け惜しみを申すなと光貞にたしなめられます。「父上にはかないませぬ。あっはっは」

図らずも将軍職に就いて30年、己の力不足を思い知らされたとつぶやく吉宗に、光貞は幕府を立て直したと褒めます。治世に全力を尽くしたか? 卑怯な振る舞いはなかったか? 光貞の問いかけに、尽くしました、ございませんと胸を張る吉宗に、それでよい、と微笑みます。「将軍といえども人間じゃ。思惑から外れることもある、しくじることもある。己を顧みて恥じるところがなければ、それでよい」

それでも大きくため息をつく吉宗です。家重が生来病弱で、幕府の行く末が気がかりなのです。そこで現れた近松門左衛門は、徳川幕府は15代まで続いたことを告げ、光貞は驚きます。その後は朝廷への大政奉還があり、西洋のエレキ文明が入ってくるようになりますが、光貞は「えれ……えれ?」と、聞きなれない言葉にとまどっています。

武門の世ですが、武士は髻(もとどり)を切り刀を捨てたと知ると、さすがの吉宗も目を開いてビックリします。文明の発展はとどまるところを知らず、森林を切り崩し空気を汚染させ、一挙に人類を滅亡させる核兵器を発明させました。さもしい商業社会が全世界を覆いつくし、人々は金の亡者になり果てました。「『論語』は読んでおらぬのか?」と尋ねる光貞に、「論語ではなく漫画を読んでおりまする」と近松が説明すると、漫画というものがどういうものか知らないはずなのに「はー」と納得しています。

日本人は慎みを忘れ、礼節もわきまえず、奥ゆかしさももののあはれもあらばこそ、立ったまま酒を飲み飯を食らい、若い女が太ももを丸出しにして街をうろつく。そんな今のニッポンを、吉宗はどう感じたでしょうか。

──完──


作:ジェームス 三木

音楽:池辺 晋一郎

テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:高関 健
演奏:東京コンサーツ

語り・近松門左衛門:江守 徹

時代考証:大石 慎三郎
建築考証:平井 聖
風俗考証:原島 陽一
衣裳考証:小泉 清子

茶道指導:鈴木 宗卓
所作指導:猿若 清三郎
殺陣・武術指導:林 邦史朗

題字:仲代 達矢
タイトル映像:島 正博

撮影協力:和歌山県
    :和歌山市

 

西田 敏行 (徳川吉宗)

小林 稔侍 (加納久通)

黒木 瞳 (お久免)

山田 邦子 (お紋)

中村 梅雀 (徳川家重)

秋野 太作 (阿部正喬)

山本 圭 (徳川綱條)

大滝 秀治 (徳川光貞)

山下 規介 (田安宗武)
宍戸 開 (一橋宗尹)

平松 慎吾 (石河政朝)
小林 健 (田沼意次)

阪本 浩之 (頼方)
尾上 松也 (新之助)
青柳 翔 (源六)

草川 祐馬 (酒井忠恭)
板倉 哲 (堀田正亮)
いしい すぐる (徳川家治)

戸田 都康 (松平頼致)
刀坂 悟 (酒井忠寄)
山田 敦彦 (本多正珍)
小野瀬 輝 (万次郎)

 

名取 裕子 (月光院)

松原 千明 (お幸)

香川 照之 (松平武元)

天宮 良 (大岡忠光)

草笛 光子 (天英院)

寺島 しのぶ (お逸)
長谷川 かずき (森姫)

中野 みゆき (俊姫)
濱松 恵 (五十宮倫子)
前田 賢 (小五郎)

石倭 裕子 (青野)
坪井 雅子 (お新)
青山 美峰 (お辰)

井津元 亮 (家臣)
志水 政計 (家臣)
南風見 恵子 (町娘)
菅野 美寿紀 (町娘)

園部 志郎 (火吹き男)
村崎 二郎 (猿回し)
今井 耐介 (典医)
新城 彰 (典医)

和歌山のみなさん
 ─────
若駒プロ
劇団いろは
劇団ひまわり

鳳プロ
東京宝映
NLT
宝井商店
放映新社

 

滝田 栄 (大岡忠相)

柄本 明 (徳川宗直)

名古屋 章 (土屋政直)

石坂 浩二 (間部詮房)

津川 雅彦 (徳川綱吉)

 

制作統括:高沢 裕之

美術:小林 喬
美術:佐藤 博
音響効果:石川 恭男
記録・編集:徳島 小夜子

撮影:永野 勇
証明:竹内 信博
音声:太田 進潑
映像技術:芦沢 瑛紀
美術進行:近藤 智司

 

演出:清水 一彦

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