南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第20回 南ケ丘栄華乃バス噺 (最終回)
前回は、「過去」「現在」までお届けしてきたこのシリーズで、「こうなったらいいなぁ」という希望も含めて、3つの「未来予想図」を描いてみました。ハッキリ言うと実現可能性は全くないのですが、大きく夢を持ってみた次第です。
これまでは(22)番の路線概要とその歴史を細かく見ていったわけですが、今回は廃止された停留所をそれぞれで見ていくことにします。今春“廃止された停留所”といえば、「平田(22番下大利駅方向)」「緑ケ丘」「南ケ丘四つ角(22番)」の3か所、標柱5本分です。
【平田】

平田バス停。標柱4本あるうちの、(22)番下大利駅方面ゆきバス停です。

ちなみにここだけが電照式。片側2車線沿いにあるせいか、よく(?)車に突っ込まれて大破するという事故に遭いまして、何度か新しく立て直されました。

平田バス停をちょっと進むと、太宰府市と大野城市の市境がありますね。太宰府市ギリギリまで路線が残ったということで、ここから下大利駅方面への大野城市側が廃止の対象となりました。


昭和51年4月7日に設置された平田バス停。そのおよそ7年後(昭和58年ごろ)の姿と、およそ48年後(令和7年)の廃止直前の姿。【太宰府市役所『市政だより太宰府』昭和58年8月15日号】より

一方、こちらは下り。(22)番西鉄二日市方面ゆきバス停です。こちらの標柱は廃止されておらず、現在も西鉄二日市方面へ行くにはこのバス停からの乗車になります。

バス停の前には「とんかつ濵かつ」。「リンガーハット」も敷地内にありましたが閉店し、その後にオープンした「韓丼」も最近閉店しました。若いころ、会社帰りにバスを降りて、そのリンガーハットによく通ったなぁ……。



現在では飲食店、銀行、スーパーなど店舗が並ぶメインストリートですが、昭和58年ごろはガソリンスタンドぐらいで何もありませんでした。Before & Afterなので当然ですが、なんとなく似ていますよね。【太宰府市役所『市政だより太宰府』昭和58年2月1日号/昭和58年10月15日号】より
【緑ケ丘】(旧・南ケ丘五丁目)

もともとその場所にバス停があったわけではなく、以前はこの「手塚ファイブビル(手塚第5ビル)」の前にバス停がありました。今では違う企業が入っていますが、ビル2階の学習塾に小学5年から中学1年まで通いました。お隣のピアノ教室に懐かしさも感じます。

実は下りバス停も、新設当初からこの場所にバス停があったわけではなく、

少し平田寄りにあるめがね屋さんの、限りなく病院寄りにありました。昔は長屋式のお店が4店舗ほど並んでいましたね。理髪店、クリーニング屋さん。そういえばお寿司屋さんもありましたかね。理髪店には昭和60年からお世話になりまして、道路拡張後は近くに移転して営業を続けておられた理髪店も、店主さんが高齢となったためか、数年前にお店をたたんでしまわれました。お疲れさまでした。

平田~緑ケ丘間にある大きなスポーツクラブは閉店し、現在は一部有料駐車場になっていますね。そしてお隣の歯医者さん。40年ぐらい前はここに、地域1号店となるコンビニ・セブンイレブンがオープンしていました。駐車場の片隅に、誇らしげに立っていたセブンイレブンの看板の土台が残されています。この辺りにはちょっとした歴史がありまして、それは大野城市役所のサイトに詳しいので、説明はそちらに譲るとして、その中で紹介されている“刀すすぎ池”とはこのあたりにあった? と地図から推測。「平田」のバス停名も、地域名からとったのでしょうね。
【南ケ丘四つ角】(旧・南ケ丘七丁目)

このシリーズ第18回にて「2020(令和2)年9月ごろに「南ケ丘四角」の(22)番下大利駅方面ゆきバス停が、発車後の右折レーンへの車線変更の関係で、後方に20m移設したというようなことがありました」と記載しましたが、

ちなみに(22)番が下大利駅~福農前間で新設された直前の、南ケ丘四つ角付近はこんな感じです。どことなく面影がありますね。【福岡県住宅供給公社パンフレット・昭和50年】より

『にしてつバスナビ』で表示されていた、「南ケ丘四ツ角(始発二日市方面)」の“始発”とは、路線開設後、平成時代に入っても南ケ丘四ツ角始発の系統がしばらく設定されていて、その名残り。

拙著『西鉄バス全仕事2』にも、その“始発”表記は赤矢印のようにしっかりと書き残しておりますよw

さて、都合21回に分けてちまちまつづって参りましたこの『南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」』、そろそろお開きの時間となりました。書き始める当初は、5回シリーズをイメージしていたのですが、終わってみれば21回。4倍近い分量で着地してしまいました。

下大利駅から西鉄二日市までの系統(22)番としては、昭和51年4月7日から令和7年3月31日まで通算17,890日、48年11ヶ月24日となります。約半世紀にもわたって活躍してきた(22)番に「お疲れさま」の一言と、路線短縮してなお頑張ってくれている新(22)番に声援を送りつつ、このシリーズを終えたいと思います。最後までお付き合いくださった皆さまには、感謝申し上げます。ありがとうございました。

最後に打ち明けますね。タイトルにあります「南ケ丘48」の“48”とは、運行期間の48年を意味するものでした! これが今後『天拝坂46』となってくれるのか、はたまた『南ケ丘48ぷらす3』となるかは……またの機会に。
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コメント
はじめまして。
春過ぎに南ケ丘線について調べていて辿り着き、全21回、毎回楽しく読ませていただきました。
天拝坂が造成開始とほぼ同時期に住み始め、今はもう天拝坂を出ましたが、22番は常にあって当たり前の存在でした。
幼い時は南ケ丘一丁目のスーパーや下大利、二日市のダイエーに母に連れられ、高校の通学でも市内に行くのに駅まで毎日利用していました。普段は二日市から乗降していましたが、電車の時間が合わない時は下大利からバスに乗ったり、、もうそんなこともできませんね。22番が一部廃止となったのは本当に残念です。運行がない時間は二日市から歩くか23番に乗り平田から歩くようになりました。
それでも今も天拝坂に帰った際はなるべく車ではなくバスを利用するようにしています。
元々21番や23番に比べると閑散としていたとはいえ、10年程前の高校時代は雪の日や大雨の日に積み残しがあるほど乗客もいて、普段でも二日市のバスターミナルでは他の路線より活気があり列をなしてお客さんがバスを待っていた記憶があります。
今はまさか廃止の危機になる程の状況だったとは、、、
でも確かに、21番ですらここまで減っているのに22番が存続していたのは奇跡だったのかもしれません。
運行最終日、下大利駅行きの最終便に所用があり緑ケ丘まで乗りました。図らずも緑ケ丘の最後の利用者になったようです(twitterにどなたかが写真をあげていました笑)。
このブログで22番の歴史を知ることができ、さらにこの路線に愛着が湧きました。歴史を記録していただきありがとうございます。これからも新生22番を利用していこうと思います。
長々とコメントしてしまい申し訳ありません。このシリーズを書いていただき本当にありがとうございました。
──────────
22番Userさん、こんにちは。
初めまして、Kassyです。よろしくお願いいたします。
>全21回、毎回楽しく読ませていただきました
ありがとうございます!! そこまで多く読者さんがいらっしゃるブログではありませんので、こちらも肩ひじ張らずに自分の好き勝手に書きつづっているのですが、こうして読んでくださっている方の存在を知れると、とても力になります。書いててよかった……w
>普段は二日市から乗降していましたが、電車の時間が合わない時は下大利からバスに乗ったり
それ分かります! 私は逆に普段使いは下大利駅だったのですが、当時の下大利駅(もちろん地上時代)は朝ラッシュ時の急行が通過してしまうので、(22)番で二日市駅に回って急行に乗ったり、あるいは時間があってゆったり福岡(天神)駅に向かう時も、二日市駅から始発の普通電車に乗ったりと、電車のダイヤに合わせて向かう先を変えたりしていました。そういう意味では始発地終着地ともに駅である(22)番の強みですよね。
>普段でも二日市のバスターミナルでは他の路線より活気があり列をなしてお客さんがバスを待っていた
そうでしたね! けっこう遅い時間帯でも、バス発車時刻が近づいてくると、6のりばのところからずらずらと列ができていっていましたね。しっかり覚えておりますよ。
>図らずも緑ケ丘の最後の利用者になったようです(twitterにどなたかが写真をあげていました笑)
第0回、第20回のバス写真はまさにその最終日、最終バスの画像でありまして、これに22番Userさんが乗っておられたのですね。ワタクシ平田で撮影してました! ちなみに緑ケ丘で最終バスの撮影をしてTwitter(X)に載せていたのは、バスファン界隈では超有名人のちょんびんさんですね。私もそのポスト拝見しました。
>さらにこの路線に愛着が湧きました
知らず知らずのうちに路線が出来、何も考えずに利用していれば、たぶん何とも感じなかったと思うんです。でも今回いろいろ調べてみて、そうだったんだ! の連続で、下大利駅フィーダー路線の中ではイマイチぱっとしない系統であった(22)番でも、求められて路線が出来、広がっていったんだということを知れて、本当に良かったと思います。
バスネタ全体は、ブログのカテゴリー「バス・電車」を選んでいただくと、アップした時系列で目次形式に並びます。今回のシリーズのみならず、他にも“刺さる”記事があるかと思いますので、お時間がある時にでもご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m
投稿: ★22番User | 2025年12月 7日 (日) 15:39