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2026年5月20日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(28)知恵くらべ

【アヴァン・タイトル】

伊達、伊達者。政宗の意表を突く服装や行動が、この言葉の由来となったとする説があるが、本当だろうか。この言葉のルーツを探ってみると、いくつかの語源に突き当たる。一つは「立てる(大げさにやる)」から伊達になったとする説。また「派手(はなやかな)」が転じて伊達になったという説。そして(華麗な服装から)政宗こそ伊達のルーツだとする説。いろいろな説がある中で、伊達という言葉が政宗より前の時代から使われていたというのは、事実のようである。

だが今では、伊達といえば政宗こそが代名詞。黒一色の鎧、死に装束、金箔の磔柱(はりつけばしら)など、政宗の遺したエピソードの数々が、伊達者のイメージを現代へと伝えているのである──。


謀反の疑いを巧妙に交わした伊達政宗は、天正19(1591)年、颯爽と京の都へ上り、奥州の若きプリンスとして大衆の熱狂的な歓迎を受けます。上方の諸大名・諸武将からの進物もとどまるところを知らず、独眼竜の噂は日に日に高まるばかりでした。豊臣秀吉は聚楽第に人夫職工3,000人で屋敷を建てさせますが、材木も石も念入りに吟味させるほど政宗のことが気に入ったようです。

前田利家は、これで京の都が気に入るだろうと笑いますが、政宗には米沢に自身の所領があり、領民の安全を図るために速やかに帰国したいと表明します。仙道筋あたりで蒲生氏郷と伊達との国境が定まっておらず、不測の事態を招く恐れがあるのです。豊臣秀次は懸念には及ばないと言い切ります。仙道筋の仕置きは秀次と徳川家康が、秀吉の命で詮議して取り決めることになっているのです。

千 利休が政宗は侘び茶を会得していると褒め、公家衆の前で政宗の点前を披露したいと秀吉に言っているそうです。政宗もそろそろ禁中に参内せねばと考える秀吉は、朝廷に頼み込んで奥州一の武将にふさわしい官位を用意してあげるつもりです。「沙汰があるまで、そのほうこの地を動くでないぞ」と、政宗は秀吉に足止めを食らいます。

利休といえば秀吉が所望している『橋立の壺』ですが、利休が未だに聚光院に預けたままとなっています。利休は聚光院住職に、自分以外の誰が来ても渡してはならないと命じています。偉うなったものよの、と秀吉は苦々しい表情ですが、いつ持参するか待つのも楽しみだと笑います。そんなピリピリを壊したのは淀君でした。菊丸という三毛猫がいなくなったと大騒ぎしていたのです。

 

同月、禁中に参内した政宗は侍従に任ぜられ、従五位下の位階を授かります。その夜、利休と古田織部との食事会が催され、『橋立の壺』の話になります。利休は、秀吉の茶の湯は比類なきほど華やかだが、侘び茶の極意としては『橋立の壺』を召し上げられたくないと打ち明けます。利休の娘・お吟も、秀吉に側室に望まれて命を絶った経緯があり、織部はそれと同じことだと説明します。

三成は秀吉の腰を指圧しながら、最近の利休は政宗と頻繁に会っていると告げ口します。秀吉は指圧を受けながら、険しい顔で「つぼ……つぼを……もそっと強う押せ」と三成に命じます。三成は体重をかけて指圧しながら、『橋立の壺』はこの三成が必ず、と秀吉の耳元でささやきます。その横で淀君が、南蛮渡来の好みの柄の反物を広げて秀吉に所望しています。

秀吉が利休を堺へ追放したのはそれから間もなく。茶道具の売買に職権を乱用し、暴利をむさぼったというのが理由です。政宗は徳川屋敷を訪問して利休の濡れ衣を訴えますが、大徳寺山門に己の木像を飾らせ、秀吉にその下をくぐらせたと家康は説明します。言いがかりと政宗が主張すると、家康の顔が変わります。「四国へ行きたいか九州行きが望みか。あまり利休の肩を持つと殿下の怒りを買い、遠方に国替えになるは必定じゃ」

利休は京に呼び戻されますが、利休屋敷を3,000人の軍勢が二晩にわたって取り囲み、2日後に切腹の命が下されます。上意により門弟の蒔田(まいた)淡路守が介錯することになり、春の嵐が吹き荒れる朝、利休は旅立ちます。

そのことを知った政宗は、腕ずくで首を取り返して手厚く葬ると立ち上がりますが、片倉小十郎が必死に政宗を引き止めます。利休を堺へ蟄居させたのも、足しげく伊達屋敷に通った利休への秀吉の嫉妬であり、我関せずとそしらぬ体で過ごすことが得策だと諫言します。「俺が利休どのの死を早めたと申すのかッ……秀吉という男、俺には分からぬ!!」と政宗はへなへなと座り込みます。

政宗は秀次に呼ばれ、領土仕置きについて“伊達本領に葛西や大崎12郡を加える”と発表を受けます。ただし、領内で一揆が起こればただちに没収という条件付きです。そして葛西大崎の代わりに、会津近辺の所領(田村・塩松(しおのまつ)・信夫(しのぶ)・小野・小手)の5郡を召し上げとなり、政宗は顔を真っ赤にして屈辱に耐えています。

黙っている政宗に代わり、承ったと返事した小十郎に政宗は立腹し、平手打ちを食らわせたようです。切腹を申し付けるところですが、伊達家大事を考えたのだろうと喜多は取りなします。政宗は塗り薬を喜多に預け、喜多はそれを小十郎の元へ届けます。喜多は小十郎を労わり、小十郎は、家臣にあるまじき物言いをしたのにと、政宗の恩情に深く感謝します。

伊達が所有していた田村領が蒲生氏郷の所領になり、愛姫は母のことが心配です。しかし政宗は、相馬と手を切り伊達になびいていれば一緒に暮らせたのにと、自業自得の一言で片づけます。母の話は二度とするなと言い放つ政宗は、山形からの保春院(お東)からの書状も目を通すことなく焼き捨てています。息子に毒を盛ったことが今でも許せないわけです。

小田原参陣に際して伊達家存亡の危機だった時、お東は政宗が敵の手にかかって果てるよりはわが手でという“親の慈悲”だったと諭します。それは父伊達輝宗が二本松の虜(とりこ)となった際、敵の手にかかるよりは自分の手でと決断したのと同じことと説明しますが、伊達の家名を重んじて自ら撃てと命じた輝宗の時とは事情が異なると政宗は思っているようで、怒って膳をひっくり返します。

ひと月ほど後、政宗の指示によって猫御前の一行が京に到着しました。新たに側室となるべき姫を伴っての上洛でした。出迎えた政宗は泥酔していて、小梁川泥蟠斎や鬼庭綱元は困惑します。連れてきた局は、高畠代官小島助三郎の娘・藤(とう)、国分宿老牛島監物の姪・百合の2人です。政宗は歓待の意味を込めて舞おうとしますが、足元がおぼつかなく倒れ込んでしまいます。

その醜態に諫言する綱元ですが、小十郎と猫御前のとりなしで政宗は寝所に運ばれます。政宗の面体がすっかり変わってしまい、泥蟠斎は涙を浮かべてこれまでの苦労を労わります。手をこまねいている政宗に綱元は辛口ですが、進物を届け茶会に招いてもてなし、政宗はあらん限りの手を尽くしてきました。母の追放も弟の手討ちも小田原参陣に端を発し、その仇に膝を屈するのは断腸の思いと愛姫は代弁します。

 

大崎葛西地方で再び反乱が勃発し、その知らせは直ちに京に届きます。またうごめき出してきたかと、秀吉は浅野長政らを援軍につけますが、政宗は自領だからとこれを断ります。裏へ回ってけしかけるのでは? と三成は皮肉を言いますが、聞き捨てならぬと政宗は反発します。ともかく秀吉は、今回の一揆退治は政宗に一任することにします。

別室に政宗を呼んだ家康は、鶺鴒の眼は二度と通用しないと忠告し、政宗を送り出します。帰国の途についた政宗が目指す大崎・葛西地方は、現在の宮城県北部にあたり、米沢入りを翌日に控えて近郊の寺に宿をとります。小十郎や原田左馬助は今回の一揆討伐について、秀吉の差配通りに一揆を討伐するのか、政宗の本心を尋ねます。

政宗は一揆勢を一人残らず討ち取るつもりですが、綱元は今回こそ一揆勢を束ねて京に攻め上る好機と異を唱えます。政宗は、何もかも心得ている秀吉は自分を手元から解き放ち、謀反するかどうかを試していると諭します。初手から負け犬ではと食い下がる綱元に、秀吉に負けたとは思っていない政宗は「武力を持って天下を攻め取るのが難しければ、知力を持って攻め取るしかない」とニヤリとします。

秀吉が命ずるままに大崎葛西を平らげ、絶大な信頼を得たうえでその懐に潜り込む……。それから先は、秀吉との知恵比べです。政宗の野望はまだまだ消えてはいません。

 

脚本:ジェームス 三木
原作:山岡 荘八「伊達政宗」
音楽:池辺 晋一郎
タイトル刻字:長 揚石
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[出演]
渡辺 謙 (伊達政宗)
西郷 輝彦 (片倉小十郎)
竹下 景子 (喜多)
桜田 淳子 (愛姫)
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池辺 良 (千 利休)
奥田 瑛二 (石田三成)
陣内 孝則 (羽柴秀次)
樋口 可南子 (淀君)
大木 実 (前田利家)
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語り:葛西 聖司 アナウンサー
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岩下 志麻 (<回想>お東の方)
秋吉 久美子 (猫御前)
津川 雅彦 (徳川家康)
勝 新太郎 (豊臣秀吉)
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制作:中村 克史
演出:樋口 昌弘

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』
第29回「左遷」

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