プレイバック独眼竜政宗・(37)幻の百万石
【アヴァン・タイトル】
慶長5(1600)年9月15日、天下分け目の関ケ原の合戦が起こった。太閤秀吉死後、天下の趨勢(すうせい)は徳川家康に傾いていた。そのため豊臣家の将来を憂慮した石田三成が、家康と関ケ原で激突したのである。家康の率いる東軍104,000、三成を中心とする西軍85,000は、関ケ原に布陣した。家康の本陣は桃配山にあり、三成側の主力は笹尾山にあって、満を持した。
午前8時、決戦の火ぶたは切って落とされた。正午までは一進一退の乱戦であったが、かねてから東軍に内応していた小早川秀秋が西軍の側面を攻撃し、形勢はにわかに東軍有利となった。そして午後3時ごろまでに西軍は総崩れとなり、勝負がついた。かくして関ケ原の合戦は東軍の大勝利となり、徳川家康は名実ともにポスト秀吉の座を勝ち得たのである──。
関ケ原の合戦での東軍勝利の知らせは各地にもたらされますが、遠く奥羽の地にいる伊達政宗のもとにはまだ届いていません。そのころ政宗は北ノ目城にいて、最上義光の要請を受けて上杉との和睦を破棄し、留守政景の軍勢を山形へ送っていました。
伊達成実は、上杉重臣の直江兼続が最上へ押し入っている隙に、伊達郡と信夫郡に兵を進めて上杉勢の分断を図りたいと進言します。東軍西軍の戦で、めでたく徳川方が勝てば百万石のお墨付きにより、伊達の本領は政宗の手に収まります。ただ問題は石田方が勝った場合です。上杉勢は嵩(かさ)にかかって奥羽平定を図ると思われ、今のうちに取れるだけの領土を取っておく必要があります。
片倉小十郎はさらに、北辺の国境にいる南部氏を攻撃させると主張します。鈴木重信は「二兎を追う者は一兎をも得ず」の例えを持ち出して難色を示しますが、小田原参陣を拒んで所領を没収された和賀忠親に、恨みを抱く南部に対して謀反を起こさせるわけです。政宗は水沢城主・白石宗直を通じて忠親の蜂起を促し、旧領奪還の好機到来と奮い立った忠親は南部領を攻撃します。
一方、大坂城の淀君は余裕の表情ですが、駆けつけた大野治長が「関ケ原の合戦において西の軍勢が大敗を喫しました」と報告します。石田三成ら諸将は散り散りで国許へ逃げ帰り、留守を預かる毛利輝元は早くも西の丸を家康に明け渡す支度をしています。淀君は、家康の勝手にはさせぬと怒り心頭です。「太閤のご遺言により天下を賜ったのは秀頼じゃ。ええい口惜しや、三成の不甲斐なさはどうじゃ!」
未だ徳川勢の大勝利を知らない政宗は、本隊を伊達郡に向けて上杉勢と戦っていました。そこに現れたの久しぶりの国分盛重です。政宗はなぜ国分の軍勢を出さないのかと詰問します。盛重は日ごろから政宗の命を軽んじ、岩出山への出仕を怠けているのです。盛重は政宗の叔父ですが器量は著しく劣り、国分の軍勢を率いることもできません。2,000や3,000の兵を引き連れて戦場にはせ参じるとの盛重の言葉を受け、政宗は3日の猶予を与えます。「申し状にいささかなりとも相違あらば、切腹を申し付ける」
──叔父だぞわしは! 政宗ごとき若造に切腹などと……たわけたことを申すな! 甥が叔父を切腹させるとは反対ではないか。片腹痛いわ! ……切腹したら片腹どころではないわ。こら! 切腹! あ、違う政宗! どうしてわしを国分へやった? わし一人が一番損をしておる。2,000人だと? は! は! 無理な相談でござるわ。500も動かぬ。そこでやっぱり切腹か……どうかご勘弁を! 勘弁ならぬ! バサッバサッ……ああっ。南無八幡大菩薩、死にとうないわい。死にとうないわい。どうする盛重? どうする盛重? 政宗が! この政宗が! 政宗が!──
盛重はこのまま逐電しました。常陸の佐竹義宣を頼っていったと伝えられています。
関ケ原で東軍が勝ったことを政宗が知ったのは、半月も経ったあとの9月30日でした。津田景康がそれを伝え、米沢も梁川も二本松も田村も自分のもとに戻ってくると政宗は歓喜します。さらに景康は、飯坂局(猫御前)が関ケ原合戦前夜に男子を産んだと伝えます。愛姫はじめ虎菊丸、五郎八姫、秀宗も北政所の屋敷で無事に過ごしていると報告すると、政宗に労わられて肩に手を置かれます。
その愛姫は、身に余る計らいで危難を免れたと北政所に感謝しますが、神仏のご加護で自分の手柄ではないと北政所は控えめです。三成が徳川方の人質を討てと命じたことも、北政所は女や子どもを人質にして危害を加えるやり方を浅ましいと非難します。男はみな見栄を張り、相手を倒して己の力量を誇り、お家のために潔く死ぬことを武門の誉れと持てはやす。北政所はこれを“男の業”だと説きます。
その男を産むのは女子であり、世継ぎを産んで育てればまた新しい戦を起こすことになると愛姫の表情が暗くなりますが、北政所は一定の理解を示しつつ、そうでないかもしれぬと見据えます。「真に優れた器量の持ち主ならば、戦をせずに世の中を治めよう。いつかそのような武将が現れるかもしれぬ。せめて虎菊丸どのに望みを託して大切に育てるがよい」
伊吹山に逃れていた三成は田中吉政に捕らえられ、京へ送られます。白湯を所望した三成に吉政は干し柿を勧めますが、痰の毒だと断ります。これから首を刎ねられる者が身体の心配をする自らの姿に、三成はフッと笑います。ただ死ぬ間際まで本懐を遂げようと、命を大切にせねばと考えていたわけです。慶長5(1600)年10月1日、三成は洛中引き回しの上、六条河原で斬首の刑に処せられました。41歳でした。
政宗はさらに上杉勢と小競り合いを続け、福島城を攻める気配を見せていました。小十郎は、合戦したとしても百万石のお墨付きがあるため、無理強いせずとも旧領は戻ると進言します。成実は、今さらながら家康が約束を守るのか心配になってきました。忠親の謀反が家康の耳に入ったら厄介だと、その前に百万石の約束を果たしてもらうに限ると、念には念を入れよと言いたいわけです。
隠居して仏門に入り、妻子の菩提を弔うことにした義光が現れます。政宗と息子義康が仲良くと願いますが、義光が上杉討伐の出馬をしなかったと指摘されるや、政宗こそ家康に背き上杉と和睦に及んだと売り言葉に買い言葉です。恐らくは義康に諭されて神妙にしていたものの、やはり憎しみは消えなかったということで、小十郎は義光に引き取りを求め、政宗を睨みつけながら義康に促されて戦場を後にします。
成実と二人きりになった政宗は、小十郎に成実の嫁探しをさせていると打ち明けます。先ほど見た義光が、愛娘を処刑され妻に自害され、無念と悔恨の思いにさいなまれて打ちひしがれた果ての姿です。形は違えど成実も妻と子を殺され、自分を恨みに思い一時は復讐を決意したのではないかと、政宗は成実の胸中を慮ります。
確かに……恨み申した、と成実は語り始めます。自分と同じ苦しみを味わわせたくて、敵方に身を投じて伊達家を討ち滅ぼそうと誓ったこともあります。ただ、ふと冷静になってみれば、政宗も父を目の前で討たれ、弟を自らの手で斬り、涙を呑んで母を追い払ったわけで、戦国武将は身辺の些事(さじ)にこだわっていてはならないという思いに至りました。
妻は登勢ひとり とつぶやく成実に、不要な気遣いをしたようだと政宗は笑います。成実は、自分が年を重ねて隠居する時には、政宗の子をひとり跡継ぎとして欲しいと無心します。うーんと悩む政宗ですが、よかろう! と快諾して成実と笑い合います。ついでに、忠親は政宗の支援を受けていましたが、山県から戻ってきた南部利直に制圧され、追い詰められていました。
危うく難を避けた愛姫たちは、北政所の隠居所から伏見の伊達屋敷へ戻って来ました。北ノ目城から政宗の書状が届き、猫御前が産んだ男子に「権八郎」と名付けたと発表されます。しかし、秀宗を大名に取り立てるよう家康に申請したという話には、嫡男が伊達を出るのは困ると猫御前は反発します。先に産まれても正室の子でないと大内定綱が反論し、愛姫が慌ててなだめます。
上杉景勝が家康に恭順の意を示し、政宗もひとまず陣を退きます。現状の居城岩出山は北に寄りすぎ、京や大坂から遠く不都合です。政景は住み慣れた米沢へ戻ることを提案しますが、政宗は石巻か千代(せんだい)に、石垣作りで大坂城や江戸城にも勝るとも劣らぬ壮大な城を普請したいと考えていました。勘定方の重信は慌てますが、成実は笑います。「懸念は無用じゃ、百万石が転がり込むのだぞ?」
政宗からの築城を願い出る書状は、目付役今井宗薫から家康に取り次がれます。自分と張り合うつもりなのか? と面白くなさそうな家康ですが、宗薫のとりなしでしぶしぶ築城を認めます。さらに戦に対する諸大名の恩賞や国替えなど、“百万石” “旧領返還”と政宗が心待ちにしていると知り、家康は大きくため息をつきます。
慶長6(1601)年早春、家康の許しを得た政宗は、国分氏の古城のある千代に乗り込んで築城の準備に取り掛かります。この時政宗、35歳。しかし、関ケ原の戦いに加わった東軍の諸将が20~30万石の恩賞を授かる中、伊達家に与えられた恩賞は加増2万石でした。さらに千代城築城が始まった4月、政宗のもとに家康からの詰問状が届きます。「和賀忠親の謀反につき尋ねたき儀これあり」
忠親を召し取り、証人として即時上洛せよとのお達しです。これはただ事ではない、百万石どころかお家断絶と政景は真っ蒼になります。政宗が一揆の加勢に及んだと南部が訴えたに違いなく、小十郎は自分を忠親のもとに派遣するよう政宗に進言します。この時忠親は南部勢に敗れて伊達領に逃げ帰り、宗直の預かりとなって国分寺に寄寓していました。
小十郎とともに国分寺に向かった宗直は、南部は政宗が援軍として送った家臣の討ち取った首を家康に届けており、忠親が上洛すれば事が露見してしまいます。忠親は、迷惑をかけたまま生き恥をさらすより少しでも伊達のお役に立ちたいと、自分を討ってその首を大坂に届ければ死人に口なしと微笑みます。お言葉ありがたく承りました、と小十郎は厳しい表情です。
忠親は潔く自害し、ひとり娘の柳(りゅう)はかねてから親しくしていた造り酒屋浅賀屋に養女として預けられます。すまぬことをした、とつぶやく政宗は、娘はいずれ伊達に奉公させて忠親の恩義に報いねばならないと思いを強くします。政宗は茂庭綱元に、忠親の首を大坂へ送って家康に申し開きをするよう命じます。
しかし、忠親を犠牲にした苦肉の策も家康には通用せず、不埒者の顔など見たくないと綱元は対面すらかないません。義光からも政宗の一揆加担の子細を伝えて来て、もはや政宗の言い訳は成り立たないのです。謀反の心があった政宗の首を持参すれば検分してやる……とはさすがの家康も言いません。「が、政宗も恥を知るなら、百万石がどうのこうのとは申すまいぞ。才子、才に溺れる。政宗はまだ若い」
たぬき親父め! と政宗は大激怒です。自分が行って釈明すると言い出し、火に油を注ぐに等しいと小十郎にたしなめられます。天下を束ねる家康は豊臣秀吉よりも一回り二回りもしたたかなのです。家康のためにタダ働きとは腹に据えかねるわけで、謹慎の意を込めて城普請を控えるよう進言されても、その儀に及ばずと城普請に全てを懸け続けさせます。「いずれは徳川の天下を乗っ取ってやる!」
脚本:ジエームス 三木
原作:山岡 荘八「伊達政宗」
音楽:池辺 晋一郎
タイトル刻字:長 揚石
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[出演]
渡辺 謙 (伊達政宗)
三浦 友和 (伊達成実)
西郷 輝彦 (片倉小十郎)
桜田 淳子 (愛姫)
平田 満 (鈴木重信)
寺田 農 (大内定綱)
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奥田 瑛二 (石田三成)
樋口 可南子 (淀君)
谷 啓 (今井宗薫)
榎木 孝明 (大野治長)
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語り:葛西 聖司 アナウンサー
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原田 芳雄 (最上義光)
秋吉 久美子 (猫御前)
八千草 薫 (北政所)
津川 雅彦 (徳川家康)
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制作:中村 克史
演出:諏訪部 章夫
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』
第38回「仙台築城」
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