南ケ丘線 (22)番ヒストリー「南ケ丘48」・第8回 大佐野夢幻
前回は、「(22)番」の西鉄二日市駅と下大利駅を結ぶ新規バス路線について学校側が提案する際、「右折が困難」とされた杉塚交差点について、地図を交えて状況の詳細を見てみました。
前回までで、南ケ丘線の第一期路線は完成を迎えたわけですが、じつは計画段階で、今では幻となっている予定バス路線があったことはご存知でしょうか。大佐野バス停から旧国道3号線(現県道112号線)に出る「通古賀ルート」です。
前回は、「(22)番」の西鉄二日市駅と下大利駅を結ぶ新規バス路線について学校側が提案する際、「右折が困難」とされた杉塚交差点について、地図を交えて状況の詳細を見てみました。
前回までで、南ケ丘線の第一期路線は完成を迎えたわけですが、じつは計画段階で、今では幻となっている予定バス路線があったことはご存知でしょうか。大佐野バス停から旧国道3号線(現県道112号線)に出る「通古賀ルート」です。
前回は、「(22)番」の「グリーン色」を付番した系統番号(行先番号)、当時の新聞報道など、昭和56(1981)年12月25日に西鉄二日市駅と下大利駅を結ぶバス路線が開設された詳細を見てみました。
物心ついたころから存在するバス路線は、自分が生まれる“かなり前から”バス路線がそこにあって、とイメージしがちですが(……と少なくともKassyはそう思っているのですが、みなさまどうなんでしょう?)、資料を調べて行く先に「昭和56年12月25日」という開設日を見たKassyの正直な感想は、あれれ? でした。
前回は、バス路線の新設運動が実を結び、西鉄二日市駅から下大利駅までのバス路線が昭和56(1981)年12月25日に開通、さらにその途中で高校まで乗り入れが実現した武蔵台高校の実例をもとにお話ししました。
前回は、下大利駅から福岡農業高校(福農前)へのバス路線が開設されたことに関連し、当時のバス車両の写真から、現在使用されている[22]番という「系統番号(行先番号)」が、当時は「無番」であったこと、さらには後に(21)番を付番されたことをご紹介しました。
ところで、バス路線ってどうやって新設されるのでしょう。例えば前にご紹介した福農前までの路線延伸は、福岡農業高校が福岡市南区塩原地区の区画整理事業で移転を求められたことがきっかけで、『福岡県福岡農業高等学校の移転に関する条件』に「四、その他の条件について (七) 生徒通学の便のため、バス路線の実現については十分な措置が講ぜられること」という一文を加えたことから始まりました。
前回は、(22)番として開通したバス路線の終点「福農前」に焦点を当て、開通当時の全バス停と大まかな位置、福岡農業高校から見た「福農前」バス停・折り返し転回場の設置位置、バス停名と方向幕などをご紹介しました。……といいつつ、あれ? と思われた読者の皆さま、大正解でございます。
ワタクシ、これまでこのシリーズで何度となく「(22)番として」というワードをくどいほど使ってきたわけですが、それは今春の路線短縮まで[22]番が使われてきたからであって、ある種当然のようにも思えます。しかしバス路線の歴史を振り返った時、それがどうも違うようなのです。そこで今回は、番号付与に至るあたりを“推測も含めて”さらりと語りたいと思います。
前回は、(22)番のバス路線開通のきっかけとして「昭和44(1969)年」にスポットを当て、その年に起きた出来事として、福岡市南区塩原から移転することになった福岡農業高校の、移転先の太宰府町大佐野地区にバス路線開設を求める働きかけというエピソードをご紹介しました。
そして次回予告として「バス路線開設にあたっての地元民たるわたくしの所感を、次回にさらりと」と書いたのですが、筆者都合でこれはちょっと後回しに(笑)。ともかく、昭和51(1976)年4月7日、下大利駅から旧「南ケ丘四丁目」(現・南ケ丘一丁目)を経由して県道「板付・牛頸・筑紫野線」に入り、旧「福農前」(現・大佐野)までのバス路線が延伸されることになりました。
前回は、(22)番のバス路線開通のきっかけとして「昭和44(1969)年」にスポットを当て、その年に起きた出来事として、大野城市西南部に宅地開発された「南ケ丘団地」へのバス路線開設というエピソードをご紹介しました。
何もない土地に0(ゼロ)からバス路線を引くというものよりも、あらかじめ途中までバス路線が引かれていて、その路線を「延伸」または「分岐」させて新路線を引くほうが、圧倒的に難易度は下がると思いまして、このエピソードを紹介したわけですが、実はこの昭和44年にはもう一つ、(22)番開設に大きな影響を与えたであろう出来事があるのです。
前回は、地元を走る馴染みのバス路線が一部廃止となり、その証を残すために路線についていろいろ調べ、このシリーズを書くことにした……というきっかけを簡単に……そう、ホントにさらっとご紹介しました。今回はさっそくその具体的な内容に入っていきたいと思います。
(22)番の路線開設に当たっては、後から調べてみたら昭和44(1969)年の出来事が大きく関係しています。昭和44年という年はどういうものだったのか、ざっとおさらいして掘り下げてみましょう。
Kassyブログで「バス・電車」カテゴリーとしては、令和元(2019)年11月2日以来となる記事です。みなさまお久しぶりです。このブログも意図せず“ほぼ大河ドラマブログ”になっていまして、何か記事を書けたらいいなあと思いつつ、思いついてははかなく消え、試しに書いては公開前に挫折し、を繰り返し、今日まできてしまいました(笑)。
このカテゴリーではいろいろなシリーズをつづってきました。いまリストで振り返ってみると、令和元年5月15日には『バス停について本気出して考えてみた(281)』で、終点停留所「平等寺」を紹介しています。この平等寺バス停も今春のダイヤ改正でバス路線廃止となり、廃止前に紹介できたことだけが幸いという気もしています。
バスネタを振り返らなかった間にも、バス、特に地元西鉄バスに関する環境が大きく変わり、正直Kassy自身もついていけてない部分も多々あります。新しく変わっていることも失念して、「え!?」なんてこともザラです。バスファンのおともだちは、そんなKassyにいやな顔ひとつせず、いろいろと教えてくれるのでとてもありがたい存在です。これからもどうぞよろしくお導きください。
に乗ってきました。
JR九州が観光列車が非常に多い環境にあって
それに果敢にチャレンジした…
かどうかは分かりませんが、西鉄電車の観光列車です。
正直、甘く見ておりました。ごめんなさい。
詳細はパンフレットをご覧いただくとして(笑)、
福岡から大牟田までの70km強を2時間半かけて走破する
本格料理を堪能できる列車であります。
途中、たこやき屋さんや保育園の園児さんたちの見送りもあり
乗務員さんのサックス演奏やアカペラあり、
最高すぎるほどの優雅な旅行になりました。
友人にオススメします!
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