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カテゴリー「NHK大河2012・平 清盛」の53件の記事

2013年1月 3日 (木)

(51-3)総集編第三回・海の都

(31)伊豆の流人 〜栄華を極める清盛 挑む頼朝! 新章へ〜
1164年、伊豆・蛭ケ小島(ひるがこじま)。そこに18歳に成長した源 義朝の子・頼朝(岡田将生)がいた。5年前、平 清盛(松山ケンイチ)によって流罪となった頼朝はここに流され、家人の藤九郎(塚本高史)とともにひっそり暮らし、地元の豪族・伊東祐親(すけちか:峰 竜太)は頼朝を厳しく監視していた。
京の清盛は、日宋貿易実現に向け、朝廷での力をのばして港湾の整備、瀬戸内海の開削などに乗り出そうとしていた。
その年の11月、後白河上皇(松田翔太)と対立する二条天皇(冨浦智嗣)に子が生まれた。そのため、滋子(成海璃子)との子を世継ぎにすることも難しく、頭を痛めた後白河上皇は、何かにすがるように仏教に深く帰依(きえ)するようになった。清盛は後白河上皇に蓮華王院(=三十三間堂)を献上し、嫡男・平 重盛(窪田正孝)を公卿にするよう働きかけ、実現させる。おくれをとった重盛の叔父・平 頼盛(西島隆弘)は病にふせる母・池禅尼(和久井映見)を見舞う。池禅尼は頼盛の境遇を憂い、また平家の繁栄とはうらはらにむなしい胸中を語った。
祐親は内裏を警固する大番役として京へ上ることとなった。家人たちに頼朝の監視を怠らないよう厳しくいいつける一方、娘の八重姫(福田沙紀)には、勤めを終えた後、美しく成長した姿を見るのが楽しみだと優しく声をかけた。
そのころ頼朝の館には地元の豪族・北条時政(遠藤憲一)が訪れ、自ら育てた野菜を届けるなど親交を深めていた。そんな頼朝のもとへ祐親の家人・伊三郎(やべきょうすけ)が八重姫を連れてきた。姫に京の作法を身につけさせるため、頼朝の教えを請いにきたのだ。そこで出会った頼朝と八重姫は、お互い意識したかのように見つめあう。
京では後白河上皇が癇癪(かんしゃく)を起こしていた。蓮華王院に二条天皇が訪ねてこないためだ。父である自分をないがしろにする天皇の態度に怒っていた。そのころ清盛は重盛を連れて二条天皇に謁見していた。そこで突然重盛は二条天皇に、父の気持ちを察して蓮華王院へ行くことを勧める。二条天皇は不快感を表し立ち去ると、清盛は激しく重盛をしかりつける。その夜、重盛は妻・経子(高橋 愛)と語り合う。かつて鳥羽法皇(三上博史)と崇徳上皇(井浦 新)の仲をとりもとうと力を尽くした清盛の姿を思い出し、今の父は修羅の道を突き進んでいるとしか思えないと話した。
京へのぼった祐親から頼朝の様子などを聞いていた清盛のもとへ、二条天皇が病になったという知らせが入った。
急ぎかけつけた清盛に、二条天皇は直ちに譲位の準備をするよう命じた。後白河上皇の院政が再開されるのを防ぐため、生後間もない順仁親王を即位させようというのだ。そしてまだ乳飲み子の六条天皇が誕生。その後まもなく二条は若くして崩御した。
清盛は重盛をともなって祐親ら大番役が警固する内裏を訪れた。公卿らも次々に弔問に訪れる中、にわかに比叡山の悪僧たちが鐘や太鼓を打ち鳴らしながら押し寄せてきた。彼らを引き連れてきたのは後白河上皇だった。蓮華王院に来なかった二条を弔うため、千人の僧を連れてきたのだという。そして悪僧たちが騒々しく読経を始めた。
清盛は読経をやめさせ、我が子の死に向き合えない後白河上皇を赤子同然だと一喝して引き下がらせた。上皇にもひるまず厳しく接する清盛の様は、重盛や祐親たちに強烈な衝撃を与えた。だが、後白河上皇は清盛のこうした態度に、底知れぬ野心を感じ取っていた。一方、重盛は修羅の道を進む父を支えようと決意を固める。そして清盛は大納言に昇任した。その喜びに浸る間もなく、清盛たちに池禅尼危篤の報がもたらされる。かけつけた清盛に、池禅尼は平家の行く末を託す。さらに頼盛にのみ、平家を絶やさぬように告げて生涯を終えた。
大納言となった清盛を見つめる祐親は、清盛の恐ろしさを改めて胸にきざんでいた。だが、そのころ伊豆では八重姫が頼朝と深い仲になっていた。

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(51-2)総集編第二回・保元平治の乱

(17)平氏の棟梁(とうりょう) 〜第2部開始! 武士の世を目指す!〜
平 忠盛(中井貴一)がこの世を去り、平 清盛(松山ケンイチ)が正式に平氏の棟梁となった。清盛は忠盛の館に移り住む。その館に一族郎党が集まり、清盛は「亡き父上の固き志を継ぎ、武士の世を目指す!」と宣言する。
棟梁の仕事は多岐にわたっていた。清盛は父の偉大さを改めて痛感するのだった。一方、棟梁の妻となった時子(深田恭子)は宴でふるまう膳の数を誤り、琵琶の演奏を頼まれても断るなど、清盛の機嫌を損ねることばかりを起こす。
そんな折、藤原家成(佐藤二朗)が訪ね、自身の別邸で催す歌会で清盛に一首詠んでほしいと依頼する。歌が苦手な清盛は信西(阿部サダヲ)を頼るが、あっけなく断られる。そのうえ、歌会でのふるまいが平氏一門の未来を左右すると言われ、清盛は重責を感じる。
そんな清盛の前に現れた源 義朝(玉木 宏)は、拍子抜けするほどさわやかに棟梁就任を祝い、側室となった常盤(武井 咲)を紹介。驚く清盛に常盤が自分の心の支えだと言う。一方、義朝の正室・由良(田中麗奈)はさびしげに一人で過ごす日々が続き、鬼武者(のちの頼朝)はそんな母を見て心を痛めていた。
そのころ、源氏の棟梁・源 為義(小日向文世)は、義朝の異母弟・源 義賢(阪本浩之)に源氏に代々伝わる太刀・友切を授け、東国に行き、義朝に対抗できる力をつけろと命じる。
朝廷にも暗雲がひろがっていた。もともと丈夫ではない近衛帝の体が思わしくなく、しかもお世継ぎもいなかった。帝(みかど)の健康を気遣う崇徳上皇(井浦 新)にむかい雅仁親王(松田翔太)は、帝が亡くなれば崇徳の子・重仁が帝となり、崇徳が政治に復帰できるのでは、とその心を見透かしたように言う。
相変わらず歌の宿題に悩む清盛は、三男・清三郎が書の稽古を怠けていると知り、時子のしつけを叱りつけた。そして先妻の明子なら棟梁の妻のつとめをもっとうまく果たせたはずと言い、時子を深く傷つけてしまう。
そんな清盛に義弟・平 時忠(森田 剛)は、時子が琵琶を弾かなくなったのは、結婚する前に清盛が「耳に残る明子の琵琶の音色をかき消されたくない」と言ったことを時子が覚えているからだと告げた。その言葉は清盛の心に深くつきささる。
歌会の当日、家成の別邸には鳥羽法皇(三上博史)、得子(松雪泰子)、崇徳上皇、雅仁親王、摂関家や、信西らが集まった。それぞれの思いが渦巻く政治の場の様相をおびて歌会は進み、やがて清盛の歌が詠まれる番になった。
その歌を見て、進行役の藤原成親(家成の子:吉沢 悠)が詠むのをためらうと、清盛自ら大声で詠みあげた。「重盛に 基盛それに 清三郎 清四郎みな われらの子なり」あきれる人たちに向かい清盛は、自分が家族や家人たちをなにより大事に思っていること、歌会よりケンカした妻に一刻も早く謝りたいという思いを述べた。堂々とした清盛の態度は歌会の客たちにさまざまな波紋を広げた。得子は清盛を「もろ刃の刃のごとき男」と評し、鳥羽院は「われらにもっとも足りぬものを持っている」と評した。
清盛が帰宅すると、時子は重盛らに請われて琵琶を弾いていた。そして重盛や基盛は時子が大事な母であり、傷つけることは父でも許さないと訴える。清盛はほほえんで時子の琵琶に耳をかたむけた。
一方、義朝は源氏の長の証である名刀・友切が弟に与えられたと知り、為義に詰め寄る。すると為義は、父の誇りを踏みにじる義朝に源氏を背負わせることはできないと断言し、義朝とたもとを分かつことになる。源氏も平氏も、世の大きな流れに、いやおうなく身内を巻き込んでいくことになる。

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2013年1月 2日 (水)

(51-1)総集編第一回・武士の世

(01)ふたりの父
1185年、壇ノ浦の戦いで平家一門は滅亡。源 頼朝(岡田将生)はその知らせを鎌倉で北条政子(杏)から聞いた。歓声をあげ平家を罵倒する家来たちをよそに、頼朝は武士の世を初めて作った男・平清盛の偉大さを改めて思い返していた。

1118年、京都。300年の平安を誇った貴族の世も乱れ、平氏の嫡男・平 忠盛(中井貴一)は、朝廷の命令のまま盗賊の捕縛を行うなどの汚れ仕事を行っていた。そんなある日、忠盛は物乞い姿のひとりの女と出会う。
その女・舞子(吹石一恵)は院の御所に出入りする白拍子で、時の最高権力者・白河法皇(伊東四朗)の子を身ごもっていた。不吉な子として殺されることを恐れた舞子は、源 為義(小日向文世)たちの追及から必死に逃げていた。そんな舞子を忠盛は自らの屋敷にかくまった矢先、赤子は生まれた。その赤子こそが、のちの平 清盛であった。
忠盛はやがて舞子と心を通い合わせる。「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ」という舞子の歌から、忠盛は「今を夢中で生きる」ことの大切さを教わる。しかし、ふたりの幸せは長くは続かなかった。
舞子は為義に捕まり、白河法皇のもとに引き出された。法皇の寵妃である祇園女御(ぎおんのにょうご:松田聖子)や忠盛は赤子の助命を嘆願するが、それでは「赤子の代わりに舞子を殺せ」と法皇は忠盛に命じる。窮地の忠盛を見かねた舞子は赤子を忠盛に託し、法皇に刃物を向けるが、護衛の弓矢で命を落とす。のこされた赤子に忠盛は「平太」と名づけ、育てる決心をする。
時は流れ、朝廷や王家にはわざわいの種が見え隠れしていた。1123年、白河法皇は帝の座から鳥羽天皇(三上博史)を引きずり落とす。しかも法皇は鳥羽の后(きさき)である璋子(たまこ:檀 れい)とも関係をもち、鳥羽上皇はひとり苦しむ。
一方、忠盛は宗子(和久井映見)を妻に迎え、平太(前田旺志朗)を実子として育てていた。ところがある日、平太は町で出会った見知らぬ少年(前田航基)から、実の父親が白河法皇であることを知らされる。悲しみにくれる平太に、忠盛は出生の秘密を打ち明けた。そして、「死にたくなければ、強くなれ」と突き放し、平太に自らの運命に恐れずに、立ち向かえと試練を与えた──。

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2012年12月23日 (日)

(50)遊びをせんとや 生まれけむ [終] 〜壇ノ浦へ! 平家最期のとき〜

今日は『平 清盛』最終回!
なので、『その時歴史が動いた』風にお届けします(^ ^)


人間のドラマ。
それを人は歴史と呼びます。

決断の時、
決行の時、

人は何を考え、
どのようにして動いたか。

その歴史の決定的瞬間を取り上げます。


そしてみなさん、いよいよ「その時」がやってまいります。


壇ノ浦合戦の前日・鎌倉──。

源 頼朝の屋敷に平 頼盛がいて、
もの悲しそうな琵琶の音色が包む中
写経をしております。

平家は、一の谷の戦い・屋島の戦いに敗れた後
追う源氏から逃れるように西へ西へと流れております。

頼盛は、そんな平家一門から離れて鎌倉に下ったわけですが、
後悔はしないのか、との頼朝の問いに、見据えて答えます。
「平家は常に一蓮托生──」

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2012年12月16日 (日)

(49) 〜盛者必衰 清盛死す!?〜 双六が終わるとき

「還都の意向を示したそうでおじゃる!」

都帰りを決めた平 清盛。
夢の都・福原は幻と消えました。

「今は武士の世とは名ばかりの平家の世じゃ!」

源氏の挙兵、高倉天皇危篤による朝廷の混乱、
寺社の謀反を抑えるための南都焼き討ちなど、
平家を取り巻く状況はますます悪化。
世の乱れは収まりません。

「天は……平家を見放したのじゃ」

そこに“あの男”が帰って来ます。
後白河法皇です。

清盛は、追いつめられていました。

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2012年12月 9日 (日)

(48)幻の都 〜福原、さらばわが夢〜

最初に、記事タイトルにあるサブタイトルですが
あくまで公式なサブタイトルは“幻の都”なので
上のように書いておりますが、

新聞紙上では「幻の都、福原〜さらばわが夢」と
掲載されていたことだけ
忘れないうちに書き加えておきますね。


平家はもはや武門ではござりませぬ!
殿ご自身が……もはや武士ではござりませぬ!

決死の覚悟の伊藤忠清の言葉は、清盛の心に深く刻まれます。

一方、忠清は責任を感じて死の道を選び
平 盛国に介錯を頼みますが、
危機である今こそ忠清が平家の軸であると説き、
切腹を思いとどまらせます。

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2012年12月 2日 (日)

(47) 〜源平対決〜 宿命の敗北

治承4(1180)年6月、
平 清盛は、不満を抱く公卿たちを退けて福原への遷都を強行。
高倉上皇と中宮徳子、そして
彼らの子である安徳天皇が京から移ってきました。

一方、8月17日には、伊豆にて源 頼朝が挙兵!

こうして、清盛と頼朝の戦いが幕を開けたわけです。

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2012年11月25日 (日)

(46)頼朝挙兵 〜目覚めよ! 清盛〜

治承4(1180)年4月──。

以仁王が発した平家打倒の令旨が、
伊豆の源 頼朝の元にも届きました。

敗軍の将の子として伊豆に流されて20年、
頼朝は不遇の時を過ごしてきただけに
北条政子は「今こそ!」と頼朝を煽りますが、

あの畏れ多い平 清盛に軍勢を差し向けても
にわか仕立ての軍勢では勝てる相手ではないと戸惑っています。

ただ、源三位頼政が呼びかけに応じて立ち上がったと知り
たちまち顔色が変わる頼朝。

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2012年11月18日 (日)

(45)以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ) 〜平家追討せよ! 諸行無常はじまる〜

ついに武士が……この国の頂に立ったのじゃ……!!

反平家の関白・藤原基房や師家らを追いやった平 清盛。
更に、反平家勢力を解官させるなど
一門に反発する勢力を次々と退け、
ついには後白河法皇をも幽閉してしまいます。

世に言う『治承三年の政変』。
清盛による軍事クーデターでした。

最後の切り札は、清盛の孫である言仁(ときひと)の即位。
世は、清盛の思うままに動いていました。

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2012年11月11日 (日)

(44) 〜重盛ゆく〜 そこからの眺め

清盛と後白河院の対決は、最終局面へ──!!


治承3(1179)年──。

伊豆の源 頼朝には、娶った妻・政子との間に娘の大姫ができ
不遇ながらも幸せな日日を送っていました。

北条時政の館では、三浦義明が
「思い切られましたな」と声を上げています。

平 清盛には孫の皇子(言仁親王)が誕生したという時に
平家と敵対関係にある源氏の嫡子を婿に取るとは……。
もしかしたら、清盛の逆鱗に触れる可能性も充分にあります。
同席する佐々木秀義も時政が心配です。

時政は、平家が長くは続かないだろうと見越しています。
「それがしは、佐殿(すけどの=頼朝)に賭ける」

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