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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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カテゴリー「NHK大河2002・利家とまつ」の50件の記事

2014年12月12日 (金)

プレイバック利家とまつ・(49)永遠(とわ)の愛 [終]

部屋で縫い物をしているまつ。

まつの前に、十文字の槍を手に武装した利家。
槍をブンブンと振り回し、
死神を振り払うのだと威勢のいい利家です。
脇には前田利長、前田利政、そして前田慶次郎の姿も。

──という夢を見ました。

まつは経帷子を縫っていました。
今まで、戦で人を何人も殺めて来たので
その供養も兼ねてであります。

利家としては、
今まで道理の立たない戦はしたことが無いので
地獄に落とすという閻魔なら、殺してしまって
この世に戻って来るわ、と笑います。

「遺言状を作る」
腹の痛みをこらえ、利家は寂しそうにまつに微笑みかけます。

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2014年12月 5日 (金)

プレイバック利家とまつ・(48)家康暗殺

慶長4(1599)年正月一日・伏見城。

豊臣秀吉が亡くなった後、豊臣家臣団は二つに分かれていました。
「徳川家康派」と「前田利家派」であります。
家康派と利家派が天下の覇権を争い、
いつ戦になってもおかしくない緊迫した状況です。

豊臣秀頼と入ってきた利家は、秀頼の隣に座り
諸大名たちの正月祝賀を上座で受けることになりますが、
下座で頭を下げる家康は、おもしろくありません。

利家に守られて、秀頼は伏見城から大坂城へ移ります。

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2014年11月29日 (土)

プレイバック利家とまつ・(47)秀吉死す

慶長3(1598)年8月17日・伏見城──。

寝所で横たわる豊臣秀吉は危篤状態に陥っています。
枕元には北政所(おね)と前田利家が見守り
御簾の外には徳川家康や孝蔵主らが控えています。

突然「お館さま! お館さまァ!」と叫び出したかと思えば
彼を支える利家と北政所を見て急に冷静になり、
落ち着きを取り戻します。

今は亡き織田信長に首根っこを掴まれて
冥土の国へ引きずり込まれそうになっていたのだとか。

まつが寝所に入ってきて、秀吉の大好物なみそ汁を作ってきて
口元に椀を近づけ、飲ませます。
秀吉はそのまま眠るように横になりますが、
脈を取った薬師は、あと一時ほどの命、との宣告をします。

しかし、驚くべき生命力で持ちこたえます。

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2014年11月14日 (金)

プレイバック利家とまつ・(46)父子の名乗り

文禄4(1595)年7月・京 聚楽第──。

石田三成ら奉行衆は、
関白・豊臣秀次に謀反の疑いありと詰問し、
関白左大臣の任を解いて高野山へ追放します。
太閤豊臣秀吉に権力を集中させんがための方策です。

浅野長政は、子の浅野幸長が
秀次と親しい間柄であったために
同様に詰問を受けたらしく、
前田利家に息子の取りなしを依頼します。

幸長の取りなしのこと、千世姫と細川家との縁組みのことなど
北政所(おね)からの文を金沢城で読んでいたまつは、
奥村家福から、この15日に関白秀次が自害した報告を受けます。

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2014年11月11日 (火)

プレイバック利家とまつ・(45)利家 出仕拒否

豊臣秀吉と前田利家、徳川家康の3人が
諸将や妻たちの前で狂言に興じています。
しかしそれを笑って見過ごせぬ人物がいました。
秀吉側近・石田三成であります。

三成は、3人が仲が良すぎるのはよくない、と
すくすくと成長するお拾のためにも
秀吉を柱とした一極集中の仕組みを作り上げたいわけですが、
利家も家康も、それぞれ天下人たる器だから困ったものです。

その密談を淀と交わしているのを、つねが聞き取り
それをまつに報告します。

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2014年11月 4日 (火)

プレイバック利家とまつ・(44)猿千代誕生

文禄2(1593)年 春・金沢城。
前田利家五女の与免が重い病にかかり、まつが看病しています。

「で、あるか」
織田信長の声が聞こえたように感じて、
居眠りをしていたまつは目を開けます。


そのころ、肥前名護屋城では淀が秀吉の子を身ごもりますが、
それよりも大ニュースなのは、
利家の子を千代保が身ごもってしまったことであります。

利家は「で、ある」と
少しバツが悪そうな表情を浮かべています。
まつに殺されてしまうぞ、と徳川家康や浅野長吉らが大笑いですが
それが考えられなくもない話だから利家は笑えません。

しかし、それをまつが知るまでには大して時間はかかりませんで、
忍びの四井主馬が、元服したばかりの前田利政に
名護屋城の様子を知らせるついでに千代保懐妊の話をしてしまい、
利政はそれをそっくりそのまままつに伝えたわけです。

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2014年10月28日 (火)

プレイバック利家とまつ・(43)大政所の遺言

鶴松を失った豊臣秀吉は、唐入りを決意して兵を送ります。

文禄元(1592)年 春・大坂城──。

唐入りを苦にしていた大政所(なか)は病床に伏していますが、
同じく病を得て伏しがちの、北政所(おね)の養母であるたえが
大政所を見舞いにやってきました。

出会った最初から嫌っていた秀吉が
今や「太閤殿下」と呼ばれる身分に上がり、
たえは、昔のことは昔のこと、と水に流したかと思いきや
19年ぶりに対面した天下人に向かって
唐入りの批判を始めてしまうのですからスゴイです。

秀吉は、ただ黙って
たえや大政所を睨みつけるばかりです。

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2014年10月17日 (金)

プレイバック利家とまつ・(42)利休切腹

千 利休が切腹──。

大徳寺山門に自分の木像を置いた不敬の罪ということです。
さらには、茶道具に法外な値段を付けて売りつけたという罪もあり
利休が出過ぎたのだ、と前田利家は冷静に分析します。

天正19(1591)年。
永姫が京の前田邸に現れます。
夫・利長に離縁を命じられたのだそうです。

きっかけは、利休の切腹が決まったことに際して
永姫が助命のために豊臣秀吉に会いに行くと
言ったことにあります。

そして、それに同調した前田慶次郎も、
前田家を出るように命じられます。

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2014年10月 7日 (火)

プレイバック利家とまつ・(41)小田原攻め

天正18(1590)年2月。
小田原の北条征伐が近づく中、
夜遅くに北政所と浅野長吉、千 利休が前田邸を訪問。

何でも、最近の秀吉は様子がおかしいというのです。

諸大名からの信頼が厚い前田利家ですが、
大政所の見舞いに行ったまま戻って来ない正室の朝日姫を
徳川家に戻すように徳川家康から助勢を頼まれた利家。

それを茶の席で進言すると、
徳川と前田がグルになって自分に歯向かってきた! と
執着して討ち滅ぼすような勢いです。

かつては前田家の茶頭を務めたことのある山上宗二ですが、
彼の発言に怒った秀吉が暇を出していたところ
あろうことか今では小田原に仕えているらしく、
宗二を見つけたら絶対に殺す! とわめいているようです。

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2014年10月 3日 (金)

プレイバック利家とまつ・(40)鬼の淀どの

天正17(1589)年5月27日、
茶々は淀城で豊臣秀吉の子を産みました。
捨て子はよく育つという言い伝えから、
秀吉は一度捨てた子ということにします。

抱きかかえた赤子を石田三成が石の上に置き、
すぐそばで見ていたまつが、赤子を拾いにいこうとした時
ナゾの尼僧が近づいて、赤子を拾ってしまいました。
孝蔵主(こうぞうす)……北政所のお付きの者だそうです。

淀城で、棄丸が到着するのを
今か今かと待っている茶々と秀吉がいるのですが、
孝蔵主曰く、おねが聚落第で棄丸を待っているのだとか。

特に、棄丸の養育に関しては秀吉がおねに一任したこともあり
こればかりは前田のまつをもってしてもどうにもなりません。

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