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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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カテゴリー「NHK大河1996・秀吉」の32件の記事

2017年4月28日 (金)

プレイバック秀吉・(32)夢を継ぐ者

「[第1回] 信長杯争奪・天下取りダービー」!!

第一のコース、シバタカツイエ。 [◎]本命
第二のコース、ハシバヒデヨシ。 [△]連穴
第三のコース、ニワナガヒデ。  [○]対抗
第四のコース、タキガワカズマス。[▲]単穴

位置について、よーい、ドン!

スタートしました!
おおっとハシバがいきなりダッシュ!
大きく飛び出した! 大きく飛び出した!
これが世に言う、ハシバ奇跡の『中国大返し』か!

当時秀吉は、高松城を水攻めの真っ最中で備中にいた。
一刻も早く、戻らなければならない。
決戦場山崎まで、その距離はおよそ200km。

ある者は馬上にて、またある者は馬を乗り捨て、
身一つで駆ける。
1日20kmが限界であったこの時代に、
羽柴軍は1日40kmの驚異的なスピードで進軍した。

「お館さまァ〜ッ!!」

さあ、天下取りは目の前だ!
走れ秀吉──!!

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2017年4月25日 (火)

プレイバック秀吉・(31)天下への道

「敵は惟任日向守!」

天正10(1582)年6月2日、
京・本能寺において織田信長は非業の最期を遂げた。

この変事の知らせが、備中高松城の
秀吉の元に伝わったのは6月3日深夜。
父であり神でもある信長を失った今、
秀吉の取るべき道は──?

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2017年4月21日 (金)

プレイバック秀吉・(30)信長、死す

「天正十年六月二日 早暁」

本能寺を取り囲む明智光秀の軍勢。

磔にされ、串刺しにされる母・美。

織田信長に平手打ち去れ、足蹴にされ、
殴りつけられる光秀。

千 宗易、妻・ひろ子、徳川家康、おね、羽柴秀吉の顔。
信長の顔。

「母御前……敵は、本能寺にあり──!」

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2017年4月18日 (火)

プレイバック秀吉・(29)敵は本能寺

信長は、6人の将に軍を預け
それぞれ戦略地域の攻略を命じていた。

すなわち、羽柴秀吉は中国毛利と相対し
柴田勝家は北陸上杉との戦に明け暮れ、滝川一益は関東に進み、
丹羽長秀は四国、徳川家康は東海に兵を向け、
近畿制圧は明智光秀によりほぼ果たされていた。

近代の方面軍制度にあたるこの軍制、
日本はおろか世界を見渡せども信長の前に試しなく、
『天下布武』とはひとえにこの信長の独創奇才のゆえにあり。

時に西暦1582年6月2日、京・本能寺。
信長に従うはわずか100名、
秀吉はじめ自慢の軍勢は各方面に散り、
一兵たりとも京になく、ただ明智軍のみ京にあり。

ただ、明智光秀のみ京にあり──。

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2017年4月14日 (金)

プレイバック秀吉・(28)高松城水攻め

洪水によって水没した高松城址。

三木城、鳥取城と次々に攻略した秀吉の毛利攻めも
いよいよクライマックスに。
備中高松城は、三方が沼と深い田で囲まれた清水宗治の居城。
たったひとつの橋を落とせば、難攻不落の城となる。

そこで秀吉は考えた。
『水攻め』

まず城の外側に土手を築き、さらに足守川をせき止める。
そこに大雨が降ると川が氾濫し、
土手で囲まれた地域に水が流れ込む。
城は水没し、孤立無援となる。

地の利を逆手に取った秀吉の作戦。
総力を挙げて築いたその土手の長さは、
およそ3kmに及んだという。

水を得たサル、これぞ天下の奇策
「高松城水攻め」である──。

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2017年4月11日 (火)

プレイバック秀吉・(27)三成登場

戦国の息吹を今に伝える書状の数々。
当時の時代背景、ひいてはそれを書いた
武将の人柄をしのばせる貴重な資料である。

これは、1593年(文禄2年)
56歳の秀吉がおねに送った手紙である。
拾は、後の秀頼誕生の知らせであるが、
一旦最後まで書いてから、行間も書き足している。

くり返し、子の無事成長を祈る秀吉の姿が目に浮かぶ。

ところで。

「大河ドラマ「秀吉」では、秀吉の正室の呼称を
 「ねね」ではなく「おね」としています。」

これは現存するおね自筆の書状。
最後に署名がある。

“袮”
「ね」、あるいは「ねえ」と呼ぶ。
それに“お”をつけて「おね」または「おねい」とする。

秀吉も“寧”と手紙に書いている。
よって近年「おね」説が有力となっている。

手紙に歴史あり──!

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2017年4月 8日 (土)

プレイバック秀吉・(26)史上最大のお歳暮

「タイトルバックに登場する犬(パグ)について、
 数々の投書が寄せられました」

お答えします!
『ひでよし まめちしき』パグの巻!!

別名「モンキーフェイス(猿顔)」と言われるこの犬、
そもそもは中国原産であります。

中国の古典『詩経』に、
「歇驕(けっきょう)」なる言葉が出て参ります。
鼻の短い犬を現す、これがパグのことかもしれない。

16世紀、東西交流の波に乗ってパグはヨーロッパに渡った。
最初はその珍妙さに驚いた人たちもやがてはパグをもてはやし
巨匠ゴヤもモデルにしている。

パグはヨーロッパでウケた!
だが、パグはあくまで、中国が原産!
世界を股に掛けたこの犬が、
日本へ渡った可能性は誰も否定できない。

お気づきでない方は、本日改めて御確認を!
パグは「秀吉」に出ている!

信長:なに!?

モンキーフェイスのパグと猿顔の秀吉、
彼らの出会いは49秒後──!

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2017年4月 3日 (月)

プレイバック秀吉・(25)温泉に行きたく候

健康──それは戦国の世も現代も、トップに上り詰める
人間の資質として欠かすことが出来ない。
後に天下の主人公となる秀吉と家康、このふたりの健康法とは?

家康の健康法は鷹狩り、そして薬。
水戸の徳川博物館には、
家康自ら調合し服用した薬の壺が保存されている。

一方、秀吉の健康法は温泉であった。
平成6年、有馬温泉のお寺の下に
秀吉が作ったとされる風呂場が見つかった。
タテヨコおよそ7メートル、畳30枚分。

記録によれば秀吉の有馬訪問は12年間に9回。
その多くが、信長の死後の天下統一の節目節目に集中している。
秀吉は、重要な局面に温泉によって疲れを癒し、
鋭気を養っていたのである──。

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2017年3月31日 (金)

プレイバック秀吉・(24)左遷寸前

一本の矢はたやすく折れるが、三本束ねると強い。
名将・毛利元就の三人の息子たちは、
三本の矢が如く結束して中国地方に強い勢力を誇った。

信長軍団にとって、今や毛利は最大の敵。
その難敵に対するのが、我らの羽柴秀吉。

播磨の姫路城に本拠を構えた秀吉は、
旗色を鮮明にしない武将たちの中で苦戦していたが
ついに、ある条件付きで備前の大名
宇喜多直家を味方につけようとしていた。

2万の兵を手に入れ、戦線を大きく前進させる。
宇喜多調略は、毛利攻めの決定打であった。

その条件は、領主直家を殺さず
領地も取り上げないという寛大なもの。
しかし信長がこの条件を許すはずがない。
危険な賭けに出た秀吉……さあどうなる──!?

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2017年3月28日 (火)

プレイバック秀吉・(23)半兵衛の死

デカンショ祭りの季節が間もなくやってくる。

ここは丹波篠山、デカンショ節に歌われるように
山に囲まれた厳しい暮らしの中で
人々が工夫を凝らし、生み出した数々の名産を誇る町。
「ぼたん鍋」「黒豆」「栗」「山の芋」

しかし戦国時代、ここも欲望渦巻く土地であった。

周囲の山々に点在する戦国の城。
その一つ、丹波富士とも言われる高城山にそびえていた
波多野秀治の居城・八上城。

かつての面影を辿ってみると、そこには
光秀の母が磔になったといわれる松の跡がある。

青々と茂る木々に囲まれたこの場所で
なぜかこの松だけが何度植え替えても
枯れてしまうという──。

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