プレイバック秀吉・(49)夢のまた夢 [終]
京都東山。
秀吉の墓・豊国廟は明治になって再建された。
徳川時代、豊臣家に由来する社は
影も形もなく壊されたからである。
500段を数えるこの石段の頂上に、
秀吉はひっそりと眠っている。
かつての華やかな生涯もまた、夢のまた夢である──。
京都東山。
秀吉の墓・豊国廟は明治になって再建された。
徳川時代、豊臣家に由来する社は
影も形もなく壊されたからである。
500段を数えるこの石段の頂上に、
秀吉はひっそりと眠っている。
かつての華やかな生涯もまた、夢のまた夢である──。
希代の大泥棒・石川五右衛門は実在した。
スペインの商人=アビラ・ヒロンが書いた「日本王国記」。
石川五右衛門“Ixicava goyemon”の名も、その最期が
残酷な釜茹での刑であったとの記録がある。
五右衛門の悲惨な末路が、
権力に完全に立ち向かった賊として人々の心をとらえた。
そして五右衛門伝説は今もなお語り継がれてゆく──。
大坂から、海路と陸路を行くことほぼひと月。
距離にしておよそ700km。
現在の佐賀県鎮西町に位置する肥前名護屋城は
「唐陣」あるいは「唐入り」と称する
秀吉の大陸出兵構想の拠点であった。
目の前には玄界灘、
大坂城に次ぐ規模を誇るこの城に結集した軍勢30万。
大陸出兵が始まろうとしていた──。
秀吉が行った「太閤検地」によって、
史上初めて大名の石高が確定した。
豊臣家最大の大名・徳川家康は256万石。
仮に1石10万円と換算すると、2560億円。
加賀100万石の基を築く前田利家は84万石、840億円。
秀吉の側近・石田三成は20万石、200億円。
その他、子飼いの大名も20万〜25万石であった。
(小西行長20万石、加藤清正25万石)
秀吉は、その石高に応じて大名に借りる
出兵兵士の数を割り当てていた。
大陸を目指す秀吉は、
そのために検地を急がせたのである。
いわば太閤検地は、生産力を把握すると同時に
大陸への出兵の足固め政策の一つだったのである──。
平成2(1990)年3月、京都・大徳寺で
利休400年忌の法要が営まれた。
「表千家」「裏千家」「武者小路千家」
三千家による合同法要である。
利休を祖とする3つの千家によって
利休の茶の湯は今も脈々と伝えられている。
利休の晩年、大徳寺・三門の金毛閣に利休の木像が置かれた。
この三門が、利休の寄進によって
改築されたことを称えてのことであった。
木像は江戸期に復刻され今も安置されている。
この利休の木像が、
秀吉と利休との対立を決定的なものとしたのである──。
織田信行:勝家……裏切ったな!!
──織田信長、弟信行を暗殺。
骨肉相食(あいは)む戦国乱世、
兄弟すら権力の争奪戦に巻き込まれ、憎み殺し合う。
そんな時代に、
奇跡のパートナーシップを発揮した弟がいた。
大納言・豊臣秀長である。
奈良県大和郡山、秀長の築いたこの城は
114万石の大名の居城としては質素である。
秀吉の補佐役に徹した秀長の人柄を忍ばせる。
持ち前の調整力で、
古くからの寺社や公家の利権が入り組むこの地を
一度も落とすことなく治めた秀長。
土地の人は、今も秀長を“大納言さん”と読んで慕っている。
秀吉の夢を実現することにのみ喜びと感じた男・秀長。
兄への大きな愛が、豊臣家を支えたのだった──。
秀吉の勢力範囲は着々と広がっていた。
九州を平定後、関東以北の支配が課題となった。
そして天下取りの総仕上げが小田原の合戦であった。
敵は関東の覇者・北条氏直。
ここで秀吉は空前絶後の作戦を展開した。
号令一下、21万の兵士を招集。
満員の東京ドーム5杯分の数である。
陣中では、花見に茶会の遊興ざんまい。
数ヶ月に及ぶ持久戦も何のその。
余裕の秀吉は敵の目の前に城まで築いていた。
世に言う「石垣山一夜城」。
周囲には、京・大坂を凌ぐ大都会が出現した。
関白の富と力を見せつけ、秀吉は真の天下人となる──。
平成7年度のGNP国民総生産は
491兆円であった。
国の総生産力を初めてはじき出したのは
秀吉が実施した『太閤検地』である。
全国の田畑の面積を測り、
その収穫高を特定するという大プロジェクト。
それに加え、農地がない商家などは
屋敷の広さを同じ広さの田んぼに置き換え
商いの生産力を米の収穫高として割り出した。
例えば鉄砲鍛冶屋。
36坪という敷地面積を農地面積に置き換え
1畝(せ)6歩(ぶ)と記している。
このようにして10年の歳月をかけて、検地帳7,000冊が
秀吉の元に届けられ、全国の総石高、GNPを得た。
その結果、天正19(1591)年の日本総石高は1,857万石、
1石が10万円として、1兆8,000億円!
秀吉が把握した国力、それは
現代のGNPの270分の1であった──。
石田三成「世界の地図を、豊臣の旗にて埋め尽くす!」
徳川家康の上洛により、
豊臣の天下は磐石のものとなった。
だが、豊臣家の運命は、
内と外から大きく揺さぶられようとしていた。
お市の忘れ形見・茶々が引き起こす波紋、
そして三成ら若い武将の間から沸き起こった
海外への出兵論議である──。
1586年、桃山コレクション──!!
(おね、とも、茶々の画像が次々と)
当時の着物の中心は、小袖。
もともとは、貴族の下着だったが
室町時代から桃山時代にかけて爆発的に広まった。
そもそも小袖とは、袖口が小さく狭まったものをいう。
小袖発達の理由は、織物や染織の技術革新にあった。
豪華な柄や芸術的な模様の小袖が数多く生産された。
その後、小袖は現代に至るまで和服の原型となり
日本女性を美しく引き立てて来た。
若さ、美貌、見事な装いを身に付けた女性が
次に手に入れようとするものは、一体何か──。
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