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カテゴリー「NHK大河1996・秀吉」の46件の記事

2017年6月20日 (火)

プレイバック秀吉・(46)母の悲しみ

「太閤検地」によって、史上初めて
大名の石高が確定した。

豊臣家最大の大名・徳川家康は256万石。
1石10万円と換算すると、2560億円。
加賀100万石の基を築く前田利家は84万石、840億円。

秀吉の側近・石田三成は20万石、200億円。
その他、子飼いの大名も20万〜25万石であった。
(小西行長20万石、加藤清正25万石)

秀吉は、その石高に応じて大名に借りる
出兵兵士の数を割り当てていた。
大陸を目指す秀吉は、
そのために検地を急がせたのである。

いわば太閤検地は、生産力を把握すると同時に
大陸への出兵の足固め政策の一つだったのである──。

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2017年6月12日 (月)

プレイバック秀吉・(45)利休切腹

平成2(1990)年3月、京都・大徳寺で
利休400年忌の法要が営まれた。
「表千家」「裏千家」「武者小路千家」
三千家による合同法要である。

利休を祖とする3つの千家によって
利休の茶の湯は今も脈々と伝えられている。

利休の晩年、大徳寺・三門の金毛閣に利休の木像が置かれ
この三門が、利休の寄進によって
改築されたことを称えてのことであった。
木像は江戸期に復刻され今も安置されている。

この利休の木像が、
秀吉と利休との対立を決定的にしたのである──。

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2017年6月 9日 (金)

プレイバック秀吉・(44)秀長、逝(ゆ)く

織田信行:勝家……裏切ったな!!
──織田信長、弟信行を暗殺。

骨肉相食(あいは)む戦国乱世、
兄弟すら権力の争奪戦に巻き込まれ、憎み殺し合う。

そんな時代に、
奇跡のパートナーシップを発揮した弟がいた。
大納言・豊臣秀長である。

奈良県大和郡山、秀長の築いたこの城は
114万石の大名の居城としては質素である。
秀吉の補佐役に徹した秀長の人柄を忍ばせる。

持ち前の調整力で、
古くからの寺社や公家の利権が入り組むこの地を
一度も落とすことなく治めた秀長。
土地の人は、今も秀長を“大納言さん”と読んで慕っている。

秀吉の夢を実現することにのみ喜びと感じた男・秀長。
兄への大きな愛が、豊臣家を支えたのだった──。

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2017年6月 6日 (火)

プレイバック秀吉・(43)花戦さでござる

秀吉の勢力範囲は着々と広がっていた。
九州を平定後、関東以北の支配が課題となった。

そして天下取りの総仕上げが小田原の合戦であった。
敵は関東の覇者・北条氏直。
ここで秀吉は空前絶後の作戦を展開した。

号令一下、21万の兵士を招集。
満員の東京ドーム5杯分の数である。
陣中では、花見に茶会の遊興ざんまい。

数ヶ月に及ぶ持久戦も何のその。
余裕の秀吉は敵の目の前に城まで築いていた。
世に言う「石垣山一夜城」。
周囲には、京・大坂を凌ぐ大都会が出現した。

関白の富と力を見せつけ、秀吉は真の天下人となる──。

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2017年6月 2日 (金)

プレイバック秀吉・(42)淀の子、誕生

平成7年度のGNP国民総生産は
491兆円であった。
国の総生産力を初めてはじき出したのは
秀吉が実施した『太閤検地』である。

全国の田畑の面積を測り、
その収穫高を特定するという大プロジェクト。

それに加え、農地がない商家などは
屋敷の広さを同じ広さの田んぼに置き換え
商いの生産力を米の収穫高として割り出した。

例えば鉄砲鍛冶屋。
36坪という敷地面積を農地面積に置き換え
1畝(せ)6歩(ぶ)と記している。

このようにして10年の歳月をかけて、検地帳7,000冊が
秀吉の元に届けられ、全国の総石高、GNPを得た。
その結果、天正19(1591)年の日本総石高は1,857万石、
1石が10万円として、1兆8,000億円!

秀吉が把握した国力、それは
現代のGNPの270分の1であった──。

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2017年5月30日 (火)

プレイバック秀吉・(41)決別の朝顔

石田三成「世界の地図を、豊臣の旗にて埋め尽くす!」

徳川家康の上洛により、
豊臣の天下は磐石のものとなった。
だが、豊臣家の運命は、
内と外から大きく揺さぶられようとしていた。

お市の忘れ形見・茶々が引き起こす波紋、
そして三成ら若い武将の間から沸き起こった
海外への出兵論議である──。

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2017年5月26日 (金)

プレイバック秀吉・(40)誘惑

1586年、桃山コレクション──!!

(おね、とも、茶々の画像が次々と)
当時の着物の中心は、小袖。
もともとは、貴族の下着だったが
室町時代から桃山時代にかけて爆発的に広まった。

そもそも小袖とは、袖口が小さく狭まったものをいう。
小袖発達の理由は、織物や染織の技術革新にあった。
豪華な柄や芸術的な模様の小袖が数多く生産された。

その後、小袖は現代に至るまで和服の原型となり
日本女性を美しく引き立てて来た。
若さ、美貌、見事な装いを身に付けた女性が
次に手に入れようとするものは、一体何か──。

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2017年5月23日 (火)

プレイバック秀吉・(39)かあちゃん、人質

「朝廷は、新しい姓を御下賜くだされる。
 今日よりは、豊臣……豊臣秀吉である」
しかし、その後も秀吉の前に強敵が立ちはだかっていた。

平成8(1996)年1月、長野市で見つかった文書。
小牧・長久手の戦の後、徳川を支援するよう
命じられた軍勢の内訳が記されている。

家康に援軍を送り、秀吉の天下統一を阻もうとした人物、
それは関東独立を目指す北条氏直であった。
また北条は、東北の伊達政宗と同盟を結んでいた。

秀吉580万石、兵15万に対し、
徳川・北条・伊達合わせて350万石、兵11万。
この同盟が秀吉の前に立ちはだかっていた。

同盟を解体し、中心人物の家康を豊臣軍に引き込むことが
(秀吉・徳川軍700万石・18万 北条・伊達230万石・8万)
秀吉の天下統一の鍵であった──。

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2017年5月19日 (金)

プレイバック秀吉・(38)黄金の茶室

金箔瓦に金箔の壁、絢爛豪華な室内装飾。
大坂城は、まさに黄金の城だった。

天正13(1585)年、
秀吉は家康をはじめ主だった大名・公家たちに
なんと黄金5,000枚、銀30,000枚を配ったという。
これが世に言う、秀吉の金賦(くば)り。

このような時に使われたのが、
日本史上初の金貨にして世界最大を誇る天正大判。
このドデカイ金貨1枚で、米なら95俵、まんじゅう10,000個、
こんにゃく30,000丁、酒が一升瓶で3,100本、山いも25,000本、
ろうそく4,000本、炭500俵、足袋170足、畳600帖……が買えた。

これほどの黄金を、秀吉はどうやって手に入れたのだろう。
当時の日本は、各地の戦国大名たちの
鉱山開発による空前のゴールドラッシュ。
天下人・秀吉は、それらの金・銀山を独り占めにできたのだ。

この莫大な黄金を使って、秀吉が造ったものとは──?

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2017年5月15日 (月)

プレイバック秀吉・(37)天子様の御落胤(らくいん)!?

日本一の城・大坂城を築き、
事実上『天下人』となった秀吉。
しかし、その正当性を
朝廷に承認してもらうためには、ある条件が。

源、平、藤原、橘。
平安時代以降のしきたりには、
このいずれかの姓を名乗る者のみ
天下を制する資格があるとされていた。

由緒ある家柄、百姓出の秀吉に立ちふさがる大きな壁。
しかし、秀吉はかつて信長が朝廷より官位を授かる際
「平姓」を称したことに倣ってか、「平 秀吉」を名乗ることで
次々と官位を昇進させていったのである。

従五位下→左近衛権少将
→従四位下参議→従三位権大納言→正二位内大臣

そして、古いしきたりをくつがえす、
新しい姓が今ここに誕生する──。

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