プレイバック葵 -徳川三代-・(49)名君づくり [終]
時の流れを縦糸に、人の心を横糸に
長々とご覧いただいた『葵 -徳川三代-』も
いよいよ最終回であり、寂寥の感はうたた切なるものがあり。
長きに渡ってごひいきをいただいた
テレビ桟敷のお歴々には厚く御礼申し上げたい。
寛永9(1632)年1月24日、
二代将軍秀忠は江戸城西の丸にて薨去。
ご遺言によってお江の眠る増上寺に葬られた。
朝廷から贈られたおくり名は「台徳院殿」。
さて、最終回に当たり気になるのは
家光とその弟・忠長の確執……?
哀れ忠長は甲斐府中に押し込められたまま
父秀忠の葬儀にも列席が叶わず。
そして将軍家のお世継ぎ問題……?
家光長男は寛永9年2月に誕生したもののあえなく亡くなり
将軍レースは振り出しに戻った。
果たして四代将軍は尾張五郎八丸か紀伊長福丸か──。
最近のコメント