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カテゴリー「NHK大河1984・山河燃ゆ」の51件の記事

2018年7月 3日 (火)

プレイバック山河燃ゆ・(51)新たなる旅立ち [終]

「戦犯廿五被告に判決下る」
「東條、廣田ら七名絞首刑──無罪なし 木戸ら十六名終身禁固」
「裁かれた「日本国」」「法廷三年」という文字が踊る新聞に
被告たちの刑が一覧になって掲載されています。

絞 首 刑 東条 英機 (65.東京) 陸軍大将、陸相、内相、首相、陸軍参謀総長
絞 首 刑 廣田 弘毅 (71.福岡) 駐ソ大使、外相、首相
絞 首 刑 松井 石根 (71.愛知) 陸軍大将、中支派遣軍総司令官
絞 首 刑 土肥原賢二 (66.岡山) 陸軍大将、在満特務機関長、陸軍航空総監
絞 首 刑 板垣征四郎 (64.岩手) 陸軍大将、満州国軍政部最高顧問、陸相
絞 首 刑 木村兵太郎 (61.埼玉) 陸軍大将、陸軍次官、ビルマ派遣軍司令官
絞 首 刑 武藤  章 (57.熊本) 陸軍中将、陸軍省軍務局長
終身禁固刑 木戸 幸一 (60.山口) 文相、内相、厚相、内大臣
終身禁固刑 平沼騏一郎 (82.岡山) 首相、枢府議長
終身禁固刑 賀屋 興宣 (60.広島) 蔵相
終身禁固刑 嶋田繁太郎 (66.東京) 海軍大将、海相、軍令部総長
終身禁固刑 白鳥 敏夫 (62.千葉) 駐伊大使
終身禁固刑 大島  浩 (63.岐阜) 陸軍中将、駐独大使
終身禁固刑 星野 直樹 (57.東京) 満州国総務長官、内閣書記官長
終身禁固刑 荒木 貞夫 (72.福岡) 陸軍大将、陸相、文相
終身禁固刑 小磯 國昭 (69.山形) 陸軍大将、朝鮮総督、拓相、首相
終身禁固刑 畑  俊六 (70.福岡) 元帥、陸相、支那派遣軍総司令官
終身禁固刑 梅津美治郎 (67.大分) 陸軍大将、関東軍司令官、陸軍参謀総長
終身禁固刑 南  次郎 (73.大分) 陸軍大将、陸相、朝鮮総督
終身禁固刑 鈴木 貞一 (61.千葉) 陸軍中将、企画院総裁
終身禁固刑 佐藤 賢了 (54.石川) 陸軍中将、陸軍省軍務局長
終身禁固刑 橋本欣五郎 (59.福岡) 陸軍大佐、大政翼賛会創設者
終身禁固刑 岡  敬純 (59.東京) 海軍中将、海軍省軍務局長、海軍次官
禁固廿年  東郷 茂徳 (67.鹿児島)駐独・駐ソ大使、外相
禁固七年  重光  葵 (62.大分) 駐英・駐華大使、外相

 東郷、重光の禁固は罪状認否の日(昭和21年5月4日)より起算

松岡 洋右 (山口) 満鉄副総裁、外相 →判決前に死亡
永野 修身 (高知) 元帥、軍令部総長 →判決前に死亡
大川 周明 (山形) 国家革新運動指導者→精神異常により起訴取消


そしてこの絞首刑の判決を受けた者たちの減刑訴願を
アメリカの最高裁判所に働きかけるのですが、
結果は……却下、でした。

極東国際軍事裁判所は、
ダグラス・マッカーサー元帥によって設立されたものであり
アメリカの裁判所は、その判決を破棄したり
刑を執行したりする機能を持たないため、却下となったのです。

チャーリー田宮も、天羽賢治も、その結末に愕然とします。

裁判は終わった、と全ての肩の荷を下ろして
せいせいしているチャーリーとは違い、
賢治は、自分も戦争に加担したひとりとして
絞首刑者たちと同じことをやってきたんだ、と自分を責め続けます。

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2018年6月29日 (金)

プレイバック山河燃ゆ・(50)宣告

昭和23(1948)年8月。

東京裁判という最高の機密を扱うスタッフは、
東京の服部ハウスに移らされます。

天羽賢治もそれに倣い、天羽エミーやアーサーが暮らす
ワシントン・ハイツから服部ハウスに移るわけですが、
全く自由がない生活で、これが裁判の判決が出るまで
ずっと続くのかと思うと、先が思いやられます。

外部との通信手段は全くなく、
家族との手紙のやり取りだけは認められていますが
検閲が入った上でのやり取りです。
ほぼ監獄といった方が正確かもしれません。

一方、被告たちが収容されている巣鴨プリズンでは
のんびりと将棋を打つものもおりますが
東郷茂徳や広田弘毅は一様に厳しい表情です。

「我らのうちの何人かは、死刑なのか……」
広田弘毅はため息まじりに呟きます。

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2018年6月26日 (火)

プレイバック山河燃ゆ・(49)最終論告

昭和22(1947)年12月31日、
極東国際軍事裁判所で行われた反対尋問で
天皇の平和希望に反する木戸幸一(元 内大臣)の言動は?
との問いに対する元首相・東条英機の発言の波紋が大きいです。

『東条、天皇の戦争責任を示唆──』
新聞各社は東条の発言を大きく取り上げます。

天皇訴追となれば、天皇が裁判所に呼ばれることになりまして
マッカーサー元帥も日本政府も天皇を法廷に出してはならない
という命令なので、キーナン検事は真っ青になっているわけです。
「何してる! 田中隆吉を呼べ!!」

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2018年6月22日 (金)

プレイバック山河燃ゆ・(48)兄弟和解

昭和22(1947)年12月22日・広島──。

日赤病院に入院している井本梛子は
8ヶ月も入院してもどかしい思いをしていますが、
少しずつではありますが元気を取り戻しつつあります。

ナースからの書き置きを見ると
「アモウ様がお見えになりました」とありました。
眠っている間に天羽賢治がお見舞いにきてくれたと思うと
それだけでもワクワクしてパアッと表情が明るくなります。

トントン、とノックがあって入ってきたのは
アモウはアモウでも、天羽 忠、弟の方でした。

ストレプトマイシンという結核によく効く薬が最近できまして、
それを使えばすぐに治るらしいのですが、日本では手に入らないので
どうしても結核治療には時間がかかってしまう現状があります。
忠はその名前を頭にとどめておきます。

梛子は、賢治に宛てた“心配しないでくださいね”という手紙を
忠に預け、何かの時に渡して欲しいと依頼します。

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2018年6月19日 (火)

プレイバック山河燃ゆ・(47)焼跡の聖夜

チャーリー田宮が、ワシントン・ハイツの天羽家に
来たるクリスマスに向けてもみの木と、
息子のアーサーにプレゼントを買って届けにきました。

賢治はまだ裁判所から帰ってきていません。
いたのはアーサーとお手伝いさんで
天羽エミーの姿はありません。
チャーリーが聞けば、すでに休んでいると答えます。

体調でも悪いのか、と心配するチャーリーですが
言葉を濁すお手伝いさんを見て、フッと溜息を漏らします。
「……酒か」

そんな時にアメリカ人女性の来客です。
エミーには、ポーカーで作った200ドルの借金があるようで
返さないなら賢治が帰るまで待つ、と聞きませんが
チャーリーがその場を納めるために200ドル支払います。

「気前がいいのね。おヒマなときは来て、お酒あるわよ」
さんざん皮肉って帰っていきます。

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2018年6月16日 (土)

プレイバック山河燃ゆ・(46)限りある生命(いのち)

天羽賢治は部長に転勤願いを提出します。
仕事がイヤだ というのもひとつの理由、と言う賢治に
昨晩、エミーの乱行を目の当たりにしている部長は
本当の理由が「奥さんだな」と理解します。

部長も昨晩のパーティでのエミーの乱行を目撃しているのです。

現に部長の妻も、始めこそ日本がイヤだと
ヒステリックになりましたが、時間が解決したのか
今では寺社仏閣めぐりを楽しんでいるほどです。
しばらくしたら治る、と楽観的です。

賢治は、酒に頼る一方のエミーのためにも
そして理想を追い続ける賢治が、原爆問題の議事録からの削除など
到底考えられずに仕事がイヤになったことから帰国を決めたのですが、
部長としては、いま賢治がいなくなる方が大問題であります。

1週間の猶予を与えられます。

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2018年6月11日 (月)

プレイバック山河燃ゆ・(45)ワシントン・ハイツ

東京代々木にある「ワシントン・ハイツ」。

天羽賢治が帰宅すると、酒をあおっていたのか
天羽エミーはうがいをし、香水を身体中に振って
夕ごはんの支度を始めます。

リビングにはおひなさまの小さな飾りが。
井本梛子が昼間に持ってきてくれたようで
エミーは少しムッとしています。

「京都へ行ったんですって?」
息子アーサーの寝顔を見に行った賢治の後を追いかけて
梛子から聞いたわ、とエミーは声低く聞いてみます。

賢治は、東京から一緒に行ったのではなく
偶然京都で会ったのだ、とアーサーを見つめながら答えますが
言い訳は聞きたくない、とエミーがプイッとキッチンへ戻ると
賢治は何も言えません。

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2018年6月 8日 (金)

プレイバック山河燃ゆ・(44)真珠湾攻撃の謎

昭和21(1946)年11月1日・極東国際軍事裁判所。
ヒギンズ検事による検察側の冒頭陳述が行われます。

──1937(昭和12)年、日本は満州の武力支配を達成し
自国の政治的経済的地固めを確立した。

一方戦闘は上海に拡大し、米国人の生命・財産に対する
最初の危害はこの地域で始まった。
この理由により、日本国と米国との関係は
次第に悪化していった。

1941(昭和16)年10月、東条英機内閣が成立した。
東条が首相として日本政府を指導するに伴い
成り行きが急速に戦争に推移していった。

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2018年6月 5日 (火)

プレイバック山河燃ゆ・(43)古都憂愁

昭和21(1946)年8月27日、国際局等軍事裁判所。
満州国の元皇帝・溥儀の尋問は無事に終了しました。

その日の夜、井本梛子の妹・広子の歓迎パーティが行われました。
梛子や父・井本虎造らがアメリカから日本の広島に帰国する中
ひとりアメリカに残って看護師を続けていまして、
その広子が今回日本に渡って来たのです。

原爆に関する病院が広島にできると聞いた広子は
日本で看護師をするならそこで、と決意しての帰国だったようです。

そして天羽賢治は、そこに天羽 忠も呼んでいるわけですが、
忠は薄汚れた服だったのに、急に羽振りが良くなったかスーツ姿です。

賢治は内容は全く聞かされていないようで
医薬品を扱う商売を始めた、というところまでは聞き出せたのですが
問いつめてもまともに相手をしてくれません。
忠は、チャーリーを連れて出て行ってしまいました。

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2018年6月 1日 (金)

プレイバック山河燃ゆ・(42)英霊

昭和21(1946)年8月13日。
極東国際軍事裁判所では、南京事件の証人尋問が終わり
満州国の元皇帝・溥儀が証人に立つことになりました。

彼の経歴や、満州事変から満州国が建国されるまでの経緯は
頭にたたきこんでおけ、と
モニターを勤める天羽賢治たちに命令が飛びます。


賢治は、焼け野原となっている銀座の一角で
送り火をたいて死者を弔います。

ふと顔を見上げると、そこには
唯一消息不明だった川辺庄平が立っていました。
庄平も、賢治が日本にいることは想定外だったようで
ふたりして偶然の再開に大喜びです。

庄平は、シンガポールで終戦を迎えました。

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