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カテゴリー「NHK大河1986・いのち」の36件の記事

2018年11月 9日 (金)

プレイバックいのち・(36)光さす道

高原医院に、大場甚一郎という初老の男が診察に現れます。

受付から診察まで時間がかかりすぎるとクレームを入れて
岩田未希に、患者の身になって詳しく病状を聞いているので
待つのがイヤならよその病院へ、とジャブを入れられます。

それに苦笑しつつ、血圧が高いから降圧剤を、と大場は要求。
血圧を測定してみると、130-90という数値が……。
大場の申告によれば150-100というので
大場は真っ先に血圧計の正確さを疑ってかかります。

そんな時、急患が運ばれてきました。
妊娠しているらしいその女性の苦しみ方を見て
未希は子宮外妊娠の疑いを持ちます。

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2018年11月 6日 (火)

プレイバックいのち・(35)さらば津軽よ

昭和36(1961)年の11月から東京近郊に開院した岩田未希は
目的を果たして津軽へ帰る日を迎えていました。
しかし未希は、1年にわたり地域に根を下ろした医者としての
責任を思うとどうしても高原医院を閉める気にはなれず。

このまま東京で仕事を続けることを
岩田剛造やテルに理解してもらおうと津軽へ帰ります。
主婦の座を捨ててまで医者としての道を選ぼうとする
未希の無謀さを案じるハルとの2人旅でした。

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2018年11月 2日 (金)

プレイバックいのち・(34)いとしき妻

昭和36(1961)年11月、東京の郊外に開院した岩田未希は
周辺に開業医がまだ少なかったこともあり
未希の誠実な診療に信用がついて多忙な毎日を送り、
半年後には地域に根付いた開業医に成長していました。

世話になった主人の葬式に参列するために東京に出てきた岩田剛造は
ついでに病院を訪ねて来て未希と対面しますが、
手術が2件立て込んでいて、なかなか会話の時間すら取れません。

夜遅く、ようやく手術が終わり
未希は剛造をすき焼きでもてなします。
そんな時にも往診依頼です。
胃が悪かった患者が吐血したそうです。

オラの心配はせねで、存分なことをして差し上げるンだ──。
今夜のうちに帰るという剛造を、せめて上野駅まで送るんだと
自分が戻るまできっと待ってて、と未希は約束しますが、
未希が戻ってきたときには、剛造は病院を発った後でした。

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2018年10月30日 (火)

プレイバックいのち・(33)生きがい

町立病院ができて半年、
そのあおりを受けた高原医院の業績は思うようにならず
昭和36(1961)年の秋には、
銀行から受けた融資の月々の返済も重荷になっていました。

岩田家の嫁として務めを果たしたいと考えつつ
診療所が立て直せる時期を待っていた岩田未希でしたが、
津軽での医療活動に未希なりの限界を感じて
親友・村中ハルの勧めに甘えて東京で開業する決意をします。

昭和36(1961)年11月のことです。

開院の日に合わせて、ハルは開院祝いの花輪を届け
ちんどん屋を呼び寄せて開院の宣伝をさせます。
派手な宣伝はしたらいけないことになっているので
困ったわ……と戸惑う未希です。

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2018年10月26日 (金)

プレイバックいのち・(32)東京へ

昭和36(1961)年・春、高原未希たちが暮らす村と
他の二村を合併してできた町にやっと町立病院が開院して
これで未希たちの長年の念願だった農村医療が充実されると
町立病院の完成を心から祝福していたものの、

町立病院と、村の診療所がそれぞれの役割を果たすことによって
初めて地域医療ができると信じていた未希たちは
現実は意外に厳しいもので、高原医院の患者数は激減します。

その現状を見た村中ハルは、未希に
これからどうしていくのかを考えたら、と迫りますが
未希の頭の中には、何をどうしていいのか
まったくビジョンが見えてきません。

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2018年10月23日 (火)

プレイバックいのち・(31)かあさんの味

昭和34(1959)年の春、
日本の硬度経済成長を支える労働力として
農村から中学卒業の少年少女たちが
都会へ集団就職し始めていましたが、

岩田未希の村からも10人あまりが故郷を旅立って行きました。
その中に、高原家の元小作の津田平吉の娘・征子もいて
たまたま、村中ハルが集団就職列車で東京まで上京したことから
ハルと征子は不思議な縁で結ばれることになりました。

半年後、約束の定時性高校への通学をさせてもらえない征子を
ハルは町工場から無理矢理連れ出し、
引き取って面倒を見ることになったのです。

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2018年10月19日 (金)

プレイバックいのち・(30)津軽の少女たち

昭和34(1959)年、春。

東京では皇太子殿下のご成婚が華やかに執り行われ
そのパレードがテレビで全国に中継されました。
同じころ津軽では、その年 中学校を卒業した少年少女たちが
都会へ集団就職するために故郷を旅立とうとしていました。

日本は、昭和39(1964)年の秋に開催予定の
東京オリンピックへ向けて高度成長への道をひた走り始め、
労働力の不足を農村に求めて
男たちは冬場の農閑期を出稼ぎに行き、

中学卒業の若い労働力は
「金のたまご」ともてはやされて
都会へと就職し始めていたのです。
津田平吉の娘・征子も、そのひとりでした。

扁桃腺の腫れも引き、熱も下がった征子に
東京へ出発してもいいでしょう、と診断を下す岩田未希。
中川邦之は、身体を壊したら何にもなんねえど? と
無理だけはしないように、と励まして送り出します。

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2018年10月16日 (火)

プレイバックいのち・(29)走れ妹よ!

東京大空襲の時に受けた傷が元で足が不自由になりながらも
見事にそのハンデを乗り越えて中川邦之と結婚し
誠の母にもなれた中川佐智が、看護婦資格を取得するために
足の手術を受けたいと言い出します。

傷を負って13年、佐智も29歳になった
昭和33(1958)年の秋のことでした。

岩田未希は、何も佐智を看護婦にしたい気持ちはないですが、
あれだけ勧めてきた足の手術を佐智自身が言い出したことで
できるのであれば足の不自由という障害を取ってあげたいという
親心に似た気持ちであるわけです。

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2018年10月12日 (金)

プレイバックいのち・(28)輝けるとき

高原未希の負担の要因となっているのが
精密機械であるレントゲン診療の設備を持ち運んで
村々各地に赴くことでありまして、

レントゲン機器を高原病院に設置できれば
みんな来たい時間に来てレントゲン診療することができ
輸送しての行き来が必要なくなるため、
未希の負担はうんと軽減されます。

未希と中川邦之は、診療所を立て直すことを考えます。

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2018年10月 9日 (火)

プレイバックいのち・(27)母を待つ子

「私……もう自身ないわ」
岩田剛造が自分を庇えば庇うほど、岩田テルが意地になって
家事一切を自分にさせないと嘆く岩田未希ですが、
剛造からみれば、意地になっているのは未希の方でもあります。

洗濯機も、中川邦之が気を利かせて注文してくれたのでしょう。
しかしこれが原因で家庭内崩壊につながれば意味がありません。
未希は洗濯機をそのまま返すことにします。
2人の子どもたちも、未希とテルがケンカしたのかと心配しています。

未希の様子を見に来た浜村直彦とも再会し、
忘れかけていた、医師を目指した理由を思い出させてくれます。
自分が目指した医療と、岩田家の嫁と。
一体どうすればいいのか、未希は自問自答します。

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