昭和37(1962)年、東京オリンピックを2年後に控え
その前哨戦として、ジャカルタで開かれる
第4回アジア競技大会ですが、
開幕前にとんでもないルール違反が発覚します。
開催国インドネシアが、政治的に対立する
台湾とイスラエルに招待状を送っていなかったのです。
これがスポーツ界にとどまらず、国際的な政治問題に発展。
マスコミは、もし日本が参加したら東京オリンピックは
取り上げられるかもしれないと報じます。
「中止だ中止! と言ったら、さぞかし困るでしょうねえ」
まーちゃんこと田畑政治は、
オリンピック担当大臣川島正二郎をためしますが、
僕はどちらでもかまわんよ、と開き直られます。
仮に参加したとして、IOCに糾弾されて
除名なんてことになるかもしれません。
東京オリンピックをとりあげられるかもしれない、
という噂を持ち出します。
不参加にしたって、アジアへの戦後補償という問題があります。
日本政府はこのことに心血を注いできたわけですが、
ようやく反日感情が払しょくできつつあるというのに
また日本はアジアから嫌われる存在になってしまいます。
「で、どうするんだ事務総長」と、川島は
すべての判断をまーちゃんに委ねます。
川島の顔を立てるのではなく、選手のために、
また、アジア民族の祭典を心待ちにしている
インドネシア人のために
「出ますよ」とまーちゃんは短く答えます。
8月24日 午後3時、日本選手団は参加を表明。
開会式のわずか数分前のことでした。
競技が始まると、日本選手団は初日から好成績を連発。
しかし、日本のマスコミが報じたのは、
大会参加を決断したことへのバッシングでした。
誰がこの責任を取るのか、戦犯探しが始まりました。
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