2020年2月21日 (金)

プレイバック信長・(14)桶狭間の戦い(後)

【アバンタイトル】

当時、軍勢の移動速度は想像以上に早かった。
5,000人規模の軍団でも1日30km以上移動できた。
例えば、今川義元の本体5,000は、一日で浜松から豊橋まで、
翌日は豊橋から岡崎までという速さで歩いた。

5,000という軍勢は、全員が馬に乗っているわけではない。
馬上の武士は500人程度、あとは徒歩の下級武士、
槍組、弓組、鉄砲組の足軽たち、
予備の武器から食料まで積んだ多くの荷駄隊、それを押し続ける者たち、

その他、刀、槍、馬具、鉄砲、荷車などを修理する職人たち、
そして使者を葬るための僧侶まで同行していた。
そういった軍団が1日30kmを移動するのである。
まさに、戦争のプロたちであった。

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2020年2月18日 (火)

プレイバック信長・(13)桶狭間の戦い(前)

【アバンタイトル】

戦国時代と言っても、日本全国、
毎日のように戦をしているわけではなかった。
京都など一大消費都市を中心に、人の往来、商品の流通も多くなると、
大名の商業政策もあって、経済活動は徐々に活発になっていった。

そういう中で、特に堺は商業都市として発達し、
海外貿易においては日本一の規模を誇っていた。
当時堺を訪れた宣教師・ラスパル・ヴィレラは、本国への報告書の中で、
堺は甚だ富み、住民多数にしてベニスのごとき政治を行えり、と書いている。

そのころのベニスは、新大陸の発見や
喜望峰周りの新航路の発見で、急速にその力を失っていたが、
地中海貿易を中心として、一時は世界一の商業都市であり、
共和制による自由都市でもあった。

堺も、会合衆という組織によって自主的に町を運営し、
周囲に堀を巡らせて大名の支配を拒否していた。
いわゆる自由都市である。
当然、信長にも興味があったはずである──。

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2020年2月14日 (金)

プレイバック信長・(12)尾張統一

【アバンタイトル】


信長が弟・信行を抹殺したころ、
室町幕府第13代将軍・足利義輝は都を追われていて、
京都は、阿波の大名・三好長慶らによって支配されていた。
幕府はその政治力だけでなく、財政的な力も失っていた。


一方、甲斐の武田信玄と越後の長尾景虎は、
三回目の川中島の合戦を終え、
やがて始まる四回目の合戦に備えていた。


そして駿河の今川義元は、商工業などの発展のため、楽市を実施しながら
国内の支配体制を固め、なおも西に向かって勢力を広げていた。
今やその勢力は遠江から三河を抑え、
尾張国内の知多郡を始め、鳴海、大高、沓掛城にまで及んでいた。


信長は、まだ身内同士の勢力争いを続けていたのである。
残るは上4郡の守護代で、岩倉城主の織田信賢だけであった。
信長は、他国が侵入してくる前に尾張を統一し、力を結集しなければならない。
そのための時間は、あまり残ってはいなかった──。

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2020年2月11日 (火)

プレイバック信長・(11)弟よ

【アバンタイトル】

フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した後、
およそ2年間滞在し、その間日本での布教許可をもらうため
京都まで行って天皇に陳情しようとしたが果たせず、
結果、山口と九州で布教活動を始めることになった。

その後ザビエルは、日本にトルレス神父らを残しインドに帰ったが、
すぐ中国への布教のため、広東を目指しての上陸を目前に、
広東沖合のサンシャン島で、病のため46歳の生涯を閉じた。

彼は、フランス国境に近いナバラ王国の貴族の家に生まれたが、
19歳の時パリ留学のために家を出た。
そして二度と故郷を見ることなくこの世を去ったのである。

彼に対する評価はいろいろあるが、日本に
ヨーロッパ文化を伝えた人のひとりとして、その功績は大きい。
彼の右腕は今でも、ローマのジェズ教会に保存されている──。

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2020年2月 7日 (金)

プレイバック信長・(10)骨肉の争い

【アバンタイトル】

信長は、守護代を排除することで、
事実上 下4郡を制することになったが、
その実情は複雑であった。
下4郡の領地すべてを完全に支配できたわけではなかった。

領内には、貴族所有の領地、寺や神社のもの、
そして土着の地侍・豪族たちの土地が混在していて、
それぞれが、領地内の農民や商人などを支配していた。

信長は、まだ大名にはなっていないが、
一般的に守護大名はそれら領地所有者から税を上納させていて、
直接、農民や商人から税を徴収していたわけではなかった。

そのために、大名の領国経営は複雑であり、
経済面からも多くの不安定要因を抱えていた。
その結果、大名の権力が衰えれば、
下からの力によって倒されたのである。

信長はいま、
尾張の小勢力の中で一歩抜きんでてはいたが、
完全な支配体制を確立するためには、
まだほど遠いものがあった──。

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2020年2月 4日 (火)

プレイバック信長・(09)道三敗死

【アバンタイトル】

戦国時代、槍は重要な武器のひとつだった。

当時普通に使われていたものは、長さ一間半、およそ2メートル70だった。
次は、美濃の斎藤道三が考えたと言われる、二間半の槍である。
かなり長い。およそ4メートル50である。
戦の時、槍同士のたたき合いに使ったのではないだろうか。

『信長公記』によれば、信長は「とかく槍は短くてはいけない」と言って
道三の槍を超えるべく、三間半の槍を作ったとされる。
しかし専門家によれば、三間半の槍は実践には使えそうにない、という。

槍の柄は、硬くて重いアカガシを使うことが多く、
6メートル半の槍は、持ち運ぶだけでも不便だという。
ただ当時、槍の一間が建築上の一間とは
別の単位だとすれば、話はおのずと別である──。

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2020年1月31日 (金)

プレイバック信長・(08)鬼の栖(すみか)

【アバンタイトル】

信長の生まれた16世紀初頭、日本人にとっての外国は
朝鮮半島とそれにつながる中国と天竺だけだった。
今でいうインドのことである。

一方ヨーロッパでは、そのころ世界一周を果たし、
ごく一部の人たちだけではあったが、
地球は丸く、多くの国々があることを知っていた。

天正少年使節は、そんなヨーロッパを訪れ
多くの人たちに、日本人とはいかなる人種なのかを知らせることになった。
彼らは、信長の死ぬ4ヶ月前に長崎を発ち、途中インドのゴアなどに寄り、
喜望峰を経てポルトガルのリスボンに着いた。

その後スペインに入り、アリカンテの港からまた船に乗って地中海を進み
トスカーナ公国のリヴォルノ港に上陸した。
彼らは行く先々で大歓迎を受け、ローマに達したのである。

だが、8年ぶりに日本に帰ってみると、
日本はすでに豊臣秀吉の時代になっていて、
キリスト教は禁止されていた。
やがて、日本は鎖国の時代に入ったのである──。

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2020年1月28日 (火)

プレイバック信長・(07)目には目を

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古い地図を見ると、尾張国には無数の川が流れていたらしい。
現在の名古屋城周辺も、川に囲まれていたようだ。

水が豊かだから、米の産地であった。
その上、伊勢湾を抱えていて、海上交易も盛んだった。
信長は、その重要な港町・津島と熱田を父親から受け継いでいた。
経済的に恵まれていたのである。

その信長が、守護代を滅ぼし、清洲城に入って
尾張下4郡を掌中に収めることになったが、
それはあくまでも名目上のことで、
現実はかなり厳しいものであった。

信長が完全に掌握できていたの手は、
下4郡のうち西側の、海東郡と海西軍だけである。
三河に接する愛知郡は今川と手を結ぶ豪族がいて不安定だったし、
南の知多郡に至っては、ほとんどが今川の勢力下にあった。

尾張統一のためには、この2郡のほか、上4郡も制圧しなければならない。
信長の前途はまだまだ多難であった──。

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2020年1月24日 (金)

プレイバック信長・(06)大名への第一歩

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日本へ来たザビエルたち宣教師は
ローマ教皇庁のイエズス会に属していた。
この修道会は、宗教改革の波に対抗して
保守派が体制内改革を目指して作ったものである。


その創設メンバー7人の中にザビエルもいたが、
中心人物は、イグナチオ・デ・ロヨラであった。
彼は、スペイン北部・バスク生まれのもと軍人であった。


偶然ではあるが、ザビエルはその隣の
ナバラ王国生まれで、貴族の息子であった。


ロヨラは軍人を辞めた後、マンレーサで修業を重ね、
やがてパリ大学でザビエルたちと出会った。
そして1534年、イエズス会の創設を誓ったのである。
ちなみにこの年は、信長の生まれた年でもある。


ロヨラたちは自らを神の正史といい、
軍隊的な厳しい規律を誓い、形式的なものを排して
直接神の教えを実践する修行をモットーとした。


彼らが新発見の国に派遣されたのは、もちろん布教のためであったが、
結果として、政治や貿易問題に巻き込まれることになった──。

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2020年1月21日 (火)

プレイバック信長・(05)まむしの道三

【アバンタイトル】

鎌倉時代、守護は幕府の役人として
国々に派遣された、知事のようなものであった。
彼らはやがてその地に根を下ろし、権限の拡大に伴って力をつけ、
ついにその地方を支配するに至った。守護大名の出現である。

だが、戦国時代になると秩序は乱れ、下克上の風潮が日本全国を覆い、
守護大名でさえ安定した存在ではなくなっていた。
斎藤道三のように油商人から美濃一国を支配する大名にのし上がったものもいる。
そういう中で、守護代は領国支配の先鋒として守護大名が勝手に作ったものである。

当時、名ばかりの尾張守護・斯波氏は、かつて越前・遠江・尾張の
三国の守護を兼ねるほどの勢力を持っていたが、
今は昔日の面影もなく、
守護代・織田信友の居城・清洲に居候する有様であった。

「権威」と名の付くものが、時代の波に現れていた──。

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