2020年3月13日 (金)

プレイバック信長・(20)伴天連フロイス

【アバンタイトル】

信長が美濃を攻めていたころ、宣教師ヴィレラたちは
将軍から許可状をもらって京都で布教を始めたが、
思うような成果はあげられなかった。
その上、仏教側の排斥運動などもあって、堺へ逃げたり、また京都に戻ったりしていた。

だが九州地方ではそれなりの布教聖火があげられていた。
当時、豊後国府内にいたトルレス神父は、平戸に続いて、肥前国大村の領主・大村純忠と交渉し、
横瀬浦にポルトガル船を入港させる条件で、そこにポルトガルの町を作ろうと計画した。
大村純忠はこの話に賛成した。

ルイス・フロイスが日本に第一歩を記したのは、
そういう時期の横瀬浦である。
フロイスはこの日から6年後に将軍を推し立てて上洛した信長を訪問するのだが、
この時はまだ信長の存在を知らなかった。

まして信長は、ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスと
都で会うことになろうとは、夢にも思ってはいなかった──。

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2020年3月10日 (火)

プレイバック信長・(19)信長北上

【アバンタイトル】

ルイス・フロイスは、彼の著書『日本史』の中で、
日本の天皇と将軍についてこんな風に書いている。

日本には万事に勝る最高の二つの権威がある。
第一は内裏である。
400年以上も前から、人々はもはや彼に服従しなくなっているが、
彼がこの日本の66ヶ国すべての国王であり、最高の統治者である。

第二は公方様で、
内裏の長官もしくは副王のようなもので、
日本の貴族・武士も含むが、
みな彼を国王の総司令官として大いに畏敬している、と。

一般に、当時は将軍に力なく、御所も荒れ果てていたというが、
外国人であるフロイスの目には、天皇も将軍も
人々から充分たる尊敬の念をもって迎えられているように映ったらしい。
フロイスは、日本人の心情を感じたのだろう。

そういうフロイスから見れば、上洛して天下を取るという表現も、
多少違う意味のものとして感じられたかもしれない。
もちろん信長は、まだ天下など考えてはいなかった──。

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2020年3月 6日 (金)

プレイバック信長・(18)和平同盟

【アバンタイトル】

フランシスコ・ザビエルをはじめ、日本に来た
イエズス会宣教師たちは、報告書を提出する義務を負わされていた。

彼らは報告書を何通も作り、ローマのイエズス会本部や
ポルトガル、スペインの修道院へ送った。
たとえ事故があっても、どれか一通が残るよう配慮されたのである。

ルイス・フロイスの書いた『日本史』は報告書ではない。
上司の命令で、日本での布教史を書いたものである。
そのフロイスも、生まれ故郷のポルトガルでは、無名の存在である。

彼らの誕生日はもちろんのこと、その住まいも家柄もまったく不明である。
彼はなぜ16歳でイエズス会に入ったのだろう。
彼に何度も会った信長なら、そのあたりの事情を知っていたかもしれない──。

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2020年3月 3日 (火)

プレイバック信長・(17)妖怪のクリスマス

【アバンタイトル】

「吉利支丹」「伴天連」という言葉があるが、
キリシタンもバテレンもポルトガル語がなまったものである。
本来キリシタンはクリスタオ、バテレンはパードレという別々の名詞で、
それぞれ「キリスト教徒」「神父」という意味である。

多分、信者たちが「パードレ、パードレ」と呼ぶのを聞いて、
当時の人々がその耳慣れない言葉を
バテレンと発音するようになったのではないだろうか。

最初、九州に宣教師が上陸したころ、周辺の大名たちは
南蛮船の持ってくる品々が大いに商売につながるとして、
領民にキリシタンになるように命じた。
宣教師も布教許可を貿易の条件としていた。

だが、宣教師たちの目的は九州地方だけでなく、
日本全国への布教であったがために、
やがて日本の歴史の中に巻き込まれることになるのである。
キリシタン・バテレンの歴史は、信長の中央進出と深くかかわっているのである──。

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2020年2月28日 (金)

プレイバック信長・(16)神の戦士たち

【アバンタイトル】


ザビエル来日以来、イエズス会宣教師の布教活動は
地理的条件もあって、九州を中心に行われていた。
彼らは異国で不慣れな生活を強いられ、戦乱に巻き込まれたが、
その力強い活動によって順調に信者を増やしていた。


そのころヨーロッパでは宗教改革によってプロテスタント、
いわゆる新教徒が増え、勢力を広げていた。


保守派はこれに対抗するべく異端審問制度を適用し、
特にイタリア・スペインでは、悪魔に取りつかれた人間として
プロテスタントの疑いのあるものを次々に宗教裁判にかけ、
火あぶりの刑に処した。


イエズス会は筋金入りの保守派である。
その宣教師たちが自らの命を削る思いで
日本での布教活動を続けていたのは、
皮肉な話と言わねばならない。


やがて信長はフロイスと出会うことになるが、
果たしてキリストの神を理解することになるだろうか──。

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2020年2月25日 (火)

プレイバック信長・(15)家庭の問題

【アバンタイトル】


のちに有名になった徳川家康は、
当時松平元康と名乗っていた。
彼は三河松平家の嫡男として岡崎城に産まれたが、
その人生の大半は悲劇的であった。


まず3歳の時に母が離別され、彼の前から姿を消した。
6歳になると織田信秀の人質となり、8歳で父親が家臣に殺された。
その後彼は今川義元の人質となって駿河に送られたのである。
それから11年間、彼は人質の暮らしに耐えた。


その彼に一大決心を与えたのが桶狭間の戦いである。
彼は今川方の一武将として一番危険な仕事をさせられたが、無事に生き延びた。
そして今川義元の死を知るや、一目散に岡崎城に逃げ帰り、
初めて自分の城の城主になったのである。


故郷岡崎を出てから13年目のことである。
でも、彼の悲劇は終わったわけではなかった。
むしろ、この後に続く人生の方が、もっと辛いものだったかもしれない。
それに比べれば、信長ははるかに坊ちゃん育ちである──。

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2020年2月21日 (金)

プレイバック信長・(14)桶狭間の戦い(後)

【アバンタイトル】

当時、軍勢の移動速度は想像以上に早かった。
5,000人規模の軍団でも1日30km以上移動できた。
例えば、今川義元の本体5,000は、一日で浜松から豊橋まで、
翌日は豊橋から岡崎までという速さで歩いた。

5,000という軍勢は、全員が馬に乗っているわけではない。
馬上の武士は500人程度、あとは徒歩の下級武士、
槍組、弓組、鉄砲組の足軽たち、
予備の武器から食料まで積んだ多くの荷駄隊、それを押し続ける者たち、

その他、刀、槍、馬具、鉄砲、荷車などを修理する職人たち、
そして使者を葬るための僧侶まで同行していた。
そういった軍団が1日30kmを移動するのである。
まさに、戦争のプロたちであった。

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2020年2月18日 (火)

プレイバック信長・(13)桶狭間の戦い(前)

【アバンタイトル】

戦国時代と言っても、日本全国、
毎日のように戦をしているわけではなかった。
京都など一大消費都市を中心に、人の往来、商品の流通も多くなると、
大名の商業政策もあって、経済活動は徐々に活発になっていった。

そういう中で、特に堺は商業都市として発達し、
海外貿易においては日本一の規模を誇っていた。
当時堺を訪れた宣教師・ラスパル・ヴィレラは、本国への報告書の中で、
堺は甚だ富み、住民多数にしてベニスのごとき政治を行えり、と書いている。

そのころのベニスは、新大陸の発見や
喜望峰周りの新航路の発見で、急速にその力を失っていたが、
地中海貿易を中心として、一時は世界一の商業都市であり、
共和制による自由都市でもあった。

堺も、会合衆という組織によって自主的に町を運営し、
周囲に堀を巡らせて大名の支配を拒否していた。
いわゆる自由都市である。
当然、信長にも興味があったはずである──。

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2020年2月14日 (金)

プレイバック信長・(12)尾張統一

【アバンタイトル】


信長が弟・信行を抹殺したころ、
室町幕府第13代将軍・足利義輝は都を追われていて、
京都は、阿波の大名・三好長慶らによって支配されていた。
幕府はその政治力だけでなく、財政的な力も失っていた。


一方、甲斐の武田信玄と越後の長尾景虎は、
三回目の川中島の合戦を終え、
やがて始まる四回目の合戦に備えていた。


そして駿河の今川義元は、商工業などの発展のため、楽市を実施しながら
国内の支配体制を固め、なおも西に向かって勢力を広げていた。
今やその勢力は遠江から三河を抑え、
尾張国内の知多郡を始め、鳴海、大高、沓掛城にまで及んでいた。


信長は、まだ身内同士の勢力争いを続けていたのである。
残るは上4郡の守護代で、岩倉城主の織田信賢だけであった。
信長は、他国が侵入してくる前に尾張を統一し、力を結集しなければならない。
そのための時間は、あまり残ってはいなかった──。

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2020年2月11日 (火)

プレイバック信長・(11)弟よ

【アバンタイトル】

フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した後、
およそ2年間滞在し、その間日本での布教許可をもらうため
京都まで行って天皇に陳情しようとしたが果たせず、
結果、山口と九州で布教活動を始めることになった。

その後ザビエルは、日本にトルレス神父らを残しインドに帰ったが、
すぐ中国への布教のため、広東を目指しての上陸を目前に、
広東沖合のサンシャン島で、病のため46歳の生涯を閉じた。

彼は、フランス国境に近いナバラ王国の貴族の家に生まれたが、
19歳の時パリ留学のために家を出た。
そして二度と故郷を見ることなくこの世を去ったのである。

彼に対する評価はいろいろあるが、日本に
ヨーロッパ文化を伝えた人のひとりとして、その功績は大きい。
彼の右腕は今でも、ローマのジェズ教会に保存されている──。

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