プレイバック信長 -KING OF ZIPANGU-・(49)本能寺の変 [終]
【アバンタイトル】
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信長は尾張の奉行の子として生まれた。彼はまず、尾張国内の戦いに勝ち抜き尾張を統一した。次に美濃に侵攻し、これを併合した。そのころ都で将軍暗殺事件があり、信長は新しい将軍を旗印に都へ攻め上った。その結果、堺、草津、大津を直轄地とした。
やがて彼は都を中心に勢力を広げ始め、片方で一向一揆と戦いながら、近江の浅井長政、越前の朝倉義景を滅ぼし、ついには将軍とも戦って足利幕府そのものを滅ぼしてしまった。信長はついに天下に立ち、都を完全に掌中に収めたのである。その上で、伊勢・大和・和泉・摂津・石山本願寺・丹波・丹後・播磨・但馬・飛騨・越中・加賀・能登などを制圧した。もはや信長の大軍団に正面切って戦いを挑む勢力は消えていた。
そのころ安土にあって、信長は次なる作戦を考えていた。それは日本全国平定の大作戦であった──。
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フランシスコ・ザビエルが来日してから30年目に、アレシャンドロ・ヴァリニャーノ神父が来日した。彼は日本の布教状況を視察するために来たのだが、結果としてそれ以後の布教活動に画期的な影響を与えた。組織的な布教方針、財政、教育など、基本的なものはほとんど彼が決定した。ちなみにセミナリオ、いわゆる神学校の内規を決めたのも彼である。
漁師や上級武士の子どもから生徒を選び、原則として寄宿制にした。時間割も、朝4時半から夜の8時まできちんと作った。生徒はそこでキリスト教の勉強をしながら、ローマ字、日本字の読み書き、ラテン語の文章論、道徳、楽器演奏、唱歌などを学んだ。ローマへ少年使節を送ったのもこの人だし、日本に印刷機をもたらしたのもこの人である。
信長は宣教師を歓迎した。その理由の一つは、彼らが清廉潔白に見えたからである。そしてもう一つは、政治的に無害だと思ったからである──。
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信長は安土の城下町に掟書きを公布している。この掟書きから、信長がこの城下町政策をどのように考えていたかが分かる。まず第一に、市場は全て楽市楽座とし、税金を免除した。商人が通行する場合、街道を通らず町中の道を通った上で宿泊する。賦役、いわゆる労働奉仕は免除する。よそ者が移住してきても前から住んでいる者と同等に扱う。喧嘩口論、不正な商行為は許さない。信長の領国中に徳政令を出しても、この城下町だけは除外する……などなど、信長は城下に住む者の自由と安全を保障し、商業の発展を促した。信長はこの安土が一大都市になることを望んでいたようだ。
ちなみに楽市楽座を発明したのは信長ではないらしい。鉄砲戦術も兵農分離も信長が創始者とはいいがたい。しかしそれらの要素を効率よく取り入れ自分の武器にしたのは、信長その人であった──。
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宣教師による東西文化の交流は、まず言葉から始まった。日本語からポルトガル語に入った言葉としては、BANZE(バンゼー=万歳)、XOGUN(ショーグン=将軍)などが有名であるが、日本語に入ったポルトガル語は広範囲にわたっている。最初は「CRISTO(キリシト)」がキリスト、神のデウスが「DEUS(ダイウス)」など、キリシタンに必要な言葉が当時の日本人に発音しやすく受け入れられていった。それはやがて、日常生活の言葉にも広がっていった。
「BOLO DE CASTELA(ボーロ・デ・カステーラ)」がカステラ、「CONFEITO(コンフェイト)」が金平糖、「BOTAO(ボタオ)」がボタン。天ぷらはポルトガル語「TEMPORAS(テンポラス)」という言葉が転じたものだといわれている。TEMPORASとはカトリックが四季の初めに行う断食日のことで、その間宣教師たちは肉食を避けねばならなかった。そこで油で野菜などを揚げて食べたといわれている。それを見ていた日本人たちが、これをTEMPORASの時の食べ物・天ぷらと言ったといわれている。果たして信長は天ぷらを食べただろうか──。
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信長は生涯戦い続けた人だが、その中でも一向一揆との戦いは十数年にも及んだ。最初の決戦は伊勢長島だった。次の大きな戦いは越前一国を占領した一揆勢との戦いだった。この2つの戦いに信長は完勝したが、最後の摂津石山本願寺は容易ではなかった。
信長はこの寺を、数年にわたって囲むことになったが、なぜ一気に攻められなかったかと言うと、その規模の大きさと立てこもった一向宗門徒4万が、強力な武装集団だったことである。それに本願寺は、寺としても現代の寺のようなものではなく、周囲に堀を巡らせた町であった。その中心に本願寺があって、信長には複雑な相手だった。
だが、信長一人が一向一揆に悩まされたわけではない。徳川家康の場合はもっと深刻な戦いを強いられた。家臣の多くが一揆側に走ったからである。家康が三河を治め始めたころ、その出発点で国を二分するような戦いをしたのである。家康は幼少より苦労の多い人であった。そして今また、新しい悲劇が近づいていた──。
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この絵は狩野宗秀が描いた『都の南蛮寺図』である。ここに描かれている寺は、ルイス・フロイスやオルガンティーノが先頭になって建てた、あの都の教会ではないかと言われている。3階建てで、どこか中国風にも見られるが、庭の木などに南蛮風な味わいを感じさせている。よく見ると、門前は人通りも多くにぎやかで、左右に並んだ店には南蛮の帽子なども売られている。
当時、信長が宣教師を優遇したこともあって、キリスト教が流行の兆しを見せていた。でもそれは、キリストの神に日本人が興味を示し始めたためではなく、得体のしれないヨーロッパ人やヨーロッパ文化を、17~18年の歳月をかけてやっと受け入れる準備ができたためではないだろうか。それにしてもこの南蛮寺は、キリスト教の教会には似ても似つかない形をしている。宣教師たちはキリスト教が日本人に異質なものとして映らないよう配慮したのである。都の人々はキリスト教をいったいどんなものだと思ったのだろうか──。
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信長は天下に立ってはいたが、相変わらず周囲は敵に囲まれていた。東には甲斐武田の勢力が残っていた。北にはまだ戦ったことのない越後上杉謙信が頑張っていた。そして西には難敵・摂津石山本願寺が控えていたのである。信長はもう何年にもわたって一向宗とは戦い、伊勢長島・越前で一向一揆勢を全滅させたりしたが、石山本願寺法主・顕如はまだまだ健在だった。信長自身が負傷するほど惨敗したこともある。しかもその本願寺を西の大国・安芸の毛利輝元や、将軍義昭が応援するに及んで、ますます難しい相手になっていた。
ただ信長は、戦いばかりに明け暮れていたわけではなかった。都に近い近江の安土山に新しい城を築き始めていた。その壮大な城と城下町が完成すれば、一大都市になるはずのものであった。信長は、もはや古いものの破壊ばかりを目指すのではなく、新しいものの建設に着手していた。「破壊」と「建設」、それが信長の日常であった──。
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普通、日本人は「城」というと、名古屋城とか大阪城を思い浮かべるが、信長以前にはあのような壮大な天守はなかったらしい。7階建ての城は信長の安土城が最初とされている。それまでの城は平屋かせいぜい2~3階建てで、主に防衛陣地としての機能を重視して作られていた。だいたい、天守という建築用語がそれまでなかったのである。
ところで、残念なことに安土城は数年で焼失してしまい、設計図も絵も残っていないので、その全容を正確に知ることはできない。外国人によって描かれた想像図が数点残ってはいるが、それらはまるで問題にならないものである。日本では近年、発掘調査や研究などによってその復元図などが発表されているが、岡山の烏城(うじょう)が安土城に似せて建てられたものではないかという説がある。
いずれにしろ、信長の建てた安土城は日本城郭建築に画期的な影響を与えたようである──。
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