プレイバック花神・総集編第五回「維新回天」
慶応3(1867)年4月14日、高杉晋作 死す──。
2日後、馬関から吉田清水への街道筋を
諸方から駆けつけた3,000人もの
会葬者の松明が列を作ります。
参加者のおよそ9割が庶民の身分でした。
そして歴史は晋作の死を越えて
更に激しい沸騰の時期に突き進もうとしていました。
9月19日、長州藩主の毛利敬親は
薩摩藩士・大久保一蔵を引見。
京都を占領し天皇を擁して幕府と戦うという
クーデターの計画を練ります。
ただ、長州藩としては表立って兵を送ることが出来ません。
そこで、毛利家分家の当主が京都に出頭という形にし、
その護衛のために兵をつけて長州から京都に動かせば
容易に入京できるわけです。
敬親は一蔵に、天皇を奪われないように念を押しておきます。
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