プレイバック春日局・(31)終戦と女たち
【アヴァン・タイトル】
豊臣の天下から徳川の天下へ。その政権の移行の裏には、秀吉と家康の子どもの数の差があります。秀頼しか後継者のいない豊臣家を尻目に、家康が多くの男子をもうけたのは、彼の政権安定への執念の表れです。
家康は自らの後継者に三男の秀忠を指名し、60代にもうけた3人の男子を秀忠を支援する存在として、それぞれの要所に配しました。九男義直は尾張に、十男頼宜は始め駿河に、後に紀伊に加増転封し、そして十一男頼房を水戸に配したのです。尾張は東国への玄関口で、西国・北陸を控える戦略上の要。紀伊は京都を睨み、九州島津を牽制する海上交通路の抑え。水戸は東北伊達の構えで、日光の警護も兼ねていました。
秀忠とそれを囲む尾張・紀伊・水戸の御三家から代々の将軍が誕生し、徳川政権は盤石の構えを築いたのです──。
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