2023年9月19日 (火)

プレイバック徳川家康・(34)渦中の人

文禄2(1593)年5月、秀吉が待ち望んだ第一次明国使節が小西行長らと日本に向かうと、三成の依頼で秀吉に和議の進言をした家康は、秀吉から講和条件のことで意見を求められていた。和議を進めながら戦場の指揮を同時に進め、かつ側室の淀が身ごもって腹の子が気になるし、豊臣秀吉には頭の痛いことばかりだとイライラを募らせます。

石田三成が差し出した秀吉による講和案に徳川家康は目を通します。明国公の姫を秀吉の妃とすること、勘合で双方の船を往来し盛んな貿易をすること、双方の大臣が誓書を交換して誼(よしみ)を通じることなど、7か条からなるものです。秀吉は朝鮮半島の南半分を手中に収めることで、文禄の役は一応のけりにしようと考えていたのである。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(34)渦中の人"

| | コメント (0)

2023年9月12日 (火)

プレイバック徳川家康・(33)戦雲動く

天正19(1591)年12月、秀吉は関白職を秀次に譲り、自らは太閤となって大陸出兵の準備にまい進していた。徳川家康は大陸出兵には反対ですが、秀吉を助ける立場もあります。秀吉と軍議を重ね、日本を破滅させないよう向かわせたいところです。天海は戦に強く思慮がある家康に、秀吉に劣らない人柄を示して日本をまとめるよう諭します。「御仏はの、常により良い跡継ぎを広い視野で探しておわすと思し召せ」

そのころ、秀吉の命令で朝鮮半島の各地を巡回してきた博多の商人・島井宗室が帰国し、密かに堺にその姿を現していた。泉州・堺の納屋蕉庵の屋敷に入った宗室は、“朝鮮国王は秀吉の要求を納得した”という情報は偽りだと打ち明けます。対馬の大名・宗 義智と、堺出身の小西行長が、まさか秀吉が海を渡ろうとは夢にも思わずに交渉を進めているというのです。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(33)戦雲動く"

| | コメント (0)

2023年9月 1日 (金)

プレイバック徳川家康・(32)家康江戸入り

関白太政大臣・豊臣秀吉の北条征伐は、天正18(1590)年3月1日に京を進発すると発表。知らせは直ちに大坂から家康の元へ飛んだ。徳川家康は、今回の戦は先陣を務めるだけではなく、秀吉の軍勢を迎え入れて小田原へ向かわせるという大役と認識しています。秀吉麾下の軍勢と争いを起こさないようにしなければなりません。秀吉の軍勢の接待は本多正信に、徳川軍の管理は本多作左衛門に命じます。

関白軍を迎えるにあたり、正信は道すじの要所要所に湯茶の接待所を設け、先発隊が三河へ入って来るのを待った。正信の用意周到さに秀吉軍先発隊の家臣は感心しますが、作左衛門はそれに反発してたちまち反感を買います。慌てて「いやいや……」と仲裁に入る正信です。これを詫びるのが正信の専らの役目となった。その様子を見て作左衛門は涼しい顔です。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(32)家康江戸入り"

| | コメント (0)

2023年8月22日 (火)

プレイバック徳川家康・(31)妻ならぬ母

天正15(1587)年8月、秀吉によって九州が平定されると、家康は再度上洛した。凱旋した秀吉への戦勝祝いのためである。九州の大国・島津も、秀吉軍の圧倒的兵力を前に降伏せざるを得ず、秀吉は戦いに挑んだ島津の愚かさを馬鹿にしています。頭を丸めた島津義久に本領安堵を言い渡し、関白の懐の広さを見せつけます。

石田三成は、小田原の北条氏がいまだに上洛してこないと秀吉に報告します。三成は家康に、対北条について指南を受けたいと言いますが、秀吉は関白に対抗すれば島津と同じ運命をたどると言い放ちます。ただ、島津のような手ぬるい処置で終わらせません。三成は、北条を非難するとみせて、実は北条と同盟を結んでいる家康を非難したのである。それは、秀吉側近の第一人者を目指す三成の、対抗心の表れであった。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(31)妻ならぬ母"

| | コメント (0)

2023年8月 4日 (金)

プレイバック徳川家康・(30)両雄対面

天正14(1586)年10月24日、家康は2万の軍勢を引き連れて京に入った。家康の目に映った町の姿は活気にあふれていた。見物人のどの顔にも警戒の色はなく、家康の行列を称えている。信長が本能寺で倒れた京見物の4年前とは、人も大地も町も空も違ったものに見えた。
家康一行はまず、茶屋四郎次郎の屋敷に入った。

徳川家康は、あれだけの軍勢にも民衆に動揺がないと、天下の情勢は定まったと悟ります。四郎次郎は、岡崎城での本多作左衛門の薪を積み上げての脅しのことが、北政所(ねね)を経て関白秀吉に伝わり、ひどく怒っていると家康に伝えます。家康は厳しい表情を浮かべながら、あの年寄りがやりそうなことだとつぶやきます。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(30)両雄対面"

| | コメント (0)

2023年7月21日 (金)

プレイバック徳川家康・(29)三河の意地

天正13(1585)年11月、石川数正の出奔によって浜松城内は慌ただしかった。徳川方の機密は当然秀吉に筒抜けになったものとして、岡崎、浜松、そして甲斐・信濃の陣揃いを全面的に大変更しなければならなかったのである。

徳川家康は、羽柴秀吉の妹・朝日姫を嫁に迎えると秀吉が臣従を催促するようになると見て、本多作左衛門に小田原の北条氏政・氏直父子と手を結ぶことを告げます。関東八州をがっちりと治めている北条と結んだとあっては、秀吉もうかつに手出しはできず、秀吉に頭を下げない方法はこれしか見当たりません。家康は家康の意地を通すつもりです。そんな浜松城を突如地震が襲います。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(29)三河の意地"

| | コメント (0)

2023年7月11日 (火)

プレイバック徳川家康・(28)数正出奔

秀吉が申し越してきた於義丸養子の一件は、徳川家家臣団の激しい紛糾を呼び起こしている。天正12(1584)年10月、浜松城に集結した家臣たちは、於義丸養子の件を断らなかった石川数正への非難、徳川家康が養子の話を受け入れるのか、受け入れたとしたら家臣団としては反対すべきか従うべきかなど、いろいろ話が持ち上がります。

羽柴秀吉の使者に応対した本多正信は、その紛糾の場面を通りかかりで見て複雑な表情です。正信は三河一向一揆の際に敵対して他国へ逃れたものの、帰参を許されて家康の側近に返り咲いていました。正信は、使者には城内の不穏な雰囲気が伝わってすぐに返事を聞きたいと言っているそうで、ひとまず時間稼ぎに膳を勧めています。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(28)数正出奔"

| | コメント (0)

2023年6月30日 (金)

プレイバック徳川家康・(27)小牧 長久手の戦

家康のいる浜松城に、信長次男 織田信雄の家老・津川義冬が到着し、信長三男 織田信孝が羽柴秀吉に切腹させられたとの情報をもたらします。弓の稽古中であった家康が、引き絞った弓を戻して思わず目をむき出しにするほどの驚愕な事件で、家康は本多作左衛門とともに書院の間に向かいます。

秀吉は「信孝さまあっては、三法師君をはじめ織田家一統のためならず」と、信雄に命じて信孝の岐阜城を攻めさせたのです。信雄もやむを得ずこれに従い、すでに数多くの家臣たちが逃亡していた信孝は岐阜城を明け渡したのですが、信雄が秀吉に取りなしてくれるかと思いきや、城を出てから秀吉の使者が来て、信雄の名によって切腹を命じられたとのことです。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(27)小牧 長久手の戦"

| | コメント (0)

2023年6月16日 (金)

プレイバック徳川家康・(26)次に吹く風

天正10(1582)年6月下旬、決死の伊賀越えで堺から浜松城へ戻った家康は、側近の者にも分かりかねる凡庸さでお愛やその子らと過ごしていた。が、実は信長の死に対して甲斐・信濃の動きを鋭く見守り、一方羽柴・柴田ら織田家跡目相続の新しい争いに注目していた。

そして信長の後継者と遺領分配を決めるため清洲城に入った秀吉は、片や織田信雄に親しげに話しかけられる家臣の姿、片や織田信孝に頭を下げる家臣の姿を見て舌打ちします。何ごとかひらめいたかと思うと、急に腹を押さえて「うーむ、どうもわしは腹が痛い。今までの無理がたたって……痛い痛い」と自室に戻ります。

清洲城主で信長の次男信雄は、三男信孝とは母を違えて歳は同じである。したがって、織田の後継者は信雄か、柴田勝家の推す信孝かと必ず紛糾することは分かりすぎるほど分かっていた。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(26)次に吹く風"

| | コメント (0)

2023年6月 9日 (金)

プレイバック徳川家康・(25)伊賀越え

信長が光秀に斃(たお)されたと知った瞬間から、大名・町人・百姓、誰もの頭に浮かんだのは「再び乱世への逆戻り」である。すでにこのあたりの野伏せりや乱波(らっぱ)が太刀を背に動き始めていた。百姓も竹やりを磨きにかかっている。戦の請負を家業としている土豪や根来宗徒などは、時こそ来たれと武器・鉄砲を用意して己の買い手を待っていた。追いはぎから落人狩りの類の間に情報は飛び交って、道という道、峠という峠は、みな地理に明るい無頼事の待ち伏せ場と変わってゆく。家康の一行にも、もう幾組かの送り狼がひっそりと後をつけていた。

伊賀山中を急ぎ足で走破する徳川家康一行。けもの道や大木の間をどうにか通っていきますが、早く抜けることに必死で、すぐ下にかがんで姿を隠している女たちにも全く気が付く様子はありません。そして一行を遠巻きに見つめる男たちの姿もあります。息を潜めて一行を襲撃する機会を狙っているのです。

続きを読む "プレイバック徳川家康・(25)伊賀越え"

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Kassyのオススメ おしごと おともだち ウェブログ・ココログ関連 デジタル ニュース バス・電車 心と体 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 育児 音楽 NHKスペシャル・ハルとナツ NHKスペシャル・坂の上の雲 NHK大河1966・源 義経 NHK大河1970・樅ノ木は残った NHK大河1972・新・平家物語 NHK大河1973・国盗り物語 NHK大河1974・勝 海舟 NHK大河1977・花神 NHK大河1978・黄金の日日 NHK大河1979・草 燃える NHK大河1980・獅子の時代 NHK大河1981・おんな太閤記 NHK大河1983・徳川家康 NHK大河1984・山河燃ゆ NHK大河1985・春の波涛 NHK大河1986・いのち NHK大河1988・武田信玄 NHK大河1989・春日局 NHK大河1990・翔ぶが如く NHK大河1992・信長 NHK大河1996・秀吉 NHK大河1998・徳川慶喜 NHK大河2000・葵 -徳川三代- NHK大河2001・北条時宗 NHK大河2002・利家とまつ NHK大河2004・新選組! NHK大河2005・義経 NHK大河2006・功名が辻 NHK大河2007・風林火山 NHK大河2008・篤姫 NHK大河2009・天地人 NHK大河2010・龍馬伝 NHK大河2011・江 NHK大河2012・平 清盛 NHK大河2013・八重の桜 NHK大河2014・軍師官兵衛 NHK大河2015・花燃ゆ NHK大河2016・真田丸 NHK大河2017・おんな城主直虎 NHK大河2018・西郷どん NHK大河2019・いだてん NHK大河2020・麒麟がくる NHK大河2021・青天を衝け NHK大河2022・鎌倉殿の13人 NHK大河2023・どうする家康 NHK大河ドラマ NHK新大型時代劇1985・真田太平記 NHK新大型時代劇1986・武蔵坊弁慶 NHK朝ドラ1983・おしん