2023年12月15日 (金)

プレイバック徳川家康・(50)泰平への祈り [終]

慶長20(1615)年5月8日、難攻不落を誇った大坂城が無限の炎に身を焼いて落城した。天下のためとはいえ、秀吉からその将来を託された秀頼と、その母淀君を死に追いやってしまった事実が、家康を忌憚と痛恨のふちに突き落としていた。そしてその翌日、伊達政宗が婿である松平忠輝と二条城に家康を訪れた時──。

「なぜ助けられなかったのじゃ!」と家康に叱責を受けるのは柳生宗矩です。宗矩はどんな処分でも受ける覚悟ですが、家康は将軍徳川秀忠がいながら勝手に処分できるわけがないと吐き捨てます。怒りの元凶は秀忠も側近たちも家康の心のうちが分からず、その意向を完全に無視したことにあります。そしてその怒りの矛先は我が子へ、松平忠輝に向かいます。

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2023年12月 8日 (金)

プレイバック徳川家康・(49)落城

運命の朝が来た。この日の決戦にかけて「家康は死んだ者と思え」、すでに全軍にそう申し渡してある。今日の戦は一切、将軍秀忠の命令で動くべしと決めた家康は、真田幸村の立てこもる茶臼山に向かった。だがその心中にはあくまでも、秀頼親子と千姫救出の悲願が、祈りの炎となって燃え広がっていたのである。

一方、茶磨山(ちゃうすやま (ちゃすりやま とも))の真田幸村には、兵力の差から見て勝敗の行方はすでに見通せていた。だが彼は、人の世に戦や争いは絶えないものという見方を少しも変えていない。その心情にかけて、今日こそ家康の診断を寒からしめて死んでいこうと決めていた。

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2023年12月 5日 (火)

プレイバック徳川家康・(48)大坂夏の陣

前年の和睦にもかかわらず、大坂城内に残った浪人たちが再び騒ぎ出した。もはや秀頼親子の意向とはかかわりなく暴動化していく気配に、家康は駿府から再出陣の途についた。慶長20(1615)年4月4日である。桑名や伊勢、さらに西国の諸大名にも徳川家康や江戸から出陣の命が下され、戦に突き進んでいると大野修理は報告しますが、淀は修理の忠告を聞き流して気にも留めません。

織田有楽斎が名古屋へ向かったなど、修理は城内から裏切り者が出たと淀を煽ります。しかも家康が豊臣秀頼に大和郡山城へ早く移るように急かしている状況です。淀は修理を黙らせ、せめて自分が家康のご機嫌伺いに派遣した使者が戻って来るまでは、有楽斎の名古屋行きの話などは伏せておいてほしいと諭します。修理は頷くしかありません。

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2023年12月 1日 (金)

プレイバック徳川家康・(47)大坂冬の陣

慶長19(1614)年11月26日、大坂冬の陣の火ぶたは切って落とされた。家康の命令にも関わらず、伊予松山の加藤や、岡山姫路の池田兄弟による先陣争いにより、他の諸大名も遅れてはならじと戦闘に突入。ここに関ヶ原以来14年間にわたって保たれてきた泰平は、皮肉に炎になって吹き上げたのである。

東軍諸将はその旺盛な士気を家康親子に印象付けようとして激しい合戦ぶりを示した。その結果、大坂に出ていた秀頼の軍勢のほとんどは、ことごとく城内に追いやられてしまった。大坂方は、好むと好まざるとに関わらず、籠城と決していったのである。更に天守閣に向けられた大筒の存在が、城内の空気を微妙に変化させ始めていた。

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2023年11月28日 (火)

プレイバック徳川家康・(46)老いの決断

慶長19(1614)年8月18日は、豊臣秀吉の十七回忌である。その供養のために作られたのが、この鐘であった。その供養はじめの直前に、家康からその豊国祭中止命令が出たのは、鐘銘の文中にある「国家安康」「君臣豊楽」の軸についてであった。だが、その真意は豊国祭を契機に都に騒乱を起こそうとするキリシタン信者と、戦乱を望む浪人を抑えるべく、秀頼の大人としての解決を要求した家康の、一大諮問だったのである。

だが、且元は今度もまた家康の真意を介さぬまま、ただひたすら豊国祭の許可を求めて駿府に出頭した。本多正純が家康の意向を携えて且元の宿舎を訪れたのは、その日の深夜に至ってである。「且元は何ひとつ約束を果たしてはおらぬ」と、家康が謁見しないことに片桐且元は愕然とします。正純は、梵鐘の銘文でわざわざ秀頼に謎をかけたりはしないと且元を見据えます。

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2023年11月24日 (金)

プレイバック徳川家康・(45)巨城の呼び声

再び戦乱を望む者にその野望をそそらせる殺気の城・大坂城。秀頼がその城から出るのを拒んだとき、天下に騒乱を招く者として我が子忠輝ともども罰していかねばならぬと、江戸城に入った家康が苦悩の熟慮を重ねていたころ、当の忠輝は仙台に引き揚げた伊達政宗からの便りに若い夢を膨らませていた。

伊達政宗がカルロスに作らせ、イスパニアに出向していった船の模型を前に、忠輝は満足そうです。忠輝は自らヨーロッパに乗り出していきたいという夢を語りますが、福島城という田舎に押し込められている不満への反動にも見えます。忠輝の“思い立ったら行動を起こす”という気性も面影も、家康がまだその死を悼んで止まぬ長子信康とそっくりであった。

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2023年11月21日 (火)

プレイバック徳川家康・(44)騒動の根

慶長15(1610)年は、家康にとって内政充実の年である。一方、大坂城内の秀頼親子も、方広寺の大仏殿の建て直しに力を注ぐなど、まことに平穏無事な年であった。

その翌16(1611)年3月、後陽成天皇が政仁(ただひと)親王に譲位されることになり、これに参上すべく家康は上洛し、念願の秀頼との対面をさりげなく果たすすべを考えていた。だが大坂を取り巻く根は、まだ家康に疑惑を持つ者が多く、そうした空気の一掃と秀頼の成長を見届けたかったのである。この時家康、70歳である。

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2023年11月17日 (金)

プレイバック徳川家康・(43)連判状の夢

慶長10(1605)年6月4日、二代将軍となった秀忠が16万の大軍を率いて京を発つと、洛中洛外の空気は一変した。これで天下は決まったと庶民は安堵し、京の町はもはや戦国は遠い昔のような賑わいを呈してきたのである。伏見城には、膝の上に犬を乗せた徳川家康のほか、松平忠輝、本阿弥光悦、大久保長安が集まっています。

光悦が京の町の賑わいを報告すると、家康は嬉しそうな表情を浮かべます。豊臣秀頼の見舞いに大坂城へ上がった忠輝は、ひ弱に見えた、鍛錬不足という感想を持ちます。右大臣と左近衛少将という身分の違いを家康にたしなめられますが、弱い秀頼が65万石、将軍の弟である自分がそれよりかなり禄高が低いと、忠輝は不満を爆発させます。

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2023年11月14日 (火)

プレイバック徳川家康・(42)世界の風

慶長9(1604)年7月、秀忠に男子出生の知らせを受けた家康は、竹千代と命名することを宣言した。城内は喜びに沸き立つ。徳川家康の喜びように本多正信は困惑するほどですが、家康としては、これまで秀忠に男子なく家康の側室たちに“自分の子を養子にして世継ぎとするのでは”というあらぬ希望を抱かせまいとする、家康の転ばぬ先の杖だったのです。

大阪から帰って来た大久保長安と本阿弥光悦ですが、千姫に同道した栄(おみつ)から暇(いとま)願いが出されたそうです。栄は懐妊していて、豊臣秀頼から いわゆる手籠めにされたというわけです。家康の表情はいっぺんに曇ります。そしてそのことを知った淀は動転し、秀頼と言い争いに発展しています。長安は、それまで知らずにいた淀の責任は重大だと家康を見つめます。

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2023年11月10日 (金)

プレイバック徳川家康・(41)将軍家康

名実ともに天下の執政となった家康によって、関ヶ原の戦いでの論功行賞による配置転換が進んでいた。これは待望の泰平の世を築き得るやいなやのカギになる。家康は調査に調査を重ね、慎重に決めていった。結果は外様大名に厚く、譜代に薄い加増であった。これは外様大名を充分に説得出来て、誰も家康の裁定に不平を漏らすことはなかった。

そして家康は、力の配置の次に学問を普及させ、国の富を増す政策に手を付けようとしていた。だが、くすぶる火種はまだ残っていたのである。その火種の一つ、太閤秀吉の跡目である秀頼は摂津などの国を領して、身分は65万石の大名となった。だが、その居城は以前と同じ大坂城であった。

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