2023年3月31日 (金)

プレイバック徳川家康・(16)無情の風

天正元(1573)年・秋、家康は宿願の長篠城を落とした。まだ戦いの匂いが濃く残るこの城へ家康を尋ねたさくがある。熊の若宮・竹之内波太郎である。満足げの徳川家康は武田に対する最前線の城として、さっそく長篠城の改修に取り掛かります。そこへ波太郎が配下の金蔵・銀蔵とともに訪れます。

波太郎は家康に別れを告げ、泉州の堺に向かうことにします。長篠城を落とした家康の戦法がいくら素晴らしかったとはいえ、武田軍の底力は家康でもかなわないほどであり、それを打ち破るためには鉄砲と傭兵が必要と考えたわけです。これからの大将は、その先を見通し交易をするべし──。「金銀の蓄積がその国の力となる日が来る。どこの大将がどれだけ鉄砲を求め、何の目的で船をどこに回したか」

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2023年3月28日 (火)

プレイバック徳川家康・(15)陰謀

天正元年夏、岡崎三郎信康は父家康から初陣を命じられた。目指すは信州から岡崎へのもう一つの攻め入り口・足助(あすけ)である。足助には甲斐の下条伊豆守が立てこもっていた。信康に付き従うのは兵糧支援役の大賀弥四郎と、家康から派遣された本多作左衛門です。苦労をかけると言う信康に、弥四郎はニッコリとほほ笑みます。

そこに瀬名が加わり、出陣の盃が振る舞われます。信康は身ごもっている徳姫に言葉をかけ、凛々しい息子の姿に瀬名は目を細めています。手柄をお待ちくだされと信康は自信満々ですが、そんな信康を見て弥四郎はフンと鼻を鳴らします。武田勝頼軍を引き入れる企てを信康は知らないわけです。家来に促されて、信康は岡崎城を後にします。

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2023年3月24日 (金)

プレイバック徳川家康・(14)父と子

武田信玄の生死は判然としないが、明らかに武田軍に異変が起こった。上洛を注視した武田軍は反転して吉田城を攻撃。家康はこれに応戦してすぐに大井川を渡って駿河を攻め、駿府城外に迫った。だが武田勢が家康の攻撃に備え守勢を調えた時にはさっさと吉田城に戻り、その直後に長篠へその姿を現す。すべては信玄の死を確かめ、それによって対策を立てようとする家康の探りである。その結果、信玄は死んでいないまでも、自ら陣頭に立って采配は振り得ないことを確信した。

浜松城の台所では、女たちが籠城用の焼味噌づくりにかかっています。お愛はその味見をしながら、その出来栄えに笑顔を見せます。籠城すると言いながらあちこち飛び回る家康を、女たちは敵の大将が死んだことで運が強い人だと評価しているのを聞いて、表情を曇らせるお愛ですが、そこに家康ら軍勢が帰ってきました。

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2023年3月21日 (火)

プレイバック徳川家康・(13)三方ヶ原合戦

元亀3(1572)年10月3日、4万の大軍を率いて甲府を発した武田信玄は、途中から合流する諸将の兵と合わせて10月10日には遠江へ侵攻を開始した。その進軍は一つひとつ碁盤に石を置くような的確さで、只来、飯田の2つの城を落とし、久能城にかかってくると、家康も天竜川へ陣を進めた。

織田からの援軍は到着せず、このまま武田軍を迎えれば大波に飲み込まれてしまいます。枕元を黙って通り過ぎられたら末代までの恥と強引に出陣を決めたこともあり、家康に賛同する者が少ないのです。しかも織田の援軍を断つ目的で甲斐の山県三郎兵衛が侵攻して、砦を落とされてしまいました。家康は、織田の援軍到着まで一歩も動かないと決死の覚悟を見せ、本多作左衛門に信長への援軍の催促をさせます。

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2023年3月 7日 (火)

プレイバック徳川家康・(12)人生の岐路

強大を誇った今川家は滅亡し、家康は武田信玄の圧力をまともに受けることになったが、その信玄は、後ろの北条氏に対決を迫られてすぐには家康を圧迫することはできなかった。そうした折、織田信長から家康の浜松城へ使者が来た。使者は、藤吉郎改め木下秀吉である。

秀吉は花見に京へと家康を誘いますが、その目的が越前攻めだと察知されて恐縮しています。信長と家康が他にバレないように京で落ち合い越前へ向かうためには、相撲興業と称して近畿一帯から伊勢にかけて浪人武者を集め、旗本衆には見物を許すとして京に軍勢を集結させるのです。秀吉はこちら側の手の内をすべて明かしたと、家康を見据えます。「相成った。花見と相撲興業のお招き、喜んで勧進仕ろう」

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2023年2月21日 (火)

プレイバック徳川家康・(11)滅亡の城

永禄9(1566)年、「厭離穢土欣求浄土」の幟旗(のぼりばた)を掲げて徳川軍が突進していきます。

一向一揆を平定した家康は、東三河に残る今川氏の拠点、吉田・田原の城を落として、念願の三河をほぼ統一した。そして永禄9年、松平の姓を一門に残し、自らは勅許を得て「徳川三河守 源 家康」となった。織田信長もまた、美濃の斎藤龍興を追放すると稲葉城に移り、岐阜と名を改め上洛の機会を狙っている。織田・徳川の絆を固めるため、永禄10年5月、長女徳姫は岡崎城に輿入れすることになった。

濃姫は嫁いでいく徳姫に、この結婚の意味を優しく教えます。夫となる信康の名は、信長の信と家康の康から取った。これは信長と家康が仲良く天下を治めようという約束の証──と。この約束を違える動きには小侍従経由で実家に知らせるように諭します。徳姫は、信長の子ゆえに泣かないと誓いますが、あまり強くなりすぎて信康と諍(いさか)いを起こさないようにと濃姫は守り刀を授けます。

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2023年2月14日 (火)

プレイバック徳川家康・(10)三河一向一揆

駿府から無事救出した瀬名親子には、わざわざ岡崎城の北の築山に新しい御殿が作られた。そこの主となった瀬名は、御殿の名をそのままに築山殿と呼ばれていた。瀬名の父・関口刑部は、瀬名親子と鵜殿長照の二子との人質交換が済むと間もなく、氏真から切腹を命じられてすでにこの世を去っていた。

永禄6(1563)年・春、築山御殿では瀬名(築山殿)が父の位牌に手を合わせています。明日が四十九日ということもあり、家康も冥福を祈ろうとやってきます。父も連れてくればよかったと後悔する瀬名ですが、今は家康のそばにいられるのが夢のようです。ただ、1週間に一度しか顔を見せない家康は瀬名を築山御殿に押し込め、御殿から遠く離れた本丸で別の女がいるに違いないと嫉妬心をたぎらせます。

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2023年2月 3日 (金)

プレイバック徳川家康・(09)岡崎入城

無数の騎馬隊が今川義元の本陣めがけて突進し、歩兵も敵を斬り倒しながら駆けていきます。永禄3年5月19日、今川義元、桶狭間で信長に討たれる。信じられないこの出来事は、同時に先陣を務めた松平元康を敵の真っただ中に取り残したのである。松平元康は、林の中を一目散に抜けていきます。

阿古居では平松弥九郎の家臣たちが兵糧を運び、ドタバタしています。そんな中、於大は竹之内久六を呼び、逆らわないように元康を説得すると清洲の織田信長のところへ向かわせます。元康を無事に岡崎の城へ帰すには、それで時間稼ぎをするしかなさそうです。さらに於大は、竹之内波太郎に自分の願いを聞き入れてくれるように平野久蔵を走らせます。

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2023年1月27日 (金)

プレイバック徳川家康・(08)桶狭間

広い戦場の中を、突進していく岡崎衆。敵を斬り、倒し、前進していきます。松平元康も「ゆけゆけ~ッ! 進め~ッ」と声を上げ、味方を鼓舞します。岡崎衆の期待の中に、松平元康は初陣の時を迎える。これまでは義元の先鋒として働いていた岡崎衆も、元康の初陣となればその勇猛ぶりはさらにめざましかった。

織田信長は阿古居の平松屋敷に赴き、於大を訪ねます。慌てて出迎える於大に、やりおったぞ竹千代めが! と知らせに来たのです。華々しく初陣を飾れことを嬉しく感じる於大ですが、戦う形だけ見せればいい初陣で、織田軍を演習代わりに使ったと冗談を言って笑います。ただ信長にとって眼目は義元の上洛戦であり、元康はその先鋒にされるでしょう。信長は元康を敵とする意思がないことを、於大に岡崎へ知らさせます。

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2023年1月24日 (火)

プレイバック徳川家康・(07)初陣(ういじん)

家臣たちと馬で遠駆けに出る家康、すがすがしそうな表情です。弘治3(1557)年正月、先に元服を終えて竹千代は名を松平元信と改め、瀬名姫との婚礼を目前に今日も日課となった鍛錬に出ている。朝の修業は、まず裏の的場で30射、その後身体が汗ばむまで木刀を振って、それから小さな仏壇の前に座る。ここで規則を調えて、朝の食膳はその後であった。一汁二菜、玄米を少し硬めに炊いてひと口48回咀嚼。2椀食して皿まできれいにすすぎ、その後いつもは智源院に行き勉学に勤しむのだが。

瀬名(鶴姫)との婚礼の日取りが決まったと関口親永から知らせがあり、相談したいことがあり呼び出しを受けます。瀬名との政略結婚は側小姓たちの大きな不安材料であり、こちらの都合をすべて合わせて親永の言いなりになっていては、後に禍を呼ぶと鳥居元忠は反発しますが、親永は元信が駿府に来てから命の綱でありこれから舅となるお方だと、元信は食事を中断して親永の元へ向かいます。

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