プレイバック徳川家康・(50)泰平への祈り [終]
慶長20(1615)年5月8日、難攻不落を誇った大坂城が無限の炎に身を焼いて落城した。天下のためとはいえ、秀吉からその将来を託された秀頼と、その母淀君を死に追いやってしまった事実が、家康を忌憚と痛恨のふちに突き落としていた。そしてその翌日、伊達政宗が婿である松平忠輝と二条城に家康を訪れた時──。
「なぜ助けられなかったのじゃ!」と家康に叱責を受けるのは柳生宗矩です。宗矩はどんな処分でも受ける覚悟ですが、家康は将軍徳川秀忠がいながら勝手に処分できるわけがないと吐き捨てます。怒りの元凶は秀忠も側近たちも家康の心のうちが分からず、その意向を完全に無視したことにあります。そしてその怒りの矛先は我が子へ、松平忠輝に向かいます。
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