プレイバックおんな太閤記・(50)平和への道 [終]
慶長16(1611)年3月28日、家康の力に屈して大坂より秀頼が上洛。京都二条城において家康と会見したことは、豊臣氏が自ら徳川の家臣であることを認めることになり、秀吉没後13年にして豊臣と徳川の地位は名実ともに逆転した。かつて家康が秀吉に臣従し、無念の涙を呑んでから25年、ようやく家康はその屈辱を晴らしたのである。
この豊臣の凋落に追い打ちをかけるように、その年の4月、ねねの妹婿・浅野長政が65歳で没し、また6月には加藤清正も51歳の生涯を閉じた。豊臣家の柱となってきたこの二人の死は、ますますねねの心を暗くしていた。そんな時、高台寺を訪れたひとりの客があった。前田利家の妻・まつです。人質で江戸にいながら、伊勢参宮を許した家康の配慮で高台寺まで足を伸ばしたのです。
最近のコメント