2023年12月12日 (火)

プレイバックおんな太閤記・(50)平和への道 [終]

慶長16(1611)年3月28日、家康の力に屈して大坂より秀頼が上洛。京都二条城において家康と会見したことは、豊臣氏が自ら徳川の家臣であることを認めることになり、秀吉没後13年にして豊臣と徳川の地位は名実ともに逆転した。かつて家康が秀吉に臣従し、無念の涙を呑んでから25年、ようやく家康はその屈辱を晴らしたのである。

この豊臣の凋落に追い打ちをかけるように、その年の4月、ねねの妹婿・浅野長政が65歳で没し、また6月には加藤清正も51歳の生涯を閉じた。豊臣家の柱となってきたこの二人の死は、ますますねねの心を暗くしていた。そんな時、高台寺を訪れたひとりの客があった。前田利家の妻・まつです。人質で江戸にいながら、伊勢参宮を許した家康の配慮で高台寺まで足を伸ばしたのです。

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2023年11月 7日 (火)

プレイバックおんな太閤記・(49)天下の行方

関ヶ原の合戦後、天下の形勢は一変して強力な徳川体制が出来上がっていった。が、形の上では家康は、なおも豊臣家のいち大老として秀頼の後見役の立場を取り続ける。ねねの願った通り、天下は平静を取り戻したかに見えていた。大坂入城の徳川家康を襲撃しようと企て蟄居を命じられた浅野長政は許されて京に戻り、子息幸長はその活躍ぶりから20万石加増され、甲斐から紀州へ国替えされたとのことです。

福島正則も加増されて尾張から安芸広島へ転封、豊臣家も領地が3割程度に減らされ、江戸に近い領国は徳川の近しいもので固められ、みな口々に批判の声を上げます。ねねは、秀頼を思っての賞罰だと家康の肩を持ちます。所領を召し上げられた木下勝俊は、弟の小早川秀秋が宇喜多秀家の旧領を受け継ぎ備前美作51万石に出世したと喜びます。その岡山城から届いた書状を読み進めたねねは顔色を変えます。「すぐ備前に発ちます」

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2023年10月27日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(48)豊臣家の岐路

慶長4(1599)年9月27日、徳川家康はまだ7歳の秀頼を補佐するという名目で、大坂城西の丸に入った。そして諸大名を領国の経営に専念するようそれぞれの国元に帰国させ、秀吉の没後わずか1年余にして中央政権をその手中に収めた。
一方ねねは大坂城西の丸を家康に明け渡し、京都三本木の屋敷に移っていた。

心穏やかに書物を読んでいるねねですが、やはり高齢となり、ねねは目頭を押さえています。ふみはねねの警護のついでに庭掃除をしていますが、そこにみつが加わり、大坂城の金銀財宝を独り占めする茶々への愚痴大会です。ねねはそっと障子を開け、またつまらぬことをとたしなめます。ねねは隠居の身なので、贅沢は言っていられないのです。ねねはふたりを部屋に入れて茶を入れます。

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2023年10月20日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(47)関ヶ原前夜

秀吉が没して半年。豊臣政権は前田派と徳川派に分かれて、早くも一色即発の危機を迎えていた。嵐の中、大坂城西の丸ではねねが木彫りの仏像に色付けをしています。孝蔵主が、前田利家が重体であると知らせに来ると、来る時が来たかという表情のねねは、出かける支度を命じます。

利家危篤の知らせは淀殿の元にも届いており、利家まで亡くなったらと心配ですが、利家とねねの癒着を持ち出す石田三成は、徳川家康を討てる機会を逃したのも、戦を好まないねねの影響があると快くは思っていません。利家が亡くなればねねの後ろ盾もなくなるわけで、家康を今のうちに成敗しておくことも考えておく必要があります。淀殿は三成だけが頼りです。

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2023年10月13日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(46)おかか悲願

天文6(1537)年2月6日、尾張国愛知郡中村の百姓の子として生まれ、織田信長の足軽から身を起こし、その類いまれなる才覚と努力と強運とによってついに天下人となり、関白太政大臣・従一位まで上り詰めた秀吉。老いと病には勝てず、最期は一子秀頼に思いを残しながら、62歳の華麗な人生を閉じた。慶長3(1598)年8月18日、ねねと清洲で祝言を挙げてから37年目のことであった。

ひたすら秀吉のおかかとして生きてきたねねは、葬儀を済ませたら一族の菩提を弔うため出家し、ひっそりと余生を送るつもりであった。が、事態はねねの思うままにはならなかった。徳川家康と前田利家は、ねねに秀吉の葬儀は今はできないとはっきり通告します。朝鮮在留中の10万の将兵を混乱なく撤兵させるため、秀吉の死を伏せることにしたのです。

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2023年10月 3日 (火)

プレイバックおんな太閤記・(45)秀吉死す

慶長3(1598)年が明けると、朝鮮の戦況は急速に悪化し、各戦線で諸将は後退を余儀なくされ、日増しに敗色が濃くなっていった。が、秀吉はそれらの憂さを忘れようとでもするように、その年の3月、山城醍醐の三宝院で花見を催すと言い出したのである。

ねねと双六に興じる豊臣秀吉ですが、朝鮮での戦況も思わしくなく、秀吉の健康問題も抱えての花見にねねは心配しきりです。しかし秀吉はねねに醍醐の桜を見せてやりたいという気持ちが強いわけです。苦労をかけっぱなしのねねを労わりたいという秀吉は、花見に連れていく側室たちの名前を指折り数えながらつぶやきますが、「ああ……おかかが一の輿じゃ」と大事なねねを付け忘れたりはしません。

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2023年9月29日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(44)最期(さいご)の別れ

関白秀次の事件が凄惨な悲劇で幕を閉じ、秀吉は関白の政庁であった京の聚楽第をも憎しみを込めて破壊してしまうと、伏見城を政治の中心とし、3歳の拾を豊臣家の後継者とするためにその精力を傾け始めていた。そのころから秀吉は病気がちで、拾のためにまるで命を削り取っているようであった。

明けて文禄5(1596)年、明の講和使節が来日することになったが、それより先に加藤清正が突然ねねを大坂城へ訪ねてきた。ねねは、久々に対面した清正の姿に笑顔を見せます。明から使節が来ることで戦がようやく終わり講和へ一歩前進すると、ねねはやれやれといった表情ですが、「無念でございます!」と清正は唇を噛みしめます。

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2023年9月26日 (火)

プレイバックおんな太閤記・(43)母、ともの嘆き

文禄4(1595)年7月8日、秀吉の甥・秀次は謀反の廉(かど)により高野山に追放された。お茶々の子・拾をめぐる凄惨な豊臣家世継ぎ争いの結末であった。が、秀次の非運はそれだけでは済まなかった。やがて残酷な知らせがもたらされることになる。7月15日のことであった。

三好吉房・とも夫婦が大坂城のねねの元を尋ねます。吉房は謀反人の親となってしまいねねに面会に訪れるなど憚られる身だと遠慮がちに言いますが、豊臣秀吉の身内だとねねは憚る必要はないという立場です。豊臣秀次のことについて伏見の秀吉に動きがあれば、すぐにねねの元に知らせが入るように手配していますが、ねねとはいえ目通りは許されず、秀吉と対面することはできていません。

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2023年9月22日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(42)秀次追放

文禄2(1593)年8月3日、秀吉の側室・淀の二度目の子、拾の誕生は、豊臣家の人々に大きな波紋をもたらした。鶴松の死で子を諦めていた秀吉は狂喜し、拾を溺愛した。が、すでに天下は秀次のものになっていた。秀吉はそれを後悔し、秀次が邪魔になったとしても不思議はなかった。叔父と甥の間でありながら、拾をめぐって次第に溝が深まっていった。

それを一番心配したのはねねであった。伏見城修築でしばらくは大坂城へ戻って来れない秀吉の代わりに、ねねが大坂城から伏見城へ出向きます。大坂城は拾の城、聚楽第は関白秀次の城、淀城は鶴松を亡くした縁起の悪い城なので破壊し、秀吉とねねが隠居をするための城として修築しています。大名屋敷も伏見に置くわけで、ねねは、隠居所とはほど遠いとチクリと刺します。

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2023年9月15日 (金)

プレイバックおんな太閤記・(41)秀頼誕生

天正20(1592)年7月、九州唐津の名護屋城で大政所危篤の知らせを受けた秀吉は、急きょ大坂へ向かった。大坂城へ駆けつけた豊臣秀吉は、出迎えるねねになかの容態を問い詰めます。伏し目がちのねねが涙を流して首を横に振るのを見て、秀吉はすべてを悟ります。「間に合わなんだのか……!!」 秀吉は絶叫するとその場に倒れます。

居室で寝かされていた秀吉は、意識を取り戻しゆっくりと目を開きます。むくりと起き上がり、傍らに控える豊臣秀次を見てなぜ早く知らせなかったのかと尋ね、大陸出兵の大事に心を煩わせてはならないと配慮したと弁明する豊臣秀次を激しく叱責します。秀吉にとっては唐入りよりもなかの命の方が大事なのに、それが分からないで自分の代わりが務まるかと責め立て、顔も見たくないと追い出してしまいます。

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