2024年6月28日 (金)

プレイバック風と雲と虹と・(52)久遠(くおん)の虹 [終]

天慶3(940)年2月、小次郎将門は下総石井(いわい)へ軍を引いた。しかし。平 将門は、田原藤太勢が逆井(さかい)に陣を敷いたと聞き、地図で逆井の北部に弧を描きます。逆井は今日の茨城県猿島町逆井(さしままち さかさい)と推定するなら、石井の北8kmの至近距離にある。

藤太は、平 貞盛や藤原為憲に軍勢を任せ、将門たちを周囲の村から隔離しようとくまなく配置しているようです。村里に入れば民人を無駄に刺激し抵抗に遭うため、民人たちが中から外に出ないように道を固めて見張りを置く周到さです。これ以上兵を集めることはできず、将門は打って出て戦うことを諮ります。「ひとたび勝てば、敵の囲みに破れが生ずる。あとは地の利、人の和。決戦は──明日だ」

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2024年6月25日 (火)

プレイバック風と雲と虹と・(51)激闘(げきとう)

この物語も終わりに近づいている。

天慶3年、西暦940年の1月。太政大臣藤原忠平を首班とする朝廷の最高会議は、明日にも京の都を制圧する気構えと実力とを持つ藤原純友とその海賊団に対して、純友に従五位下という位を授けることによってこれを懐柔し得ると信じ、同時に坂東から外へ出る意図を持たない平 将門に対しては、征東大将軍の率いる大軍を持ってこれを制圧しようとした。これは驚くべき錯誤であった。だがこの錯誤が、今やその命脈風前の灯火とも言うべき朝廷を、結果として救うひとつの原因となったのである。

そして坂東では、小次郎将門が石井(いわい)に主だった武将や郎党を集め、兵たちとともに慰労の宴を張っていた。その席上、小次郎は重大な決定をした。軍の体制を解き、兵をそれぞれの里に帰すというのである。坂東から公が消えた今、残った我々は大地に取り組むことが仕事だと諭します。「第一歩から始めてみようではないか、我らの手で」 小次郎の夢だったかもしれない。しかし小次郎はこの夢に賭けていた。あまりにも美しすぎる夢なのに。

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2024年6月21日 (金)

プレイバック風と雲と虹と・(50)藤太と将門

太郎貞盛は、常陸国府軍に加わっての敗戦以来、以前の領民たちの家を渡り歩いていた。民人たちは平 将門に気兼ねして、自分を喜んでは迎えないと貞盛はつぶやきますが、貞盛を待っていた村の女は、父親たちが何と言おうと貞盛は自分が守ると、笑顔で貞盛を迎え入れます。彼はいつも女たちに愛される。そのいわば特技が彼の身を安全にしていたのである。

太郎貞盛の妻・小督(こごう)。彼女は貞盛を探し求めていた。だが、次々と隠れ家を変える彼に追いつくのは、容易なことではなかった。貞盛がいる隠れ家を探し当て、対面する小督と貞盛ですが、貞盛には悪びれた様子は全くありません。「あなたに見つかるようでは、ここもいよいよ危ないかな」と笑います。

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2024年6月18日 (火)

プレイバック風と雲と虹と・(49)大進発(だいしんぱつ)

伊予守・紀 淑人(よしと)と一対一で対面した藤原純友は、「仲間になりませんか」と淑人を勧誘します。純友は公を滅ぼすためにすでに軍勢を日振島(ひぶりじま)に集結させていて、淑人も一定の理解を示します。坂東では平 将門が常陸国府を占領し、東からと純友の西からで公を攻めれば……。戦のない穏やかな暮らしを望む淑人は、「私を、滅びるべき公とともに滅ぼさせてください」と返答します。

天慶2(939)年師走半ば、日振島に集結した海賊船団は、純友の指揮下、ついに出動した。軍勢が立ち上がり、京の都を震え上がらせてやると季重は鼻息荒いですが、そうしているうちに坂東の様子も分かってくるでしょう。きっと鹿島玄明が知らせに来ると武蔵はつぶやきますが、純友は玄明が武蔵の実弟だと知っておもしろがります。

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2024年6月14日 (金)

プレイバック風と雲と虹と・(48)坂東独立

この公然たる叛逆を、見捨てることが公にできようはずはない。やがて必ず──。興世王の指摘にも平 将門は動じません。日の本の軍勢がこの将門を討ちに寄せてくるとき、それを防ぐ手立ては足柄と臼井、この二つの峠を切りふさぎ、坂東八か国を固めるよりほかに道はありません! と将門は立ち上がります。

将門は常陸の民人を国府に集め、自分は国司に代わろうと考えて兵を起こしたのではないと説明します。貢ぎも、それを取りたてる国司がいなくなったのだから必要ないと笑います。「国司はこの国における公の代理だ。それがなくなったということは、公もなくなったということだ。この坂東には坂東の空があり大地がある。そこで働く人々がいる。それでやっていけるはずだ」

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2024年6月11日 (火)

プレイバック風と雲と虹と・(47)国府占領(こくふせんりょう)

常陸国の不動倉襲撃で重傷を負った玄道は、小次郎の元に匿われた。これに対して常陸国司 藤原維幾(これちか)・為憲親子は兵4,000を集め、その威を背景に玄道・玄明を差し出せと将門に執拗に迫って来ていた。将門は、常陸国では多くの民人たちが飢えているというのに、国府や公は何をしているのかという怒りもあるわけです。

常陸国府の所在地、すなわち常陸府中は、今日の茨城県石岡市である。常陸府中に姿を現したのは、将門の命を受けてやって来た三宅清忠です。将門の使者と聞いて維幾は震えあがりますが、為憲は使者であれば維幾が会う必要はないと助言し、維幾は郎党に用向きを聞いておけと命じます。

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2024年6月 7日 (金)

プレイバック風と雲と虹と・(46)決断

玄明と玄道たちは、常陸国の行方郡(なめかたごおり)と河内郡(かわちごおり)の不動倉を襲い、重傷を負った玄道は小次郎の元へ来た。そこに急に興世王が来て、武蔵権守(ごんのかみ)の役職を辞めると言い出します。武蔵守として赴任した百済王貞連(さだつら)とそりが合わないわけですが、公ではやはり“興世王と将門が組んで経基を襲撃する”という疑いを持っているようなのです。

権守を辞めた後は、将門の厄介になりたいという興世王に、将門は2人目だと大笑いします。玄道・玄明兄弟が不動倉を襲ったことは興世王も知っていますが、匿うつもりの将門にさすがの興世王も「やめられい! 大ごとになるぞこれは」と忠告します。しかし将門が頼まれれば断れない気性を思い出し、困ったものだとため息をつきます。

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2024年6月 4日 (火)

プレイバック風と雲と虹と・(45)叛逆(はんぎゃく)の道

厳しく貢ぎを取り立て、体を整えよという朝廷の命令を受けた坂東の各国府は、それを実行した。中でも藤原維幾(これちか)が介を務める常陸はひときわ厳しかった。ある男は捕らえられ鞭打たれ、ある男は刀で脅され、逃げ出す男は容赦なく斬り捨てられます。坂東に再び武蔵が来た。天慶2(939)年の夏である。

鹿島玄道と武蔵、そして季重は、鹿島玄明に螻蛄婆(けらばあ)のところへ案内されます。厳しい貢ぎの取り立てに、民人たちはこれ以上貢ぎをできまいとつぶやく玄明に、できないなら……と武蔵は尋ねますが、「せねばよい」と婆は答えます。こちらが拒ませずとも民人たちは拒むわけで、婆は玄道に役人たちから民人たちを守るよう訴えます。玄明は不動倉を打ち壊すことを提案します。

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2024年5月31日 (金)

プレイバック風と雲と虹と・(44)玄明慟哭(はるあき どうこく)

小次郎将門は、武蔵国足立郡(あたちごおり)の郡司武芝と、権守(ごんのかみ)・興世王(おきよおう)、介・六孫王経基との間に起こった紛争を調停した。しかし介の経基はこの和解に納得していない。彼は源姓を名乗っているが、清和の帝の孫にあたるその高い誇りが、事件の原因のひとつとなった。

経基の陣所は、同じ狭服山(さふくやま)にある。経基は、なぜ自分が武蔵武芝に頭を下げなければならないのかと立腹し、その怒りは仲裁役の平 将門にも向かいます。経基はふと、興世王が将門と親しくしていることを思い出します。興世王は将門と組んでいったい何を? 「公の権威が、坂東の荒えびすどもの力の前に屈したということ。力をもってせしめればこその権威が逆さまに……叛逆じゃ!」

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2024年5月28日 (火)

プレイバック風と雲と虹と・(43)武蔵(むさし)の風雲(ふううん)

938年、承平8年という年は改元して天慶(てんぎょう)元年となり、その6月に良兼が死んだ。やがて小次郎は良子と二人だけの法要を営んだのである。その帰り道、空腹で道端に倒れる「浮かれ人」親子3人を見かけ、そばで様子を見ていた民人たちとともに将門の石井(いわい)の館に運ぶことにします。「浮かれ人」とは、公地公民の義務である租税や30日の庸役が辛く、土地を放棄した人たちのことです。

小次郎は幼い時のことを思い出していた。初めて“浮かれ人”という者の存在を、父良将から知らされた日のことを。良将は将門に、浮かれ人を家人にしていたら民人は辛さからは解き放たれますが、公民が減り税が減ることにつながると諭します。「あの人たちが救われることが、国家が困ることになるのですか? 間違っています! 何かが間違っています!」

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